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海を臨む花圃
いつまで経っても自室に戻らないホメロスさまに対して痺れを切らして、行動計画書を届けに彼の姿を探しながら城の中を歩き回ることにした。夜警の兵に話を聞きながらホメロスさまの行方を追えば、この時間は誰も利用しないような、城の奥まった場所にある武器庫にたどり着いた。不信感を抱きながらも目撃情報を信じてそちらのほうに足を進めれば、武器庫に向かう曲がり角で、ふと誰かの気配を感じ、すぐさま柱の陰に身を隠す。

「こんな時間に、兵士が何の用かしら……」

武器庫の方を見やると、兵士が不自然なリズムで扉を叩いていた。それが終わると武器庫の中から聞き覚えのある短い言葉が返ってくる。兵士はそれを聞くなり、まわりに誰もいないことを確認すると静かに武器庫の中に入って行った。
相手に姿や気配が認識されにくくなる古代魔法──ステルスを唱えれば、名前は兵士が消えたその扉へそっと耳をあてた。重い鉄の扉越しには殆ど声は聞こえないが、それでも耳をおもいきり押し付けて神経を研ぎ澄ます。

「今日の……何か」
「特に……ありませんでしたよ。……には……ですが」

耳に入って来たのは、聞き間違えるはずもないホメロスさまの声だった。もうひとつの声の主は、先ほど部屋に入っていった兵士だろう。そしてホメロスさまに対してやけにフランクに話している様子から、彼もまたあちら側の存在であることは容易に想像できる。

「……器は、意外と……ですね」
「……ではそろそろ、なのだが」
「やはり大樹の力が……」

「器」「大樹の力」聞き慣れない言葉の断片はかろうじて判ったのだが、どうしても途切れ途切れで聞こえてしまうと話の内容は判らない。判らないのだが、何故か漠然と、私のことを言っているのではないかと思った。このまま会話を聞き続けていたいのが本心だが、どちらかが部屋から出てきてしまえば鉢合わせをしてしまう。まだホメロスさまたちの内情を探るためにもそれは避けておきたい。
そもそも私は、ホメロスさまに計画書を見せに来たのだ。危険な橋を渡るよりかは、さっさと計画書を渡して自室に戻ったほうが良い。できるだけ音を立てないように柱の陰に戻り、ステルスを解く。それから、少しわざとらしく足音を立てながら武器庫に近づいた。そして扉の前に立ち、咳払いをしつつ、中からの二人の会話が聞こえなくなったことを確認すると、コンコンとノックをした。

「失礼します、ホメロスさまはいらっしゃいますか?軍事会議の報告書についてなのですが」
「入れ」

重い扉を開けると、泰然と椅子に座りながら足を組んでいるホメロスさまと、見るからにこちらの様子を窺いながら焦っている兵士がいた。殆どの兵士とは演練で顔を合わせているためその容姿を把握しているのだが、この兵士の顔は私の記憶に無い。きっと、刺客として潜り込ませた新米兵士か何かだろう。

「ホメロスさま、一般兵をこんな場所に連れ込んで何をしていたのです?」
「少しばかり説教をしていた。……もう下がって良い」
「し、失礼いたします!」
「説教とはいえ、こんなところに呼ぶとは珍しいですね」

慌てふためく兵士の背中を見ながらホメロスさまにそう語りかければ、返事の代わりに「戻るぞ」と声をかけられた。何故このような場所で兵士と二人きりになっていたのか、私は知っているという脅しも込めて言葉を選んだのだが、まるで何も可笑しいところなど無いかのように流されてしまったものだから、私もそれ以上問い詰めることができずにその背を追った。

「あの、行動計画書をお渡ししますので、私はお先に失礼――」
「私室で内容を確認する。お前の好きな酒もパンも用意してある、もう少し付き合え」
「付き合えって……もう軍事会議の時間は過ぎて居ますし、そもそもホメロスさまが抜けたせいでこうして日付を越してしまったのですが。まあ……良いですけど。但しお酒はお断りします」

結局は、私に拒否権など無かった。明日はソルティコへ向かう日だというのに、こんな夜更けに部屋に呼ばれる理由などひとつしか思い浮かばない。ホメロスさまは、先程私が聞き耳を立てていたことを疑っている、そのことを問い質すつもりであると。
幾度となく思い出した成人パーティーの夜のこと、ホメロスさまと唇を重ねた――正確には一方的に重ねられたあの日、その引き金になったのは桃色味が強い赤ワイン。あの日ホメロスさまが持っていたそのワインは、てっきりパーティーのために用意されていたものだと思っていたが、まさかそれと同じ色の液体がホメロスさまの部屋に置いてあるとは。よほどこのワインが好きなのだろうか……それにしても、やけに甘くて飲みやすいそれは、ホメロスさまのような三十代の男性が好んで飲むものではないような気がする。
酒は要らないと断ったはずなのに、どうやらその言葉はホメロスさまの耳には届いていなかったらしい。ワイングラスに注がれた桃色の液体は、あの記憶よりもさらに甘く、視界が眩んでしまいそうなほど強烈な甘い香りを放っていた。仕方なしに少しだけ口に含めば、それは私の味覚にぴたりと合うような美味しさ。お酒というよりは、麻薬的な飲み物と表現した方が正しいだろうか。次々と喉に流し込みたくなる衝動を抑えて、何とかグラスをテーブルの上に置いた。

「お前を此処に呼んだ理由は、もう判っているな」
「はて、何のことでしょう……?ああ、報告書の確認ですね、判っています」

ワインのせいで身体が程良く熱を持ってきたところで、先程よりもトーン下がった低い声で話しかけられる。ホメロスさまは私がボロを出すように酒を飲ませようとしたのだろうが、この程度の罠に引っかかる私ではない。幸いまだ意識もあれば、呂律もまわる。わざとらしく返事をすれば、ホメロスさまは今にも額に青筋を浮かべそうなほど苛ついたような顔をした。

「とぼけても無駄だ。あの場で何を聞いたのか、正直に話したまえ」
「私には何のことかさっぱり……あの場とは何ですか、ホメロスさまはあの兵士に説教をしていたのでしょう?」
「ああ、その説教とやらの内容のことだ」
「何も聞こえませんでした」

どうしてもホメロスさま問い詰め方が可笑しく感じてしまい、無意識のうちに煽るような言葉をかけてしまう。それがさらにホメロスさまの苛立ちに拍車をかけているのだが、それでも怯むどころか笑みを浮かべていられるのは、きっとこのお酒のせいだ。

「……名前、正直に言え」
「聞かれたらまずいようなことならば、もう少し人目に付かないような場所で説教をするべきでしたのに。脅しても無駄ですよ、だって本当に何も聞いてないのですから」

今にも剣に手をかけそうなほど怒りを露わにするホメロスさまに、先手を打つように念を押して「何も聞いていない」と宣えば、彼は漸く諦めたように小さく舌打ちをした。民が崇拝する軍師ホメロス像とはかけ離れたその姿に、「らしくないな」と感じてしまう。

「まあ良い、聞かれたところでもうどうにもならん」
「ふう……なんとか首の皮一枚繋がりました。酒に酔ったところをズバッと切り捨てられるかと思いましたからね、なーんちゃって!」

へらりと笑って冗談を言えば、「殺すつもりだったならば、とっくに殺している」とワインを飲みながらさらりと言われたものだから、背中に少しだけ寒気が走った。しかし、ホメロスさまたちは何らかの目的で私をこの城に匿っているわけで、変な会話を聞かれた程度で消すべき存在ではないと思われていることが判って安堵した。

「安心してください、ホメロスさまが夜更けに見知らぬ兵士に説教をしていたことは誰にも言いませんから」

そしてその立場を逆手に取るようにニッコリと笑いかければ、ホメロスさまは呆れたように頷いてくれた。今まで散々ホメロスさまに負け続けてきた私だが、今回ばかりは私の勝利だ。

**

「ソルティコの海は本当に美しい……昔先生に連れられて此処に来たことがあるのですが、その頃の記憶は殆ど覚えていなくともこの綺麗な青色だけは鮮明に心に焼き付いています」

グレイグさまに連れられてソルティコへの町へとやってくれば、残影に照らされてキラキラと光り輝く海に、思わず目を奪われた。背面には色とりどりの花々がまるで絨毯のように咲き誇っている。さすがはロトゼタシア随一のリゾート地。この町の領主であるジエーゴさまには何度もお誘いいただいていたが、このような景色を堪能できるならば、こんな身体になる前に何度も訪れれば良かったと後悔する。

「ではさっそくショッピングに行ってきますので、グレイグさまはこれで」
「待て」

さっそくソルティコならではのスイーツや海鮮料理を堪能しようと町並みへ足を向ければ、グレイグさまにマントの首根っこを掴まれてしまった。

「彼らが最短ルートでこの町を訪れたとしても到着見込みは明後日のはず。ならば少しくらい買い物をしても良いではないですか」
「何のために早く行動を起こしたと思っているのだ。町中を視察し、監視ポイントを絞って兵士たちに伝えるのが先だ。悪魔の子らがここを訪れるまでにな」
「もう……」

いくら融通が利きやすかろうと、彼は私の上司にあたる人物。私もさすがに我が侭を押し通すことができず、渋々頷けば、グレイグさまは安心したように口角を上げると、キメラのつばさでデルカダールへと戻って行った。
私の率いる先鋒隊は、応援の兵がやってくるまでの間、イレブンたちが船を進めているであろう内海とクレイモラン港などの外海を繋ぐ水門を監視する役目を担っている。水門は基本閉じられているのだが、何らかの理由で水門が開かれた時、他の船と一緒に通り抜けられてしまえばすべてが水の泡だ。兵士曰く、赤い帆の目立つその船は波の商船より一回りも二回りも大きなものらしく、ここの水門を抜ける際に見逃すことは無いということだが、念には念を入れておくに越したことはない。グレイグさま率いる騎兵は、準備が整い次第こちらソルティアナ海岸地方とバンデルフォン地方に分散する予定だ。

「それにしても仕事がありませんね、こうして海を眺めているだけとは」

水門の監視という仕事らしくない仕事があるとはいえ、海を眺めながら同じ見張りの兵士と言葉を交わすだけ。騎兵よりはラクな仕事かと思っていたが、暇な時間というものはどうも苦痛に感じると言うことを忘れていた。

「せっかくですし、気分転換も兼ねて休憩を取ってはいかがですか。行きたいところとか、何処かありませんか?」
「行きたいところ、か……」

そう言われて真っ先に思いついたのが、ちょうど自分が水門を監視している場所の隣に聳え立つ、この町で一番大きな屋敷。そこはこの町の領主であるジエーゴさまのもので、せっかく十数年ぶりにここへやって来たものだから、挨拶をしておきたかったのだ。しかし、もう日は沈んでしまい、もう夕食を済まされている時間であろう。ジエーゴさまの門下生であろう少年たちも、随分と前に練習場から撤退している。休憩時間をいただいたとはいえ、今訪れるのは失礼にあたってしまうだろう。せっかく屋敷の前までやって来たのは良いのだが、引き返した方が良いのだろうか……決心がつかぬまま、屋敷の前をうろうろとしていると、背後から声をかけられた。

「あの」
「は、はい!」
「ジエーゴさまに何か御用ですか」

後ろを振り返れば、スーツに身を包んだ壮年男性が立っていた。此処の屋敷の使用人だろうか。声を掛けられて逃げるわけにもいかず、申し訳ないと思いながらも名前を告げれば、男性は静かに頭を下げたあと屋敷の中へと入っていった。
ジエーゴさまにお会いするのは随分と久しぶりで、特に私が日の光にめっぽう弱くなってしまってからは殆ど顔を合わせていなかったものだから、突然の面会に少し緊張してしまう。何を話そうか、どう会話を切り出そうかとあれこれ考えていれば、屋敷の扉がゆっくりと開いた。

「名前さま、ご主人様がお待ちです。部屋までご案内いたします」
「あ、ありがとうございます」

程なくして戻ってきた使用人の後ろ歩き、初めてこの屋敷へと足を踏み入れた。内装はきらびやかで、まるでどこかの王宮に迷い込んだようだ。二階にあるジエーゴさまの私室へと案内されれば、気恥ずかしくておぼつかない動作でドアを開けた。

「お久しぶりです、こんな時間にお邪魔してしまって、すみません」
「いや、名前に会えるとなりゃあいつでも歓迎する。それにしても久しぶりだ、もっとよく顔を見せてくれねえか」

久しぶりに見たジエーゴさまのご尊顔。少し皺が増えたような気がしたが、それでも相変わらず渋くてカッコ良い。気づけばお互いが手を伸ばし合い、暫く長い握手を交わせば、ソファへと促される。「だいぶ体調が良くなったようで安心した」と言われて一瞬何のことかと思ったが、ジエーゴさまには私が日の光を浴びると具合が悪くなると言うことは話していなかった。ただ毎回体調不良で面会を断わらざるを得なかったものだから、病気だと思われていたようだ。

「再来週にデルカダールに行くんだが、最近は忙しいのか?グレイグのやつも会うなり忙しそうにどっかに行っちまってよ」
「まあ、そんな感じです。仕事の方が立て込んでいまして、なかなか時間が取れず……」

兵士総出で悪魔の子を追っているという忙しい状況ではあるが、相変わらずデルカダールではジエーゴさまをお呼びして講義をしていただいている。デルカダール兵の強さの秘訣はジエーゴさまの鬼のような剣術の講義であると言っても過言ではない。そのため剣術の講義の日はできるだけ兵を集め、戦力の底上げを図っていたのだが、それでも忙しさが滲み出してしまっているようだ。

休憩時間中ということも忘れて長々と話していると、部屋のドアが控えめにノックされた。どうやらまだジエーゴさまは夕食をとっていなかったようで、使用人が部屋に料理を運んできたのだった。長居しすぎたことに気付いてハッとして窓から外を見ると、空には既にたくさんの星が光り輝いていた。

「腹が減っただろう、うちで飯でも食ってくか?」
「その……仕事の休憩中でしたもので、そろそろ戻らなければいけないんです。本当はご一緒したかったのですが」
「そうか、また来い。いつでも歓迎する」

頭がぐわんと揺れ動くほど、強く頭を撫でられた。撫でられたというよりは鷲掴みにされたという表現の方が正しいかもしれない。先代の、エーゴン先生とはまた異なった撫で方ではあったが、私はジエーゴさまの大きな手もとても好きだった。
屋敷を出て持ち場に戻れば、見張りを交代したばかりの兵士にパンを差し出された。それを静かに頬張りながら、夜の海を眺める。真っ暗闇のキャンパスにはさまざまな心内が映し出される。ご子息とその仲間が、デルカダールが対立しているというこの状況を知れば、ジエーゴさまは多少なりともショックを受けるに違いない。己を取り巻く人間が、知らぬ間に相対する存在になっている。その現状に、どうも私が段々と追いつめられているような錯覚に陥って、何もできない己の無力さを悔やむようにきつく目を閉じた。辺りには、よせては返すさざ波の音だけが響いていた。