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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

渇望
ひとつずつ、丁寧に、今まであったことを包み隠さず話せば、ホメロスさま静かに目を閉じながらそれを聞いていた。私の口から放たれる言葉は彼にとってはにわかに信じがたいことであったかもしれないが、それもあのまま闇に心を支配されていれば有り得ることであったかもしれないと、そう考えて何も反論せずにいるのだろう。上階では今まさに死闘が繰り広げられているだろうに、私とホメロスさましか居ないこの部屋はまるで別な空間に切り離されているかのように、一切の喧騒も無い。あるのは私が吐く言葉の振動と、二人の静かな呼吸のみ。

「ホメロスさまの所業は許されるものではありません。ですが、イレブンたちはホメロスさまに対してその命を持って償うことも、過酷な罰を強いることも望まないと思います」

これは私の妄言ではない、もしここにイレブンたちが居て、ひとりひとりにホメロスさまに望む罰について問うたとしても、誰ひとりその質問に答える者は居ないであろう。それは別に彼ら全員が憎むべき者に罰を与えないような人間であると断定しているわけではなく、彼らが「最も心に深い傷を負ったイレブンですらホメロスを恨むことができない」ということを知っている為という理由から、私が導き出した答えであった。だから誰もイレブンを差し置いてホメロスさまに対して罰を望むことはしないだろう、彼らはそういう人間なのだから。
ならば私も彼らの──いや、イレブンの意思に応えなければ。

「だからどうか、これからはデルカダールの為に……いえ、世界の為に忠義を尽くして……」
「私は無様に死んで当然の人間だ。だがお前が私を生き延びさせた。その我儘に踊らされ、更に一度裏切った国に再び忠誠を誓えとは、侮辱にも程がある」

だが返ってきたのは、紛れもなく私が知るホメロスさまの心内。ここまで言われてしまえば、もう返す言葉も無かった。私はホメロスさまを止める理由のひとつも持ち合わせていない、その事実に胸が裂けるように痛んだ。

「デルカダール王国の軍師ホメロスは死んだ。奴らの闘いが収束する前に、私は城を出て行く」
「そんな……!」

止める言葉のひとつも思いつかない、もうどうしようもないという焦りから、腰を上げて今にも此処を出て行ってしまいそうなホメロスさまの腕を強く掴んだ。もうそれ以上力を込めずともホメロスさまはその手を振り払うことはないだろうに、渾身の力で抑えておかねばすぐにでも遠い場所に行ってしまうような気がして……その手を緩めることはできなかった。

「何処へ行くのですか!」
「判らん。唯一の住処を己自身で捨てたのだ、今更行く宛など何処にも無い」
「せめてグレイグさまがお戻りになってからでも良いのでは──」
「奴には余計何も言わずに行くべきだ。二度も死に際を見たお前ならば、私自身を良く理解していると思ったのだが」

勿論名前自身もホメロスの性格を知らないわけがない。
ホメロスさまはきっとグレイグさまとも、イレブンたちとも二度と顔を合わせたくはないだろう。皆の前で醜態を晒しておきながら、今更のうのうと彼らの前に出ることも、彼らに憐れみや情けをかけられるのも、彼の矜持が絶対に許さない。しかしホメロスさまを引き止めるにはなんとかして説得するほか無かった。それが彼の望むべきことではないとしても、どれか一つ言葉が引っかかりさえすればと。だがその行動とは裏腹に、ホメロスさまはどうやってもこの城に戻ることはないことは薄々判っていた。大樹へと向かう前に、もう此処には戻らないと彼自身で決めたのだ。だが私はどうしても諦めきれなかった。

「離ればなれになってしまうのはもう嫌です!」

だからこそ必死に叫んだ。同じ世界のどこかで生きているとはいえ、もう姿を見ることも声を聞くことも叶わなくなるなんて。そんなの、あんまりだ。

「ホメロスさまが私を利用するために、あれやこれやと世話を焼いてくださったことは知っています。道具としてしか見てくださらなかったことも重々承知です。それでも私は忘れられませんでした。その謀略の中にかすに残っていた情から生まれた私たちだけの時間を、一瞬でも幼い私の孤独を埋めてくれたホメロスさまのことを!だからどうか私も共に……」

息を継ぐ間もなく、肺に入った空気を全て押し出すように想いをぶつける。すぐさま途切れた言葉の続きを言わなければと、そう思ったのだが、この空気に似合わないようなホメロスさまの不思議そうな顔を見てその思考は反射的に止められた。

「何か勘違いをしているのではないか」

私の一世一代と表しても過言ではないほどの愛の告白は、ホメロスさまのやけにあっさりとした言葉によって打ち切られた。その意図を汲み取れずに、脳内を疑問符で埋め尽くしたままホメロスさまの次の言葉を待てば、呆れたような顔と共に返ってきたのは思いもよらぬ一言だった。

「私はこの城を出て行くが、名前の前から姿を消すなどひとことも言っていないはずだが」
「は……?」
「そういえばあの時の返事をし忘れていたな」

まるで書類を渡すのを忘れていたと仰る時と同じような、重みのないような「すまない」という言葉を添えながら、ホメロスさまは私の目を見た。それから、普段の淡々とした口調で言葉を連ねる。

「ひと月後の夕方、街のはずれにある花園で待っている。どうするかはお前が決めろ」
「えっと……ホメロスさま」
「何か不服か」
「そんなわけ、無いじゃないですか」

ホメロスさまの行動を勝手に履き違えて、置いていかれてしまうと勘違いしていた恥ずかしさと、これから先もホメロスさまに会うことができるのだという嬉しさで、どうにかなってしまいそうだった。冷静なホメロスさまとの対比もさることながら、どくどくと高鳴る心臓の音がはっきりと聞き取ることができるほど、私の心は大きく弾んでいた。こんなに幸せなことがあって良いのだろうか、もしかしたらこれは誰かが魅せた幻術であるのかもしれないなど馬鹿な想像をしてしまうほど、それほど私はこの瞬間を渇望していたのだ。

「今なら判る、如何に愚かなことをしたのか。……己がくだらないと吐き捨てたものを貪欲に求め、例え嫉妬と絶望に苛まれる自分に漬け込んできたと判っていても拒まずに受け入れた。思えばあの時点で私は死んでいたのだな」

そんなホメロスさまの懺悔を聞いて開いた口が塞がらなかったのは言うまでもないことだろう。まさか彼の口から慚愧の念が飛び出してくるなど、天と地がひっくり返ろうとも起こり得ないことだと思っていたのに。いま目の前に居るホメロスさまは、私が知る彼よりもずっと柔らかく、寂寥感を漂わせながら佇んでいた。

「だがお前が気づかせてくれた、これはせめてもの礼だ……受け取れ」

その言葉の意味を問おうと口を開きかけた瞬間、ホメロスさまの細い指が軽く額に触れた。その指先からパチっと小さな衝撃が走ったかと思えば、すぐに濁流のように大量の魔力が注ぎ込まれた。それはまるで枯れ果てた大地を叩く土砂降りの雨のよう。激しく全身を通り抜けた魔力によって私の身体はあっという間に満たされてしまった。ホメロスさまのキャパシティがこれほどのものであるとは。衝撃に耐えるように閉じていた目をゆっくりと開けば、相反して魔力を殆ど使い果たしたホメロスさまは今にも倒れてしまいそうなほど虚ろな目をしていた。

「奴らのところへ向かい乾坤一擲の大勝負を見届けてこい。後々お前の愚痴を聞くことになるのは面倒だからな」

そう言い残すなり、ホメロスさまは普段と変わらぬ足取りで去って行ってしまった。
私はといえば彼の言葉を受けて弾かれたように看守室を飛び出した。もうこれで後ろ髪を引かれることは無い、全力でイレブンたちの手助けに向かうことができる。決して安堵できる状況ではないというのに、私の心は自分でも驚くほどに穏やかだった。これから剣を交えるであろうウルノーガも、そして近い未来に復活するであろう邪神ニズゼルファも、己の命を脅かすほどの強大な存在であるというのに。きっとそれ以上に、ホメロスさまと共に生きることができるという幸せが私に勇気を与えているのだと――そう思った。石造りの階段を駆け上がり、兵士たちに襲いかかっている魔物に大杖を振いながら、激しい戦闘で崩れかけた廊下を駆け抜けた。エントランスへと抜けてあたりを見回し、王座の間の方から激しい爆発音と甲高い悲鳴が響き渡ってくることを確認すれば、足の筋肉がちぎれてしまいそうなほどの力を込めてひたすらに走った。重い扉を開け放ち、怪我を負ったイレブンたちに向けてすぐさまベホマラーを詠唱すれば、ただひとり――諸悪の根源であったウルノーガに向けて魔力を解き放った。怒りに満ちた勇者のいかづちは、ウルノーガの身を守るように立ちはだかっていた杖の分身を一瞬で木端微塵に屠る。

「驚いたぞ、名前。まさか貴様が勇者の力を手にしているとは」
「ウルノーガ……絶望の因果、ここで必ず断ち切ってみせる!」

紫色の毒々しい唇が歪められる。それと同時に、後ろに控えた満身創痍のイレブンたちが名前とウルノーガの対峙を見守るように固唾を呑んだ。
緊迫した味方の空気の中に居てもなお、私の高揚は治まることを知らないようで。寧ろウルノーガを倒せば私が望んだ世界が訪れるという事実が私をその気にさせていた。いくらウルノーガが強大な力を持っていたとしても、今の私は負ける気がしない。自惚れかもしれない、だがそれで良かった──今の私はきっと、これまでのどんな私よりも強いという自信がある。