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苦衷
城の雰囲気が淀んでいる。何故か?と問われてもはっきりとした答えは述べられないのだが、どこか暗渠にも似た風通しの悪さを感じる。きっと、この城に魔物が紛れ込んでいるという事実を知らずとも、この雰囲気には勘付いていたことだろう。悪魔の子が城にやってきてからこちらの世界でははや何か月といったところ。相変わらずデルカダールでは彼の捜索に徹している……と思いきやそんなわけでもなかった。ユグノアで彼らを取り逃がしてからというもの、軍師ホメロスの命により捜索活動は休止され、代わりに救援を求めたクレイモランに兵が派遣されることとなった。彼の計画は既に次の段階に進んでいる、もう一人の「邪魔者」であるグレイグさまを切る手立てが。

「はあ……面倒だ」

そんな危機的状況化にあると判りつつも、何ひとつ手出しができずにいた。今ここで何をしようとも、少なくとも私にとって良いことは起こらない。今日も今日とてホメロスさまから半ば強引に押し付けられた雑務をこなしながら、片手間にこの世界での振る舞いについて考えていた。ようやく文字で埋まった紙をぺらっと捲れば、その下にはまっさらな紙面に罫線だけが描かれた何度も見た光景。思わずネガティブな独り言も漏れてしまう。

背もたれに寄り掛かり深くため息をつけば、部屋の外から重い足音が聞こえてきた。まだ日も昇っていないこの時間に、此処を訪れるなど珍しいと思ったが、今日は特別か。ちょうど同じ作業ばかりして退屈していたところだ。持っていたペンを机に置いて扉のほうへ向かうと、足音の主が口を開く前に語りかける。

「グレイグさま?すぐ開けますので待っていてください」

判り切ったように問いかければ、生返事が返ってきた。心なしかいつもよりも元気が無さそうに聞こえるのは、きっとこれからの任務に対する懸念もあってのことだろう。そんな予想通り、扉の向こうにいたグレイグさまはいつもより眉尻が下がっているような気がした。

「こんな時間まで仕事か」
「ええ、ホメロスさまからたくさん引き継いでしまって」
「ホメロスのやつも最近やたらと忙しそうだからな、名前も辛いとは思うが頑張ってくれ」
「その言葉、そのままそっくりグレイグさまにお返しします。クレイモランに行かれると聞いて心配しているんです。グレイグさまは、寒さが苦手ですから。クレイモランが氷漬けになったとなれば屋内避難はまず厳しいでしょう。ずっと外で作業をされると思うと……」
「案ずるな。その程度で倒れる俺ではない」

あの皮膚に痛みが走る程の寒冷地にグレイグさまを行かせたくないというのが本心だ。イレブンから、ミレルアンの森で何が起きたかは聞いている。万が一この世界の運命の枝先がぶれてしまえば、グレイグさまの命が危険に晒される可能性は十分にある。だが、ここで彼を行かせなければホメロスさまに対して不信感を抱くことも無い。

「無事に戻ってきてくださいね」
「勿論だ」

身を切るような思いでグレイグさまにそう告げれば、いつものようなはっきりとした返答。普段ならば信じて待つことができるこの言葉が、今はとても不安定なものに思えてしょうがない。未来を知っているからこそ、手を差し伸べられない苦痛に苛まれる。

「……ごめんなさい、でも私にはこうするしか方法が無い」

小さく呟いた言葉は、既に此処を出たグレイグさまに届くことは無い。早朝の涼しげな空気にひっそりと溶けたと同時に、その感情を押し殺すように再び机に向かった。やりたくもない仕事を片付けるのは苦痛だ。だが今はその苦痛に心が安らぐ。彼らと同じく痛みを少しでも分かち合っているという事実が嬉しいだなんて、馬鹿馬鹿しい。

**

「グレイグさまのこと、お嫌いですか?」

バルコニーの片隅に立つ人影にそう問えば、返事の代わりに冷ややかな視線が向けられた。私に雑務を押し付けて、きっとここで魔物から情報を仕入れていたのだろう。

「用が無いのならば仕事に戻れ」
「ここはホメロスさまの私室でも何でもありませんよ」
「ならば私の前でそのようなくだらない話はするな」
「純粋な疑問です。三十年来の親友を失うことについて何も抵抗は無いのかと気になりまして」

ホメロスさまに人間味のある感情はまだ存在するしているのだろうか。共に切磋琢磨し合ってきた友を、いとも簡単に切り捨ててしまうことに何も感じていないのだとしたら。きっと私のこの気持ちが彼の心根まで入り込む隙間も無いに違いない。
と、そこまで考えて小さく首を横に振った。今はホメロスさまの不安定な心を揺さぶる時だ。彼が抱えているであろう小さな罪悪感を、懊悩を、私の言葉で膨らませる。もしものことは考えず今はそれだけをやり遂げれば良い。

「……グレイグさまは、あなたのことを少しも疑っていませんでしたよ」
「無論、私の計画があのような陶片僕に露見するはずがあるまい」

機械のような、何の感情も悟らせないような声に、まだ彼は完全に闇に魅入られたわけではない可能性が少しだけ垣間見えた。グレイグさまを見事罠に陥れることができたのなら、私を皆の前で殺そうとしたあの時のように愉快そうに顔を歪めて笑えば良い。それができないというのなら、躊躇や恐怖が胸の内を渦巻いているのならば。矜持を傷つけぬように冷酷に振舞っていることに違いない。

「グレイグさまを失って、それでホメロスさまは満たされますか」
「何もグレイグを殺すのは私の目的の一手段に過ぎない」
「目的?」
「私の力を認めてくださった主君の望みを叶えるためだ」

ここぞとばかりに一気に心内を暴いてやろうと言葉を続けた。ここは魔物が棲まう城、どこで誰に聞かれているかも判らない。だが、今はそんな懸念も気にしていられないほど私の心は怒りと憐れみと遣る瀬無さでぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。ホメロスさまはどうして、そんなにも闇に心を染めたがる。

「ホメロスさまも、グレイグさまと同じく目的のための一手段に過ぎないとしたら?あなたが私を遣うように、あなたも遣われているとしたら!」
「……口を慎め」

白銀の籠手がカチャリと音を立てて柄に当てられた。それまで止め処なく出てきた言葉が喉の先で堰き止められる。

「これ以上我が主君を愚弄するな」

私はお前を殺したくはないと、それだけ告げてホメロスさまはバルコニーを出ていった。行き場の無い怒りを拳に込めて石柱にぐっと減り込ませれば、粗暴な体面が骨身に刺さる。だがそれ以上に心が痛い。ウルノーガの囁きひとつに歯が立たないという屈辱感。いったいホメロスさまは何を求めてあの場所に立っていたのだろう。ウルノーガの言葉にはあって私の言葉には無いもの、ただその答えだけが見つからない。