×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

背信の回顧録
久々に「皆」で囲む食卓は、あたたかいはずなのにどこか落ち着かなくて。それはきっと、この世界のイレブンたちが私の知る彼らとは別の人であるとか、この城の中にまだ脅威は潜んでいるとか、そういった不安要素が積み重なって私の心に圧し掛かっているからだ。ロウさまは私のことを「その者」と呼んだ。かつて私を側に置いてくださったマルティナ姫ともどこか一枚壁を隔てているようで。まるで私にとって仲間と言える存在がこの世界に存在していないかのよう。言わばひとりぼっちだ。かつてのように──先生を失って、誰に心を開くこともできなかった昔の私のように。

「最後まで敵なのか味方なのか、紛らわしいことをしてごめんなさい。ホメロスさまを欺くためには、徹底的になりきるしかなかったのよ」
「僕たちも、一瞬でも疑ってごめん……名前のことを信じるって約束したはずなのに」
「いいの、あの状況では私を疑うのが当たり前だから」

寧ろイレブンたちに疑われていなければ不意打ちは成功しなかったであろう。芝居は得意ではなかったが、あの場でホメロスさまの注意を一瞬でも逸らせたことについては自分を目一杯褒めてやりたいと思う。

「こんなに豪華な食事をしたのは何年振りかしら。名前ちゃんはいつもこんなモノを食べているの?」
「ううん、兵士たちの食事はもっと質素なものよ」

シルビアと言葉を交わしながら、高級な小麦で練り上げられた白いサンドイッチを口に運ぶ。こんなに豪華なものを食べるのはいつぶりだろう。普段は滅多に同じ食卓に並ぶことは無い肉と魚も、高級そうなワインまで、城にある高級食材すべてがずらりと並べられている。だが、目の前に珍しい料理がずらりと並べられていても、昨日の早朝から携帯食料しか口にしていないのにも拘らず、不思議と食欲は沸かなかった。原因は勿論、未だこの城に蔓延っている不穏な空気である。

「王は?」
「そろそろお休みになられると、寝室へお戻りになられました」
「……ありがとう」

気が付けば消えていたその姿の行先を近くに居た衛兵に尋ねれば、グラスに分けたワインもそのままにして立ち上がった。怪しまれまいと王から目を逸らし、いかにも宴を楽しんでいるように談笑をしていたのだが、どうやらその隙に逃げられてしまったらしい。
今晩、必ずウルノーガは仕掛けてくる。ホメロスさまの漂白か、はたまたイレブンの暗殺か……何をいつ仕出かすかは判らないが、己の根城にターゲットを呼んでおきながら何もしないということはまずないであろう。ならば私が向かうべきはどちらか――

「どこへ行く」
「ホメロスさまのもとへ」

席を立ち広間を出ようとすれば、グレイグさまに声を掛けられた。ホメロスさまの名前を小さく呟けば、強張った表情は一瞬で崩れる。この場でホメロスさまの正体を知る者はイレブン一行と私と、そしてグレイグさまのみ。ヘタに兵士たちに事実を悟られぬよう、宴にも参加せずこうして扉の前で顰め面をしていたのであろう。
グレイグさまは暫く悩んだ後、小さく首を振った。ホメロスさまのことを気になっているのは私と同じ、だがグレイグさまは王に逆らうことができない。ならば余計に私がホメロスさまのもとへ行かなければ。他の一体誰が彼のことを守ってくれるというのか。

「ならん、危険だ」
「ですが、ホメロスさまには私が厳重に結界を施しました。逃げることはおろか私に手を出すこともできないはず。グレイグさまも見ておられたでしょう」
「俺はホメロスではなくお前の体調を危惧している」

隈ができていると、そう言われてようやく自分の身体の重さに気付いた。旅に慣れない身体で獣道をかき分け、日が暮れれば野宿。夜が明ければ大樹に登り、そこでホメロスさまを止め、闇のオーブの力を直に受けた。興奮で自覚していなかったが、長らくお城暮らしであった私の身体はもう限界を迎えていてもおかしくない。己の体調に目を向けてみれば、少しでも気を抜けば瞼を閉じてしまいそうなほどの眠気が訪れた──が、ここまで来ておいてゆっくりと休むわけにはいかない。

「行かせてください、何かあれば……その時は頼みました」

目を離した隙にホメロスさまに何かあっては、きっと私は今まで以上に後悔してしまう。やっと大樹の崩壊を防ぎ、かつホメロスさまの一命を取り留めるまで漕ぎ着けたのだ。もう小さな可能性の一欠片も離しはしない。

**

不思議な感覚だ。灰色一食の壁に囲まれた冷たい部屋。仮眠用のかたいベッドに必要最低限のインテリア、氷のように痺れる手触りの湧水に、長年掃除もされずぬめり気のある浴槽。かつての世界でこの牢に閉じ込められていたのは私だというのに。この光景を一瞬でも想像したことすらなかったせいか、未だに夢見心地のような不思議な感覚に襲われていた。

「失礼します」

壁に繋がった手枷は、私が施した強力な封印。まるでパズルのように複雑に絡み合ったその結界は、術者以外が解くことはできないだろう。足掻いても無駄だと判断したのか、ホメロスさまは部屋の壁に静かに凭れ掛かるように座っていた。前髪に覆われたその表情は窺えない。ただ、彼を取り囲む空気から、私を強く拒絶するだろうということだけは否が応でも察しがついた。

「去れ、不愉快だ」
「見張りです」

ホメロスさまの言葉を無理やり跳ね返すように、簡素なベッドの上に座る。何と言われようとここを退くつもりはない。私はホメロスさまと仲良しごっこをするためにこの世界に来たわけではないのだから。彼がいくら私を忌み嫌おうとも生きていてくれたらそれで良い。そう考えていたからか、こんな会話ができることでさえも嬉しいのだ。ただそんな嬉しさに反して、居場所が無いこの世界で否定的な言葉を受けたという事実はチクリと心臓を刺した。

「ホメロスさまは、私が初めからあなたを裏切るつもりで行動していたとお考えでしょう」
「そう疑う以外に何がある」

無機質な壁に苛立ちがぶつけられた。筋肉質な腕に繋げられた鎖は、反動で勢い良く宙を舞うと、けたたましく床に叩きつけられる。私の行動について一から理由を説明しようかと気負い立っていたのに、狭い部屋に反射したその音に心臓は跳ね上がり、すっかりと竦みあがった脳内からはそれまで組み立てていた理論がさっぱりと抜けきっていた。

「……あなたの側に居たいと、その言葉に嘘偽りはありません。それだけはどうか信じてください」

結局私が伝えたいすべてはその一言だった。今までの行動は私がホメロスさまの側に居たいが故のもの。勿論、私の事情など知らないホメロスさまにとっては私の行動は理解し難いものだろう。それでも、いつか私のこの言葉を思い出してくれる時が来るのなら。そんな淡い思いに賭けて吐露した。否、ここで己の心情を閉じ込めることなどできなかった。だが一方のホメロスさまは、私の言葉などまるで無かったかのように、熱の篭っていない独り言のような声で呟いた。

「まったく、無様だな。あの場で殺されていた方が幾分かマシだった」
「っ……!」

その言葉を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは、王に粛正されたホメロスさまの亡骸だった。魔物と化していないその身体は、禍々しい瘴気に変わることもなく、夥しい量の血を流しながらただ横たわっている。ホメロスさまはそのような姿を望んでいたのだろうか、いやきっと望んでなどいない。見下していたイレブンたちの、そしてグレイグさまの前で朽ち果てるなど彼の矜持が許さない。つまりは私の前でプライドにプライドを上塗りして己を誤魔化しているのだ。そうと分かっていてもなお怒りが収まらなかった。私が望んだ未来を、くだらないプライドでこうもあっさりと瓦解させようとするその姿勢が。

「何故そんなに死にたがるのです!そうやって逃げようだなんて、絶対に許しません!私が此処を去れば、あなたを守る人は居なくなる!そうすれば、私は……!」

私がこれほどまでに救いたいと願っているのに、それにも拘らず死んで逃げようだなんて許さない。ホメロスさまには己の罪を受け止め、そうして生きていて欲しいのだ。幸せになんかならなくて良い、私はただその傷に寄り添うことができたらそれで良い。込み上がる激情が胸を熱くさせ、疲弊しきった身体を奮わせた。
これほどにまで己を忘れて叫ぶことなど昔は無かったのにと、そう思うまで暫く熱は抜けないでいた。やがてこの部屋のひんやりとした温度が精神を鎮めると、まだぼんやりと火種が残っている心を振り払うように首を振る。

「いえ、今は余計なことを考えている場合ではありませんでした。とにかく、私は断固としてここを動くつもりはありません」
「何故それほどまで固執する」
「ホメロスさまのお側に居たいからと申し上げたはずです、それに……己を捨て駒にしようとした王にあっさりとやられては悔しいでしょうから」

木の葉が地面に落ちるような、細やかな音が耳に入った。きっとホメロスさまが小さく顔を上げたのだろう。だが、反応はあったが私の言葉に対して返答は無かった。王が黒幕であることを示唆しているのにも関わらず否定をしないということは、それを認めているということ。つまりは、もう彼はあちら側の存在ではないのだ。もう隠すことも、私をこの部屋から追い出すこともしない。つまりはホメロスさまも一矢報いたいと、そう思っているに違いない。ならば殊更彼を説得する必要も何も無い。私はただ己の信念のままに、迫り来るウルノーガの魔の手からホメロスさまを守り抜けば良い、ただそれだけだ。