「名前ちゃ〜〜ん」 「きゃっ!」 意識を覚醒させると、目の前に人の顔があった。視界の八割が顔面で埋まっていたものだから、反射的に退けて勢いよくベッドの端まで後ずさる。 「ななななな何っ!?」 「あらやっとお目覚めね」 そう言われて、寝起きでぼやけている目を擦る。もう一度、目の前にいる人物を見た……黒と紫の羽がふんだんにあしらわれた服を見て、不審者かと思い声を上げそうになったが、よくよく見ればそれは見知った顔だった。それも久しぶりに見た顔。 「し、シルビア!」 大樹が崩壊してから、ずっと安否を気にしていたのだ。生きていて良かった!眠気もあっという間に吹き飛んで、シルビアの手を取ってぶんぶんと振る。縋るように服の裾を掴んでいればテントの入り口のほうから声が飛んでいた。 「……お前までシルビア呼びか」 「あら、名前ちゃんはどこかの鈍感な将軍様と違って、サマディーでもうすでにアタシのことに気づいていたわよ?」 「あ、グレイグさまもご無事で!」 低く、聞き心地の良い声はもう一月も待ち焦がれていたものだった。寝起きで髪が跳ねているのも構わずに、その声の主にも駆け寄った。良く見れば、装備も黒を基調としたものに新調されていて、騎士らしい格好良さが滲み出ている。 「むやみやたらと男にくっつくな」 「はい……」 久し振りに会ったというのに、あちらは私がどれだけ心配していたかも知らないような態度であったから、少し残念に思いながらベッドサイドに腰掛ける。 グレイグさまから、旅の途中でシルビアに会い、やっと彼が「ゴリアテ」であることに気づいた話を聞いた。確かにあの生真面目な姿からは想像できないような変わりようではあるが、共に旅を続けていれば直ぐに気づくものも気づくのではないだろうか。 シルビアも何年振りかにジエーゴさまに会いに行き、世界を救う決心を固めたと言ってくれた。ということは、私はこれからシルビアとも一緒に旅ができるわけだ。今日は起きて早々嬉しい知らせが多い。 「あ、イレブン!……とおじいさん?」 グレイグさまやシルビアと話に花を咲かせていれば、テントの入り口に人影が見えた。そこに居たのはイレブンと、あの時ユグノア城の祭壇で一回だけあったことがあるおじいさんだ。おじいさんも私に気づいたらしく、驚いたように目を見開いた。 「おお、あの時の!」 「無事で何よりです」 聞けばあの後、イレブンと仲間たちは全員無事に合流して旅を続けたらしい。彼らの役に立つことができたと分かって嬉しく思うと同時に、申し訳なさそうにするグレイグさまを見てちくりと心が痛んだ。どちらからともなく握手を交わすと、グレイグさまが私に語りかけるように一歩前に出る。 「名前、この方はユグノア王妃エレノア様の父御で、先代国王のロウさまだ」 「えっ……!ということは、イレブンのお祖父さん……」 イレブンとロウさま、二人の顔を見やると、揃ってうんと頷いた。私はユグノア城跡でロウさまに敬意を払わずにいたことを思い出し、立ち上がって深く頭を下げ謝罪をした。ロウさまは自慢の髭を撫でながら「良いのじゃ」と仰ったが、申し訳無さはしばらく晴れそうにない。 「ところで体力は戻ったか?」 「戻りました……というかすみません、急いで用意しますね」 グレイグさまに声を掛けられて、朝起きて髪すら整えていなかったことを思い出し、急いで身支度をする。旅の荷物はもうとっくに作ってあったので、服だけ着替え、ベルトを締めて真新しい双剣を両腰に取りつけた。洋箪笥に入った装飾品をつけようとしたところで、あの忌み嫌っていた赤い宝石のピアスが目に留まった。つけていこうか、どうしようか迷って、結局身につけた。自分でも何故つけようと思ったのかよく分からないが、物に罪は無いと思って納得するようにした。 王のテントに行き、手短に旅立ちの挨拶をしてから、走ってテントへと戻ってきた。これで、準備万端だ。村の人には、まだ旅立つことを伝えていない人も沢山居るのだが、ひとりひとりに挨拶している時間は無い……それに、きっと私は此処に帰ってくる。 「今はどこで何を?」 「世界を回りながら情報収集をしている。次はバンデルフォン地方にあるネルセンの宿屋に泊まることになった」 「それで時間ができたから、私を迎えに来てくれたのですね」 宿屋に泊ることになったという理由が良く判らなないが、彼らもタイミングを見計らって此処に来てくれたのだろうから、あまり深くは追求しないことにした。 「どうでしょうか?剣も新調したので、もう戦闘準備ばっちりですよ」 「なかなか似合っているな。他の荷物は大丈夫か、道具も持ったか?」 「持ちました」 腰に結びつけた皮の袋に、薬草類や毒消しなども入っている。イシの村近辺に出かけて材料を集め、自分で調合したものだ。村の復興も手伝いつつこっそりと旅立ちの準備もしていたことをグレイグさまに伝えれば、やれやれと言わんばかりに笑みをこぼされた。 「では、行くとするか」 「お願いします」 イレブンのほうを見やる。彼が右手をあげて魔力を溜め、それを大きく振りおろすと、私たちの身体を青白い光が包み込んだ。 ** 懐かしい香りがするような麦畑と風車がある風景。バンデルフォン地方出身とはいえ、町から少し離れた場所にあるネルセンの宿屋には初めて訪れた。宿屋には、こんなご時世だというのに結構な人だかりができていた。気になって宿の人に聞いてみると、なんでもここに泊ると皆が同じ夢を見るらしい。その肝心の夢の内容については商売のため答えてくれなかったが。 「大変混み合っておりまして、二人部屋、二部屋しか空きがないんです」 中に入り、受付の女性に話しかけると、そう言葉が返ってきた。前もどこかで似たようなことがあったような気がする……多分、受付にて指で「三」を作ったまま固まっているグレイグさまも私と同じことを思っているに違いない。こんなに混み合っているならば、宿屋に泊ってから私を迎えに来てくれれば良かったのではないだろうか。 「私が邪魔ですね、あれでしたらイシの村に戻るので全然……」 「だーめよ名前ちゃん、みんなで泊まりましょ?一人だけ仲間はずれなんてイヤじゃない」 受付の人の手前、シルビアの好意も無下にできずに、取り敢えず二部屋を取ることにした。ロビーの椅子に腰かけて、誰がどの部屋に泊まるべきかと話し合いをする。 「部屋割り……どうしましょう」 男女別にするわけにもいかなければ、嫁入り前の私が特定の男性と同じ部屋で寝たいと言うべきでもない。そんなことを考えていると、シルビアがハイハイと手を挙げた。 「アタシと名前ちゃんの女の子グループと、あとの男の子グループで良いと思うんだけど」 「ゴリアテ貴様、良いわけがないだろう!」 「グレイグさま、落ち着いてください。私は大丈夫ですから」 サマディーの関所でもデルカダール兵や顔も知らぬサマディー兵と一緒のテントで寝ていたこともあれば、村の復興作業中も兵士の横で雑魚寝していたので、私自身誰と同じ部屋になろうとあまり気にしていない。 「ふむ……わしはイレブンと一緒に泊まるとするか。おぬしたち三人で入れば問題無いじゃろ」 皆それぞれの間柄も考えればそれが一番いいのかもしれない。あとは、私が別な宿に行くか床で寝るかすれば解決だ。イレブンとロウさまは先に荷物を持って部屋へ向かい、私たちもそれからゆっくりと腰を上げると部屋へ向かった。民宿の宿屋のような質素な部屋には、木のベッドがふたつと、小さなナイトテーブル、床が抜けるのではないかと不安になるほど分厚い本が詰まった本棚がある。 「二人部屋って言ってたし、やっぱりベッドはふたつよねえ」 「俺は床で良い」 「ダメです!私が床で寝ます」 この二人を抑えて、そう簡単に床で寝かせてもらえないのは判っていたのが、反発すれば二人は口を揃えて反対した。 「それだけはダメだ」 「それだけはダメよ」 騎士道精神を重んじる二人に揃ってそう詰め寄られ、怯んでしまうが、それでも先程までイシの村で休んでいた私よりも彼らを優先的に休ませたい。 「二人とも旅の疲れが溜まっていますし、お願いですからベッドで寝てください」 「じゃ、アタシとグレイグが同じベッドで寝るから。名前ちゃんにもちゃんと寝てもらわないと」 「ダメです、このベッドは二人じゃ狭いですよ」 「それ以前に俺はゴリアテと一緒に寝たくない」 ああ言えばこう言っての押し問答。結局、私が何を言っても二人は首を縦に振ってくれない、私が本気で遠慮しているわけではないと思っているのだろうか。だからといって私も譲るつもりはない……となれば。 「じゃ、こうなったら文句なしのコイントスで決めましょう。表が出た人からベッドで、どうですか?」 このままでは埒が明かないと思い、バッグから取り出したのは三枚のゴールド硬貨。それでもグレイグさまは嫌そうな顔をしていたが「グレイグさまが私にベッドで寝て欲しいくらい、私もグレイグさまにベッドで寝て欲しいと思っている」ということを噛み砕いて説明すれば、渋々納得してくれた。きっと彼も頭の中では私の言い分を判ってはいるものの、体面的に譲れずにいるのだろうから、こういうときは、私たちではない第三者に公平に決めてもらった方が良い。 三人同時に金貨を握って、トスをする。コインの上下を手で挟んで、皆で一斉に手を開けると、私だけが裏面だった。これで、私以外の二人がベッドで寝ることになった……これで文句は言わせない。 「言い出した人が負けるんですよね、こういうの」 「しかしだな……」 「床で寝ますよ。騎士に二言はありませんから、なんてね」 シルビアとグレイグさまの荷物をベッドの上に置く。床は木で造られているため、あまり冷たくはないから、あとでイレブンに寝袋でも借りればぐっすり眠れるだろう。 「夕食を食べに降りましょうか」 階段の下から、どこか懐かしいような香る郷土料理の匂いが漂ってくる。夕食に胸を躍らせる私とは正反対に、申し訳なさそうにする二人の背中をこつんと叩いてから部屋を出た。 ** 夕飯を食べて部屋に帰るなり寝袋に包まって楽しそうに本を読む名前ちゃん。彼女結局ベッドに寝かせることはできず、水を浴びて部屋に帰ると、ミノムシのように丸くなった寝袋からは既に小さな寝息が聞こえていた。それからベッドに潜って、何時間経っただろう。窓の外は完全な闇に閉ざされて、麦畑を吹き抜ける静かな海風の音を聞きながらうとうとしていた……そんな時、ふと隣のベッドからごそごそと音が聞こえた。音の主は、そっと床で寝ている彼女のほうへ向かって歩いて行く。 「……」 「あらグレイグ、そんなことしたらきっと名前ちゃんは悲しむと思うんだけど」 「……何だ、起きていたのか」 名前ちゃんの身体を抱き上げようとしているグレイグに、静かに声をかける。名前ちゃんが寝てからベッドに運ぼうとするのではないかということは、なんとなく読めていた。かく言う自分も、一瞬そんなことを考えていたのだが、結局騎士が大事にすべきは女性を自分の思うように敬うことではなく彼女の意思を汲むことなのだと。そう思い名前ちゃんをそのまま寝かせてあげようと考えていた。 「名前ちゃんは、アタシたちにちゃんとベッドで寝て欲しいと思っているのよ。もし目を覚ましてグレイグが床で寝ていたらどう思う?」 「女性を床で寝させるわけにはいかないだろう」 けれども、グレイグの言うことももっともで……それでも名前ちゃんの意に反することを止めないのもどうかと思って。何と言葉をかけようかと考えていると、頭の中に一つのアイデアが浮かんだ。 「このベッドをくっつけるのはどうかしら。そうしたら三人で寝られるわ」 アタシたちの意見も名前ちゃんの意見も、どっちも取り入れられる。とてもいいアイデアじゃない? 下の階に響かないように、ナイトテーブルを端に避けて静かにベッドを動かす。シングルベッドに三人で寝るのは少し窮屈かもしれないけれども、名前ちゃんならば問題ないと言ってくれそうな気がする。サマディーに居たときはグレイグと一緒の部屋で寝ていたのだし。 ベッドをくっつけると、グレイグは名前ちゃんをなんとか寝袋から出して、抱き上げて真ん中に寝かせた。てっきり、今度はどちら側に寝かせるかという話になるかと思っていたので、躊躇わずに真ん中に持ってきたことに驚く。 「名前ちゃんは真ん中なのね」 「寝相が悪いんだ。端に寝させるといつ落ちるか判らんからな」 「ふうん……」 真ん中に寝かされた名前ちゃんを見やれば、悪い夢を見ているのだろうか、小さく唸りながら眠っている。そんな彼女の顔にかかった髪を払うように、優しく額に触れるグレイグを見て、何だか見てはいけないものを見てしまった気持ちになった。 「好きなの、名前ちゃんのこと」 「は?」 なんとなく、そう思った。自分のなかで、目の前にいる男がこう易々と女性に触れるような真似をするような人ではないと言う固定概念があったのかもしれない。サマディーに居た時に名前ちゃんは否定していたけど、その時も何となく煮え切らない気持ちでいたのだ。 「俺も名前も、仲間以上の気持ちはない」 「そうかしら」 静かに何かを考えたあと、そう答えたグレイグを見てため息をついた。嘘をついているのだろうか、それとも本気で言っているのだろうか。暗くて顔表情が分からないから判別がつかない。 それにしても、アタシが名前ちゃんと一緒に寝ると言うと珍しく声を荒げたり、何事も無いかのように横抱きにしたりと、絶対に「ただの仲間」にするようなことじゃないと思うんだけど。きっとグレイグは、名前ちゃんのことを他の仲間以上に……家族のように大切に思っているのかもしれないわね。 「まあいいわ、例の夢も気になるところだし。さっさと寝ましょうか」 これ以上掘り下げても無意味だと思い、寝返りを打って二人に背を向ける。名前ちゃんと二人きりで話す機会があったら、こっそりグレイグのことを聞いてみようかしら。 |