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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

選んだ道
もうとっくに日は沈んで、イレブンたちも客室で旅の疲れを癒している頃合いだろうか。一切の光も差し込まない地下牢獄でそれを知る術は無い。隣接された古い井戸の中で水が滴る音、ホメロスさまが身体を捻る度に石床に擦れる金属の音、それ以外は何も聞こえない。静寂に満ちた部屋の中で、名前はその意識を時折飛ばしそうになりながらも、なんとか現実に爪を立てて掴むように必死に耐えていた。ふと目を覚まそうと立ち上がり、部屋の中を無造作に歩き回ってみたが、かつてないほどの睡眠欲求のせいで、眠気を覚ますよりも怠さが勝り、すぐにベッドにへたり込んでしまう。このままホメロスさまを守っていたとて、今日はあちら側も行動を起こさないのではないか、寧ろ今休息を取って明日以降の動きに備えるべきではないか。極限状態に達した身体で、そんな都合の良い考えを練り上げていたそんな時だった。地下牢獄へ続く階段を、カツカツと降りてくる足音。数は二つ、金属が擦れる高い音から察するに王ではなく兵士のものである。夜警の兵がこちらへもやって来たのだろうか、それとも……。

「名前さま、こちらにいらっしゃいますか?」

コンコン、と看守室の扉が叩かれた。今にも閉じてしまいそうだった瞼を擦りながら立ち上がり、面倒だと思いながらも牢の鍵を開ける。こんな夜更けに何用だろうか、そもそも彼らは何故私が此処に居ることを知っているのだろうか──そこまで考えたところで、意識の狭間を揺蕩っていた身体は一気に覚醒した。

「お疲れさまでした。グレイグ将軍から、見張り交代とのお達しです」
「どうか我々に任せて、名前さまは自室でお休みになってください」

まるで慣れた仕事のように、兵士は私にサッと敬礼し、労いの言葉を掛けながらホメロスさまの両脇に並び立った。デルカダールの兵装に身を包んだ二人。その素顔は鋼に覆われ、こちらから窺うことはできない。彼らはどこからどう見てもこの城の兵士だ、疑う余地は何一つ無いのだ、この状況でなければという仮定があっての話だが。

「あの、ひとつ質問をしても良いかしら」

アーメットの目出し穴の奥、混沌とした闇を強く見据えた。爽やかな青年の形を模した面に、冷静に、そして憤りを含んだ声で問い掛ける。

「あなたたちはこの状況を見て何故冷静で居られるの?ホメロスさまが捕らえられていることについては緘口令が敷かれているはずなのだから、少なからず戸惑うと思ったのに」

考えてみれば可笑しなことだった。私もグレイグさまも、そしてイレブンたちでさえも、城に戻ってきてからホメロスさまのことに関しては一切の情報を漏らさぬよう注意を払っていたのだ。双頭の鷲と称された将軍が、魔物に手を貸し国を裏切ったことが表沙汰になれば、王国の沽券に関わる。それなのに、内情を知るべくもない一兵卒がいとも当然であるかのように此処を訪れたのか。しかも、こんな夜更けに。

「じ、自分は!確かにグレイグ将軍からこのことを聞いて!」
「グレイグさまがあなたたち一般兵にそう簡単に口外するとは思えない」

疑いを向ければ、芋蔓式に不信感に気づき始めた。洗練された大国の兵らしからぬ覚束ない敬礼も、腰に巻き付けたベルトの締め方も、見知ったものとはどこか違うのだ。ほんの少し造作が乱れただけかもしれない、特徴的な結び方をしているだけかもしれない、そんな考慮は一切浮かんでこないほどに、私は目の前の兵士たち──否、兵士の格好をした存在から人ではない空気を感じ取った。そんな心とリンクしたかのように、痣のある右の手の甲に電流が走ったような軽い衝撃を覚える。人の言葉を操り、意思を持つ高位の魔物だからこそ垣間見える瘴気の強さが、私の懸念をより確かなものにさせた。

壁に立て掛けていた杖を握れば、兵の格好をしたそれらは騙しが効かないと判断したのか、たちまち異形の姿と化した。毒々しいほど真っ赤な上半身に、獣のような長毛に覆われた下半身、さらに脳天から湾曲する二本の大角。巨大な図体に思わず手が怯みかけるも、怖気を振り払うように臨戦態勢を取った。

「ウルノーガさまは、この娘は殺すなと仰っていたが……」
「仕方があるまい。何も気づかずに去っていれば命だけは助けてやったのだがな」

咆哮と共に振り下ろされた爪を避けるも、その拍子に石の壁に身体が当たってしまう。只でさえ狭い部屋の中で、ホメロスさまの御身を守りつつ二体の魔物の相手をしなければならないのだ。無傷で通り抜けられないことはもとより承知、被害を最小限に抑えるためには捨て身の覚悟で敵にぶつかっていくしかあるまい。魔法を使えば私もホメロスさまも巻き添えを食らうし、より強力なものを唱えれば部屋諸共崩れ落ちてしまう。

(つまりは武力行使でどうにかするしかないということね……!)

ならば大杖は使い物にならない。部屋の隅に保管していたホメロスさまの双剣の一振りをなんとか手に取り、迫り来る二体の魔物と間合いを取る。いくらホメロスさまが己の武器を人に触られることを嫌っていたとしても、このような緊急事態だ。許してくださることだろう。鞘から剣を抜けば、日頃から丁寧に磨かれているのであろう、白銀の刃に篝火の炎が鮮明に映った。

「清き光の衣よ、我らを守りたまえ!」

自身とホメロスさまにスクルトをかけ守備を強化すれば、我が身を顧みず魔物との間合いを詰めた。振り下ろされる爪をもろに受け右肩に激痛が走るも、負けじとこちらも魔物の腹を目掛けて剣を振るう。だが魔物の腹筋は硬く、表皮を少しばかり斬り裂くことができた程度であった。相手は殆どダメージを受けていない、連撃は危険だと判断し、攻撃の反動で後ろに退けて素早く回復呪文を唱えて傷を塞ぐ。

「っはあ……嘘……」
「どうした、威勢が良いのは最初だけか」

さすがはウルノーガが直接命令を下した魔物と言うべきか、野生の魔物はおろかかつて天空魔城に蔓延っていた魔物たちよりも遥かに強い。その身体は鋼をも凌駕するかの如く硬く、振り下ろされる一撃はとてつもなく重かった。一人では仲間との連携が取れず不意打ちも連携も何もできない分、どうしても純粋な力勝負になってしまう。しかし先の攻撃で私の力では彼らの臓物を裂くどころか肢体に深い傷をつけることすら難しい。相手が二体となれば尚更だ。
ならばもう打てる手はひとつしか残されていないようなもの。先程は危険だと決め打ち投げ捨てたが、もはや私には攻撃呪文で応戦する選択肢しか残されていないのだ。閉鎖的な場所で魔力を解放するのは得策ではないが、この状況ならば致し方あるまい。とはいえ焦燥に任せた広範囲の強力な呪文は文字通り身を滅ぼすことになりかねない。局所的で且つ敵に確実にダメージを与えられる呪文といえば……思い浮かぶものは一つしかなかった。
光を護り闇を裁くその呪文。その存在は知れど、自身が唱えたことはおろか、イレブンが唱えているところでさえ数度見たきりであった。その光景をひたすらに思い返しながら、身体中の魔力を奮い立たせ右手の甲一点に集中させる。光の勇者のみ唱えることができるその呪文は、他とは比べ物にならないほど扱い難い。だが此処で決めなければ、勇気を出し全力を尽くさねばそれこそ私が必死に生き抜いてこの世界に来た意味が無い。

「大樹の魂よ、勇者の光よ、今こそ我が手にそのいかずちを与えん──ギガデイン!」

一筋の光が空気を打ち叩いた。ただ一体の魔物のみを目掛けて打ったにも関わらず、轟音の余波は石壁をも抉り、鉄で造られた扉をも震わせる。いかづちを直に食らった魔物はあっという間に息絶え、片割れの魔物も蹲っているところを見る限り、瀕死の重傷を負っている様子。だが一方で、呪文を唱えた私の身体も、上手く力を制御できていなかったせいか、多大な魔力の消費と衝撃で右腕が痺れ、思うように動かなくなっていた。せめてあと一発でも魔物に攻撃を与えられれば良いものを、身体に滾っていた力の全てが抜けてしまったようで、それすらも叶わない。脚の力がガクっと抜けたと同時に、身体は冷たい石の床に強く打ち付けられた。無念の一言だった、せめて二体とも葬ることができていたならばホメロスさまを守り抜くことができていたものを。

「う……っ」

剣を掴む力さえも残されていない私に残された最後の望み。這うようにホメロスさまの前まで移動すれば、まだ感覚が残っている左腕を手枷に伸ばした。これもまたひとつの賭けだった。ホメロスさまが私を取るか、ウルノーガを取るか。どちらを味方しても不思議ではない状況だが、私はその一縷の望みに賭ける他無かった。

「……申し訳……ありません」

醜態を晒してしまったこと、私みずから手枷を嵌めて縛り付けてしまったこと、そしてなにより私がホメロスさまの意思に背いたせいでこのような事態に陥ってしまったこと。私がホメロスさまを裏切らなければ、少なくとも彼だけは助かったはずなのだ。だが私はその道を選ばなかった。きっと誰もが犠牲にならない道もあるだろうと、そう信じて茨の道を突っ切ってきたのだ。
だから私は自分の選択を間違っていたなどと認めたくない。その証明のためにも、己の施した強力な封印結界を解き放った。ホメロスさまの手首をきつく締め上げていたそれは、解放と共に錆びてぼろぼろと崩れ落ちる。

「……まったく世話が焼ける」
「!」

我儘を言ってグレイグさまやホメロスさまを困らせてばかりいたあの頃の私に、仕方なさそうに面倒を見てくれたような、そんな温かさの籠った声色だった。
ホメロスさまが握った剣の切っ先は、私の頭部を紙一重で掠ったと思えば、背後に居た魔物の心の臓に深々と突き刺さった。急所を突かれた魔物は深く呻き声をあげたのも束の間、あっという間に靄となって消え去る。無機質な部屋の中に、支えを失った一振りの剣がカランと音を立てて転がった。ああ、私の選択は決して間違ってなどいなかったのだ。