×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

止まぬ雨に終止符を
せめて世話になった旅の仲間には、過去へ行くことを告げなければならない。ホメロスさまに対する恋慕の情を心に閉じ込めておくのも辛かったが、大っぴらにすることも気恥ずかしさがあった。胸に下げた誓いのペンダントをぎゅっと握り締めながら、目の前に聳え立つ堅牢な城壁を見やる。初手で遠いこの地に居る彼に会いにやってきたのは、億劫になる自分が怖かったから。

「……お、名前か!いきなりどうしたんだ?ここに来るなんて珍しいこともあるもんだ」
「話しておきたいことがあってね、おじゃまします」

クレイモラン王国の外れにある小さな借家を尋ねれば、久しぶりに見る顔に頬が緩む。あれからカミュは何度かイシの村を訪れていたらしいのだが、すれ違いになってしまい、こうして顔を合わせて二人で話すのは久々だった。

「マヤちゃんは?」
「マヤのこと、知ってるのか。……ああ、そういや前の世界では顔を合わせてたんだもんな。あいつは相変わらず元気だよ、今日も朝っぱらから出かけていった」

どこか古く懐かしいような香りのするソファに腰掛け、蒸気で曇る窓の中から銀一色の町並みを見やる。かつての思い出を振り返りながら、温められたミルクを口に運べば、白い吐息が舞い上がった。
なめらかで優しい口どけは、私が伝えるべき言葉を飲み込ませるのには充分だった。もしかしたら目の前に居る彼が、いの一番に過去へ行くことを反対した記憶が、そうさせているのかもしれない。久しぶりに会えたというのに、こうも会話が続かない不自然さを感じ取って、私に過去へ行くつもりなのかと聞いてくれればいいのに。そう思いながら静かに目で訴えていれば、カミュは困ったように笑った。

「……んで、話ってのは何だよ」
「想像ついてる?」
「だいたいはな」

大事なことなら尚更お前の口から言えよと言われているようで。すっかりマグカップの底から離れなくなった白い液体を見て、漸く隣に座るカミュのほうを見た。だが、いざ過去に行くことを真っ直ぐに伝えようと思えば、上手に言葉が出ない。最後まで否定されて別れるなど後味が悪いことはしたくない。一番反対しそうな彼だからこそ、そんな懸念が湧いてくる。

「私ね、今でもホメロスさまのことが好きだよ」
「ああ」
「はやくこの気持ちを伝えたい」
「逢いに行くのか」
「……うん」

室内には二度目の沈黙が訪れた。腕を組んで顔を伏せたカミュのことを、ただ見つめることしかできない。果たして彼はどう思っているのだろうと考えれば、不安で胸が重くなり、返事を急かすこともできずにただ時間だけが過ぎていく。もしかしたらあまりにも単純でお花畑な思考回路の私に呆れているのかもしれないと慙愧して顔を顰めていれば、落ち込んだ肩をグイッと抱かれた。

「わわっ!」

驚いて顔をあげればにんまりと笑ったカミュと目が合って、粗雑に髪を撫でられる。撫でると言う表現ももはや似合わないほどグリグリと、まるで仲が良い友達と戯れるようなその仕草は、他でもない彼が私の願いを聞き入れてくれたということを体現していた。

「なんでそんな苦しそうな顔してんだよ、俺がまた反対するかと思ったのか」
「正直に言うと思ってた。だってあの時一番最初に反対したのがカミュだったから」
「いつか行くんじゃねーかってのは解ってたよ。あんなにハッキリと愛してるなんぞ言われちゃ、もう俺たちに止める理由は無いからな。だがあの時はお前を失いたくないと必死だったんだ、ゴメンな」

先程とは打って変わって弱々しくなったその口調に、滲みかけた視界を袖で拭った。ホメロスへの恨みは消えないが、大切な仲間の愛する男を貶したことは後悔していると。そんな心内を明かされて、私はもう言葉を発することすらできなくなっていた。耐え切れずに嗚咽を漏らす私の肩に、細く骨張った手が軽く乗せられて。それから暫く彼の懺悔の言葉を噛みしめていた。謝らなければならないのはこちらのほうなのに。

「過去の俺たちに宜しくな。最初は、看守のねーちゃんとしか思ってなかったけどよ、再会してからなんだかんだ頼りにしてたんだ。名前が困ってると言えば必ず助けになるぜ」
「うん、ありがとうカミュ」
「もう皆に挨拶は済ませたのか?」
「ううん、まだ済ませてない……」
「だったら早く行ってこい、挨拶が終わったらまっすぐ旅立つつもりだろ」

半ば無理やり立たされ、二人して玄関へと向かった。延々と別れを惜しむことを好まないような彼らしく、また遊びに来いよとでも言いそうな空気で手を振られ、私も晴れやかな気持ちで、それに対して手を振りかえすことができた。

「カミュ、次の世界でもきっと一緒に冒険できるよね」
「ああ。だからまた俺たちに会いに来てくれ」

青々と茂る命の大樹を思い浮かべて移動呪文を唱えれば、古びた一軒家はあっという間に米粒のような大きさになり、やがて白銀の世界に紛れて視界の彼方へと消えていった。久しぶりに雪国に降り立った時に感じた一抹の不安と沁みるような寂寞は、今はもう存在しない。

**

大樹の真下にあった聖地ラムダは世界崩壊の際に甚大な被害を受け、あれから時が経った今でも復興は進んでいない。世界が平和になった後、ベロニカとセーニャは世界中を旅した経験を生かし、各地で復興を支援してくれる人々を探して回っていた。もしかしたら留守の可能性もあるのではないかと心配したが、家を尋ねてみれば二人の姿があって安堵する。

「名前!連絡も無しに来るなんてビックリするじゃない!さあ、あがってちょーだい」
「まあ!名前さま、お久しゅうございますわ」

彼女らの義両親に挨拶をし、案内されるまま奥の部屋へと進む。テーブル越しに二人と向き合うように座れば、向こうが言葉を発する前にこちらが口を開いた。

「過去へ行くことを決めたの。だから旅立つ前に、皆に挨拶をしようと思って」

まっすぐ告げられたのは、きっとカミュが快く送り出してくれたから。二人は目を丸くしていたが、やがてベロニカがセーニャに向き合って微笑めば、セーニャもそれにつられるように微笑み返した。

「やっと決めたのね!」
「やっと、って」

ベロニカが立ち上がってこちらに手を伸ばしてきたので、私も立ち上がってその手を取れば嬉しそうにぶんぶんと振り回された。セーニャもゆっくりと腰を上げ、目を閉じながら静かに手を合わせている。

「あれからお姉さまとずっと考えていたのです。私たちが名前さまのことを止めたとて、あなたさまが幸せになれるわけないと」
「あたし、名前のおかげで今もこうして生きているでしょ?どうにか恩返しができないかと考えていたのだけど、あたしにできることといえば、あなたの夢を応援することぐらいよね」
「あのあと、気がつけば名前さま話題を皆避けていました。名前さまもその思いを閉じ込めようとしておられて…。結局こちらから触れることもできず、名前さまの口から再びその言葉が聞けることを待っていたのですよ」

待っていた、という割には哀しそうな顔をするセーニャに、こちらの顔も思わず歪んでしまいそうだった。二人のもとに歩み寄り、額をくっ付けるようにして寄り添えば、女性らしい上品で甘い香りが鼻を擽る。

「セーニャ、本当にお世話になったわ。ひとりでも勇敢に使命を果たしイレブンを導いたあなたの強さはずっと忘れない。ベロニカ、あなたも元を辿れば私の命を救ってくれた恩人なの。前の世界ではお礼のひとつも言えなかったから、こうしてまた出逢えて良かった。私のことを救ってくれてありがとう、二人とも」
「名前さまと共に旅をした、その思い出はずっと忘れません。どうか、過去に戻っても私たち姉妹と仲良くしてください」
「名前も、あたしたちのこと忘れちゃダメよ?」
「忘れるはずがないでしょう、過去に戻っても必ず逢いに行くから」

お互いの存在を確かめるように、三人でに強く抱きしめ合うと、出された紅茶を飲み干して部屋を出た。

「おじゃましました」
「またね、名前」

玄関先まで見送りに来た二人と固く握手を交わせば、次に思い浮かんだのは命の大樹から少し離れた、色取り取りの海浜植物が咲き乱れる丘の先。白亜の豪邸とターコイズブルーの雄大なコントラストが美しいソルティコの町。双賢の姉妹が並ぶその姿に遠い過去の儚い思い出を重ね合わせながら、ゆっくりと目を閉じて移動呪文を唱えた。

**

リゾート地であるソルティコは海岸線に沿って貴族の別荘が豪華絢爛に立ち並ぶ。それらの中でも群を抜いて大きな屋敷が、このソルティコの地を治める領主ジエーゴのもの。いやはや、この世界でここに来るのは何年振りだろう。イレブンたちを探しにバンデルフォン、ユグノア地方までやってきた時に立ち寄った以来と見た。
屋敷に近づけば、その裏からは若者の元気な声と共に嗄れた怒号が飛ぶ。聞き覚えのあるその声を追って、裏手に回り門下生たちの奥で仁王立ちをしている人影を見つければ、小さく手を振る。

「ご無沙汰しております、ジエーゴさま」
「ん?……おめえは名前!無事だったか!」
「ええ、ジエーゴさまも無事で何よりで……わわ」

豆だらけの厳つい手でぐりぐりと頭を撫でられる。こんなに心配してくださっていたのならば、せめて世界が平和になったあとソルティコに遊びにくれば良かった。

「どうだ、久しぶりのソルティコは」
「相変わらずステキなところです。シルビ……いえ、ゴリアテ殿にお世話になったあの頃が懐かしい」

いつだかジエーゴさまが城にいらっしゃった時に、先代の背後に隠れてばかりの幼い私を見てソルティコに遊びに来ないかと誘ってくださったことがあった。それから度々、先代がソルティコに用があった時はジエーゴさまの屋敷に面倒を見て貰った。シルビアと出逢ったのもそれがキッカケであったこと思い出す。

「ゴリアテなら屋敷の中にいる。顔を見せてやってくれ」
「はい」

ようやくその手から解放されれば、ジエーゴさまに一礼して屋敷へと向かった。使用人に「ゴリアテ殿にお会いしたい」と伝えれば、すぐに中へと案内される。

「シルビア、久しぶり」
「あら?名前ちゃんじゃない!」

ロビー出で迎えてくれた彼に話があると言い、二人で応接間へと向かう。煌びやかな刺繍があしらわれた椅子に腰を下ろせば、執事であるセザールさんがコーヒーと菓子を置いてドアを閉めた。

「どうしてここに?と聞くのは野暮よね」

シルビアがいつもの調子でそう言って笑ってみせるものだから、頑張って伝えようと意気込んでいた頭は一瞬で真っ白になった。

「気づいてたの?」
「あったりまえでしょ、アタシを誰だと思ってるの。そんな「今から大事なこと言います!」って顔されてちゃ、嫌でも気づくわよ」

普段と変わらないシルビアに、緊張の糸が解けて脱力するように椅子に凭れかかった。お菓子を口に運びながら、きちんと自分の言葉で過去に戻ることを告げれば、シルビアは難しい顔ひとつせず、ただ頷く。しんみりとした空気になるはずだったのに、結局こうしていつもどおりの二人に戻ってしまうのは旅芸人である彼が成せる技なのだろう。

「フラれたらきっと過去のアタシが慰めてくれるわ。胸を張って、当たって砕けろの覚悟で全てをぶつけなさい」
「縁起でもないこと言わないでよ!」
「あら、根拠の無い自信よりも、アタシがいることのほうが心強いでしょう?」
「どうかしら」

とは言いつつも、ホメロスさまへの想いが成就する自信など殆ど無いに等しかった。グレイグさまは、彼を救えるのは私だと言い切っていたものの、よくよく考えれば彼が私のような小娘に心を許すことなどあるのだろうか。

「名前ちゃん、勇気を出して。貴方は今とってもステキな顔をしてるわ」

よほど落ち込んでいるように見えたのか、シルビアはステップを踏んでこちらへやってくると、私の両頬を摘み口角を上げるようにむにっと持ち上げた。

「ふへひははほ?」
「ええ、ステキな顔。ひとりの人間を心から愛している、とてもステキな顔よ。だから安心しなさい」

その言葉にじんわりと涙が浮かびそうになったのも束の間、シルビアはパッと手を放すとそのままゆっくりと立ち上がってドアを開けた。

「アタシ、パパのところに行かなきゃ。そろそろお別れよ」
「そう……」
「しんみりしていたら、余計に悲しくなっちゃうでしょう」

そう言うシルビアの目が悲しく笑っているように見えて、彼の意を汲んで立ち上がるとエントランスへと向かった。軽く握手を交わし、使用人たちに見送られて外へと出る。

「サマディーで私を見つけてくれてありがとう。グレイグさまだけじゃない、シルビアが居たから私はイレブンたちの仲間になることができたの。過去の世界でも頼りにしてるから、フラれたら慰めてね」
「ええ、モチロンよ!アタシにどんと任せなさい!」
「うん」

また遊びに来るからとでも言うかのように、小さく手を振って空に浮かんだ。
シルビアは太陽のような人だ。道に迷った私を幾度となく導いてくれる。例え過去に戻り絶望に苛まれることがあっても、それでも構わないと思えるのはきっと彼に頼ることができるからだ。

**

太陽が西の空に傾けば、そろそろ姫さまのご公務も終わる頃。デルカダール城下町に広がるテントの群れに降り立てば、一際目立つ艶やかな黒髪を探した。

「姫さま、お時間はございますか」
「あら名前じゃない。ちょうど良かった、私もあなたに話があったのよ」

姫さまの後をついて彼女のテントへと向かう。国章が刺繍された赤い布を捲れば、綿が詰められた柔らかい椅子へと案内された。

「お話とは……」
「きっと、あなたが伝えたいことと同じこと」

卓上に飾られた一輪挿しに揺れる赤い花を眺めながら、姫さまは目を合わせずにそう仰った。

「グレイグから聞いたわ。過去に行く決心をしたのね」
「……姫さまはその件についてどうお考えですか?」
「とても残念だわ」

きっぱりと放たれた一言で、私の心は一瞬で凍りついた。カミュ、ベロニカ、セーニャ、シルビアと皆過去へ行くことを認めてくれていたのだから、てっきり姫さまに打ち明けても背中を押してくれるだろうと思っていたのだ。だが私が過去へ行くということは、この国を離れること。仕事も何もかもを放り出して去るということが、未だ復興作業が続くデルカダールではどれほど重大なことなのか……判っていたはずだ。

「身勝手な申し出をしてしまい申し訳ありません」
「ええ」
「デルカダールの一兵卒として忠誠を誓った国家への孝行を怠ったことをどうか」
「ふっ……ふふっ……」

ならば姫さまの許しを得るまでデルカダールで身を粉にして働き続けてみせようと思ったのだが。私の言葉を難しい顔で聞いていたと思っていた姫さまは、いつの間にか笑いを堪えるように口元に手をあてていた。状況が飲み込めずにポカンとしていれば、軽く肩を叩かれる。

「あ、あのー……姫さま?」
「揶揄ってごめんなさいね、名前。反対したらどんな反応をするのか試したのよ。あなたが我を忘れて、たとえ私に反対されようとも過去へ戻ると言い返したら、もう少し頭を冷やさせたわ」
「冗談だったのですか……はあ」

あまり感情表現が豊かなほうではない姫さまだが、たまに冗談を仰ることをすっかり忘れていた。暫く過去へ行くことはできないと絶望したが、姫さまも私のことを考えてわざとおちゃらけたことを仰ったのだ。とはいえ、やはり一国の姫君の言葉であると心臓に悪い。

「たしかに残念だわ、遠い世界行ってしまうんですもの」
「……申し訳ございません」
「でもね、祝福したい気持ちでいっぱいなの。自分の感情を押し殺すように復興作業に徹していた名前の目が、こんなにも希望で満ち溢れている。魔王の恐怖に脅かされている世界に行くっていうのに、キラキラと澄んだ目をしているのよ。それも全部、ホメロスを愛しているからでしょう」

ホメロス。姫さまの前でその名前が出て、どんな表情をして良いのか判らずに黙り込んでしまう。私が再び会いたいと望む相手は、闇に手を染め邦家を裏切った大罪人。本来であれば喜ばれるどころかその話題に触れることさえも躊躇われる者なのだ。

「愛してはいけない人を、愛してしまったと。そう思っています」
「相手が誰であれ、人を愛することができるなんて素敵なことじゃない。私は応援するわ、あなただけは絶対幸せになりなさい……これは命令よ」

お父さまには時が来たら私とグレイグから伝えておくと、そう言われた瞬間に乾いた机に水滴がポタリと垂れた。それが自分の目から零れているものだと気づくと同時に、また一滴、一滴と机の上に丸い沁みが作られる。姫さまに過去へ戻ることを認められて、ようやく全てが許されたような気がしたのだ。主君の目の前で無様な姿を見せてはならないと涕泣を堪えようとするものの、堰を切ったように流れ出した涙は意思ひとつで留まるものではなく。姫さまに包まれるように抱かれたまま、暫く謝罪の言葉も感謝の言葉も口にすることができないでいた。

**

「思いっきり泣いたんだね」
「ええ、泣かないと決めていたのに」

赤々と晴れた目は冷水に晒してもそう簡単に引くものではなかった。とはいえ残る二人にも挨拶をしなければならず、泣き腫らした目のままイシの村の高台にある一軒家を尋ねれば、状況を察したイレブンにすぐさまつっこまれてしまった。気恥ずかしく思いながらも、イレブンとロウさまを外に呼び人気のないところで腰を下ろすと、他の仲間に伝えたことと同じように過去へ戻ると宣言した。

「ロウさまの目には、私はどう映っておられますか。愚かであると、若気の至りだと、なんでも仰っていただいて構いません」
「そうじゃな……昔のことを思い出した。はるか昔、のちにエレノアの母──イレブンの祖母となった女性と出会った時のことじゃ」

ロウさまは何かを懐かしむように空を見上げた。イレブンの祖母、先代のデルカダール王妃に関しては存じ上げていないが、きっとイレブンと同じような澄んだ瞳を持ったきれいな女性であったことだろう。イレブンも祖父の話に聞き入るように、口を小さく開いたまま隣を見やった。

「愛はどんなに時が経っても消えることはない。わしは今でも妻を、娘を、愛しておる。その気持ちは若い頃から変わっておらん。愛する者を失くしたおぬしの気持ちが痛いほど身に染みると同時に、どうかわしのように愛する者が存在するという幸せを感じて欲しいと……そう願った」
「しかし私は、この世界から憎まれるべき存在を愛してしまいました。祝福されぬ愛情が、果たして幸せと言えるでしょうか」
「それを変えるのがおぬしの役目じゃろうて。命を救ったとて奴は生き返らん。命と同時に、おぬしと奴が生きる未来を救う……そうするために過去へと戻るのじゃろう」
「私とホメロスさまが生きる未来……」

恥ずかしながら、ホメロスさまと共に生きる未来だなんて考えていたこともなかった。ただホメロスさまに会って想いを伝えたい一心で彼のことを追いかけていたのだ。
命を救ったとてホメロスさまは生き返らない。きっとそれは、闇に身を落としたホメロスさまはホメロスさまではないと、ロウさまはそう仰っているのであろう。共に身を落とすことになったとて構わないと思っていたが、その先の未来に希望は無い。グレイグさまも望んだように、私にホメロスさまを救うことができる可能性があるのなら最後まで彼に潜む闇に抗い続けなければならない。

「ありがとうございます、ロウさま。ようやく自分が進むべき道が見えた気がします」
「ほっほっほ、この老い耄れの言葉が役に立ったようで何よりじゃ」

夜も更けたこともあり、何度も感謝を述べながらロウさまをテントに送り届ければ、残されたのは私とイレブンのふたりきり。あちこちのテントから聞こえる賑やかな声を聞きながら、松明を手に取り村を歩き回る。

「名前のおかげで、村の復興も終わりそうだよ。世界各地から此処に流れ着いてきた人も、住み心地が良いからって移り住むくらい美しい村になった」
「私が復興作業を行うのは当然のこと。むしろ多大なるご迷惑をお掛けしたことを詫びなければならない立場なのよ」
「でも、名前が村を焼き払ったわけでは無いでしょ」
「ホメロスさまの責任は国の責任、それは私の責任でもあるのよ」
「ウルノーガの責任はきみの責任?」
「うーん……それは」

とてもそうだとは言い切れずに言葉を詰まらせれば、イレブンはくすっと笑った。
村全体を見渡すことのできる丘の上から、二人で夜空に煌めく命の大樹を眺めていた。大樹の魂は闇に飲まれることもなく遠く離れたこの地をも生命の光を照らす。思わずそれに見とれていれば、視界の端に細い閃光が走った。

「流れ星……」
「うん、流れ星だ」

ひとつ、またふたつと生まれては消えていく流れ星を見て、幼い頃のお伽話を思い出した。灯火を持ち出した天使に願うように「明日もホメロスさまの隣で星が降る夜空を見たい」と小さく呟けば、イレブンがこちらを振り向く。

「明日、旅立つの?」
「うん。今日は城のテントで一泊して、明日行こうと思ってる。……前の世界では誰にも告げずに行ったけど、この世界ではこうして素敵な最後の夜を過ごすことができたよ。ありがとう」

魔物の目を失った私では、闇夜に隠れたイレブンの表情も見えやしない。もともと口数が少ない彼に言葉を催促するのも躊躇われて、しばらく二人で並んだままぽつりぽつりと星が降る光景をひたすらに眺めていた。

**

「ただいま戻りました」
「挨拶は済ませたか」
「はい……あとは、」

あとは長年世話になった侍女にも言わねばならないと思い、きっとまた泣いてしまうであろう彼女にどう柔らかく伝えるべきかを逡巡する。すると、言葉の後を察したグレイグさまに「王とお前の侍女には伝えてある」と言われてしまい間抜けな声がでた。そういえば姫さまにも話を通していたことを思い出し、つくづくこの人は優しいなと感じてしまう。

「前はイレブン以外の皆には会わずに旅立ったのです。旅の記憶から私という忌わしい存在を消して欲しいと、そう思っていました」

あの世界の仲間は、もう真実を知っているだろうか。イレブンに口止めはしたものの、勘の良い彼らのことだから気づいているかもしれない。以前ならばそれで良いと思っていたが、今は彼らに別れの挨拶をしなかったことを後悔している。

「今日だって、皆の顔を見に行くのが怖かった。けれども、誰一人として私に反対する人も辛辣な言葉を投げかける人もいませんでした。皆揃って、私の背中を押してくれました。過去の自分たちを頼ってほしいと。……仲間とは、こんなにも温かいものなのですね」

真実を打ち明けたからこそ得られた仲間の言葉にどれだけ救われたことか。思いを告げる勇気を、背中を押してくれる仲間の存在を、絶望の中にある希望を、裏切りへの許しを、思い描いた未来を、得ることができた。そしてもう一度、愛する人の隣で星が降る夜を越したいと思ったのだ。ゆっくりと、皆の言葉を思い返すようにそう告げれば、グレイグさまは満足そうに頷いた。