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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

屍の王城
ドアをノックする音が耳に入れば、一気に気が滅入った。暫く無視してみたが、去る気配のないドアの向こうの気配に観念して「はい、どうぞ」と返事をすると、重い扉が鈍い音を立てて開いた。

「名前さま、今日のご夕食でございます」

ガシャンガシャン……と鉄の甲冑が床を穿つ音と同時に部屋へと入ってきたのは、デュラハーンという首無し騎士の魔物だった。まだ、腐敗臭を放つアンデットよりは良いかと思ったが、途端に部屋に蔓延る強烈な匂いに思わず鼻を摘んだ。普段は盾と鉄球があるはずの手には、台車の取手が握られていて、そこには禍々しいオーラを放つ今日の夕食が並んでいた。

「此処まで運んで来てくれたのは有難いけど、ニワトリの死骸を出されても私は食べられないのよ。生肉には病原菌も寄生虫もいるし……焼いたりしてくれると助かるかな。あとその毒キノコみたいなやつも、食べると食中毒になってしまうし、酷い場合は死んでしまうかも……」
「はて?」
「ええと、今日も食欲無いから私の夕食は皆で食べてくれる?」

きちんと洗っているのか定かではない泥と毒にまみれた皿に、ロクに血も抜かれていない首無しニワトリが毒々しく盛り付けられていた。更にサラダと思しきそれには、赤いボディに呪われたように白い模様が浮き出た毒キノコと泡立ったソース。それらの劇物の隣で「バブルスライムのエキス」やら「野ざらしになった人間の出汁」だとか吐き気を催すような解説をするデュラハーンを、なんとか扉の向こうへと追い返した。

「おえ、っ……はぁ……」

先ほどの下手物料理を極力思い浮かべないように頭を横に振る。魔物にとっては極上フルコースなのだろうが、明らかに人間の食べるものではない。魔物の巣窟と化してしまった城の一角で、すっぽりとシーツに埋まって何とも言えない溜息を吐く。

アンデットたちとの暮らしは、兵士に化けた魔物たちに監視されていた頃とは雲泥の差だった。
口の中に入れられるものは殆ど運ばれて来られず、服もシーツも洗濯してもらえない。看守の魔物に、衣類とシーツを城から掻き集めてくるように言えば、乾いて黒ずんだ血液が付着したものを持ってこられた。瓦礫に押し潰されて、魔物に襲われて亡くなった城の者から無理矢理剥ぎ取ってきたものだろうか、香油の匂いが染み付いたそれを着ようとも思えずに、結局は自分の服を着回すことにした。

これならば、ウルノーガの元へ連れ去られた方が幾分かマシであったかもしれない。そうすれば、此処まで劣悪な環境下に置かれることはまだ無かった筈だ。それでも、私をデルカダール の地下牢に閉じ込めているということには何か理由があるのだろう。例えば──私を餌に誰かを此処に誘き出そうとしているとか、この城の「主」の力を借りて私の魔物化を早めようとしているのか。何にせよホメロスさまのことだから、考え無しに私を此処に置いているということは無いだろう。そんな考えを巡らせていれば、先程閉まったばかりの扉が再びコンコンと高い金属音を奏でた。

「名前さま、食欲が無いのならばせめて、この蛇の血スープをお召し上がりください」
「要りません!」
「はあ……蛇の血は好みではない、と」

偉そうな甲冑を着込んだガイコツが、パピルスに丁寧にメモを取る。蛇の血だけではなく魔物の食べ物全般が嫌いなのだが、言ったら言ったでまた変なものを持ってこられそうで何も言い返さなかった。「失礼しました」と部屋から出ていくガイコツを見送って、漸く落ち着いたと思いベッドへと座り直した。

そもそも、この城がお化け屋敷状態になっているのには理由がある。ホメロスさまが私のことを甲斐甲斐しく世話をし始めてから何日か経った頃、屍騎軍王ゾルデとやらをこの城に連れてきてから、私の生活はガラリと変わってしまった。
その日、目を覚ませば、城の中がやけに騒がしかった。此処には生きている人間は居ないと、ホメロスさまはそう仰っていたはずなのに。不審に思いながら喧騒に耳を傾けてみるが、彼らの発している言葉が全くと言って良いほど聞きとれないのだ。猛獣の唸り声のようなもの、猛禽類の甲高い鳴き声のようなもの、喧騒と言うよりも騒音と評した方が幾分か正しいかもしれない。

「今日からこの城の新しい主になる」

こちらに向かって来るホメロスさまの足音の他に、もう一つ足音が増えていることに気づいた。てっきり魔王直々に此処へやって来たのかと身構えていれば、そんな予想に反して、この部屋に入るのもやっとの大きさの屍が目の前に現れた。本能的に危機を感じて、思わず部屋の隅まで逃げてしまったが、相手はこちらに危害を加えることは無かった。その鈍色の甲冑と紫色の衣に身を包んだ魔物は、腰を抜かしている私に手を差し出した。戸惑ったが、下手に抵抗するべきではないと判断し、おずおずとその手を握る。

「ンフフ………初めまして」
「……」
「ゾルデだ」

これからデルカダール城の主となる魔物だと、そう言ってホメロスさまは妖しげに笑った。

「貴女の世話は我が優秀なしもべ達が責任を持って行いますのでご心配なく」
「はあ……ありがとうございます」

途轍もなく嫌な予感がした。今日からゾルデとその部下たちと共に暮らす羽目になるとは、本当に世も末だと思う。これならば、まだホメロスさまが居た方が良かったかもしれない。何処で道を間違えたのかと何度も自問自答したが、結局は私が此処に幽閉された時点で最悪の未来は決定していたのだ。

「貴女からは愛しい強い闇の力を感じます……ンフフフ……」
「我が王の呪いがかけられている。手は出すな」
「ご心配なく……」

握手したまま繋がれていた手をぐいっと引っ張られて、腰が抜けたまま立たされれば、細く硬い腕が背中に回された。ゾルデの顔が目の前まで迫って、間近で見る髑髏に身体が震え上がった。固まる私の身体を優しく支え、ベッドまでエスコートしたこの魔物に、最早どんな顔をすれば良いのかも判らなかった。とりあえず、凶暴な魔物ではないことに安堵するも、ホメロスさまの「私は暫く留守にする」の一言で、これから彼抜きでアンデットと生活を共にするのだと思うと本気で泣きたくなった。

この城にはアンデット意外の魔物も居るのだが、私の世話はゾルデの腹心が行っている所為で顔を合わせるのは殆ど骸骨だった。幾ら魔物を見慣れているとはいえ、アンデットの容姿には未だ慣れない。四六時中活動をしている彼らには睡眠という概念も無いようで、私が微睡みの中に落ちてる最中でも遠慮無く部屋に入ってくるものだから、私の精神は次第に削られていった。

「名前さま」
「……っ!」
「魔軍司令殿から、差し入れです」
「あ……ありがとう」

何回部屋に入れば気が済むのかと心の中で悪態を吐きながら、骸骨から手渡された麻袋の中を見やる。そこには、布の服やシーツなどの衣類と、ラスクや蜂蜜など保存が効く食物、それから桃色の妙薬が閉じ込められた小瓶が入っていた。最後の物は殆ど嫌がらせだろう──いつまでも子を宿さない私の身体に苛々しているのだろうか。後で浴室の排水溝に全て流してしまおうと思いつつ、引き出しの中へと片付けた。

思えば、あの桃色の液体を初めて口にしたのは、私が十六歳の誕生日を記念してデルカダール城で催されたパーティーだった。吸い込まれそうなほど綺麗な透明なボトルに浮かぶ赤々と光るワインには、間違いなく妙薬が含まれていた。ゾルデの腹心である魔物曰く、それは魔物が好き好んで飲むものであって、人間にはその旨さは判らないだろうと言う。だが、私にはその妙薬がとても甘美なものに感じたのだ。
つまり、あの時ホメロスさまは妙薬をワインに混ぜ、私の身体が魔物に近づいているかどうかを確かめていたということだ。四年前、既にホメロスさまはウルノーガ側の人間で、国務をこなしながら私の様子を見つつ、グレイグさまを亡き者にしようとする機会を窺いながらデルカダールで身を潜めていたと思うと少し恐ろしくなる。
ホメロスさまが急に私と接触してきたあの頃から、彼の全ての行動は私を堕とす為のものだった訳だ。策士であると思うと同時に、彼の誘いの少しばかり胸を踊らせていた当時の自分を思い出し、残念な気持ちになった。

締め切られた地下牢獄の看守室には、地上に抜ける小さな排気口があるのみで、淀んだ空気はいつまでも部屋に居座ったままだ。アンデットの腐敗臭に侵された地下牢は、次第にその臭いが充満するようになり、悪臭に塗れながら日々を過ごしていた。
暫くすれば、私の身体が臭いに慣れた所為か、腐敗臭はそこまで酷く感じなくなった。私にとっては、それが一番酷く恐ろしくなった。「死」に塗れたこの城の香りを自分が受け入れているという事実が、怖くてしょうがなかったのだ。

この城で亡くなった人たちの光景が脳裏を過ぎり、途端に耐えられなくなって浴室に飛び込んだ。デルカダールの大地を流れる雄大な川から、地中に染みて濾過された綺麗な水──瘴気に犯されたこの場所で、唯一穢れの無い地下水を浴びることができる浴室は、疲弊しきった私の心を清めてくれた。肌にこびりついた臭いを削ぎ落とすように、ボロ切れで何度も擦る。此処を出てしまえば、再び終わりの見えない地獄に放り込まれる。気が滅入り、苔生した壁も気にせず凭れ掛かっていれば、扉越しにノックの音が聞こえた。このまま無視していれば、浴室にまで侵入を許してしまう。魔物とは言えど、一糸纏わぬ姿を曝け出すのは気が引けて、慌てて返事をしてから翌日の扉を開けた。