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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

エンドロールをもう一度
バンデルフォンの大地には、今年も金色の麦が頭重いとこうべを垂れている。そんな麦畑の真ん中にゆっくりと降り立てば、己の背丈ほどもあるそれを掻き分けて西へと歩き出した。この地方が魔物に襲われ、村も街も何もかもが滅ぼされてしまったのはもう何十年も前の話だ。私の亡き故郷もきっと此処のどこかに存在していたのだと、感傷に浸りながらも足を進める。バンデルフォンを流離う旅人は、ネルセンの宿屋で一休みをしながら、金色の両壁に囲まれた旅路を往く。いつしか人の手を離れ、ここらに自生するようになった大麦。その景色の「果て」はきっと誰も知らない。

煉瓦で造られた古い建物に、お世辞にも似合わないようなまだ新しい木の扉を、コンコンとノックした。錆びて朽ちかけた農具や、肥料らしき残骸が散らばったままであったこの家は、農作のために建てられた頑丈な物置であったのだろうか。それらは見るからに、放置されてから何十年も経っているようだったから、きっとこの小屋の主も戻ってくることはないであろうと踏んで、私たちはここに根を下ろしたというわけだ。酷く埃を被っていたそこは、私が城に通っている間に綺麗に片付けられ、気が付けば藁を編んだマットレスの上に亜麻布を巻き付けた簡易なベッドまでも用意されていた。この光景を見る限り、家の主が、幼少期から城で暮らし、つい最近まで身の回りの世話はすべて使用人が行っていたような優雅な生活を送っていた人物であったとは誰も思うまい。今日も、ユグノア地方から運んできたのであろう真新しい樹木で造られた戸棚の中に、ピクルスの入った瓶が丁寧に並べられていた。食べる目的としては勿論のこと、アンティークとしても映える小洒落たそれを見て、仕込みを行なっていたであろう彼の姿を想像して思わず微笑んでしまった。

「約束通り買ってきましたよ。バゲットとブリオッシュと……そうそう、これ新作の生フルーツサンドだそうです。いただいてしまいました」

紙袋から取り出したパンを、ヤナギの枝で編んだ柔らかいバスケットの中に並べた。あたたかいスープ一杯と小さなパンがふたつという、なんとも質素な夕食であるが、私はむしろそれで良かった。私には家族の記憶も、故郷の記憶も無いけれど、きっと私が小さい頃はこうして家族で食卓を囲んでいたのだろう。ホメロスさまは決して家族でも、恋人でも、それ以前に親しい間柄でもないのだけれども、それでもこうして私と向かい合って食事をとってくれる人がいるということが何よりも嬉しかった。魔王の呪いで生きる希望さえも失いかけていたあの頃、こうした普通の生活がいかに幸せかということをひしひしと感じていた。もし故郷の村が魔物に襲われずに、もし私が大樹の器などという大役を任されずに、何の取り得も無い田舎娘として家族と共に暮らせていたら、私はそれで良かったのだと何度嘆いたことか。だからこそ、こうした栄養価の乏しい半自給自足の生活でも、私の心は満たされていた。

「明日もお城に行ってきますね、家を空けてしまってすみません」
「まだ仕事が残っているのか」
「いいえ、明日は昼から私の任官式なんです。お仕事はサボらずにきちんと片付けてありますよ」
「……任官式?」

口に含んだパンの欠片を何度か咀嚼して飲み込めば、ホメロスさまは不思議そうな顔をして首を傾げた。そういえば彼には告げていなかっただろうか。今まで、私が知っていて彼が知らぬことなど無かったものだから、つい何も言わずともホメロスさまはすべて察していると思ってしまった。

「宮廷魔道士の任官式です」
「ああ……そういえばエーゴン殿が亡くなった時は正式に引き継ぎをしていなかったな」

何せ、それまで殆どの業務は──特に外交関係などはすべて先代が行っていたものだから、突如にして国の高官を失ったデルカダール王国は引き継ぎなどする暇もなく、先代が教育係を務めていた齢十五の名前を急きょ宮廷魔道士の地位に置いたのであった。加えて、目を覚ましたデルカダール王が、亡き友の意思を受け継ぐためにも正式に任官したいと仰ったものだから、私は二つ返事で了承したのだ。とはいえ、宮廷魔道士となったのも随分と昔のことだから、改めて手ずから地位を授かるというのは不思議な気分だ。

「あれも、もう十年以上も前ですからね。なんだかむず痒いです」
「……お前の歳が気になるところだが」
「あはは……少しはホメロスさまに追いつくことができたかなと思いますよ」

ひとたび質問に答えれば、芋蔓式に心内を引き出されそうな気がして、些細な問いかけではあったが言葉を濁した。彼には必要最低限の言葉を与えたのみで、私の過去の心情などはこれっぽっちも伝えていなかった。きっとトリガーとなる言葉を発してしまえば、必死になって閉じ込めた感情が、伝えるべきではないと押し留めた過去の記憶が、溢れてきてしまう。私がホメロスさまの心の痛みを知らぬように、私の痛みも私自身で背負うもの。そしてそれを知られれば私と彼の間には少なからず溝が生まれるわけで。だからこそ私はあくまでも他人である体を保っていた。こうして二人して暮らしているのに、事情を知る者からすればなんとも滑稽に見えるだろうが、生憎そんな人物はこの世界のどこにもいなかった。
残っていたぬるいスープを一気に喉に流し込み、マグカップを持ってそそくさと席を立った。家に引いた湧き水でそれを洗い、戸棚に並べれば、まだパンを口に運んでいるホメロスさまを横目にダイニングを通り抜けた。

「明日は遅刻できませんから、お先に休ませていただきます。……もし朝になってーも目覚める気配が無かったら、起こしていただけると助かります」
「体裁は一人前でも、まだまだ人の手を借りないと起きれぬとはな」
「ま、万が一遅刻しそうな時はです!……おやすみなさい」

彼の中に居る私は、まだ幼いあの日のままだ。眠たがりで目覚まし係を侍女に任せ、魔道書や資料を読み漁っていたせいで仕事を片付けるのは常に遅い……そんな怠惰な生活を送っていた二十の私が、彼の中に確かに住んでいた。まるで、私が彼に会うためにしでかしたことは全て夢であったかのような感覚に陥って、思わず遠い記憶の彼方にいるかつての仲間の面影を必死に引っ張り出した。
熱くなる目元を隠すように顔を背け、仕切り代わりであるカーテンを潜り抜けた。麻で作られた質素な寝巻きに着替えれば、ベッドに体重を預ける。ホメロスさまの影も、食器を片付け、篝火を消し終えると、同じように隣に仕切られた己の寝室へと入っていった。それをぼんやりと目で追えば、布越しにひっそりと小さな明かりが灯る。本を読むために小さなランプに火をつけたのだろうか、ならばその明るさでは読みづらいだろうから、私のことなど気にせずに壁掛け松明に火を灯せば良いのに。声を掛けようかとも思ったが、掛けたところで「早く寝ろ」と言われるだけなのは解っていたから、申し訳ないと思ったが、ホメロスさまの気遣いに感謝しつつゆっくりと目を瞑った。

**

任官式には多くの国民が集まった。今更こんな式典を執り行うことに不満が集まらないかと懸念していたが、そんなことはなく。一等地に住む貴族から、仕事の合間に駆け付けてくれたのであろう商人まで、地位も年齢もさまざまな人がデルカダール城を訪れた。太陽の歌を口ずさみ、喜ばしいと手を叩く彼らを見て、今朝まで不安で一杯だった心は一気に晴れ渡る。
かつてイレブンとグレイグさまと共に最後の砦に帰還した時に、兵と民が一緒になってこの歌を口ずさんでいたこと、王都復興の際も誰一人として弱音を吐かずに作業に勤しんでいたこと……王国に住まう人々の記憶が次々に蘇る。彼らも、そしてここに居る皆も、デルカダールという国を強く愛していた。

誰もが静まり、息を呑みながらその光景を見つめている中、荘厳な声音がその場を貫く。王の御前まで歩みを進め、膝を折れば、頭上からはうんと頷く声が聞こえた。

「本日より、そなたを正式にデルカダール王国の宮廷魔道士として任命する。大魔道士の杖を、ここに」

王女らしい、クラシカルなドレスをお召しになったマルティナ姫が、王に大杖を手渡した。緊張でふらつく足元をなんとか抑え、頭を下げたまま、王が継承の儀式を終えるその時を待っていれば、堅い雰囲気には似合わぬような言葉が降ってきた。

「さすがは我が友が育て上げた一級の魔道士だ。その腕前もさることながら、気立ても文句無し。……この先、宮廷魔道士として重大な責任を負い思い悩むこともあるだとろう。だが、この杖をおぬしに託した先代がいつでも見守ってくれている。それを忘れるでないぞ」
「……有難きお言葉」

それはきっと、王と私と、それから近くに控えるマルティナ姫とグレイグさまにしか聞こえていないと思えるほどひそやかな声だった。その色はどこか嬉しそうで……王は旧友の面影を私に重ねていたのだろう。儀式が終わり、杖を受け取れば、王が満足らしく口角を上げていたものだから、私もつられてにっこりと微笑んだ。

「わたくしは、亡き先代の意思を受け継ぎ、国家の繁栄と安寧のために忠義を尽くすことを誓います」

真っ直ぐ前を見据えて、そう宣言すれば、私の言葉を皮切りに王宮全体に割れんばかりの拍手が響いた。王の退座がお済みになれば、あたりはたちまち無礼講。拍手の雨は未だ止まず、ある者は声を上げ、またある者は肩を組み、新しい宮廷魔道士の誕生を喜んだ。気恥ずかしさを誤魔化すように微笑みながらグレイグさまに視線をやれば、あの輪の中に行ってこいと目配せをされてしまったものだから、未だに慣れない足取りで民の方へ足を進めた。
丁度、背中を押すように、城門から爽やかな風が吹き込む。上品な香油のかおりに包まれながら、はらりとはためく艶やかな髪の隙間で、赤色のピアスが外光を反射して密やかに輝いていた。

END