手探りの一歩
シルビアと共に町をぐるりと歩きながら、情報屋ルパスに関する情報を聞いて回ったものの、彼の手掛かりはひとつも得られなかった。皆、自身の生活の立て直しを図っている最中なものだから、他人に構っている暇は無いのかもしれない。何度「知らないよ」という言葉を聞いたことか、気がつけば太陽はもうすっかり西の海に沈みかけていた。そろそろイレブンたちとの約束の時間である。
何の情報も得られなかったことに肩を落としながら、町の中央にある橋の上に向かえば、そこには既に何人かが集まっているのが見えた。髪を高い位置で結んだ特徴的な人影はマルティナ姫で、その隣に居る逆立った髪の人影はカミュだろうか。歩みを進めながら、逆光で黒く塗りつぶされた彼らを見ていれば、違和感に気づいた。

「あの人影、イレブンたちよね。……それにしては多くない?」
「確かに良く似ている影も見えるけど、子供も居るわね。別人かしら」

橋の上に居る影の頭数を見れば、私たち以外の全員が集合していたとしても明らかに多かった。シルビアが言った通り子供のような影も見えたものだから、もしやと思って橋の上へと急ぐ。

「おーい!遅いぞ!」
「ごめん、気づいたら日が沈みかけてた!」

橋の上には、予想通りイレブンたちが既に居た。カミュがこちらへ向かって大きく手を振ってきたから、手を振り返しながら彼らの元へと走れば、その隣には見知らぬ青髪の壮年男性と、同じ髪色をした小さな女の子。一瞬、人助けでもしているのかと思ったが、彼らがあまりにもイレブンたちと顔見知りのように話していたものだから、まさかとは思い言葉を続ける。

「……ええと、そちらの方は……ルパスさん?」
「そうだよ、そして女の子はルパスさんの娘さん」
「あたし、ルコっていいます」

おかっぱ頭の青髪の女の子が、丁寧に頭を下げた。父であるルパスも、一見表情は怖かったが、イレブンたちには心を開いているように笑いかけているところを見ると、良好な関係であることが窺えて安堵した。

「……とりあえず、本題に入るか」
「ルパスさん、相談があるのですが」

往来が激しい此処ではあまり言い難い話題だと伝えれば、ルパスさんは私たちを自宅へと案内してくれた。ダーハルーネの中心街の外れにある小さな一軒家に入ると、やけに殺風景な光景が広がっている。古いソファに座れば、柔らかい反発感と同時に、小さな埃が舞う。
ルパスさんもまた、イレブンたちの不思議な力に触れたことがあるのだろうか。魔王との決戦で瀕死の状態になった私を、命を賭して復活させた人物をどうか目覚めさせたいのだと、ルパスさんを捜すに至った経緯を話せば、彼は難しそうな顔をしながらうんうんと頷いた。

「なるほど、深い眠りについた者を目覚めさせる方法ねえ……」
「何か役に立ちそうなことなら何でもお聞きしたいんです、お願いします!」

深く頭を下げれば、ルパスさんは暫く深く考え込んだ後、静かに口を開いた。自信が無さそうに、籠った声でぼそぼそと呟いているその姿は、とても頼りにできるものではなかったが、今の私は虚言でも何でも、兎に角一縷の可能性が欲しかったのだ。

「アテはねえが、役に立ちそうな情報ならあるぜ」
「本当か!」
「どうか私たちにそれを教えてはいただけませんか」

グレイグさまが目覚める方法に結びついている可能性があるならば、どんな些細な情報でも有ることに越したことはない。必死に頼み込む私の姿に、彼は再び口を開きかけたが、少しばかり躊躇った後に首を小さく横に振った。

「教えてやっても良いが、こちらも商売なんでな。あんたらの腕を見込んで頼みがあるんだ、これを聞いてくれたら情報はくれてやるよ」
「……頼み、ですか?」
「あんたらはオレの命の恩人だが、オレたちも生活がかかってるんだ。頼むから引き受けてくれねえか?」

そう言うルパスさんは、決して意地が悪いわけではないということは、彼らの格好と殺風景なこの部屋を見て薄々気が付いていた。魔王が倒されたとはいえ、世界の復興はまだ始まったばかりだ。この家には必要最低限の家具すら無ければ、親子の格好はとてもダーハルーネの町を歩くような風采ではない。痩せこけた頬と棒のように細い腕を見れば判る。彼らは生活に困窮していて、こうして訪れた私たちに意を決してそう言ったのだと。

「ふむ……して頼みとはなんじゃ」

皆も、そのことを理解していたようだった。私だけではない、きっとこの世界の誰もが、自分の大切なものを守るために必死になっている。だからこそ、私はロウさまの言葉に続いて深く頷いた。私はどのような頼みも引き受けるつもりだ。私たちの様子を見て、ルパスさんも良かったと言わんばかりに頭を下げ、静かにその詳細を語り始めた。

「ダーハルーネ近海を荒らしまわってる、カンダタ海賊団ってのは聞いたことがあるか?」

その言葉を皮切りに、ルパスさんは事の顛末を語り始めた。

──黒胡椒という香辛料の価値というものは、航路が発達していなかった古代は、金銀と同等だったとも言われている。今でもその希少価値は変わらず、熱帯でしか栽培されない黒胡椒は、世界的な貿易港である此処ダーハルーネに集められ世界各地へ運ばれる。だがその道中で、「カンダタ海賊団」が黒胡椒を乗せた貿易船を襲う事件が頻発するようになった。その価値から被害も尋常ではなく、とうとうダーハルーネも町を上げてカンダタ海賊団を賞金首にすることにしたそうだ。世界の不況に伴ってその額は跳ね上がり、今となっては当分遊んで暮らせるほどの賞金が手に入るらしい。──

つまりは、ルパスさんは私たちに海賊団を倒して来て欲しいということだ。魔王を倒した私たちには、もはや敵はいないと言っても過言ではないだろう。カンダタ海賊団ごときにやられてしまうことはない。ルパスさんたちを助けるためにも、そしてグレイグさまの目を覚ますための情報を手に入れるためにも、引き受けないという選択肢は私の中から既に消えていた。

「勿論、引き受けます。そうと決まったら、さっさとカンダタたちを懲らしめに行きましょう」
「頼もしい仲間が増えたんだな、ボウズ」

手探りではあったが、漸く一歩前進といったところだ。思わずソファから立ち上がれば、カミュが、マルティナ姫が……皆が次々に立ち上がる。床に下ろしていた杖を背負い、きつくベルトを締めて気合を入れた。

「奴らは、此処近海のすぐ東にある島を根城にしているって話だ。カンダタたちをやっつけて黒胡椒を奪い返してくれ、頼んだぜ!」
「シルビア号はソルティアナ海岸の港に停泊してあるわ、まずはソルティコに向かいましょ」

見送りに来たルパスさんとルコちゃんに手を振れば、ルーラでソルティコへと向かった。

ソルティアナ海岸に咲き乱れる海浜植物は、赤々と降り注ぐ夕日と爽やかな海風を受けて、西の海へと茎を伸ばしている。白亜の水門を抜けて町へと足を踏み入れれば、そこには相変わらず赤い羽根を腰につけた世助けパレードの面々が人々を賑わせていた。悲鳴にも似た声を上げながら私たちを取り囲む彼らの間を抜けて、向かったのはジエーゴさまのお屋敷。もうじき日も沈む頃だからと、今日はソルティコで宿を取ることになった為、近況報告も兼ねて挨拶に伺うことになったのだ。
屋敷を訪ねたのは、日が沈んで直ぐのことだったが、それでもセザールさんは私たちのことを温かく迎えてくれた。食卓につけば、海の幸をふんだんに使ったホワイトシチューや南国フルーツの盛り合わせなど、ソルティコならではの料理が次々と運ばれてきて、久し振りに口にする豪華な食事に舌鼓を打つ。
空っぽになった胃に温かいシチューを注ぎ込めば、胸がじんわりと熱くなる。長い間休んでいた胃を驚かせないように、少量ずつフルーツを口に運んでいると、階段を降りる足音が聞こえてきた。

食堂の扉に目をやれば、そこにはジエーゴさまが立っていた。

「おお、ゴリアテか!」
「パパ久しぶり、元気にしてた?」

世界を救ったことを嬉々と話すシルビアの話を、ジエーゴさまは楽しそうに聞いていた。ついこの間まで家出したきり顔を合わせていなかったのが、まるで夢のようだ。

「夜遅くにお邪魔しちゃて申し訳ないわね」
「俺は別に構わねえがな。そういや、グレイグの奴はどうした?一緒じゃねえのか」
「……」

ジエーゴさまのその言葉で、和気藹々としていた食堂の雰囲気は一瞬にして凍りついた。束の間、静まり返った空気に不信感を覚えたジエーゴさまが、私たち一人ひとりを見遣った。気まずそうに目を逸らす皆の中で、カタカタと小さく震える私を見てか、彼は立ち上がり私の下元までやって来ると心配そうに声をかけてきた。

「ん?どうした名前」
「ぱ、パパ……!ちょっと!」
「うおっ!なんだ、ゴリアテ!」

慌てて立ち上がったシルビアに背中を押されるようにして、飲みかけのコーヒーを置いてジエーゴさまは食堂から出て行った。途端に緊張の糸が解けて、がっくりと肩を落とせば、隣に居たマルティナ姫が心配そうにこちらを覗き込んできた。姫さまも、グレイグさまのことと私のことで心労が絶えないでおられるだろうに……申し訳ないと思い目を伏せる。

「……名前」
「私は大丈夫です。それよりも、ジエーゴさまが心配で……グレイグさまだけが居られないのだから、名前を出されるのも当然なのに、私がこんな反応をしたばかりに……すみません」

早々と食事を終えると、客室に戻って寝間着へと着替えた。此処は姫さまとセーニャと私の三人が寝泊まる予定の広い客室だが、二人はまだ食堂に居るため、今は私しか居ない。自分一人の為に油を使うのも申し訳無く、暗闇の中で膝を抱えて寂しさに耐えていれば、部屋の扉が強く叩かれた。

「名前、居るか」

ジエーゴさまの声だった。心なしか先程よりも元気が無いようにも思える。きっとシルビアがグレイグさまの件を上手く説明してくれたのだろう。静かにドアを開いてジエーゴさまの顔を伺えば、一文字の美しい眉の端がしゅんと下がっていて、申し訳ない気持ちになった。漸く世界が平和になったというのに、いの一番の報告が「グレイグさまが目を覚まさない」なんて、ジエーゴさまも聞きたく無かっただろうに。

「その、なんだ……さっきは悪かった。ゴリアテの奴から全部聞いた」
「いえ、ジエーゴさまは何も知らなかったのですから。寧ろ私が落ち込んでしまって、すみませんでした」

彼にとっても悪い知らせであるだろうに、私に気を遣わせて申し訳ないと思う。思うのだが、今は誰かを気遣う心の余裕も無い。結局はジエーゴさまの慰めの言葉を受けて、静かに頷くことしかできなかった。

「なんだ、アイツらしいと言えばアイツらしいな」
「そう……ですね」
「だが、そうだな。グレイグの奴が思い切った行動に移すくらいだからよ、結構大事に思われてたんだな。そんな悲しそうな顔しねえで、もっと自信を持ちやがれ」
「こんな状況で自信って……はあ……自信か……」

自信を持って何になるのだと思うと、その言葉がどうも可笑しくて、哀しげに苦笑いを漏らす。グレイグさまは、私が悲しんでいることを知ったらどう思うだろう、きっとまた後悔するのだろうか。グレイグさまが私のことをどう思って蘇らせたとか、彼の為にも私は笑って居た方が良いのか、考え込めば考え込むほど分からなくなって。結局は振り出しに戻るように、目が覚めた時の光景を思い返してまた悲しくなってしまう。ああでも、ジエーゴさまが居てくれて良かった。ひとりで部屋に篭っていたら、ネガティヴな思考に囚われたまま、また涙を流して嘆いていたかもしれない。

「くよくよしないと決めていたのに、日が沈むと気持ちも沈んでしまうような気がして、どうしても悲しくなってしまうんです。でも、こうしてジエーゴさまと居てとても元気が出ました。ありがとうございます」
「おう」

悲しみは簡単に薄れるものではない。長い年月をかけて、静かに日常に溶け込むものだ。だから私は、グレイグさまが目を覚まさない事実を忘れることなどできない、無理矢理笑顔を作って笑ってみせても、胸が酷く重くなる。そのうち顔の筋肉を持ち上げる気力もなくなって、また思い出してしまうのだ。だからこそ、少しでも思考を固定しないことが大切で、「無理矢理笑顔を作る」ことも「悲しみを思い出す」ことも全て忘れて他の何かに一瞬でも集中できる時間が──それこそ、他の誰かとこうして言葉を交わすことがとても大切なことなのだ。

「グレイグの奴によろしくな」
「まだ目覚めるか判りませんよ」
「アイツは直ぐにくたばっちまうタマじゃねえよ」

グレイグさまが目を冷ます保証なんてどこにもない筈なのに、どうしてかジエーゴさまがそう仰ると、少しばかり胸が軽くなった。最悪の結末を想像していた私の心に一筋の光が差し込んだように感じる。ジエーゴさまに礼を述べれば、彼はこちらに背を向けて去って行った。部屋に戻りランプに明かりを灯せば、肌にほんのりと熱が宿る。それが私を助け出してくれた手の温度と重なって、グレイグさまとの幸せな記憶を思い出せずには居られなかった。今日くらいは、幸せな夢を見ながら眠りに就こうと思う。グレイグさまが目を覚まして、もう一度私に触れてくれますように……そんな想像をしながら目を閉じた。瞼には揺らめく赤い光が仄かに映し出されている。