片道切符の希望船
目を覚ませば、テントの外からは既に兵士たちの声が聞こえていた。太陽の眩しさに目を細めながら外へ出れば、井戸へ赴く途中でグレイグさまとすれ違い、挨拶を交わした。

「気持ちの良い朝ですね。前の世界を旅立つ時も、こんな朝でしたから、どうも懐かしく感じてしまいます」

これから赴く過去への不安も一瞬で溶かしてしまいそうなほど美しい朝。辺りに香る清々しい空気を肺いっぱいに吸い込めば、身体の底から元気が湧いてくるような気がした。

「水を浴びて、侍女に髪を結って貰いに行こうと思います。終わりましたら、ここでお待ちしておりますね」
「判った、ゆっくりで良い。特に侍女へはきちんと挨拶を済ませておくことだ」
「ええ、もちろん」

グレイグさまを待たせてはいけないと、井戸で水を汲み早々にテントへ帰って身体を清める。既に着慣れた戦闘服に袖を通せば、テントの入り口に人影が見えた。

「名前さま、おはようございます」

侍女である彼女がタイミング良くやってくるのは最早偶然などではない。幼少の頃から私の身の回りの世話を任されていた経験から生み出された技と言っても過言ではないだろう……本人は自覚していないが。

「おはよう、カノ。髪を結ってもらいたいの。できれば、うしろでひとつに纏めてくれると嬉しい」
「今日は編まずにそのままで宜しいのですか?」
「うん」

背凭れの無い椅子に腰掛ければ、頭部を襲う心地よく引っ張られる感覚。髪を梳く小さな音と共に侍女のゆったりとした話し声が耳に届く。

「こうして髪を結って差し上げるのは何年ぶりでしょうか。名前さまが失踪なさって、世界を救って戻って来られて、デルカダールの復興作業にご尽力されている間、随分と髪も伸ばされましたね」

かつての世界で別れを告げたとき、涙を流しながら悲痛な声をあげた彼女とはあまりにも大違いな、普段と変わらず髪を梳かすその姿に、グレイグさまは果たして彼女にどう事実を伝えたのか気になってしまい、躊躇いながらもおずおずと口を開く。

「ええと、グレイグさまからは聞いた?」
「勿論でございます。遠く離れたホメロス将軍のもとへ赴くと……暫しの別れは寂しいですが、名前さまが幸せなのであれば、私はそれで良いですから」
「あの……カノ、私ね」

過去へ戻ると言いかけて、言葉を飲み込んだ。グレイグさまは間違ったことは言っていない。私が正直に過去に戻ると言ったところで、きっと彼女は余計に嘆き悲しんでしまう。喉元に痞えた言葉は静かな空気に溶けるように無くなった。きっと彼女に伝える情報はこのくらいで良いのだとグレイグさまも考え抜いて伝えてくださったのだろう。

「ううん……そうなの、やっとホメロスさまのもとへ行く許可を頂いたのよ。伝えるのが遅くなってごめんなさい」

そう言えば、彼女は少しだけ悲しそうな顔をした。いつものように髪を編みこまないせいか、身支度はすぐに終わった。髪紐をきゅっと結ばれれば、自分の髪は重力に従って垂れ下がる。

「うん、ポニーテールの名前さまもとびきり可愛らしいです」
「ホメロスさまの隣に立っても恥ずかしくないと良いのだけど」
「もちろんでございます」

いつもとは異なる己の雰囲気に顔がほころんだ。感謝の意を込めて侍女の身体を優しく抱きしめると、イレブンから渡された勇者の剣を背負い、荷物を持ってテントから出た。

「名前さま!どうかお気をつけていってらっしゃいませ」
「うん」

深々と頭を下げる侍女の姿を目に焼き付け、そのまま真っ直ぐに待ち合わせの場所へと向かった。近くにあった切り株に座りグレイグさまを待っていれば、遠くから漆黒の鎧が近づいてくるのが見えた。

「待たせたか」
「いいえ、私もいま来たばかりです」

立ち上がり、その隣にぴたりとついた。作業がしづらいからと暫く見ていなかった鎧姿に感激して見つめていれば、グレイグさまもじっとこちらを見やる。

「その髪、良く似合っている」
「あはは、……おまじないです。私が少しでもホメロスさまに近づけますようにと、侍女に頼んで結ってもらいました」

紐がきつく結んであるその一点は、垂れ下がった髪の重力がかかり、少しばかり重かった。ただ今はその小さな痛みさえも愛しく感じてしまう。

「参りましょう。では聖地ラムダへ……」

右手を振り上げ、移動呪文を唱えれば、私とグレイグさまを青い光が包み込んだ。
聖地ラムダに到着し、グレイグさまと二人きりで里の外に向かって歩いていると、ふと背後にこちらをつけるような人の気配を感じた。様子を伺うようにそっと振り向けば、そこにはよく見た紫色の姿が。

「おはよう、名前」
「へ、イレブン?何でここに……?」

そこに居たのは紛れもなく、昨日別れを告げたばかりのこの世界の勇者。何故ここに居るのかと問おうとしたのも束の間、イレブンは私の手首を持つと向かう方向とは逆にそれを引いた。

「勇者の峰に行こう、皆が待ってる」
「み、皆って……」
「僕が呼んだ」

こんがらがった頭の中を整理しつつ状況を整理する。何故イレブンはここに居たのだろう、そう考えたところで、彼に「明日旅立つの?」と問われ頷いたことを思い出した。さしづめ、彼が仲間のもとへ赴いて皆を呼んだのだろう。
大聖堂を抜けた先にあるゼーランダ山の頂に着けば、そこには昨日会ったばかりの仲間が勢揃いしていた。別れの挨拶を済ませた人とまた会うとは、嬉しさはもちろんのこと気恥ずかしさも感じてしまう。

「名前ちゃ〜〜ん!アナタのこと、最後まで見届けに来たわよん!」
「し、シルビア!」
「おいゴリアテ、名前に引っ付くな」

もう二度と味わうことはないと思っていた「旅の記憶」と似たような雰囲気に、懐かしさが込み上げる。

「みんな、来てくれたの」
「大切な仲間が旅立つのだから当たり前でしょう?もちろんイレブンが来ていなくても、アタシとセーニャで迎えに行こうと思ってたわ!」
「前はひとりで行ったんだろ、二回目は俺らと行くのも悪くないんじゃねえの?」
「はあ……ほんと、皆揃って人が良すぎるよ」

感極まって涙を零しながらも、笑顔を見せれば、「当たり前でしょ」とベロニカに長杖でつつかれる。総勢九人の勇者一行、神の乗り物ケトスの背に乗り、向かうは大樹の北にある忘却の塔。まるで何かの書物の一頁にありそうなこの光景は、きっといつまでも忘れられない。