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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

幾千の星と共に
──これから、世界の命運を変える大仕事が、或いは永遠に時の狭間に閉じ込められる定めが待ち受けているかもしれないというのに、不思議と胸は軽かった。それはきっと、皆が背中を押してくれているのだと判ったから。こんなにも愚かで、どうしようもない私を。

「かくごは」
「できています。時の番人、どうか私を再び過去へと誘ってください」

右手の甲と勇者の剣を見せれば、時の番人は祭壇へと続く道をあけた。勇者の剣を握りしめながら時のオーブに向かって一直線に歩く。途端に溢れ出す緊張と恐怖感に、もはや自分がちゃんと脚を進められているかどうかすらも分からない。自分の運命に対しての高揚、焦燥、懊悩、希望、さまざまな感情がぐるぐると渦巻き、私の身体を突き刺すように襲いかかる。

私がいつか砕いた時のオーブは、この世界では変わらず祭壇の中心で神々しく光り輝いていた。ゆっくりと剣を構えて、切っ先をオーブの先にぴたりとあてた。

「ひとつだけ、教えていただけませんか?あなたは私の願いを知っているのか、そしてそれを叶えるために戻るべき時も知っているのかを」

時の番人を見上げてそう問えば、細長い身体は表情を変えずにこくりと頷いた。

「しっています」
「……ありがとうございます。これで、心置きなく過去へ戻ろうとすることができます」

やはりホメロスさまを救う方法は存在していて、私は戻るべくして「あの時」に戻されたのだ。ユグノア城跡でデルカダールを裏切り、イレブンたちを手助けしたことが露見しかけているあの時に。ならば運命を分ける選択肢は必ずそこにあるはずだ。──


記憶の欠片を追い続けていた。暗闇に浮かぶ光の粒子には、かつての世界の情景が紙芝居のように映し出されている。崩壊したデルカダールで復興作業に勤しむ姫さまとグレイグさま、過去へ行くことを真っ先に反対したカミュ、天空魔城で私を甚振るホメロスさま、イレブンたちと訪れた始祖の森、早朝の静寂に包まれたデルカダール城──記憶はそこで途切れた。
ゆっくりと目を開ければ、そこは私室のベッドの上だった。風邪のせいでやけに熱く怠い身体と、ちょうど銀のトレイを持って部屋に入ってきたグレイグさまを見て、やはりこのタイミングに戻されたのだと察する。

「ゆっくり眠れたか」
「はい、おかげさまで」

上体を起こしヘッドボードに凭れ掛かるように座れば、木の器に入ったラグーが手渡される。じんわりと温かいその熱を感じて地に足がつかないような感覚もようやく薄れ、私はこの世界で生きているのだと実感できた。
トマトベースに煮込まれたそれをゆっくりと口に運ぶ。時折焼き立てのパンを一口大にちぎって口に運びながら、少々無理をして食べ終えた。その間、グレイグさまは何も言わずに心配そうな顔でこちらを見つめていた。この顔を見るのももう三度目かと思えばあまり笑えないのだが、相変わらずの彼がそこに居るということに安堵して思わず微笑んでしまった。皺の寄っている眉間に悪戯に指を滑らせれば、今度は困惑したような表情に変わる。

「眉間に皺が寄っていましたよ。どうせ責任感じているんでしょうけど、言っておきますがこれは私が体調管理を怠った結果ですからね」

だからそう自分を責めないでほしいと言いたかったのだが、それに対してグレイグさまはホッとするどころかますます眉間にしわを寄せた。そうして、まじまじと顔を覗き込まれる。

「……どうされました?」
「何だか妙にしおらしいと思ってな。昨日は馬に乗せれば暴れていたというのに」
「あ、暴れたは言い過ぎです!それに今は体調が悪いのであまりうるさくできませんし……」

身体はまだ二十歳だが、精神的には普通の人と同じように時を重ねている。若い頃の自分は、今よりも落ち着きが無かったのだなと少し恥ずかしく思うが、この世界に来たのならばこの世界で育ってきた私になりきらねば。少し大げさに、声をあげて表情を出すようにすれば、ようやくグレイグさまの目からは不信感が消えて安心する。会話のネタも途切れ、お互いぽつぽつと二、三言言葉のキャッチボールをしてはしばしの静寂が訪れるようになってきた頃。グレイグさまはふと何かを思い出したように顔を洗ってた。

「そういえば、ホメロスが大事な用があるとかで呼んでいた。風邪をひいて動けないことは伝えておいたが……どうする、部屋に来いと言っておくか?」
「ほ、ホメロスさま?」

その名前を聞いた瞬間、動揺してしまい不自然に言葉を詰まらせた。慌てて何もないような様子を装うが、私の意に反して心臓は大きく音を立てる。早くホメロスさまに会いたいのは山々だが、あいにく今の体調ではベッドを出ることも厳しい。ただ彼は間違いなくこの世界に存在している。その事実が胸をきゅっと締め付けた。

「もう少し休んでから伺うと、そう伝えてください」
「判った、くれぐれも無理はするな」

グレイグさまはそう言い残すと、食器をトレイにのせて部屋を出ていった。パタン、と閉まったドアの音と同時に、身体からは深い溜息が吐き出された。落ち着きを取り戻そうと胸を押さえ、何枚も重ねられたブランケットの中に潜り込む。焦って無理やりにでも会いに行き、衝動に任せてボロを出せばこの世界に来た意味が無くなってしまう。溢れ出る気持ちを抑え込むように膝を抱え込んで、ゆっくりと目を瞑った。部屋の中には、荒い呼吸と絡繰り時計の音だけが微かに響いている。

**

部屋の外からは、兵士の話し声がぽつぽつと聞こえる程度。既に夜は更けて王はお休みになられれいるこの時間。……ホメロスさまは以前と同様にきっとまだ起きておられるはずだ。少しばかり軽くになった身体を起こし、汗ばんだ身体をかたく絞った布でふき取る。それからもう一度寝間着を着な直して、早足でホメロスさまの私室へと向かった。
何回か扉をノックすれば、暫く間を空けたあと静かに開いた。さらりと揺れる長い金髪に、懐かしさがこみ上げるのを抑えるように下を向いていれば、部屋に入れと促される。

「具合はどうだ」

猛火のように煽り立つ激情に揺さぶられ、身体が燃え上がるように熱くなる。いつのまにか手のひらに滲んでいた汗に気づき、服の裾をぎゅっと握りしめていれば、細く筋肉質な手が私の両肩を掴んだ。ハッとして顔をあげれば、端正な顔が不審そうにこちらを見つめていた。

「あ……」
「名前、具合はどうだと聞いている」
「あ、えっと、……大丈夫です」

しどろもどろになりながらも小さな声でそう答えれば、骨張った指に前髪を掻き分けられて、額にそっと手をあてられる。

「……っ」
「まだ少し熱があるな」
「そうですね」

懐かしく冷たい温度が皮膚に融けた。肌を直接触れられたのはいつぶりだろうか。彼にとっては造作の無いことであろうが、私はずっとこの瞬間を待ちわびていたのだ。普段よりも高めな体温を存分に吸い取った手のひらはゆっくりと離された。まだ額に残る感覚に名残惜しさを覚えながらも、そうしている間にようやく浮き足立った気持ちが落ち着きを取り戻す。この部屋に赴いた理由は何も触れて欲しかったからでは無い。

「お話があると聞いていたのですが」
「……暫し待て、何ならそこのベッドを使っても構わん」

夜の城内からは兵や使用人の声がまだ聞こえている。誰にも聞かれてはならぬ話故、静まるまで此処に居ろということだろう。

「あの、もし宜しければバルコニーに行きませんか?身体が熱くて風にあたりたい気分なんです」

だが私はここで話などしたくなかった。あの決別の時をもう一度やり直したい。幾度となく恋い焦がれた満天の星空を、ホメロスさまの隣で二人で見ることができたなら……私は今度こそ、伝えようと決めていたことがある。

手渡された上着を羽織れば、部屋を出るホメロスさまの後を追った。見張りの兵に物珍しそうな目で見られながら、バルコニーのある三階へと向かう。
そうして重たいバルコニーのドアを開ければ、真っ黒なキャンバスの上に光り輝く星々たちが点在していた。虚空を掻くように伸びる彗星の尾も、その中でも一段と鈍く光り輝く勇者の星も、──そしてゆっくりと絡め取られた指先も、全てが全てあの時のままだ。

「ホメロスさま、こうして手を取ったとて、私の情はそう簡単には揺れませんよ」

だが私は過去の私ではない。二度も彼を拒絶し、そして失った。この時手を取った理由も重々承知している。甘い雰囲気の二人の間には似合わないその言葉に、ホメロスさまは驚いたような表情をし、それから深い溜息を吐いた。

「お前は扱い難い女だとつくづく思う」
「痛み入ります」
「だが嫌ならば解けば良いものを、何故そうしない」

絡め取られた指先は、相変わらず二人を繋いだままだ。彼にはそれが不思議で仕方ないらしい。何故思惑を知っておきながら拒絶しないのか、何かを企んでいるのだろうか、粗方私のことを疑っているに違いない。だが私はホメロスさまが思うような策など何も謀ってはいない。彼の意図を知ってもなお、この手を離したくないのは、

「ホメロスさま、私はこれから先もあなたのお傍に居たい」

この言葉を伝えるのに、果たして私はどれだけの年月を犠牲にしてしまったのだろう。だが、今はそれも良いと思えるほど心の底から満たされていた。

「熱に浮かされて気がおかしくなったのか」
「あなたが望むのならばいつでも何度でも口にします。それとも、私から慕情を告げられては迷惑でしょうか。……たっぷりと利用して、あとはしたいようにすれば良い、こんな絶好の機会を逃すのは勿体ないと思いませんか?」

ホメロスさまは、ようやく私が本気で言っているのだと理解したのか、それ以上は何も言わなかった。繋がれた手を時折小さく動かしながら、二人揃って同じ夜空を眺める。言葉は返ってこないが、私はそれで良かった。寧ろここで恋慕を伝えたとして馬鹿にされるか拒否されるかの二択だと思っていたのだ。それらに比べれば彼が真面目に聞いてくれただけでも御の字である。

「返事は、いつまでも待ちます。偽りの愛情表現は必要ありません。幾らあなたが私を嫌おうとも私はあなたのことを慕い続けます」

そう告げて部屋に戻ろうとしたが、ホメロスさまに手を引かれて踵を返すのを躊躇う。

「しかと受取った」

たった一言、月光に反射した金色の瞳がそう答えた。彼がどんな意図を持ってそう口にしたのか深い理由は判らないが、ただ私が道具であれ仲間であれ、傍にいることを認めてくださったのは確かだ。そうと認識した途端、緊張の糸が切れ、ふらりと前のめりに倒れこんだ。咄嗟にホメロスさまの腕に抱え込まれて、なんとか一人で立てるように体勢を立て直す。「迷惑だ」と嫌味を漏らしながらも、部屋に戻るまで身体を支えてくれたホメロスさまに、暫しの蕩けるような思いを噛みしめていた。