聖ヴェロニカの逡巡







「……ユウ……?」
地面に体を投げ出されていたことを理解して、私は身を起こす。腹がずきずきする。ユウに蹴り飛ばされたのだ。視線を彷徨わせ、地面を見、アレンを見、壁を見てそして最後に行き着くのは、壁に開いた穴越しに見えるユウを壁に押さえつけるアクマの姿。
「あ……」
私が回復して立ち上がるより早く、アレンの腕が。アクマがコピーしたアレンの腕が……ユウを抉る。まずい、そう思ったけれど、ユウは倒れなかった。
「アレェー?死ねよさっさと」
アクマの腕がまた振るわれる。今のユウにそれを避けることなどできるはずもなく、なすがまま。夥しい血が、地面にこぼれる。血は命そのものだ。あでやかな赤を、そんな矮小で愚かで無価値なアクマにすり減らさないで。そんなことばかり考える。
「死なねェよ……死ねねェ……俺は……」
あの人を見つけるまで、死ぬわけにはいかねェんだよ。
静かに、私の耳に辛うじて届く声。いとしいはずのそれ。なぜだか胸が閉まる心地がした。
だから。
「どけコラァァァァ!!」
ごっめんクロスさま、今日だけ今日だけ!破壊しなければ、許してくれるよね?
回し蹴りを後ろから叩き込む。ゴキりと機械の接続部が千切れる音と共に、アクマは弾けとんだ。
「ノエル!」
「アレン、ユウをお願い!」
このままじゃすぐ復活されちゃうから、追撃だ。壁に叩きつけられたアクマに手をかざす。ナイフを、手の甲から平に向けて突き立てた。ナイフを引き抜くと、粘つく血が蠢く。
「血ってとても綺麗よね」
首をもたげるようにその液体は真っ直ぐに伸び、にちゃにちゃと微かな水音と共にアクマに突き刺さる。壁にアクマを縫い付けた。
「ッギャァァァアァアァァアアア!!」
「アクマのでもね、私綺麗だと思うわ」
アクマのは血じゃなくてオイルなんだっけ。どちらにせよ、否応無しに存在そのものに直結するものは、何だって綺麗である。
腰のバックルにナイフをしまいこむと、私は踵を返す。アレンがユウと、トマを地面に横たえている。
「アクマは!?」
「だいじょーぶ、しばらく動けないはず」
私がエクソシストでないことを知っているアレンは、それならと勢い良く走り出す。ので、首根っこを引っつかんで止めた。
「何するんですか!今なら破壊できるかも……!!」
「ダメダメ、そんな傷だらけで。結構出血しちゃってるじゃないの」
「僕は大丈夫です!」
「アレンは大丈夫でもユウとトマは違う。二人を危険に晒すつもりかね」
アレンは強がりながらも、無意識に左手を庇っている。先ほど怪我をしているのが見えた。イノセンスがまだ脆いのだ。シンクロ率が低いうちは仕方が無い。とりあえず今は、ここを離れるべきだ。
「ぃよっし、お姉さんがんばっちゃうぞー。ユウたん背負うからトマお願いねー」
「……言うと思いました」
若干遠い目をされながら、私は気絶したままのユウに肩を貸す。だってユウのが重いから、アレンには辛いでしょうに。
ユウは荒く微かに息をしている。生きているなら、大丈夫。ましてユウは私の次くらいに丈夫だから。
「行こう、破壊したわけじゃないんだから急がないと」
「……はい」
まだ不服そうにトマを抱えたアレンと共に、地下を進むことにした。
私たち両方ともが方向オンチだったということを、このときばかりはすっかり忘れて。







「……」
「……」
「……」
「……なんか言ってください」
「なんか」
「子供かアンタ!」
突然コメントしろと言われましても。いいか少年、無から有は生まれないんだぞ。こんな道なのかすらわからない、数百年を経て風化しきった遺跡について「しんどいね」「歩きづらいね」「おなかすいたね」以外に何が出てくるっていうんだ。各3回は言ったろ互いに。
「迷いすぎて一周回って正しい道なんじゃないかという幻想が生まれてきた」
「ああ、わかりますわかります。なんかもう……僕の歩いた道こそ正解なんだみたいな……」
どっちかってーとそう思わなきゃやってらんねーという方が正しいけどな。
ハッと荒い息をアレンが漏らす。大分疲弊しているらしい。私も息が上がってきていた。ユウは鍛えているせいでかなり重たい。まかり間違っても私の細腕で持てるはずはなかったが、まあそこは能力でカバーだぜ。アレンくんには見えないように、片腕を霧化して分散、ユウを支えるのに使っている。
「……あれぇ?」
ふわりと、鼓膜が揺れる。遠くから聞こえる、これは……旋律だ。
歌?声だ、楽器じゃない。
「歌が……」
「聞こえるね。……近いな」
アレンとは逆の耳を空気に溶かし、飛ばす。どこだ、この声は……。
目を細め、集中して探す。この部屋じゃない、ここでもない、でも近付いてる。……見つけた。かなり広い部屋だ。
「あっちのほう」
「みたいですね。行ってみましょうか」
二人、重い体を引き摺りながら歩く。近付くにつれ、声はだんだん大きくなった。ゲージュツとかビジュツとかおぺらとか、そういうの私わかんないんだけど、でもこの声は綺麗。好きだ。
「古い歌みたい」
「知ってる歌ですか?」
「んーん。でも言葉が、今使われてる言葉じゃないと思う」
イタリア語は喋れないしよく知らないけれど。優しい、起伏の無い穏やかな音は、きっと子守唄だ。
足元の砂は重いが、それでもその歌が私たちの足を動かした。ホールへのアーチをくぐり、暗い廊下を抜けると、そこには。
地面に広がる金の髪。細い喉が震え、空気を揺らして音を奏でる。さっきの人形が、そこにいた。
彼女は気配を察して振り返る。
「あ、ごめんなさい、立ち聞きするつもりはなかったんですけど」
「……」
キミが人形だったんですね。アレンのその言葉にじとりと、彼女の目は翳る。そして静かに背後に手を伸ばすと、彼女は片手で……倒れた柱を持ち上げた。
ええええ、うっそお。
「どわっ!?」
「きゃ、きゃ、きゃ!?」
まだ意識の無いユウを抱えて避けるのは難しい。仕方ねーわとユウに覆いかぶさり、衝撃が頭上を通り過ぎるのを待った。顔を上げる隙もなく、二撃目三撃目が襲う。
「なんとかして、アレン!」
「わかってますよ!!」
トマを横たえるとアレンはイノセンスを解放し、彼女の投げた石柱を受け止めた。そしてそれを放り投げ、ホールにそびえる柱を全て叩き折る。うん、アレンくんならそうすると思った。建物の崩落の危険性とかまるで思い当たらないところとかホントかわいいと思う。
「お願いです、事情を教えてください」
しかしまじでおなか減ったなー、もう夜だぜ。
「グゾルは……彼はもうじき死んでしまうの」
ピッツァ、パスタ、ペンネ……あれ、ペンネってパスタの一種?
「それまで私を彼のために歌わせて。心臓はあなたたちにあげてもいいから……!」
そうそう、心臓ってソテーにすると美味しいんですのよ。ご存知?






彼女……ララというその人形のお話は、よくわかんねかったので割愛。
なんかよくわかんないけど哀しい気持ちにはなった。グゾルが人形だっていうのは誤解だったこと、二人が愛し合っていることも理解した。私そういうお話大好きでしたのよ、ええ昔は。昔はね。今はどうか?そんなこと、私にももうわかりませんわ。
最後。それはとても美しい願いだと思った。最後、最期、さいご。終わる瞬間を大切にしたいよね。
「グゾルはずっと私と一緒に居てくれたの。だからお願い……最期まで一緒に居させて」
グゾルが死ぬその瞬間まで、二人一緒に居たいと。
わかるわかるー。私も最期まで、引き剥がされたくないものはいくつもあるもの。何も持たない私でさえ。
「ダメだ」
「ユウ……!」
いつの間にか、隣で気絶していたはずのユウが起き上がっている。いつもながら復活早いなー、私も大概復活早い方だけど意識無いと復活できないからうらやまし。
「その老人が死ぬまで待つなんぞ、この状況でそんなわがままが聞けるわけないだろうが……ッ!」
まあそりゃ確かにねえ。
「俺たちはイノセンスを守るためにここまで来たんだ……今すぐその人形の心臓をとれ!!」
でもねえ。イノセンスのために戦ってるわけじゃねーしねえ。
アレンはきっと嫌がるな、と思いながら顔を上げる。わずかに逡巡する目と目が合って、私は頷く。好きなようになさいな。キミの、望むように。
「……取れません」
「……んだと」
「ごめん、でも……僕は、取りたくない」
こういうところが、クロスさまに少しだけ似ている。私の頬は知らないうちに緩む。クロスさまも、そういう人。目の前の選択肢に対して、選ぶべきか選ばざるべきかでなく、選びたいかどうかで選べる人。だから誰もが、クロスさまをいとおしく思ってしまうのよねェ。
ユウの手がいらだち混じりに伸び、自分の頭の下に敷いてあったコートを手に取った。そして、それはアレンに投げつけられる。
「そのコートは怪我人の枕にするもんじゃねえんだよ。エクソシストが着るものだ!!」
……あらぁ。うふふふ、ふふふふふうっふふ、ふふふふふ。なぁに、それ。
ユウは立ち上がり、六幻を手に取った。世界が重くなる心地。
「犠牲があるから救いがあんだよ 新人」
「……、」
息がヒュウと喉を凍らせる。何、それ。ねえ。
笑えるな、傑作じゃんか。あは、はあはあああっはははは、ねえ。
どうしたっていうの。ねえ。ねえ。ねえ。
「おもっしろーい……おいバカユウ、何さそれ」
「……やかましい、退け」
「ユウたんが傷つくのいやだから退かないー」
私は誰の事も庇わないけれど。それが何を傷つけるか明確にわかっているときは例外ですのよ。ついやっちゃうことってあるじゃない?そう、まさにそれなの。だからゆるして。
「いつからそんな、エクソシストみたいなこと言うようになったのユウは。いつからそんな、中央庁のおばかちゃんたちみたいなことを本気で思うようになったの」
「知ったような口叩いてんじゃねえ」
「知ったような気にもなるわよ、記録はいくつか見てるんだから」
「科学班に忍び込んで、か?そんなんで見れる記録なんざたかが知れてる」
「そうかもしれないけどっ……!でも、推察はできるんだよ……!」
教団がどこまでするものか、私はよく知っている。たくさん見たから知っている。あなたの記録は見れなくても。
「エクソシストなんて嫌いなくせに、イノセンスはもっと嫌いなくせに!」
「俺に咎落ちしろってか!?」
「そういうわけじゃないけど!でも嫌なことをむりやり……」
「うっせえな退けっつってんだろ!……お前が何を知ってる、エクソシストでもねえくせに」
「んなっ……エクソシストがそんなに偉いかー!ばかー!」ちゅどーん。
弾かれて落ち、地面に投げ出される。うごうご。一応ここまで運んであげたのにそれに対する対価がこれかね。私ゃ哀しいよ。
「お前たちには犠牲になってもらう」
世界のために。
ああ、彼だって言いたくはなかっただろうことを、わざわざ言わせている。哀しい。哀しいね。
けれど私には止められない。その重たい選択を背負うのは私じゃないからだ。エクソシストがそんなに偉いか、ばか。うん、偉いんだよ。世界のために戦ってるんだから。だから、この場で彼を止められるとしたらそれはきっと……。
「じゃあ、僕がなりますよ」
アレンだけ。希望の子。クロスさまの、唯一の弟子だけ。
「僕がこの二人の、犠牲になります」
犠牲ばかりで勝つ戦争なんて、虚しいだけだ。

アレンの言葉に、ぞわりと背筋が粟だった。ユウはその言葉を許せないだろうと、思った。
だってその通りだからだ。犠牲ばかりで勝つ戦争は、虚しい。そうだよ。でも、それなら。もう犠牲にされた人間は、どうすればいい。
ユウがアレンの頬を打ち抜くように殴る。血が足りない頭が揺れて、彼もまた地面に膝を着いた。
「とんだ甘さだなおい……可哀想なら他人のために自分を切り売りするってか……?テメェに大事なものはねェのかよ!!」
…………、
……あ、あ、あ。近付いてる。どくどくと体が脈打って、わかる。血が沸騰して知らせる。
あまりにそれが熱いから、私は声を出すこともできない。どうしよう。私が崩れ落ちたのに気付いて、トマが気遣うけれど、顔を上げることすらできない。
「違うよ……自分がただそういうトコ、見たくないだけ。それだけだ……守れるなら、守りたい」
血が、アクマへの怒りに沸騰する。ああ、ああ。アレンの腕を写した、アクマの鉤爪が。グゾルを、ララを、貫いて。
神は悪魔を赦さない。だから私も許してはならなくて。あうあうあ、ああ。
「イノセンスもーらいっ!!」
砂をまとったアクマが、ララからイノセンスを抜き取った。アクマの指先にイノセンスがひっかかっている。イノセンスがどろりとした光を纏っていた。怒っているのだ。神は神の者を知りたもう。神の者以外がそのいと貴き御身に触れることを嫌う。ああ。血が怒りを感知している。
息がうまく出来ず、くらりと頭が揺れた。酸素が無いと、頭は機能を停止してしまうのだ。あうあ、うあ。砂に手をついて、倒れこむ。アレンか。アレンの、イノセンスか。絶大なる怒りを抱いて、シンクロ率が跳ね上がり、アレンのイノセンスが形を変える。まるでガトリング砲。てめーこら同時に二つだなんて、さすがに受け止めきれなくってよ。入りきらないわ。
「ノエル殿……っ!?」
「……っはは、だいじょーぶだいじょーぶ……」
アレンの怒りは収まらずとも。それでも、あのララのイノセンスの怒りくらいは、解けるだろう。さっきアイツから逃げたとき、私の血を混ぜ込んでおいたから。手を伸ばす。さあ、戻っておいで。
私の血が、アクマの内側で蠢いて。アクマはぴたりと動きを止める。イノセンスはアクマには毒だから、大層な苦痛がお前を襲っているだろうね。
「っぎゃぁぁぁあああぁああああ!やめ、やめろ女ぁぁぁぁぁああ!!」
「やめないよ」
だってソレ返してもらわないと。胃かどっか適当に切ってお前に入れてんだよ?このままじゃごはん消化できないじゃないの。私、おなかがすいたのよ。
血は尖り、刃と化して、アクマの内側を削いだ。そして外側に向かって貫いて、アクマの右手に刺さるイノセンスを奪う。
そしてそこに、アレンの新しい対アクマ武器から放たれた細長い銃弾が突き刺さった。
「ウギャッ」
「……逃げた」
アクマはそれを避け、地中に逃げる。深く深く潜り、そして戻ってくるのが感じられた。
「そんなんで砂になってる私は壊せないよ〜!」
なっまいきな。逃げ惑うアクマに苛立ったアレンが、無尽蔵の銃弾を叩き込み始める。それは砂をえぐり、山を築くも、アクマの気配は消えない。砂の皮膚が衝撃を逃がしてしまうのだろう。
このままでは……懸念が募るなか、地面からアクマの顔が噴出すように現出した。
「アレン!!」
そしてアクマがどっぷりと、アレンを飲み込んでしまう。てめっ、アレンは食べ物じゃありませんよ!こら!返せこら吐けこらー!
「けけけ捕まえたァ!もうだめだお前、くけけけけ!!何回刺したら死ぬかなー!?」
アクマはアレンの腕を、己の腹に突き刺し始める。そこにはアレンがいるのに。
アレン、そう呟いた私にユウが舌打ちする。
「アイツは死んでねェよ」
「え?」
「アイツの殺気が消えてない」
私はイノセンスの有無は感じられても、そういうの感じられないから。戦闘経験の差か。平和主義者なんだよねェ私。
「アレン……」
見つめる先、砂の腹部。膨れ上がった其処から刹那、甲高い金属音が鳴る。アレンだ。アレンの左腕が、アクマの槍先を受け止めている。アクマの腹を飛び出した瞬間に、アレンの左腕はまた変形し始めた。シンクロ率の上昇をまた肌で感じる。アレンの対アクマ武器、その切っ先が、アクマの皮膚を引き裂く。
「変化してる……!」
「寄生型の特権だな」
そして地に落ちた彼は、再度対アクマ武器をコンバートすると、強い怒りを溜め始める。イノセンスの力が高まりゆくのが、私にもわかった。
「グゾルはララを愛してたんだ」
80年。
その長さに満ちたことのない私にはわからない月日。
愛し合うだけの日々、ただ二人で果てることが望みだった二人にとって、イノセンスは幸いであっただろうか。
「許さない!!」
アレンのその激昂を理解できない私を、神様どうか許してね。
目の奥で尽きる感情を。イノセンスは幸いであったのか。神様、あなたは誰を守りたもうか?
「あっ……」
プツン。糸の切れる感覚。突破してしまった気がして、喉の奥が震えた。
リバウンドした。アレンがどぱりと吐血する。
「もらった!!」
アクマの声と同時に、隣に居たはずの彼が動いたのを感じる。アレンに降り注ぐ毒手を、ユウの刃が受け止めた。
「ちっ……何へばってんだこの根性無しが!!あの二人を守るとかほざいたのは誰だ、あぁ!!?」
動けない私はほっと息を吐く。ユウはもー、ほんと優しいんだから。あまのじゃくさんね!
「お前みたいな甘いやり方は大嫌いだが……口にしたことを守らないやつはもっと嫌いだ!」
「……はは、どっちにしろ嫌いなんじゃないですか……。ちょっと、休憩してただけですよ」
「…………いちいち、むかつくやつだ」
ユウの六幻が、アクマの腕を切り落とす。二人のイノセンスが、一気にその能力を高めていくのを肌で感じる。シンクロ率が、ああ、ああ……アクマを食い破る……。
そして。







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