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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -

甘い香りを残して
シーツの海を掻き分けてベッドから這い出れば、途端に頭が強く揺らぐ。未だに治らない吐き気と目眩は、昨日飲んだ大量の酒の所為だろう。泥酔していたから、客室に戻って来た記憶は全く無い。誰かがここまで運んでくれたのか、はたまた自力で戻ってきたのか。それすらも判らない。
窓の外は仄かに明るい。あれほど楽しかった宴がいつの間にか終わってしまっていたことに、一抹の寂しさを覚える。オアシスとはいえ、砂漠のど真ん中に建つこの国は宮殿の中でさえも暑く、汗塗れの身体に寝間着である「ぬののふく」はべったりとくっついていた。直ぐにでも水を浴びてしまいたかったが、そんな不快感に反して私の身体は動かない。

「名前、起きてるか?」
「グレイグさま?はい、起きてます」

寝起きで髪の毛も乱れたままグレイグさまと会うのは申し訳ないと思ったが、彼は私が寝ている間に部屋に入ってきたこともあるから、あまり恥ずかしくはなかった。手櫛で髪を直し、布の服の上にローブを羽織れば、部屋の扉を開けた。

「用意ができたらデルカダールに戻るぞ。今晩もパーティーだ、今から帰って休まねば間に合わん」
「またパーティーですか」
「自分の誕生日を忘れたのか」
「ああ……そうでした」

これまで誕生日は食事が少しばかり豪華になる程度であったが、今日は私の成人を記念したパーティーである。立場的なことではあるが、国の賢人ともなれば盛大に祝福される。昨日、今日と宴続きで、体力も気力も持たなそうだが、今日は自分のために国中の人が城を訪れる。倒れようとも耐え抜かねばならない。

「それと、酒は控えめにして貰わねば困る」
「……ご迷惑をお掛けしました。申し訳ございません、以後控えるようにします」
「程々に、な。相手方に失礼の無いように嗜むのは構わん」

グレイグさまがこう強く言うのだから、記憶のないうちに自分が何かをやらかしてしまったのかと不安になってしまう。だが、此処で掘り返されて恥ずかしい思いをしてしまうよりは、グレイグさま含め昨日宴に参加した兵士たちの心に留めておいて欲しい。



上品なドレスを身に纏った貴婦人や、優雅な召物を着込んだ城下町の商人など、城のホールはたくさんの人で溢れていた。パーティーと言っても昨日の酒飲み大会とは違い、きちんとした立食パーティーだ。マナーを守らなければならないのは勿論、客人の機嫌を損なわないように努めなければならない。腰回りが窮屈なドレス、頭皮が引っ張られるほど纏められた髪、足に合っていないハイヒール、全てが全て慣れない。

「名前さま、おめでとうございます」
「時が経つのは早いものですね。王が名前さまを連れて帰ってきたのが昨日のように思えますよ」
「ありがとうございます」

主役であるが為に用意された料理を食べる暇もなく、次々と訪れる人々に挨拶をし続けなければならない。城に居てこれほど忙しいことがあっただろうか。いつもは私室でゆったりと業務をこなしているだけだから、忙しさで既に目が回りそうだ。

「名前さま、ワインは如何ですか?」
「はい……って、ホメロスさまではないですか」

漸く人が捌けたところで、背後から声をかけられた。振り向けば、礼服に身を包んだホメロスさまが居た。普段は鎧を身に纏ったお姿しか見ていないから、新鮮さを感じる。普段は鋼鉄に覆われている彼の身体には、今は薄い布が被せられていて、浮き彫りになった筋肉に思わず目が行ってしまう。

「あちらで貴婦人とお話しているのかと思っていました」
「立食パーティーは歩き回るのがマナーだろう」

そう言うと、ホメロスさまは私が持つ空のグラスにワインを注ぎ込んだ。情熱的な赤みを帯びた液体がガラスの壁面をつたい、ゆらゆらと揺れる。

「酒は飲めるのか?」
「あまり飲みすぎたら酔い潰れてしまいますが……ニ、三杯くらいなら大丈夫です」

昨日の件もあり、酒を飲むのは躊躇われたが、思えばまだウェルカムドリンクのシャンパンしか飲んでない。流石にこれ一杯では酔いはしないだろうと、ワイングラスに口をつける。コクと旨味がたっぷりの芳醇なワイン。鼻を通り抜ける甘い香りにくらっとしてしまいそうだ。

「……とても、美味しいです」
「そうか」

ホメロスさまが何処と無く妖しく微笑んだ気がした。だが、その不穏な笑みも気にならないほど、私は目の前にあるワインの虜になっていた。昨日サマディーで出されたワインの、何倍も美味しい。お酒の美味しさが分かるのは、もっと歳を重ねてからだと思っていたのだが。
喉を通り抜けるワインの量と比例して、じんわりと身体が火照る。気がつけば、全身から汗が噴き出るように熱くなっていた。このまま此処に居てはパーティーが終わるまで持たないと感じ、身体を冷ます為に外へ出ることにした。

「すみません、バルコニーに行って風に当たってきます」

主役が途中で抜けてしまうのは良くないが、このままでは客人に迷惑をかけてしまうと思い、ワイングラスを置いてその場を後にした。



暗い廊下をふらふらと進み、壁をつたって階段を上がる。一段、一段と何も考えずに疲れた重い足を動かしていると、上から降りてきた人とすれ違った。黙って横を通り抜けようとすれば、不意に肩を掴まれた。

「グレイグさま……?」

暗闇に長けた目が、ジャケットの線が彼の筋肉に沿って若干歪んでいるところを捉える。さぞ窮屈であろうと考えていれば、グレイグさまは漸く口を開いた。

「何処に行く」
「バルコニーへと」

そう答えれば、また酒を飲みすぎたのかと深くため息を吐かれた。本当は、足元がふらつくまで飲む気は無かったのだ。ウェルカムシャンパンと、ホメロスさまにいただいたワイン一杯……それしか飲んでいないのにもかかわらず、身体が火照ってしまった。読み間違えてしまったらしい。

「あまり飲みすぎるなと言っただろう」
「少ししか飲まないと決めたのですが……ごめんなさい。あまり断れなくて」
「全然構わないが、己の限界が来る前に歯止めをかけてくれねば、昨日のようなことになる」

どうやら、グレイグさまの口ぶりから結構な迷惑をかけてしまったのは間違いないようだ。このまま彼の警告をただ受け止めるよりかは、己の過ちを聞いて反省したほうが良いと思い、言い出し辛いが昨日の出来事を尋ねることにした。

「その件ですが……私は昨日何をしてしまったのでしょうか?」
「何をしたわけでもないが……」
「お願いします、教えてください」
「宴が終わっても此処で寝ると駄々をこねてな……仕方なく俺が部屋に運んだのだ。その後は使用人に任せたのだが……」

そう言われて、己の顔から血の気が引いたような気がした。まさかグレイグさまがベッドまで運んでくれたとは思わずに、慌てて頭を下げた。使用人のくだりは、寝起きの私がぬののふくを纏っていたから、変な勘ぐりをされないように言ったのだろう。何から何まで気を遣っていただいて、申し訳なさが募る。

「ご迷惑をおかけしました」
「今日は頼むからそこらへんで寝てくれるな」
「も、勿論です……」

とは言ったものの、先程の酔いがまだ醒めていない。このままだと昨日の二の舞になりそうだ。早く外の空気を吸いに行かねばならない。

「とりあえず、酔いを覚ましにバルコニーに行ってきます。直ぐに戻ります!」
「心配だから俺も着いて行こう」
「大丈夫ですよ、グレイグさまの邪魔をするわけにはいきませんし……」
「今日は城を解放している。見張りが居るとはいえ見知らぬ人物が入っているのだぞ。そのような時にひとりにするわけにはいかぬだろう」

グレイグさまも案外心配性なのだな。ご厚意をありがたく受けたいのも山々なのだが、彼には彼のやるべきことがある。今も、城内の見回りをしていたのだろう。私のためだけに、グレイグさまの邪魔をするわけにはいかない。
どう断ろうかと考え込んでいると、階段の下から足音が聞こえてきた。バルコニーへと続く階段に用がある人は滅多に居ないわけだから、不審に思って暗闇に目を向ける。やがて目の前に現れた人物は、先程私に酒を飲ませた張本人だった。てっきり、あのままパーティー会場であるホールに居ると思っていたのに。

「グレイグ、そろそろ会場に戻れ」
「む、もうこんな時間か。丁度良かった、名前を頼む」
「……判った」

どうやら見張りの交代時間のようだ。グレイグさまはホメロスさまに私を預けるようにぽんと肩を叩き、階段の下へと降りて行ってしまった。

「先程ぶりですね」
「酔いは覚めたのか?」
「まだ熱いです……足元が覚束ないですし。ホメロスさまからいただいたワインが強かったのでしょうか?」

ウェルカムシャンパンはお酒というよりはジュースみたいなものだから、このふらつきは確実にホメロスさまからいただいた美味しいワインが原因だと思う。成人になったばかりの私に、度数が高いワインを勧めるのもどうかと思ったが、あのような美味しい酒に出会わせてくれたことには感謝しているので、素直に礼を述べる。

「でも、あのお酒……美味しかったです」
「苦くはなかったのか?」
「……?甘かったと思います」
「そうか」

ホメロスさまが少し気がかりなことを発言したような気がするが、酔いがまわった頭ではそのことについて言及する気力も無かった。ワインに苦味など一切感じなかった。蕩けてしまいそうになるほど甘くて美味しかったのだ。もっと飲めと言われれば、無意識のうちにうんと頷いてしまいそうなほど……まるで麻薬のようなワインだった。サマディーでも甘いワインを飲んだが、それ以上に甘く、それでいて飽きないものだった。バルコニーに向かって階段を上り出せば、ホメロスさまもその隣を歩み始める。

バルコニーに着くと、冷たい夜風に少しばかり鳥肌がたった。新鮮な空気を浴びるように両手を広げれば、いつもよりも輝々と浮かぶ壮大な星空に吸い込まれそうな感覚に陥る。

「ずっと立っていたので疲れました」

石の装飾に腰をかけると、一瞬で身体が楽になった。ヒールを履いたせいで痛みを感じていた爪先が開放され、腰を締め付けていたドレスも心なしか緩まったような気がする。行く宛のない視線は、空を見続けたまま、ホメロスさまに向かって言葉を投げる。

「バルコニーは何も遮るものが無くて、景色が綺麗に見えますね」
「……」
「ホメロスさま、どうされました?」

ふとホメロスさまが口を開かないことに不安を覚えて、彼の顔を仰ぐように覗き込む。同じように遠方を見渡すホメロスさまの目は、星を見ているようで見ていない。何か考え事でもしているのだろうか。「ホメロスさま」ともう一度名前を呼ぶと、ようやく彼はこっちを向いた。ほっとしたのも束の間、今度は打って変わってこちらをじっと見つめられる。思い返せば彼も同じワインを口にしていたから、ひょっとして酔ってしまっているのだろうか。

「酔いが酷いのでしたら、こちらに来られてはいかがですか」

そう言って、自分の隣にひとり分の間を空けた。彼のことだから素直に座ってくれるなんて思っていないが、珍しく様子が可笑しい上司に対して、声を掛けずにはいられなかった。てっきり「結構だ」と返事が返ってくるのかと思えば、ホメロスさまはつかつかとこちらへ歩み寄ってきた。そうして、姿勢を低くして私と視線の高さを合わせられる。
私の顔に何かついているだろうか。もしかしたら酔った私を説教するためにバルコニーまで着いて来られたのかもしれない。脳裏に様々な可能性を浮かべていれば、細く筋肉質な手が伸びてきて、両手の動きを封じられた。眉目秀麗という文字が似合うそれが目の前にある。頭の中で考えていたことなど夢醒めのようにぱちりと弾けて、互いの吐息が聞こえるほど近くにホメロスさまが居るという事実にようやく気が付き、酔ってぼんやりとしていた頭はあっという間に覚醒した。

「ほ、ホメロスさま!いかがされましたかっ……近い、と思うのですが」
「嫌ならば言え」
「な……んぅ……」

あまりにも恥ずかしく、近づいてくる顔から反射的に目を逸らした隙に、半開きの唇に生温かいものをねじ込められた。酔いが回って考えが巡らなかった頭でも、それがホメロスさまの舌であることを瞬時に判断できた。抵抗しようも、両手は塞がれ背後は壁。酔った身体は言うことをきかず、身をよじれば行為を喜んでいるようで恥ずかしくて、気づけば抵抗することをやめていた。それどころか、いつ衛兵が入ってきてもおかしくないバルコニーで、あろうことかこの国の将軍──幾多の女性から熱い視線を向けられる彼と唇を重ねているという事実が、頭のどこかで身体を燃え上がらせていた。何故こんな状況になってしまっているのか、そんなことはもう考えられなくなっていた。まるでひとつの生命体のようにぬるぬると口内を駆けまわる舌に応えるように、ぎこちなく舌を動かすと、それも絡みとられゆっくりと歯列をなぞられる。

そのままどのくらい唇を合わせていただろうか。そんなに時は経っていないだろうが、とても長く感じられた。息を吸いたさに顔を横に向けようとすると、そのまま唇も離れる。

「っは……あ……」

半開きになった口からは、だらしない声が漏れた。

「ほ、ホメロスさまが、そのようなお方だとは思いませんでした」
「……そうか」

粘性のある唾液を飲み込むと、痺れるほど甘かった。初めてのキスは甘酸っぱいとはよく言うが、本当にこのように甘いことがあるだろうか。茫然としている私をよそに、ホメロスさまが小さく笑った気がした。それがいつものニヒルな笑みではなく心底嬉しそうな笑みで、冷静になった頭の中から出かかっていた反論も文句も言えやしなかった。

「先に戻っている」

彼はまるで何も無かったように立ち上がると、そのままバルコニーを出ていった。扉が閉まる音が耳に届けば、急に現実に戻された。ホメロスさまとキスをした……恋人でもなんでもないはずなのに。彼とて自分よりもずっと大人の男性、自分に好意を持つような素振りも何もない、ちょっとした戯れしても私を相手にするのはいくらなんでも無いと思うが。

「……何故だろう」

誰も答えてくれないのは分かれども、ポツリと言葉が出た。熱を持っていた唇はすでに乾いて冷たくなっている。ただ、口の中に残った甘い香りが鼻孔を通って外に出るたび、先程の甘い感触を思い出す。ホメロスさまが私に好意を抱いている筈が無い。だから、何かこの口づけに裏があるのではないかと思えて仕方ないのだ。それも、少し考えすぎだろうか。