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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

英雄の苦悩
ホメロスさまがこの部屋を去ってから、数時間が経過した。気が付けば木版で塞いだ窓の隙間からキラキラと朝の光が差し込んでいて、それらを毛嫌いするように目を細めた。
夜が明けて日が昇る度に、心は不安と焦りに押しつぶされそうになっている。せわしくページをめくるのは先程の魔道書でも、ホメロスさまから拝借した戦術の本でもなく、クレイモランのとある学者から届いた太古の文献だった。ホメロスさまが休憩時間以外に此処を訪れることがないと判っていたため、彼が去ってからはこういった書物をこっそりと読み進めていた。
クレイモラン王国領のシケスビア雪原には、この世界――ロトゼタシアに関するあらゆる書物が眠る古代図書館がある。国外に出ることができないのならせめて……ということで、クレイモラン出身であった先代のツテを借りて、自分の身体を蝕む「何か」に関係のありそうな書物を、クレイモランの学者を通じて片端から取り寄せては読み耽っていた。

あと数年持つかも判らないこの身体に巣食う何かは、いま、自分の中の「光」を養分にしてぐんぐんと成長している気がしてならない。それ自体が何なのかは判らない。判らないからこそ、限りない想像を巡らせてはこうして焦り、恐怖に駆られる。星々も雲に隠れる暗い夜は特に調子が良い、時折自分のものではないような魔力が湧いてくると、その何かにますます支配されそうになる。奇病か、はたまた呪いか、それすら判らないまま、自分の身体を正常に戻すためのあらゆる手がかりを、ただひたすらに探している。

国外に出たいと考えている理由はこれにあった。己の身体が完全に光を拒絶してしまう前に、自分の魔力の暴走が、力の増幅が制御できなくなる前に、自分の身体が耐え切れなくなる前になんとしても元の身体に戻る手立てを講じなければらならいのに。それなのに王は、私の身の安全と将来性を天秤にかけて、前者を選ばれるそうだ。その意見に絆された二人の将軍も同意見。

「……ダメもとでも、グレイグさまに相談してみるしか手は無いな」

グレイグさまもまた、ホメロスさまと共にデルカダール王国の「双頭の鷲」と呼ばれる将軍であられる。そんなグレイグさまにも、ホメロスさまと同じほど頭を下げているのだが、外に出たいという願いは全て二つ返事で却下されてきた。しかしそれはホメロスさまとは異なり、王に対する忠誠心からくるものであって、グレイグさまの本意ではないことは表情を見ればすぐに判った。いつか、グレイグさまも覚えているはずの不信感を突き、王に進言してくださることを望んでいるのだが──彼の性格を考えればそれも厳しいかもしれない。そのような考えを巡らせながらも、可能性が全くないわけではないと信じ、もう既に彼が居るであろう城の訓練場へ向かうこととした。

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天窓には灰色混じりの薄い青が映し出されている。外からは目を覚ましたばかりの小鳥の声が聞こえるが、城の者は殆ど起きてすらいないようで物音のひとつも聞こえやしない。だが、このような時間から、すでに訓練場にはお目当ての人物が居ることを名前は知っている。

「グレイグさま、おはようございます」

木刀を握って素振りをしていたグレイグさまに声を掛ければ、よほど鍛錬に夢中になっていたのか、彼は驚いて振り返った。

「おはよう。お前がこの時間に、それも訓練場に来るなど珍しいな」
「ええ、実はグレイグさまに大事なお願いがありまして」
「……サマディーの魔物討伐の件についてだということは想像がつくが。また国外に出たいから一緒に連れていってくれという話ならば却下だ。王の意に背くことはできん」

昔から外出許可を得る機会には必ずと言って良い程グレイグさまに頭を下げてきたものだから、彼ももう慣れたようで、私がお願いを言う前に却下されてしまった。だがまだ退くわけにはいかない。

「王は私が国外に出ることをどのような理由で却下されているのです?」
「宮廷魔道士が魔物や他国の謀者に拉致監禁されたりなどしたら、我が国が多大な被害をこうむることは想像がつくであろう」

その言葉に対して、ついこの間までは言い返すことすらできなかったのだが……今日ばかりは私に良い案があるのだ。顰めっ面をするグレイグさまとは対照的に、私は得意げな顔をしながら人差し指を立てた。

「そこで提案なのですが、サマディー遠征の際は私をグレイグさまの隊に入れていただけないでしょうか」
「……俺の隊にか?」
「そうすれば、グレイグさまが身の安全を守ってくださるでしょう?サマディー周辺の魔物など、グレイグさまの敵ではないですし、大きな町ならまだしも砂漠のど真ん中まで謀者が追ってくるとも思えません。今まで私のお願いを蹴ってきた穴埋めとも思って王に進言していただけませんか?」

人気が無く、魔物も弱く、さらに多くの兵が動員されるとなれば、この機会を逃すわけにはいかない。グレイグさまは口を真一文字にして目線を下に逸らした。グレイグさまは真面目なお方だから、私の言い分について合理的であるのかどうかを深く考えてくださっているのだろう。しかし、ここで王の命を無視してまでグレイグさま自身で決断を下すことはまず無いため、この時点で許可を得ることはできない。だが王に進言していただけるのであれば、そして何よりグレイグさま自身が私の扱いに対して不信感を抱いてくれればそれだけでも御の字である。

「一応、王には話を通しておくが、あまり期待はするな」
「ありがとうございます!」

今までとんぼ返りを繰り返していたグレイグさまとの交渉も、ようやっと一歩前進と言ったところ。私が自身の体の異変に気づいてから早いもので数年、これでようやく真相に近づくことができる第一歩を踏み出せた。勿論、外出の許可を得たからといって安心できるわけではない。自身の問題を解決する手立ては、何処にあるのかさっぱり判らないのだから。だがそれでも、今日くらいはこの煩慮から抜け出して、心地良く眠っても良いだろう。

「では、もうすぐ就寝の時間なので、おやすみなさいグレイグさま」
「……ああ。おやすみ」

手応えは悪くない──訓練場から出ると名前は思わず拳を握りしめた。王に外出を認められずとも、グレイグさまの心を揺さぶることができるだろう。自室に戻る足取りはいつもよりも軽く、大嫌いな日差しさえも、今ばかりは少しだけ好きになれるような気がした。

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上機嫌で去っていった名前に、何とも居た堪れない気持ちになった。掛け合ってみるとは言えど、答えはもう知っているようなものだ。王はどうも名前をこの城に縛っている。理由は判らないが、その事実だけは知っていた。
そして「名前の呪いを解く方法を探し出せ」という王の命に対して、ホメロスが何の働きもしていないこと、在ろう事か王がそれを黙認していることも。二人はまだ若い彼女の命が危機に瀕していることに関して、何も思ってはいないのだろうか、……いや、そんなはずはない。我が王は慈愛に満ちた聖君であるのだから、きっと何か御考えがあるのだろう。

無理だと言うたびに、何度名前の涙を見てきたことか。王の意は己の意、そう考え行動してきたはずなのだが、どうしても引っ掛かるものがある。しかし忠誠を誓った王と長年の親友であるホメロスのことを疑うことなどとてもできなかった。

許可を得られなかったと告げれば、また名前の泣き顔を見ることになる。最近はもう見慣れたようなものだが、それでも彼女の可愛らしい顔がくしゃりと歪められるたびに心が痛んだ。名前がこの城にやってきてからはや十数年。日頃の付き合い自体は浅いものの、成長を見届けてきた身としては、王やホメロスの彼女に対する扱いは甚だ心苦しいものだった。