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虚無と告白@
名前が倒れた。慌ててながら駆け寄ってきた兵士にそう言われ、急いで彼女のテントへと向かえば、入口で名前の侍女とすれ違った。桶に入った水と捻れた布を見る限り、彼女が看病しているのだろう。

「失礼する、名前は居るか」
「奥のベッドでお休みになっておられます」

侍女に聞かれてはならない話もある。看病を代わるといい桶を受け取ると、新鮮な水を汲んでもう一度名前のテントへと向かった。日よけのために張られた布を避ければ、ベッドの上で横になりながら虚ろな目をしている名前の姿が飛び込んでくる。

「……グレイグさま?」
「ああ俺だ、具合はどうだ」
「少し動きすぎたみたいですが、大丈夫です。ご迷惑おかけして申し訳ありません」

強がって笑ってみせる名前を見るのも痛々しく、思わず目を逸らしてしまう。寝返りで乱れたブランケットを掛け直してやれば、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

「ずっと働きづめだったろう。大事をとって、せめてあと三日ほどは休んでくれないか」
「ですがまだ片付けていない仕事が……」
「急ぎのモノでもないだろう、王都再建はお前のおかげで順風満帆だ」

当初は何年かかるか、いやはや先の見えない計画だと言われていた王都再建計画も、彼女の働きもあり、あと数年で人が戻ってくる程度には復興するだろうと見通しが立っている。もとは指導者ではない立場の名前がここまでやり遂げるとは予想外であった。彼女はもう十分すぎるほど頑張った、もう何もしなくて良いと言ってやりたいところだが、それを言われたところでハイと止めてくれる性格ではないことは重々承知している。

「こうしている間にも皆は働いているのですから、私ばかりテントでゆっくり寝ている場合ではありません」
「無理に仕事をして、忘れようとしているのだろう」
「忘れることなど何もありません」
「ホメロスのことを、未だ気にしているならば──」
「何故そこでホメロスさまのことが……」

ホメロスの話題は出さないということは暗黙の了解だった。にもかかわらず、あまりにも辛そうな顔をする名前を見てつい言葉が零れ落ちてしまったのだ。久しぶりにその名を聞いた名前は、否定の言葉を吐くも、澄んだ瞳に波紋を浮かべる。

「はあ……何かに夢中になっていなければ、すぐ思い出してしまうのです。それがどうしようもなく辛い」
「……」
「グレイグさま、もし私の前でホメロスさまの話題を出すならば、このまま何も知らないフリをして、私を過去に送り出していただけませんか」

名前が自己防衛のためにあえてその話題を出さないことを知っていた。そうして、彼女はこちらからその話題に触れられること──許されることを待っていたのだろう。

「あれからだいぶ時が経ちましが、ホメロスさまを思い出さない日はありません。多分、私の気持ちは幾度季節が巡ろうとも薄れそうにないです」

どうやって名前を止めようかと試行錯誤していたのも最初のうちだった。名前の口から溢れる言葉ひとつひとつに、確かに計り知れないほどの重みがあった。彼女の話を聞いているうちに、過去へ行くことを止めるという選択肢は薄れていた。ホメロスへの思いを語る名前から、次第に悲痛な表情が消え、過去を懐かしむような温かい笑みが溢れていたのだから。

「なにゆえ、ホメロスを愛していると」
「……彼と決別した日に、一緒に夜空を見たんです。いくつもの流れ星が夜空を駆けては消えていく、とても美しい夜でした」

──ただ誰にも話を聞かれたくないという理由で、具合が悪い私をバルコニーに連れ出したホメロスさま……そこにはきっと気遣いなど微塵も無かったでしょう。それであって、彼と袂を分かつ結果となったあの日は、傍から見れば私にとってはむしろ忘れた方が良い思い出としか言いようがないですが、あろうことかそれは記憶に「ホメロスさま」と共に見た最後の夜空として鮮明に記憶されていたんです。
名前の口から紡がれた言葉はまるでひとつの物語として描かれたような、詩の一節かと勘違いしてしまいそうになるほどだった。

「世界が平和になっても、あれほど綺麗な景色を見たことがありません。同じような夜空を見上げても同じ気持ちになることは無かったんです。二度救われた世界を見て、私は気づきました。あれは愛する人と共に見た景色だからこそ美しかったのだと。ウルノーガの命であれ、幼い私を気遣ってくれていたホメロスさまを、無意識のうちに好いていたのかもしれません」
「……その時には、もうホメロスのことを慕っていたのか?」
「いいえ、この気持ちに気づいたのはつい最近です」

グレイグさまの前でこんなことを言うのは気恥ずかしいですが、と言って名前ははにかんだ。

「自分でも可笑しいと思っていますよ、なぜホメロスさまを好きになったのか。……色々考えたのですが、私は彼が魔物の姿になっても、すべてを失くし城下町の下層を彷徨うような盗人になっても、そこに居るだけで幸せだと思えます」
「む……そうなのか」

儚げに笑う名前を見て、ふと思い浮かんだのはホメロスと過ごしたの記憶の一場面。いつか二人部屋で共に越す夜に語らい合った、ずっと昔のものだ。デルカダールの騎士ともなれば町娘や使用人からは勿論、貴族からも色眼鏡で見られる。つまりのところあらゆる女性に好意を抱かれるようになるのだ。容姿の良いホメロスならばそれは尚更、お互いそれなりに女性関係についても理解が深まった頃、隣のベッドに横たわったホメロスが言葉を漏らした。
「恋愛なんぞ、本当にくだらない。どいつもこいつも、俺たちの地位と顔さえあればすぐに好きだとのたまう。そのくせ興味が無い素振りを見せれば離れていく。馬鹿らしいと思わないか?」
そのとき自分がどう答えたかはよく憶えていない。ただ、将来この友と将来を歩む女性がいるならば、それはどのような人なのだろうと、そう思ったことだけは確かに残っていた。

「そうか、名前のような素敵な女性に好かれるとは、あいつも幸せ者だ」
「素敵だなんて、そんなこと……ああ、でも、ホメロスさまの隣に立てるような者だという意味でなら、素直に受け取ったほうが良いのでしょうか……」

旧友を、すべてを失くしても愛すると言った名前は、彼が持つ「くだらない」という観念を融かし、愛を切望するその心を癒してくれることだろう。ホメロスとの思い出を語るだけで、こんなにも嬉しそうに、あどけない少女のように笑う姿を見て、グレイグは名前を過去へ送り出すという苦渋の決断をしたのだ。

「名前、今日は俺もここに泊まろうと思う」
「へっ!?ど、どうしたんですか急にっ」
「見張りがいなければ、こっそり抜け出しいてまた仕事をするつもりだろう」
「でも……最後くらいは」
「今日はお前の旅の話について聞かせてくれ。元の世界のお前と俺たちの話だ。まだ、鮮明に覚えているのだろう」
「……判りました。覚えていますよ、忘れるはずなどないですから」

二度目の時渡りをする彼女が、遠い世界で旅をした仲間たちを忘れぬよう。何度も思い出しては記憶に刷り込んで欲しいという計らいだ。それに加え、これは名前という宮廷魔道士と共に過ごした夜として己の中にも記憶されることになるだろう。直接的な関わりは少なかれど、幼少のころから共に育った身として、自分が彼女に叶えてもらうことができる最大限の我儘であることは、心に秘めておこうと思う。