曇*2







「はい、これで大丈夫。
少し後が残るかもしれないけど……これなら動けるはずよ」

包帯の留め具を引っ掛けながら、保険医は眉根を寄せ、申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさいね、本当はここに居てもらいたいんだけど……ここも蝕の影響を受けるから」

つまりは、どこに居ても意味が無いということ。
怪我をしていようとなんだろうと、あのおぞましいバケモノからは逃れられないと。そういうことか。

「いえ………大丈夫です」

顔を伏せながら、シエは答えた。
右腕から、びりびりと麻痺するような痛みを感じている。
それでもまだ夢か現か、処理できていない。
くらくらとする頭は、まるで貧血を起こしているようだった。

「アイラちゃん、来てくれてありがとう。
あとは同部屋の人が手伝ってくれるから大丈夫よ」

アイラはアイラで、片付けやら大変だろう。
そう思って、アイラに笑いかける。
まさか誰かが来てくれるとは思っておらず、友達もまだ居ないシエは酷く心細かった。
だからアイラが来てくれてとてもうれしかった。その気持ちが、なんとかシエに笑顔を作らせてくれた。

「あ、そっか………そうだね」

アイラはそれを聞いて目を伏せる。
何かあったのだろうか、とシエは気になったが、よく考えたら当然も当然だ。
目の前で沢山の人が死んだ。
思い出すだけで、吐き気を覚えるような惨状だった。
私だって、目を閉じればまた真っ赤に視界が染まるのに――……。

「あなたは?どこかケガをしたの?それとも―――、」

「あ、いえ!私はただ、お見舞いに来ただけで!」

「あら、そうなの?良かったわ。
……さすがに見るに耐えない光景よね。
私も、もう九年目だけど、慣れることはできないわ」

「……そうですね」

九年か………、それも壮絶な話だ。
そんなに見ても慣れないなら、私がこの地獄に慣れる日など来ないに違いない、とアイラは思った。
こんな所で、あと一年。それを考えただけで、ぞわりと背筋が凍る想いがした。

「でも、辛ければ何でも言ってね?
私じゃ、聞くぐらいしかできないけど……ね?」

そう言って水島先生は微笑んだ。
それに少し平常心を取り戻し、アイラもまた微笑む。

「………はいっ!ありがとうございます!」

怖いけど、とにかく今は、これに耐えなくちゃ。
アイラは文字の刻まれた方の腕を、ぎゅっと握り締めた。










アイラと別れたgiven nameは、教室棟の中を歩いていた。
驚くほど誰もいない。みんな寮に引っ込んでいるんだろう。あとは保健室と、それに相当数があの世に行っちゃったんだろうな。
これから日を追うごとにどんどん減っていくに違いない。数名しか生き残れないのがこの学校の常。
アイラには中学時代の友人を探しに行くと言ったが、厳密には違う。
今から会いに行く相手は、友人などではない。
そう深い付き合いでもないし、生死を確かめに行くのではない。まさかこんなところで死んでいるわけがないから。
布を翻して教室内に入る。が、そこには誰もいなかった。

「ったく……あたしのクラスに集合、の筈だったのに」

相手が居ない苛立ちを隠しもせず、適当な机に腰かける。

教室は朝ここに初めて来たときと同じように復元されていて、さっきまでの闘いが夢だったような気さえした。
本当は蝕などなくて、あたしは普通の高校に通って。
そんな幻想を、抱いてしまう。
それでも、目を閉じると浮かぶ真っ赤な世界が、それを否定してくれる。
生き残ったのだと。
ようやくここまで来たのだと。

「……だめねえ、あたし」

given nameは震える体を律するように両手を強く握りしめた。
やらなくてはならないことが沢山あるのだ。
たかが人が死んだ程度で、参るわけにはいかない。
誰だかすら知らない人間の死になんぞ構ってられるか。

「何が駄目なんだよ」

「!」

突然後ろから声を掛けられ、体が跳ねる。
その聞き覚えのある声に振り返ると、目的の人物が無表情で立っていた。

「遅かったわね、って……あーらら、そんなとこに文字出ちゃったの?」

「うるさい。別にどこだって同じだろ。
しかし、想像以上のとこだなここは」

「嫌な意味で期待通り。あたしたちの目的が果たせそうで素敵だわ。
……で、用意は済んでるの?」

「当然」

そいつは胸ポケットから、小さな紙を二枚取り出した。
それは最初に、生徒全員に配られたあの紙。
given nameはそれを受け取り、真ん中に一文字書き込んだ。相手も同時に同じ文字を書き終え、紙を差し出してくる。
お互いの紙を交換し、胸の高さに持った。

「よし……じゃあ行くわよ、」

「「契」」

バチッ!
先程と全く同じ音がして、紙が弾けるように燃え上がった。
紙が一瞬で消え、同時にgiven nameは心臓近くに焼け付く痛みを覚えた。
今度はここか、と服の上から文字のあるだろう場所に触れる。
と、目の前の奴もまた、心臓の上あたりに手をやっていた。同じ場所に出たのか。

「完了、ね」

「これで互いに手を出せない……ねえ。文字には妙な使い道があるもんだな」

「そう。これで文字はお互いに干渉できない」

「よく知ってたな、こんな方法」

そいつは目を細めあたしを見下ろす。
不敵に見返して、「あたしの方が情報量多いのは当然でしょ」と言い返した。
数秒そのまま静止していたが、向こうが折れて、「まあいいか」と言った。

「……それにしても案外簡単に紙を手に入れたのね、この紙は貴重なものらしいけど。
担任は渋らなかったの?」

正直言って、この紙を入手してくるよう彼に言ったのは無茶振りだったのだ。
この『儀式』も、実験的な意味で行うつもりでいたから、もし実行できなくても構わないとすら思っていたし。
なのにいとも容易く手に入れたものだから、多少なりとも驚いていた。

「ああ、担任?した」

「え?」

「目玉抉って突き落とした。意外と簡単だったよ」

「ちょ、アンタ何言って…………!」

「駄目なんだよ、last name。敵はこの学校に居る人間全てだ。政府総てだ。
生温いやり方じゃ何もできないだろうが」

「……」

目の前にある目が険を持ってあたしを見つめる。
その殺気じみた視線に、こいつはやっぱり結構危ない奴なんだなあと思った。

「……まあ、好きにすりゃいいわ。
あたしたちの目的はほぼ同じ。やり方が違くてもグッドエンドを迎えられるなら構わない」

「任せとけよ。
俺が使えない誰かサンの代わりに、皆殺しにしてやるさ」

そう言って、男……朝長は口角をつり上げた。
あたしが「『盗』なんて使える文字のこと教えてやったのに、ご挨拶だわね」と言うと、彼は肩を竦めた。

「……さて。
じゃ、やるべきことは終わったわね」

あたしは机から降り、朝長の隣をすり抜ける。
入口に向かう途中、背中に声が掛けられた。

「生き残ったら、また」

「……。
当たり前のことを、わざわざ言わないでちょうだい」

あたしとアンタは、他の生徒とは違うんだから。
目的があって、そのためにすべてを賭けてここにいるんだから。
生き残るのは大前提。そこで終わってちゃお話にならない。

……それにしても。

「やっぱり……齟齬は生まれるなあ……」

この微妙な、そして途方も無い“ズレ”が、あたしと朝長の間に面倒を引き起こしやしないかと不安でならない。
特にあいつは、危ないやつだから……。
あたしは、どうしたもんかとため息を吐き出した。






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