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だから、きっと
仄かに鼻を掠める潮の香りに、懐かしさが込み上げる。世界に平和が戻ってから、この街も少しずつ活気を取り戻しているようだ。街路を囲む露店には、見たことも無いような色とりどりの香辛料や、世界各国の名産品まで、ありとあらゆる品が揃っている。目を細めて水平線を眺めれば、商船が浮かんでいるのが見えた。大樹が復活してまだ数日といったところだが、こうして世界が元に戻る様子を見るのは嬉しい反面、戻りつつある世界にベロニカとグレイグさまが居ないという現状を寂しく思う自分がいる。

「懐かしい景色ね」
「ダーハルーネに来るのは久々です、私が最後に来たのは確か……」

マルティナ姫の言葉に自然と返答していた口元が、思考を巡らせると同時に動きを止めた。今の私にとって、最後に訪れたダーハルーネの景色は、とても言葉にすることはできないほど温かくて、だけど切ない思い出で。うっかり言葉を漏らしてしまえば、歯止めが効かないような気がしてならなくて言葉が続かなかった。

「グレイグと来たの?」
「はい……姫さまは何でもお見通しですね」
「そんな悲しそうな顔をされたら、嫌でも判るわよ」

最後に此処を訪れたのは忘れもしない、天空魔城に向かう直前の休暇でのことだ。私の希望で、グレイグさまと二人で、海の見えるレストランで食事を取った。人間としての日常を送る幸せを、最後にどうしても噛み締めておきたくて、グレイグさまと二人で初めて向かい合って夕食を共にしたのであった。大樹が落ち、世界が闇に閉ざされてもなお、誰かと食卓を囲む時間はとても温かくて、心の底から此処に来て良かったと感じたのを今でも覚えている。それからは忘れもしない二人きりで最後に過ごした夜……逆算をすれば、それからあまり時が経っていないのにも関わらず、不思議と遠い昔の思い出のように感じるのは何故だろうか。
感傷的になっているといつまでも憂鬱な気分から抜け出せないと、手をグッと握って皮膚に爪を食い込ませ、己を奮い立たせた。カミュの言う「情報屋ルパス」なる人物を見つければ、何かしらの情報は持っているというのだから、グレイグさまのためにも早く見つけてしまいたいところだが。

「情報屋ルパスは何処に居るのかのう」
「とりあえず情報を集めましょう。これだけ人数が居るのですから、手分けをすれば今日のうちに町を回ることは十分可能ですわ」
「そうだね、とりあえず僕は酒場に行っていろんな人に聞き込みをしてみるよ」

情報屋ルパスを見つけていても、そうでなくても。日が沈む頃に、町の中央にある橋の上で落ち合うことを確認すると、イレブンは「先に行くね」と言い地図を広げて歩き出した。私も姫さまと共に行こうと、イレブンの後を追う彼女についていこうとすれば、背後から二の腕をがっしりと掴まれた。振り返り、手を伸ばした主を見上げれば、彼も満面の笑みでこちらを見ていて……。

「名前ちゃん、あなたはこっちよん」
「え、えっとシルビア……何処に行くの?」
「二人だけのヒミツ!マルティナちゃん、名前ちゃん借りるわね」
「ええ、頼んだわよ」

姫さまはそれだけ言い残すと、イレブンたちを追って駆け足で去って行った。シルビアと共にルパスさんを捜索するのは構わないのだが、確かルパスさんの顔を知っているのはイレブン、カミュ、セーニャの三人ではなかっただろうか。私の腕を引き何処かへ向かおうとするシルビアに不信感を抱きながらも、振り解くこともできずに、仕方なく彼に引っ張られながら足を進めた。

**

サマディー産の南国フルーツをふんだんに使ったヨーグルトに、私の好きなベルガモットのハーブティー。バスケットの中に並べられた一口大のパンはフレーバーもそれぞれで、ドライフルーツや砂糖が散りばめられた甘いものから、ブラックペッパーやチーズを使った塩気のあるものまで、いくら食べても食べ飽きないこの店自慢のランチメニュー。てっきりこの喫茶店にルパスさんに繋がる手がかりがあるものだと思い、席について注文をしたのだが……シルビアはパンを頬張りながらデザートメニューを見てどれにしようかと迷っているものだから、さすがに気づいてしまった──シルビアが人探しをする気など全く無いということに。

「ちょっとシルビア!こんなところでお茶をしている場合ではないんだから」
「あら?せっかく名前ちゃんの好きそうなパンのセットを頼んだのよ。このお店はずっと前から人気でね、前から訪れたいと思っていたの」
「出されたからには食べるけど、すぐルパスさんを探しに行かなくちゃ……」

食べ物を無駄にするわけにはいかないので、出されている分は早く食べてしまおうと、パンを次々と口に入れては雑に咀嚼してごくりと飲み込んだ。時折パンが喉に詰まって苦しさを覚えたが、それも時には代えられない。一方でせわしく食事をする私とは対照的に、シルビアは鼻歌を交えながら、デザートメニューを私の目の前に差し出した。

「名前ちゃん知ってるかしら?このお店はケーキも美味しいのよ」
「もう!ケーキを食べている時間なんて尚更……」

シルビアがあまりにも寛いでいるものだから、反射的に声を荒げてしまえば、隣から視線が投げられて慌てて口を噤んだ。すみませんと呟きながら小さく頭を下げて、シルビアに向き直る。彼は相変わらず飄々とした態度でハーブティーを口にしていた。

「元気なのは良いことだけど、ちょっとは落ち着きなさい」
「ごめんなさい。でも、落ち着いてなんかいられないよ」

こうしている間にも、グレイグさまの容態が悪くなっていたら、もしルパスさんが入れ違いでダーハルーネを出て行ってしまっていたら。考えれば考えるほど焦ってしまう。だから今こうして食事をしている時間すらも惜しいというのに。そんなことを考えていれば、シルビアが私の目をゆっくり見つめながら口を開いた。

「グレイグの目を覚ます方法なんてそう簡単には見つかりっこないわ。これからは長い旅路になるのに、肝心の名前ちゃんがそんな調子で心配よ。焦る気持ちは痛いほど解るのだけど、そのせいでチャンスを逃せば元も子もないのよ」

彼は勘が良いから私の心内などお見通しなのだろうか、それとも傍から見ても判るほど、私は焦っていたのだろうか。シルビアが私を喫茶店に連れてきてくれた理由も、私の心のケアのためなのだと漸く理解できて、彼にもイレブンたちにも申し訳なく思う。そもそも、シルビアが考えも無しに行動するような人ではないと何故気づかなかったのだろう。

「とりあえずケーキも食べましょう?」
「……うん」

今はケーキの味も良く分からないだろうが、一番人気と書いてあったレモンタルトを注文した。何かを食べて頭を働かさなければ、落ち着かないと思ったlらだ。

「……シルビア、本当にありがとう」
「あら、アタシはただゴハンに連れてきただけよ?」
「そういうところ、本当に素敵だと思う」

普段通りに笑うことができたのは、まごうことなき彼のおかげ。忙しなく動く心臓を抑えるように、運ばれてきたタルトをゆっくりと咀嚼する。鼻から抜けるレモンの香りが、私の精神を落ち着かせてくれているようで。此処に来て良かったと思えた。いつまで続くか判らない旅、その初っ端からこう焦っていては、いつか足元を掬われただろう。下手したらそのことにすら気づかなかったと思うと恐ろしい。

「グレイグは絶対に目を覚ますわよ。名前ちゃんを残して自分だけ居なくなってしまうような人なんかじゃないわ」
「私もそう信じてるよ」

優しいテノールボイスに、不安な気持ちが少しばかり寛いだような気がした。大丈夫、グレイグさまは責任感の強いお方だから、私を生き返らせたまま何も言わずに何処かへ行ってしまったりはしないし、未だ復興の進んでいないデルカダールを放っておけはしないだろう。
私は、バンデルフォン地方を再建させると語らったことも、互いの存在が大切だと確かめ合ったいつかの暗夜も、忘れていない……忘れるはずがない。グレイグさまも、きっとそうであると願っている。