聖ジュリアは剣を取り





アレンの指先に転がったイノセンスを拾い上げる。辛うじて意識のあるアレンが、朦朧としつつも「ララに」と呟いた。うっせーなわかってるよバカ。あんたは寝てろおばか。心配ばっか掛けて、もう。
「ララ」
砂に倒れこんだままの彼女を起こす。露出した肌の下に、ぜんまいや歯車、からくりが見え隠れしている。これではきっと、オルゴールのように歌をつむぐのが精一杯だったろう。イノセンスが彼女に言葉を、人格を与えていたのだ。
イノセンスってすげー。まじすげー。ねえ神様、私も“そう”なのかな?
ぽっかり空いた中心部に、イノセンスを嵌めるようにして戻す。と、力は循環を再開。堅く閉じられていた彼女の目蓋がぱちりと開いた。
「歌はイかがでスか?」
「あ……」
ララはゆっくりと体を動かしだした。そして私をじっと見つめたあと、ぎしぎし軋む音とともに方向を変える。
どこに行くつもりか。そう問おうとしてから、愚問であると気付いた。彼女の先には、やはり倒れこんだままのグゾルがいたからだ。
あれはララではない。もう何も憶えていないだろう。それでも、彼女はグゾルの人形だった。

「人間様……歌はイかが……?人間、さま……」
暖かな空気が頬を弄る。ララが羨ましくて仕方なくなった。
どうして私は、ああならないんだろう。なにがだめなんだろう。なぁんて。意味も無いことを考えてみたりしてセンチメンタルってみたりして。あは。無意味にも過ぎる問答。ねえ、クロスさま。
「ぼくのために歌ってくれるの……?」
グゾルの心音が一瞬だけ高く鳴ったこと。気付いたのはきっと、ララだけ。
「ララ……大好きだよ」
「眠るのデスか?じゃあ子守唄を」
ララは静かに歌い始めた。それは、私たちが最初に聞いたそれと全く同じ旋律で。今度こそ、私はそれを美しいと思えたらいいのになと願いました。

「世界は苦難で満ちている。そう思わんかね」
「……なんですか、一体」
「ユウはとりあえず私ががんばって緊急搬送するけど。アレンは大怪我ってしてないよね」
「はあ……まあ、ほとんど対アクマ武器の怪我ですが」
「2時間で戻るから、そのまま寝てて。トマは?大丈夫?」
「はい。私はウォーカー殿と……人形を見てます」
トマの返事に頷いて、ようやっと体を起こすユウに手を貸すと同時にナイフでこっそり腕を裂いた。それでユウを支える。
「おい……歩ける、離せバカ」
「やかまし。こんなときくらいおねーさんに甘えーよ」
「つーかこれどうなってんだよ……お前に俺を支えるなんざ無理だろ、どう考えても」
「きっと貧血で朦朧としちゃってんのよ。実はあと300人くらいいますからユウを支えるために」
ふざけんなバカ、と続く声はもう無視だ。だからやかましいっつの。
「一番近い病院ってどこかな……」
列車を降りた街まで戻るのが最短か。いや……サラントが、多分一番近いな。あの神父の居る街だったと思う。圧縮前のことだから、いまいち確証はない。べつにどちらでもいい。
「まったくもー、私とかアレンとか庇ってる場合かよー」
「庇った憶えは……ねェぞ……」
「なら余計重症だ。アレンはともかく、私のことは放っておけばいいのに」
エクソシストじゃないんだから。言ってもムダだと知りながら言う私もバカだともうわかっている。案の定返事はなかった。
ユウは、仲間意識というものが希薄だ。見た目の通り。第一印象の語る通り。テリトリーが狭いとも言う。
が、そこに片足でも突っ込んでいる人間に対しては、まるで気まぐれみたいに防衛本能が発揮される。マリとかに対しては、それがすごく顕著だ。
「なんで、そういうとこだけすごい優しいかなぁ。キミは」
「やかましい……妄想は、いい加減にしとけ」
「妄想ねェ……んじゃ、妄想ついでに言っておくけど。私のことはもう、庇わなくっていいからね」
あれかな、二年前のリッチェの件があるからかなぁ。ユウのエゴイスティックな優しさが身にしみるねェ。
「私は、キミ以上に死なないんだから」
その声が、息も絶え絶えな彼に届いたかはわからない。ただ、気付いてくれなければいいとは思った。キミ以上に死なない私は、キミ以上の化け物だということに。








ハァイ神父さま。ねえ、病院ってどこだったかしら。
夜更け、酒場以外が寝静まった町。やはりそこは二年前さんざんお世話になったサラントの街。
教会は24時間営業と世界基準で決まっているので、神父さまが出てくるまでドアベルを鳴らし続けた。
「あなたは……!ご無事でしたか……」
「前は何も言わず消えちゃってごめんね。で、病院ってドコ?この人手当てしないとなの」
「ち、血塗れではないですか!!」
火を入れたランタンを私に近づけると、神父さまは悲鳴を上げた。血なんて見慣れているくせに、これだから純朴で敬虔な人間っつーのはめんどくっさい。つーかあんた髪切りなさいって。ユウ以上に女顔なんだから、女にしか見えないんだよ。
「早く病院!事情聞かれるのめんどいから、その辺上手く言ってほしいんだけど」
え、あ、はいとどもる彼を軽く蹴りつけ、無理やり案内役に抜擢する。最初から病院を探してあてもなく彷徨うのではなくわざわざ教会を訪ねたのにはこういう意図もある。灯りの少ない深夜に病院を探すのは難しいし、そしてそれ以上に信用できない大怪我人が突然現れて治療してくれるかわからなかった。その点、神父さまを味方につけておけば大体がどうとでもなるものなのサ。
「神のために戦ったのよ」
「あなた、修道士さまだったのですか?」
「まあそんなトコね。彼は特に大怪我をしたの。私と、もう一人の仲間のためにね」
神父さまのランタンが揺れている。彼がじっとユウの胸元、ローズクロスを見つめていることには気付いていた。聖職者繋がりで何かご存知なのかしら。まあどうでもいいか。
病院はそう遠くなく、すぐに辿り着いた。白い、色味の無いそこに、ふわりと柑橘の匂いが漂っている。近くに果樹園があるからだろう。神父さまがドクターをたたき起こすのを待って、ユウを預ける。予想以上に大怪我だったためか外に居る私にもてんやわんやの大騒ぎが聞こえてきた。おーがんばれー。
「あなたも血塗れではないですか」
「ん?ああ、でも怪我はしてないから。これは彼の血」
「着替えと、湯浴みの用意をしましょう。うちへどうぞ」
「いつも済まないねェ」
「そう思うならもう何も言わずに消えないでください。どれだけ心配したことか」
「ワケアリでさ。ま、今度はそんなことはしないわよ」
そうして教会の裏手、彼の自宅に招かれる。二年前一時寝食をともにしたこともあり、勝手知ったるなんとやらだ。
「しかし、修道士さまだったなんて……言ってくだされば良かったものを」
「あー、厳密には違うんだ。彼はエクソシストで、私はその補佐ね」
「エクソシスト……悪魔祓いですか?ではあのローズクロス……やはり……」
神父さま悪い人じゃないんだけど、湯浴みの真っ最中だろうと関係なく声掛けてくるからなぁ。熱心な聖職者だから、相手が女とかまるで意識が無いのである。ちょっと悲しいものはあるが、そこで欲情できてしまう人間だったら私は彼に救われたりしなかっただろう。
髪についた血を丁寧に落とし、私は温かな湯を流して浴室を出る。と、神父さまからタオルを手渡された。清潔な匂いがする。
「では、あなた方は黒の教団に居るのですね」
「よくご存知ね。まあ……聖職者には常識なのかしら」
「ええ。黒い噂も含めて」
服はこれをどうぞ、とシャツを差し出される。下着は替えが用意できないのはわかっていたので、血を拭ったものをつけ、上からそのシャツをいただく。パンツは汚れがそうひどくなかったので、そのまま。タイミングが合えばどこかで替えを購入しよう。ブーツも同様。
「二年前……あれだけの怪我をしていたのに、あなたは驚異的な速度で回復しましたね」
「そうかしら。ユウ……さっきの彼は、明日明後日には全快してるはずよ」
言うてあれやからな、私の回復はかなり鈍足亀更新でしたからなぁ。
食事はいかがです、と差し出されたパンを二つ頂戴する。一つはアレンに持っていこうと思ったので、包むさむしんぐを要求。調理中油もののために使う紙が差し出された。
さて急いで戻らねば、アレンもそろそろ空腹で死に掛ける頃である。踵を返し家を出ようとした私の腕を、神父さまが掴んだ。
「戻られるべきではない!」
「……ええ?」
彼はいつになく真剣だ。いやいつも真剣だけど私が無視してるだけか。あっはっはっは。
ともあれ笑って振りほどいていい空気ではない。ユウが目覚めるまで泊めてーとか言おうと思ってたし私。
「教団は……教団は神に仕えることの意味を履き違えている!平気で信徒を犠牲にする場所だ、戻られるべきではない……!」
「えええー……何かあったん?」
「いや……そ、ういう……わけでは」
「……」
嘘だな。たぶん。鍛え上げられた私の直感力が火を噴くぜ。直感でしかものを考えないとよく褒められますのほほほ。
「とりあえず、私の弟分がへばっておりますのよ。パンを持っていかせてくださいまし」
「……なんですかその言葉遣い。似合いませんよ」
「突然辛口になった!?」
二年を経れば女は変わりますのよ、もう。私は手を振り払うと、彼の家を出た。
そろそろ午前3時。既に夜は明けようとしはじめていた。イタリア、赤道近い。
「アレンがおなかすかせてトマを襲っていませんよーにー」
今日の神様へのお願いそのいち。でも私の祈りは叶わないから、やっぱり襲っちゃってるかしら。にんげんっておいしいのかしら。
両手でパンを抱き、空を飛ぶ。眼下にマテールが見えてくるまで、およそ10分。飛べば結構早い。
アレン達の居るはずの建物の、崩れた天井の淵に降り立つ。歌はまだ優しく流れ続けていた。
しゅたっ、飛び降りる。うおっ砂に足が!嵌った!
「アレン」
「……うー」
「ノエル殿……!ウォ、ウォーカー殿が」
グギュルルルルルッゴゴゴゴゴゴゴゴッゴと凄まじい音が歌をかき消しかねない勢いで鳴っている。戦闘を終え、脳内麻薬が完全に切れてしまったアレンには、いまや空腹が何よりの強敵だ。
「おーいアレン、とりあえず血糖値上げろー」
「ぐふっ」
ぶっ倒れたままのアレンの口にパンを突っ込む。一瞬彼は硬直したが、すぐにもっしゃもっしゃと租借しはじめた。おお速い速い。
「足りないです……」
「とりあえず、ここ出ようよ。二人のおデートだしさ」
独り身には辛いもんがありますわァ。そう言ってアレンが立つのを手伝う。糖が入ったおかげで、少しだけアレンは回復した。
「ちょっと動けるようになりました……あのパンはどこで強奪してきたんですか」
「誤解だァおら盗んでねー!知り合いの神父さまに頂いたのよ。明日はちゃんとご飯買ってきたげるからね」
今のうちに、とトマから教団の名刺を頂いておく。明日はこれを銀行に持ってって、現金を要求しよう。神父さまに頼るにも限界があるし。彼の生活はそう豊かではない。私が居たときも、金銭面では多少苦労していたようだったし。二年前だったら私もまだ小食だったけど、今は違うし。ましてアレンが居るから。
「あなたなんで髪濡れてるんです?それに、服着替えてませんか」
「そのちょっと疑うような目はなんなんだっての……神父さまに助けてもらったのー!」
建物の入り口まで肩を貸し、階段に腰掛けさせる。彼もまた、多少怪我をし、血を流したから。明日は手当てのために包帯とかも買ってこよう。
私もアレンの隣に腰掛け、彼に頭を預けた。ねむたい。
「つらい?」
「……僕に苦しむような資格はありませんよ。僕には……」
「資格があろうとなかろうと、悲しいときは悲しいよ」
そこから先は別問題だし、キミに資格がなくってもキミが悲しいなら私も悲しいかもしれない。
そう続けると、アレンは苦く笑った。
「かもしれないってなんですか。無い頭絞ってちょっと複雑なこと言ってくれてるのはわかりますけど」
「もしかして私をバカにしてるのかね?」
「かもしれませんね」
ナマイキな。でも、ナマイキなときほどアレンは甘えたなので、オトナのヨユウでカンベンしてやる。
はあーねむい。せめて昼には起きれるようにと念じつつ、私はアレンの肩に体重を預け、眠りにつくことにした。ララの歌が止まる瞬間を知りたくない。そんな意味もない感傷とともに。






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