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午前三時の灯火
──平和が訪れたこの世界に、彼はもう居ない。闇に身を染め、青々と茂る大樹の一葉になることもできずに、私と同じ時を確かに過ごした記憶だけとなってしまった。私ならば、救うことができたのだろうか。己を犠牲にすることを厭わずに行動していれば、この無念は少しでも晴らされたのだろうか。
それとも、彼は正義も悪も関係ない力を求めたときに既に死んでいたのだと諦めるべきなのか。だが、いくら自分にそう言い聞かせても首を縦に振ることはできなかった。もし無理にでもデルカダールという檻から抜け出していたのなら、運命は変わったのかもしれないと、そういったくだらない妄想ばかりをして眠りにつく。平和になった世界は憎らしいほど美しいが、それは私の心を満たしてくれるものではなかった──


デルカダール城一階の最奥にある部屋──かつては図書館として利用されていた書庫に併設されたそこは、この城の宮廷魔道士に与えられた小さな私室。尤も、この私室は他の客室よりも寧ろひとまわりほど広いのであるが、無造作に積み上げられた書類や、床が抜けてしまうのではないかというほどに敷き詰められた本棚がそう思わせている。
名前は、気が付けば小さくなっていたランプの明かりを見て、気怠そうに立ち上がりオイルを差した。そして、使い古して糸がほつれたクッションに体重を預け、再び読みかけの本に視線を向けた。城内の人々の声も途絶え、鳥も獣も寝静まる深夜。このような時間でも名前の身体は眠気のひとつも覚えることはない。

黙々と魔道書を読み耽っていれば、この部屋に向かってくる足音に気付いた。カツン、カツンと単一のリズムが、カーペットの上からタイルを叩く。この部屋を訪れる者は決まっている。それは名前が唯一入室を許している侍女と、この国の二人の将軍であるのだが……このような時間に部屋に来る者など彼しかいない。足音の主が「双頭の鷲」という異名を持つ我が国の将軍のうちのひとり──軍師ホメロスであると分かると、扉がノックされる前に、こちらから静かにドアノブを回した。

「こんばんは、ホメロスさま。またお勉強を見に来てくれたのです?」
「ああ」

扉を開ければ、暗闇の中に、灯が淡く反射した端正な顔が浮かび上がる。ドアノブを引いたまま壁に背をつければ、彼はまるで己の私室であるかのように遠慮なく部屋へと入ってきた。
ホメロスさまは決して、夜中に他人の部屋を訪れるような礼儀知らずでもなければ、人の世話を進んで焼きたがるようなタイプではない。むしろ私には少し自己中心的で己に深く干渉する人物をとことん嫌っているような、少々難があるようにも見えるのだが、何故かホメロスさまは度々私の部屋を夜中に訪れるものだから、このやりとりももはや慣れたものであった。

「夜警とはどうも好かん。私には早く片付けねばならない仕事も残っているというのに」
「しかし、ホメロスさまがたまに夜警に入らなくては、兵の士気もだだ下がりです。それに、夜警が怠けることを危惧して兵の調整を行った、あの会議の決定はホメロスさまの一言にあったはず」
「何もそれ自体は悪いことだとは思っていないが、多忙の時は文句も言いたくなるだろう」
「……ならばシフトはホメロスさまが組んではいかがです」

ホメロスさまが文句を垂れている夜警のシフトは、何を隠そうこの私が担当しているもので、さらにそれは彼から与えられた仕事であったから、そっぽを向けばその話題についてこれ以上掘り下げられることはなかった。
ホメロスさまは私の座る勉強机に近づけば、広げられた魔道書を見て目を細めた。本のタイトルは「光の魔法」。小さい頃から幾度となくページを捲ってきたせいか、それはところどころ手垢で黒ずんでしまっているのだが、その読み込み度合に対し、私は光の呪文を使うことはできなかった。

「またこの本を読んでいるのか……魔法には相性があるとあれほど言っただろう。お前は光の呪文の才能が無いと、何度言えば解るのだ。この本を読むくらいならば別なものを読んだほうがお前のためになると思うが」
「私だって、馬鹿ではありませんから、光の呪文の才能が無いか或いは──何かの力が働いて発動できないかということくらい区別はついていますよ」
「だが唱えられないことには変わりないだろう。それよりも私から借りていった戦術の本はもう読み終わったのか?」
「……いえ」
「ならばそちらを優先したまえ」

本当に苦手な呪文というのは、身体の中でその属性の魔力を組むことができない。それに対して、私が光の呪文を唱えるとき、身体の中で確かに光の力は生まれているように感じるのだ。だが、生まれた直後、それは「何か」によってまるで食い潰されてしまったようにパタリと途絶える。そのことに不信感を持っているからこそ、この本を繰り返し読み続けているというのに。

そのような違和感は、特別光の呪文を唱えるときにだけ起こることではなかった。例えば、私がこのような夜中にあくびひとつせず起きていられる理由──私がこの城にやって来て数年が過ぎた頃だろうか。日の光を浴びると身体が鉛のように重くなることが多くなった、その頻度は次第に高まり、加えて最近は激しい頭痛も重なるようになったものだから、こうして皆が寝静まる時間に、ランプの灯りの下でペンを走らせている。
だからこそ、抗いたかった。このまま謎の力に身体を支配されるのは、私の性に合わない。せめてこの光の呪文だけでも唱えることができさえすれば、この身体も元に戻ることができるという希望にも繋がるのに。だが、数年経っても、私が十五になってもそれが成し遂げられることは無かった。

ホメロスさまは、私がこの本を開くことをあまり好んではいないようだった。他の本を開いている時は、何かと助言を戴けるのだが、光の魔法について学んでいるときは執拗にそれを避けたがる。私はそんなホメロスさまに対しても一抹の不安を覚えていた。だが、彼の言うことは理に適っているものだから、反論もできずにその本を閉じて本棚の隙間に押し入れた。

加えてもうひとつ、ホメロスさまに抱いている大きな不信感のもとがある。ホメロスさまにというよりかは、デルカダール王にと言ったほうが正しいだろうか。

「そういえばホメロスさま、なんでもサマディー王国の関所を襲う魔物を討伐にデルカダール軍が派遣されるとか!新入り以外はみな行くと耳にしたのですが、そろそろ私も連れて行っていただけるのでしょうか」
「城で待機だ」
「私の戦力がそこらの兵よりも劣っているとは言わせませんよ」
「個人の力は確かに兵たちを大きく上回っているが、兵としての動きを未だ学び終えていないだろう」

先代が亡くなってから、私はデルカダール領外に出ていない。最近までは城下町へ行く時でさえも監視をされていたほどだ。私に対する行動の制限がどうも普通ではないと思えてしょうがない。一刻でも早く、この身体の異変について調べ上げたいのにも関わらず、軍事以外のことでも国外に出ることは禁じられている。

「そもそも宮廷魔道士は戦線に出るべき者ではない。魔法技術を駆使し、国の発展と安寧の為に尽くすことを命ずると、王もそう仰っていたであろう。お前はこの城で魔法研究を進め、国務を熟し、兵士たちの魔法力の底上げをするだけで良い。万が一お前が他国の者や魔物に連れ去られてしまえば、この国は重大な打撃を受けることになる。お前も判っているはずだ」

ホメロスさまも、尤もらしいことを宣うのだが、それもどこか私が外に出てはいけない理由をはぐらかしているようで。

「しかし!先代は国外に視察へ赴いたりもしていはたずです!それに他国の魔法研究家と交流を深めロトゼタシアの魔法学の発展に寄与するのもデルカダールの宮廷魔道士としての立派な役目で」
「焦るな、お前はまだ若い」

私が反論をすれば、「まだ」という言葉で引き延ばされてしまう。ホメロスさまは飄々とした顔でそう述べれば、そろそろ休憩が終わると、部屋を出て行った。いくら過保護に育てられた私でも、今の状況に不信感を抱かないような能天気ではない。確実に、私は何者かに嵌められているような気がしてならない。あと数年もすれば、身体は完全に光を拒絶するようになるだろう。そのためには、どうしても、今から手を打たねばならないのに。
ホメロスさまにも、グレイグさまにも、勿論王にも、身体に起こった異変のことは相談している。彼らはどうにかすると頷いてくれていたのだが、今のところ私に何をするわけでもない。幼い頃から共に時を過ごしてきた人物──特に、私を孤児院から引き取ってくださった王を疑いたくは無いのだが、それも無視できない状況になっている。確実に、私は何かに嵌められているのだと……そのような気がしてならない。