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evoke memory
「先生、蝶は大人になると形が変わってしまうのは何で?」
「名前は、どうしてだと思う?」
「わからない……だってわたしだったら、幼虫になるよりも、最初から蝶の形のまま産まれたいと思うから」

生物は己の遺伝子を、種という存在を残す為に、進化している。蝶が完全変態という過程を辿るのも、彼らが何万年と生き延びることができたひとつの理由であるのだが。それでも幼い日の私は、どうしてもその理由が解らずに、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、城の再奥……図書館と併設された一室を訪れていた。

そんな私を温かく迎えてくれたのは、初老の男性──私が「先生」と呼ぶその人物は、この城の宮廷魔道士であったクレイモラン出身の魔法学者、エーゴン・クリンク。長い白髪をひとつにまとめ、その右手には、彼の為にデルカダール王が賜ったもの……この王国で最高位の魔道士であるという証でもある、大杖が握られている。

「なるほどなあ。では名前に質問だ」
「うん」

先生は必ずと言って良いほど答えをくださらない。己の蓄えた髭を撫でながら、私に優しく問いかけるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「夏生まれの名前は生きるためにライ麦パンを食べなくてはいけないが、そのパンは冬と春は売ってないそうだ。冬と春の間、どうやって生き延びようか」

「名前は結婚して、子孫を残さねばならないが、デルカダール王国には好みの男性はいない。しかし城のまわりには魔物がいるし移動手段は今の所徒歩しかない。どうするべきだろう?」

「産まれたばかりの名前はか弱い。スライムにすら簡単にやられてしまうだろう。それを踏まえて前の問いについて考えてみようか」

その時の私は、暫く下を向いていた。それが、自分の考えが及ばなかったことに対する悲しみ、悔しさ、情けなさといった感情であることを、きっと先生は見抜いていた。

「名前、ひとつだけ言っておくと、僕にだって蝶が何故蛹になるのかは判らないんだ。だって僕は蝶ではないし、彼らの進化を見てきたわけでもないからね」

「僕らに解ることは、ただそうしたほうが生存に有利であったという証拠だけだ。そうだろう?」
「……うん、そうだね」

落ち込んでいる私を慰めるように、頭を包んだ手のひらの温かさで、私はもっと泣いてしまいそうだった。だがそれを退けるわけでもなかった。一定のリズムで私に与えられる小さな刺激は、どこか懐かしく、家族を失い身寄りをなくした私の孤独を埋めてくれる唯一のものだった。

「でもわたしならば、力が弱い時はデルカダールで力をつける。そして魔物に負けないくらい強くなったら、他の国に行って好きな人を見つける」
「僕もそう考えていた、名前は本当に賢くなったな」
「ホント?嬉しい!ありがとう先生」

身形より、武術より、私は己の賢さを褒めてもらえる時がこの上なく好きだった。少しずつではあるが、確実に、先代に近づいているという気がして。いつか彼のような立派な魔道士になり、そして此処で幸せに暮らすのだと……そう信じて止まなかった。故郷と家族を失い、孤児院に引き取られたところを、偶然視察に来たデルカダール王に拾われ、そしてこの城で育っていることを微塵も疑問に思わぬまま。

あのときの「問いの答え」がまさに今の己であるとは、幼い私の頭では考えもつかないことであった。否、私は、空を自由に飛ぶことを夢見る蝶などではない。寧ろそれよりも格段にタチが悪い。「自分が飛べぬことを悟った憐れな蛹」と表したほうが、幾分か整合しているだろうか。