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小夜の午睡
──命の大樹へ向かう、すぐに支度をしろ

珍しく早朝に部屋を訪ねてきたかと思えばそれだけを告げてホメロスさまは出ていった。グレイグさまがクレイモランから未だ戻っていないこの状況で、ホメロスさまと私までもが城を出るなど普段では絶対に有り得ないことだ。そもそも二人の将軍が同時に城を空けるということ事態が珍しい。直近ではイレブンとカミュが地下牢獄から脱走した時以来であろう。それでも私は警備が手薄になるからと、もしもの為にと城に残されていたというのに。
何もないこんな時に私までもが居なくなったという事実は、側から見れば不自然でしょうがないだろう。しかし、そのように思われることはホメロスさまも想定しているはず。だが、今はそれを振り切らねばならぬ時なのだ。いくら兵や民に怪しまれようとも、もう関係が無い段階までウルノーガの計画は進んでいる。

ついにこの時が来てしまった。こちらの世界にやってきてから半月ほど。ホメロスさまやグレイグさまとの接触等、気を抜いてはいけない場面は何度かあったが、今はそれどころの比ではない。これから先、命の大樹ではこの世界の運命が懸かった重大イベントが始まろうとしている。そして世界の崩壊をなんとしても阻止すべく、私もそこへ向かわなければならないのだ。ホメロスさまが幸い私を連れて行く気になったお陰で、兵士たちを騙くらかして城を抜け出す必要は無くなった。あとは、私が彼を止めることができるか……唯それだけ。
誓いのペンダントが胸元で静かに揺れた。大丈夫、今度は絶対に失わせはしない。ホメロスさまとグレイグさまの両方を取り持ち、ここまで上手くやってきたではないか。だからきっと、きっと今度こそは、この世界を、そしてホメロスさまを救うことができると信じている。

支度を済ませてホメロスさまの部屋に向かえば、そこは普段よりもやけにさっぱりしていた。机の上にばらけたまま積み重ねてあった紙束は纏めて紐で綴じられており、愛用している香油もインテリアのように棚の中に収められている。もうここに戻ることはないと考えて整頓したのかと思うと、少しだけ寂しくなった。ホメロスさまの凶行を未然に防ぐことができたとしても、きっと彼がグレイグさまとともに双頭の鷲としてデルカダールの政務や軍務を執り仕切ることは二度と無い。そのようなことを彼の矜持が絶対に許さないということは、私でも判る。

「我が主君からの命だ。悪魔の子が命の大樹に奉納されている剣を……勇者の剣を手にする前に阻止せねばならん」
「私を完全に信用したわけではないでしょう?何故連れて行ってくださるのですか」
「万一の為だ、奴らに貸しがあるだろう」

貸しとは、きっとユグノア城跡でイレブンたちの逃亡を手助けした件のことだろう。やはり知っていて私を野放しにしていたのか。ここで否定するのも無駄だと考え、無言を貫き肯定の意を示す。ホメロスさまは特にそれを咎めることも無かった。

**

聖地ラムダに到着し、てっきり里の中に入ると思いきや、ホメロスさまは傍の茂みを掻き分けて森の中へと進んでいった。慌てて後を追うように背丈の高い草本を踏んで無理矢理に道を作る。

「まさか、ホメロスさまがこんな獣道をずんずんと進んで行くような御方だとは思いもしませんでしたよ」
「まさか真っ向から突破すると考えていたわけではあるまいな。これでも上に使われていた頃は野宿は当たり前、獣道どころか道すら作られていない森や崖を進めと言われていた。こういったことには慣れている」

そう言って先へ先へと進むホメロスさまを追うことに精一杯で、もはや私がこの先で彼を食い止めねばならぬことや、太陽にあたって具合が悪いフリをせねばならないことなどは頭からすっぽりと抜けていた。だが、ホメロスさま自身もこれからのことで手一杯であろう、私を注視する余裕は無さそうなのが救いといったところか。

「わっ!」

そんなことを考えながら進んでいると、木の根に足を引っ掛けてバランスを崩してしまった。慌てて何かに捕まろうと、目の前を歩く白銀の鎧に手を伸ばせば、身体はホメロスさまの腕によって倒れる前に支えられる。

「良く下を見ろ。私の足跡を見ていれば転ぶことはあるまい」
「……すみません」

澄んだ空色を連想させるような爽やかな香りが鼻孔を掠めた。不快ではない、自然と感じられる心地良い香りだ。最後にその匂いを嗅いだのはもう何年も前のことだろうが、一時期は彼の声も顔も上手く思い出せないまで時が経っていたというのに、この香りだけは覚えていた。嗅覚の記憶が何れよりも深く根付くということを体感し、暫く意識を感傷に向けて居ると、ホメロスさまの背が小さくなっていることに気づいて急いで森の中を駆け抜けた。

こんな迷い森では地図も存在しない。どこに向かっているのやら、もしかしたらホメロスさまは適当な方角に足を向けているのではないかと不思議に思っていたが、その予想と反してすんなりと開けた場所に出た。

「漸く抜けたな」
「おお……」
「ここを上に向かえば命の大樹へと続く祭壇がある。そこまで悪魔の子たちに気づかれぬよう進むぞ」

ウルノーガと結託した彼には配下である魔物も近づいてくることはなく、かつての旅とは打って変わり行動し易い。ペース早めにゼーランダ山を駆け上がる私たちに対して、イレブンたち御一行はロウさまのペース配分に合わせていたため、追い付くのは苦ではない。見慣れた背中を発見すれば、ホメロスさまの指示に従いコソコソと身を隠しつつ後をつけるように進んで行く。日差しを遮る分厚いローブに身を包んだ私と白銀の目立つ鎧に身を包んだホメロスさま、傍から見れば不審者二人組だが、イレブンらがゼーランダ山から見下ろす下界の絶景或いは目の前に聳え立つ命の大樹に夢中になっているからか、こちらに気づくことは無かった。
それから足を進めること数時間。聖地ラムダに辿り着いた時には東の水平線上にあった白色の太陽は、いつのまにか西の空で赤々と光り輝いていた。命の大樹へと続く祭壇まではあと一息といったところだが、万全を期すためにイレブンたちは魔物が寄り付かぬ女神像の前で野営の準備を始める。

「ここで夜を越してから祭壇に向かうみたいですね」
「チッ……余計な手間をかけさせる」

ホメロスさまは悪態を吐くと、私のローブの袖を引いて薄暗い森の中へと誘導した。そうしてイレブンたちが起こした火がボンヤリと視界に浮かぶ距離まで遠ざかる。

「デルカダールに戻りますか?」
「何を寝ぼけたことを言っている、今日はここで野宿だ」
「え?」
「柔らかいベッドでないと不服か」

そう言って、ホメロスさまは巨木の根元に腰かけた。

「い、いえ!しかしここでは灯りも無いですし、魔物も寄ってきますし」
「私もお前も灯りなど要らんだろう。魔物も寄ってくるはずがあるまい」
「……そうでした」

かたい寝床でも何も文句は無いのだが、羽虫が飛び交うようなこの環境下でテントも張らずに野宿だと宣うホメロスさまが衝撃的であったからか、はたまた予想外の事態に混乱してしまったからか、私の口からは咄嗟にそれを拒むような言葉が飛び出した。とはいえ、ホメロスさまと共に夜を越すとなれば身の危険はゼロに等しい。冷静になって考えれば、私がここで彼を拒む理由など何ひとつ思い浮かばなかった。強いて言えば虫が少し気掛かりな程度。
ローブの裾を折りホメロスさまの隣に腰掛ければ、ライ麦パンを手渡される。やけに鼻孔をつく芳醇な香りに、昨日の夜から何も口にしていなかったことに気づいた。パンを手でちぎり口の中に放り込めば、無花果の甘さとぷちぷちと弾けるような種の食感。

「美味しい……」

大樹が崩壊したと同時に、すぐ南方にあったデルカダールは甚大な被害を受けた。堅牢な造りをしていた城は天井が落ち瓦礫の山と化し、城下町はそこに何が在ったのかさえ想像し難いほど酷い状態となっていた。もちろんこの喫茶店も跡形も無く消えていて、世界が平和になった後も店主の姿も見ていない。いや、店主である可能性があるものならば何度も目にした……今となっては思い出したくない光景だ。

幼い頃から好きだったこの味。もともと王宮ではなく田舎村で育った私は、このような庶民向けの食べ物が好きだった。もう記憶にすら残っていないその故郷の面影をこのパンの味が擽っていたのだろうか。今となっては確かめる術もない。
ずっと飽きることなく食べ続けていたこのパンを、何年振りかに口にした。思い出すのは懐かしい過去の記憶、今は亡き人たちとの思い出。今までどうしてこの味を忘れてしまっていたのだろう、悲しい記憶に蓋をしいていたのか、はたまた思い出す余裕など無いくらい切羽詰まっていたのだろうか。だが今はとても幸せだ。ホメロスさまの隣でこのパンを食べられる、そんな世界がずっと続いてくれれば良いのに。

空腹が満たされたお陰か、こぶし大のパンをすべて胃に収めればやけに瞼が重くなってきた。日の光に当たっても問題ないとはいえ、不審がられないように昼に寝て夜に起きるという従来の生活のまま過ごしてきたせいで、今日は本来寝るべき時間に山を登っていた為睡眠をとっていない。頭部がぶれないように木の幹の凹凸にうまく体重を預けてみたものの、意識を手放した瞬間にぐらりと揺れて地面に倒れ込みそうになる。

「眠いか」
「……今日は睡眠を取っていませんから」
「寝ていろ」
「良いのですか」

自覚できるほど気の抜けた声でそう答えれば、ホメロスさまは自身のバッグをこちら側に置いてそれをぽんと叩いた。枕代わりにしても良いということなのだろうか。普段ならば遠慮するところを、睡眠欲求に負けてそれに頭を預ける。ローブを地面に敷くように広げ、寒さに耐えるべく猫のように丸くなる。

「……すみません」
「急ぎであれば無理矢理起こす」

風にそよぐ木の葉の音と、遠くで聞こえるキャンプの賑やかな声を聞きながら、身体を包む浮遊感に身を委ねていれば、髪を一房手に取られたような感覚。そのなんとも心地良い感覚が、揺蕩う意識の狭間で私が望んだ夢であることが怖くて、素知らぬふりをするようにそっと目を閉じた。