×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

大きな手の優しさ
その日は、城の中がやけに騒がしかった。上階の慌ただしい足音が地下牢にまで響き渡り、私の監視役である魔物たちの間にも、緊張感が漂っている。城中の唸り声や叫び声が洞穴の中にこだまして、放心状態のままベッドに横たわっていた私も、流石に気になり始めて起き上がった。様子を探ろうにも、殆どの魔物は人語を話さないものだから、結局何が起きているのかも判らず仕舞いで……あまりの喧騒に、こちらの精神もおかしくなってしまいそうで、耳を手で塞いで外界からの音を閉ざす。

「もう……何なの……!いや、嫌だ……」

ブランケットを頭がから被って、段々と大きくなる悲鳴と地響きのような衝撃に耐える。また外の世界で何かあったのだろうか……それにしては魔物たちの声がやけに騒々しいような気もするが、最早私には考えるという余裕さえ無かった。
やがて、部屋の扉がガタガタと大きな音を立てて揺れた。加えて、大きな爆発音と衝撃波……結界で守られたこの部屋でさえ揺れるほどのものが地下牢獄を襲う。扉を隔てた向う側の状況を確かめたいのは山々だったが、それは敵わない。なんとかベッドから這って出て、おぼつかない足取りで部屋の隅に移動した。寂しそうに立てかけられた大魔道士の杖を──先代の形見の杖ぎゅっと握りしめる。結界の所為で、私は此処では呪文は使えないのだが、心を落ち着かせるために、先代の面影にしがみつくように、それを手にした。

そこから小一時間ほど喧騒が続いたあと、ドンドンと扉を叩く音がした。続いて、ガチャガチャと乱暴にドアノブを捻る音が部屋に響き、咄嗟に身構える。何が起こるか判らないという恐怖に身体も動かず……やがて向こうから「扉から離れろ!」という声が聞こえると同時に、看守室の入り口は、見るも無残に吹き飛んだ。

「ひ……っ……!」

慌てて部屋の奥にある浴室へ隠れようとしたが、続けざまに聞こえてきた声を聞いて身体は固まった。

「名前!無事か!」
「え……ぐ…グレイグさま?」

部屋に入ってきた人影の正体が判るや否や、溢れる言葉を吐き出すよりも先に、私の身体は動いた。視界に飛び込んできた紫色の髪は、紛れもないグレイグさまのものだった。これは夢なんかじゃない、グレイグさまは生きておられた!
ふらつきながらも、倒れ込むように抱き着くと、大きな手は私の身体をしっかりと受け止めてくれた。グレイグさまが着用している市松模様の服には、魔物の体液と思しき毒々しい紫色の液体が滲んでいた。城に巣食っていたあれだけの魔物を全て倒して、そうして此処までやって来てくれたのだ。

「グレイグさまっ……わたし、もう、グレイグさまと、二度と……会えないかと思って……ずっと、後悔していたんです。ほ……んとうに、ごめんなさい、助けに来ていただいて、ありがとうございます……!」
「もう良い……辛い思いをさせたな。よくぞ、生きてくれていた」

ずっと、ずっと後悔していたのだ。喧嘩別れのようになってしまったあの日のグレイグさまの後ろ姿が、最後になってしまったのかもしれないと、そう思うと泣いて叫んでも足りなかった。グレイグさまの優しさを、「何も知らない癖に」と踏みにじったあの日の私のことを、謝ることもできずに別れてしまうなんて、死んでも死に切れなかった。
だが、神さまは絶望に暮れていた私に奇跡を与えてくださった。ただひたすらに、ごめんなさいを繰り返す私の背中を、グレイグさまは優しく撫でてくださった。泣きじゃくる赤子をあやすような温かい手のひらが……生きている者の温度がとても懐かしく感じられて、涙はおさまるどころか益々溢れ出してくる。

生きることを諦めないで良かった。正直、グレイグさまのことは、それこそ奇跡のような確率でない限り助かってはいまいと思っていたのだ。私は、根拠も無しに彼が生きていると信じていられるほど、強くはなかった。
安心して地べたにへたり込むと、グレイグさまの背後に人影が駆けてくるのが見えた。慌てて彼の服の裾を掴めば、安心しろと言わんばかりに肩に手を置かれる。それと同時に、私は漸くその人影の輪郭を認識することができた。

「イレブン……!?」
「名前!」

そこに居たのは、ダーハルーネにある霊水の洞窟で一度だけ顔を合わせたきりだったイレブンだった。どうして、グレイグさまがイレブンと共に行動しているのだろうかと、そう疑問に思って尋ねようとするも、その言葉はグレイグさまの焦燥しきった声により遮られた。

「あの──」
「詳しい話は後だ。追っ手が来る前に此処を出るぞ、走れるか?」

そう言われて差し出された手を握ったは良いものの、長らく食べ物を口にしておらず、あまり動かしていなかった身体は、立ち上がっただけでもふらついてしまうほど力が入らなくて。申し訳無いと思いながら、小さく首を横に振った。

「走れません、ごめんなさい。それと、此処に張り巡らされている結界を破らなければ、どの道私は外に出ることができない……だから」
「僕なら……できるかな」
「……きっと、できると思う」

この部屋の封印結界を解く方法なんて、判るはずもない。しかし、イレブンの持つ勇者の力があれば、「できる」と誰かに語りかけられているかのように、不思議と結界を解くことができるという確信を持てた。
彼はこくりと頷くと、蜘蛛の糸のように絡み合った複雑な結界陣にそっと手を当てる。結界は、聖なる力を持つイレブンの手に抵抗するように禍々しい光を放っていたが、とうとう耐え切れなくなったのか、粉々に弾け飛んだ。

立ち上がり、ゆっくりと扉の方へと向かった。恐る恐る手を伸ばして、扉に触れてきるも、身体に何の変化も無い。そのまま、部屋から足を踏み出せば、宙を掻いた四肢はすんなりとそこをすり抜けた。結界は、イレブンのお陰で完全に消滅していた。

「イレブン……貴方が生きていてくれたお陰で、私もこうして生きていられる。感謝してもしきれない……本当にありがとう」

預言者が言っていた──いつかきっと、勇者が私を救ってくれるのだと。
己の運命に気づき、国を裏切りイレブンに手を貸し、謀反者として牢に入れられ……絶望の中に居た私を、彼はこうして助け出してくれた。まるで最初からそういう「さだめ」であったかのように。あの時、ダーハルーネで授かった預言は、こうして四年越しに果たされた。

かくして、漸くこの地下牢から出ることができた。グレイグさまに背負われながら、崩れた瓦礫の階段を昇れば、眩い光に目が眩んだ。城の中に居るはずなのに、何故こんなにも明るいのかと疑問に思ったが、その答えは漸く光に慣れた目の前に映し出されていた。
城壁は無残にも崩れ落ち、エントランスは瓦礫の山だった。その瓦礫の下からは、乾いて黒くなった血液や、下敷きになっているドレスの裾がはみ出ていて、思わずグレイグさまの背に顔を埋める。「生きている人間は居ない」と、確かにホメロスさまはそう仰っていた。物理的にも、精神的にも、私たちだけでは瓦礫を退けることはできない。せめて彼らが安らかに眠りにつくように、深く目を閉じながら、城を後にした。
城と城下町を繋ぐ橋を越えれば、見知った黒馬と、ふた回りほど小柄な可愛らしい白馬が並んでこちらを見ていた。黒馬──リタリフォンは、グレイグさまの姿を視認するなり、嬉しそうに喉を鳴らした。

「王へ報告をしなければならない、俺たちの帰りを待っている者も居る。ひとまず最後の砦に戻るぞ」
「王……砦……?」
「案ずるな、王は正気を取り戻している。事の顛末は全て聞いた……俺は取り返しのつかないことをした。名前、お前にも謝らなければならないな。気づいてやれなくて、すまなかった」

グレイグさまは私を抱えながら器用に馬にまたがると、先導するイレブンの後を追った。両肩の外側から回された腕にふらりとぶつかりながらも、背筋を張って姿勢を保つ。
雲の隙間からは晴れ晴れしい青が覗いていたが、陽の光の下に晒されているのにも関わらず、具合が悪くならない理由は、それ以上にこの世界に蔓延る強い瘴気のせいなのだろうか。燃える草木と、魔物によって無残に食いちぎられた野晒しの横を抜け、ひたすらこの大陸の南へと向かった。

**

デルカダールから南へ丘を越え山を越え、半日近く走り続け、ようやく辿り着いた場所は、イレブンの故郷であるイシの村だった。村に戻ると、イシの村人やデルカダール兵、やっとのことでここまで逃げてきた人々が揃って出迎えてくれた。涙を流しながら国家を歌うデルカダール兵、喜びを分かち合うように手を取り合う人々。魔王によって統治されたこの世界でもなお、此処に居る人々は未だ希望を失っていなかった。
正気を取り戻したデルカダール王の勅命と元々心の中で固めていた意志もあってか、グレイグさまがイレブンに跪き「勇者の盾となる」ことを誓えば、歓声と拍手が湧き上がった。それから、私はグレイグに連れられて、空きのあるデルカダール兵のテントへと連れて行かれた。閑散とした部屋には小さなベッドがひとつ置いてあった。

「まずは身体を休ませてくれ」
「お気遣いありがとうございます。グレイグさまは、いつ行ってしまわれるのですか?」
「直ぐにでも此処を発ちたいが、民たちがそうさせてくれないだろうな」

最後の砦に着くと同時に見計らったように晴れた空に、湧き上がった人々の歓声は今も止んでいない。今夜は盛大な宴が催されることだろう。
シーツの上に寝転び、ブランケットを被ると、グレイグさまは私の頭をひと撫ですると、踵を返そうとした。また一人になってしまうということが怖くて、急いで手首を掴んで此処に居て欲しいと引き留める。

「ずっとひとりで、心細くて……だから、私が眠るまで傍に居てくれませんか」

グレイグさまは一瞬驚いたような表情を見せたが、ベッドの横に木の椅子を引っ張って来て、そこに座ってくれた。城から逃げ出して来た時は、いつ魔物に襲われるかも判らなかったものだから言えず仕舞いだったが、今ならば言える気がする。グレイグさまを傷つけてしまった懺悔と、助け出してくださったことに対するお礼と、それから──王とホメロスさまに関する真実を伝えられなかったことを、謝りたかった。

「心配してくださったグレイグさまを、突き放すような真似をしてしまって……本当に申し訳ありませんでした」
「いや……今なら判る。あの花の根が必要だった理由は……」

弁明するならば、必ず花の根を飲んでいた理由を正直に話さねばいけないと思っていた。それがグレイグさまの口から出てくるとは……どうしようもなく心が痛む。同性の使用人ならばまだしも、男性に……それも上司にあたる人に知られてしまうとは、恥辱以外の何でもない。グレイグさまは、そんな私をどう思うのだろうかと鬼胎を抱いていたのだが、彼は私を穢らわしい目で見ることはなかった。

「当時は、まさかとは思っていたが。その……身体の傷と先程の部屋の様子で、察しがついた」

自身の身体をきつく抱いて隠した肌には、度重なる強引な情事の跡が消えずに残っている。グレイグさまとて、これを見て嫌悪感を一切抱かないと言えば嘘になるだろう。いくら優しい彼でも、私を責めたくもなるはずだ。何故抵抗しなかったのか、誰にも言わずひた隠しにしていたのか……だがそんな素振りは一切見せずに、グレイグさまは悲しそうな表情をしたままこちらを見つめていて、私までどうしようもなく遣る瀬無い気持ちになってくる。私は、この人を悲しませてしまった。

「私は……敢えて抵抗しませんでした。その方が無駄な傷を増やさずに済むと判断したんです。保身のために受け入れたことを、懺悔させてください。あの時、グレイグさまに正直に打ち明けて、嫌われることが怖かった……」
「確かに、あの時の俺はそう思わせてしまうような人間だったかもしれんな。お前に本当のことを言われたとて、一片の疑いも生じていなかったかと問われたならば……それは嘘になる」

私も彼も、あの時は誰が敵か味方も判らないような状態で、そのままお互いの心内もわからぬまま傷つけて合ってしまった。それでもグレイグさまは、私を傷つけまいと余計な事を言ってしまう前にあの部屋を去ったのだ。

「正直、俺がここに居ても良いのか迷っている。もし嫌だったら、言ってくれ」
「私が引き留めたんです。グレイグさまさえ良ければ、此処に居てください」

凌辱を受けても、それでも変わらず私の隣に居てくれる。そんな優しさに追い討ちをかけるように、大きな手が額に乗せられた。私に触れることを一瞬躊躇ったその仕草にも、彼の気遣いが垣間見える。今更になって、そんな彼を突き離してしまった後悔の念に支配される。もう一度「ごめんなさい」と呟けば、グレイグさまは困ったように笑顔を浮かべた。