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虚無と告白A
──イレブンたちと初めて旅をした時は、何もかもが新鮮で。……楽しかった、あの頃は本当に楽しかったんです。もちろん、恐怖もありました。けれどそれ以上に、広い世界に飛び出した私の好奇心が心を奮わせた

魔王ウルノーガを倒し、世界に平和を取り戻すという使命はあったものの、旅は私にしがらみから解き放たれた開放感を与えた。それは、きっと彼らという仲間が居たから。旅をしながら感じていたものは、それらの記憶を留めるには充分すぎるほどの幸福。

「辛い日々の中にあった何気ない思い出が、私の心の中でキラキラと光っているんです。旅に出てすぐ、グレイグさまとシルビアと三人で川の字になって眠ったこと、姫さまと相部屋で夜な夜な語らったりしたこと……怪我をしているのに無茶をしては叱られて、申し訳ないと思いながらも皆の優しさを感じるときが好きでした」

瞼を閉じれば、その時の情景が鮮明に思い浮かぶ。彼らの楽しそうな顔も、苦しそうな顔も。長い一本道だった──もう同じ経験をすることはない寂しさに胸を締め付けられるが、きっと旅の思い出が美しいのは二度と同じ景色を見られないから。

「思い返せば、最後までグレイグさまに頼り切りの旅でした」
「俺にか?」
「意外でしたか?それでも、イレブンたちのできあがった人間関係の間に私が入ってしまうとなると、おのずと心許せる相手は限られてくるでしょう」

もちろん、他の皆にも心を開いてきたつもりだ。本音も言ったし、弱みも見せた。だが、何一つ隠し事をせずに、思いを吐き出すことができるのは、他でもないグレイグさまの前だけだった。

「……昔、悪魔の子の情報を聞き出すために、グレイグさまの部屋を訪れたことがありました。魔王の呪いによる身体の変化に落ち込んでいた私に、グレイグさまが外へ出ようと提案してくださった。覚えていますか?」
「覚えている。夜中にお前を馬に乗せて、デルカダールの丘に出向いたな。城に戻ったあとに変な噂を流されたのも今では良い思い出だ」
「ふふっ」

思えばあの時から、彼は私の中で頭一つ抜けた存在だった。頼れる者を失い心の拠り所が無くなった中で、彼が見せた優しさは私の親和欲求を擽るのに充分なものだったのだ。決して曲げられないその信念が、私の中に安楽を、康寧を、勇気を生み出した。

「グレイグさまは覚えているのか判りませんが、私はそこで「私が変な気を起こしたら一思いに斬って欲しい」とお願いしたんです。グレイグさまはその通り、私の意を汲んでウルノーガにより魔物と化した私と最後まで立派に戦ってくださいました」
「俺が、名前を斬ったのか?」
「正確には、剣を向けたところで終わってしまいましたけど」

それでも、グレイグさまに剣を向けさせるまでには至った。博愛の精神を持つ彼が、世界の平和と私を天秤にかけるとなれば、どちらを選ぶとも胸が押し潰されそうなほど心苦しかったろう。それでも自ら剣を振ったのは、紛れもなく彼の中にある優しさだ。

「今のグレイグさまは、私が今ここで魔物になってもきっと斬ってくださらないでしょう。でも、かつて私と旅をしたグレイグさまとは、そんな私の願いを聞き届けてくださるまでに深い絆で結ばれていたと思います。もちろん二人を比べるつもりは無いですよ。ただ、グレイグさまがそんなふうになってしまうほど濃い旅をしたということを伝えたかったんです」

今の彼にはきっと、私と中を深めたことなど想像もつかないだろう。かつての彼にしたように甘えても、戸惑わずに頭を撫でてくれることはしない。私の意思を察して、共に歩こうと思ってくれることもない。

「かつての世界で俺と別れるのは、辛くはなかったのか」
「そんなはずないでしょう。あまりにも伝えるのが苦しくて、引き止められるのが怖くて、私は過去へ行くことを告げずに、最後にグレイグさまの寝顔を見て、それから聖地ラムダに飛んだんです。狸寝入りしていたグレイグさまに尾行されて結局はバレてしまったんですけどね。……それでもすべてを打ち明ければ、背中を押してくださいました」

私がそのような行動をするとは意外だっただろうか、己の知らない自分の話を聞いて気を悪くしていないだろうか。そのような懸念もあって過去のことを話すのはあまり気が進まなかったのだが、グレイグさまはうんと頷きながら静かに話を聞いてくれていた。真剣に聞いていると思えば、時折どこか柔らかい表情もする。その仕草や表情に感じる懐かしさは、きっと過去から来た私が欲しくて堪らなかった幸せな思い出。

「本当に、どの世界でも優しいのですね。グレイグさまもまた勇者の力を継承できる存在であったのなら、私のような愚か者は生まれなかったかもしれません」
「俺は、お前が思うほど良い人間ではない。その結果が、世界の災厄を招いたのだ
俺は今でも俺自身を恨みながら生きている」
「似たようなことを、かつてのグレイグさまも仰っていましたよ。ホメロスさまを壊したのは自分だと。まったく……すぐグレイグさまを言い訳に使う誰かさんとは大違いです」

かつて今と同じような話をしたのはクレイモランのとある宿。部屋の両端に備え付けてあったベッドにそれぞれ横になり、ホメロスさまについて語らい合った。ちょうど、今と同じように。あの頃はホメロスさまに見切りをつけていた自分も、今では彼のことを考えるだけで胸が張り裂けそうな状態だ。「愛している」と判ってから、私はこうも傲慢になってゆく。

「そんな誰かさんを好きになった私も、同じようなものですね」
「だが、俺に救えなかったものを名前は救ってくれるのだろう」
「……ですが彼は救う価値もない者ですよ」

救うために行くのかと聞かれれば、首を縦に振ることはできない。今はただ彼に会い、そしてこの気持ちを伝えたい。それ以外のことなんて、過去に行かなければまだ分からない。救えるのかもしれないし、救えないかもしれない。

「この世界でやるべきことも片付けずに、共に生きた者の気持ちを考えずに、過去に戻れる保証もないのに、彼を救えるかなど考えないまま行こうとしているから、愚か者だと言ったのです」
「成程な、確かに客観的に見ればその条件で過去へ戻ろうとするのはどうかと思うが、だからと言って、己を揶揄することまでは理解できん」
「……何故です」
「救えるか判らぬものを、己を投げ打ってまで救おうとするその勇気……並の者に真似できることではないだろう。それほどまで成し遂げたいものを持つということは立派なことだ」

右手の痣が疼いた。これは私に授けられたものではない、そう思っていたはずなのに。

「その痣はあるべくしてお前の手にある。お前ならばもう一度世界を救い、そして今度こそホメロスが闇に身を落とさずに済むようにできるのではないかと、俺は思っている」

確かに私はベロニカを救った、だがそれだけだ。勇者と呼ばれる所以など無いに等しい。なのに、何故グレイグさまにそう言われるとこんなにも心が満たされるのだろう──それはきっと彼の言葉が嘘偽り無い、真っ直ぐなものであることを知っているからかもしれない。

「でも、でもっ……私……」
「だからどうか、俺の一番の親友を助けてやってくれないか。名前、これはお前にしかできぬことだ」
「それって……私が過去へ行くことを、認めてくださることですか!」
「ああ、そうだ」

驚いてベッドから起き上がれば、大きな手が頭にのせられた。それから、髪をゆっくりと掻きまわされるように撫でられる。こちらを見つめる慈愛に満ちた瞳に言葉が出なかった。まさか、過去へ行くのをグレイグさまのほうから認めてくださるなど、思ってもみなかったのだ。自分がしつこく拝み倒して、ようやく彼が参るまで、まだ長いだろうと思っていたのに。

「ずっと迷っていた。自分の生活からお前が消えることが怖かったのだ。大樹の崩壊後、暫く行方が知れなかった時のあの感情がもう一度やってくると思うと、忘却の塔に関する話題を出すことすら躊躇われた」
「それならば、いったい何故」
「今のお前ならば俺の願いも叶えてくれるのではないかと、そう思ったのだ。己を愛することができなかったホメロスを唆した闇から、無理やりにでも引きずり揚げてくれるだろうと」

グレイグさまの言う、ホメロスさまが渇望した愛は、果たして私の愛で満たされるものなのだろうか。そう問おうとしたが、ぐっと言葉を堪えた。ここで答えを望んだとて過去へ戻ってみなければその解は判らない。ただグレイグさまがそう仰るならば、きっとホメロスさまはそれを欲していたのだ。

「名前、どうか行く時には俺にも見送らせてくれ。それと、世話になった者には正直に話をすべきだ。お前の意思で、ホメロスに会うために過去へ赴くと。そうすれば俺も遠い世界でお前が元気にやっていると信じて生きて行けるだろう」

「嬉しさ」──そんな言葉で表現できるほど、この感謝は軽いものではない。縋るように飛びつけば、グレイグさまはあやすように背中をさすった。彼の匂いも、大きな手のひらも、すべてがすべて記憶の中にあるグレイグさまと同じものだった。ただひとつ違うのは、大きな身体が苦しみを堪えるように小さく震えていること。きっとかつての彼も、私がホメロスさまを失ったときと同じような苦しみを押し殺しながら送り出してくれたのだろう。「最後まで頼り切りでごめんなさい」と、そう紡ぎたかった言葉は嗚咽となって荒々しく吐き出された。