考*1




何してんだコイツ。
given nameは本日何度目とも知れぬ疑問を抱きつつ、サンドイッチを口に運ぶ。ああ、絶品。幼少期は洋食に縁遠かったため、洋食でおいしいものを食べると感動が大きい。和食は既に味が内側に存在しているというか。文明開化期の洋物かぶれみたいなものか。所詮勘違いの、くだらない感傷が形を変えているだけに過ぎないのだが。
まぁそれはそれとして。

「ホント何してんのよ……」

「俺さぁ、メシここで食うの久しぶりだからさぁ。バイキングってつい盛りすぎる」

「あたしは何してんだって聞いたんだけど」

馬鹿野郎なので基本言葉が通じないのはいいとしても、何だコイツ。
given nameは目の前で大量の料理を貪り喰う義兄を睥睨した。given nameが遅い昼食をとっているところに突然現れて、堂々と目の前に座り食事を始めたのだ。何がしたいのかまるでわからない。

「あたしに何か聞きたいことでもあるの」

「へっ?い、いやべつに?べつに何も気になってなんかないし、別に誰の部屋で寝ててもお兄ちゃんには……何も言う権利ないし……」

「とってもその通りだわ。ほっといて」

「……いや決めた、言うわ。あいつ何なんだよ?天井裏から見てたぞ、ありゃ……ありゃ何なんだ?」

「こんのド変態が……!」

天井裏から見てた。その発言にgiven nameは目を剥いて、テーブルの下で奏の脛を蹴りつけた。奏が悲鳴をあげるのを見つつ、自分の更に残った一切れのサンドイッチを兄の皿の一番上に載せる。もう満腹だし、いらない。

「死ねこのクソ兄貴」

「うぼぉぉぉ!?……うっぐう……」

「シスコンっていうより、もう性的倒錯だよねそれ。通報すんぞ」

「うぐぅ……いたたた……。せ、性的倒錯ってのは、まさしくあの男のこと言うんじゃないの?何あれ本当、お兄ちゃんちょっと泣きそうだったよ?スゲー怖かったんだから」

「性癖は治らない」

given nameは微笑み、テーブルに肘をついた。普段ならしない仕草だと自覚があった。少しでも行儀に適わなければ祖母に頬を張られたものだ……でもその祖母は、ここにはいないので。
奏はじっとりと見上げるようにgiven nameを見た。

「ところでさ。お前なんで、俺が生きてることとか……違うな。何で“この学校のこと”を知ってた」

「心当たりないの?」

「ねぇよ……と言いたいところだが、一個だけある」

奏はゆっくりと自分の言葉に首肯している。そう、見に覚えがあるはずだ。
あれ自体は全部奏の汚い字だった。解読にアホみたいな時間がかかったことを覚えている。

「日記、だな」

奏の日記。
日記の存在は、奏の一番の秘密だった。一番恥ずかしい、それでいて一番誇らしい秘密なのだと思う。良い年して日記をつける男子なんて、と奏は落ち込むだろうが。
かつて彼は家庭が崩壊する瞬間を見た。母親を殴る父親を。

離婚は協議で決着せず、奏の父親の弁護士とgiven nameの父が家裁で争った。結果、given nameの父が勝利した最大の証拠は、ひらがなまみれの奏の自由帳だった。
父が母を殴るところ。鬼のような顔の父親。泣きながら奏を庇う……母親。
その絵や、書きなぐられたたくさんの言葉が、父親の家庭内暴力を立証した。奏は孤独な母を救い出した。その記憶が、奏に毎日日記を書かせていた。

「まだ書いてるの?」

「ん、まあ……習慣で。書かないと寝付けないの」

「でしょうね」

given nameは笑いながら頷いた。一緒に暮らしていたときも、ずっとそうだった。夜中に突然隣の部屋で大騒ぎしていると思ったら、日記が見つからないと部屋を引っ掻き回す奏。迷惑だったので、そういうときは踵落としをお見舞いしてやったのだが。

「……でも俺、あの日記……隠したんだけどなぁ」

「見つかっちゃったんでしょうね。まぁ、それをわざわざ遺品に詰めたのは不思議だけど……」

「……確かに、変だ」

楢鹿の真実を外に漏らすことなど、あの宝来管理官が許すはずない。それなら、やはり何か理由がまだあるのだろう。
それについてはもう考えた。結果、わからないということがわかった。のでもういい。今はもっと大きな問題がすぐ目の前にある。

紅茶を飲み干して立ち上がり、文庫本を手に椅子を立つ。呼び止めようとする奏のことなど気にも止めず、ついてくんなとだけ言いおいて食堂の出口に向かった。天気がいい。陽の差し込む渡り廊下を抜けて、寮にまた戻る道を歩く。佐野に食事を与えねばならないので、途中購買に寄った。あんな奴でも食べなきゃ死ぬ。そして与えないと、おそらくgiven nameを押しのけて自分で食糧を調達しに行くのだろう。

さすがにそろそろ好みも掴んできた。特に肉を与えておけばあいつは静かになる。魚はダメ。

「last name」

購買の入り口で、ふいに後ろから声をかけられて肩が跳ねる。悪いことをしているわけでもないのに。いや、授業にまるで出ていないというのは後ろめたさに関係あるか?どうでもいいことを考えつつ、given nameはゆっくり振り返った。

「日向……」

声で正体は知れていたが、それでも振り返ると微かな驚きが胸をうった。心臓が一瞬騒ぐ。何か用事だろうか?

「あー……今5限なんじゃないの?」

「サボりだサボり。……英語だし」

「いけないのー」

「お前にだきゃぁ言われたくねぇし」

そりゃそうだ。given nameはつい笑った。

もう夏も盛りが近づいてきている。日向とgiven nameは購買で棒アイスを買って、日陰のベンチに並んで座った。風に葉の匂いが混じって、清々しいんだか息苦しいんだか。
ソーダ味のシャーベットアイスを舐めながら日向が話を切り出すのを待つ。さんざん振り回している自覚はあった。だから、佐野のこと以外ならちゃんと答えて、詫びるつもりであった。これでも少しは申し訳ないと思っているのよ。

日向は逡巡めいた長い「あー……」の後、ようやく言葉を口にした。

「朝長とのこと、今度こそちゃんと話してくんね」

「そう……ね。朝長ねー……あたし、あいつとは前から知り合いだったのよ。それくらいは気付いてると思うけど」

ん、と日向は軽く頷いた。

「というか、家族を亡くしたことで、楢鹿のことを調べてね。それで知り合ったの。学年が同じだったこともあって、協力体制を作った」

「あいつが内部事情に詳しかったのはそれでか?」

「ん。あたしが奏の日記を見つけて知ったことを話したからね。似た話がいくつも都市伝説みたいにネット上にあって……それが信憑性を高めた」

朝長は必死だった。兄の仇を討つために。
その気持ちが痛いほどよくわかって、もう仕方なくて、given nameは必要以上に力を貸した。哀れ……だったから。

話を聞くたび己の中に溢れる希望が止め処なくて、対照的に彼は哀れだったから。

「朝長から話を聞いてたら……あたしのケースはごく一般的な楢鹿生遺族の条件に当てはまらないことに気付いてね。そのうち、朝長とはまるで違う境遇だってわかった。奏は生きてる可能性が高いって思って、そしてそれは真実だったわ」

「……オレが言っていいことかわかんねーけど。よかったな、兄貴が生きてて」

「……ん」

「姉キもいろいろ企んでるからな……昨日だって……ああ畜生」

潤目のことを思い出したのか、日向は憎々しげにアイスを齧る。それから、「甘」と呟いた。
少し暑いから、バニラは少し口に甘すぎるらしい。given nameもまたアイスを舐めるが、話し込みすぎたようだ。汗をかいたアイスは外側からも棒の周りからも少しずつ溶けて垂れ、指を流れ落ちていく。
わ、と慌てて手を少し前に出し、スカートに落ちないようにする。ああ、しまった。どうしようこれどうしよう。

そう思ったときだった。日向の手が伸び、アイスを持つgiven nameの右手を捕まえた。そして指先を伝うソーダが垂れて落ちるのを、日向の舌が舐めとった。given nameは動けない。動けぬ間に赤い舌が蠢いて、指の又に垂れた雫までもを拭い去る。代わりに温かい唾液を残しながら。

「ひな、」

「……夏はソーダだな、やっぱ」

そして棒に辛うじて引っかかっていた残りを一口齧る。そのせいでとうとうぶら下がることさえできなくなって、最後の水色のアイスは真っ逆さまに落ちて行った。
ふいに、日向の顔が少し赤味を帯びているのに気付く。と同時に、日向の持つバニラも地面に落ちた。

「ああー畜生……、」

「……何してんのよ、あんたは」

突如として奇妙なことをしたくせに、それを恥ずかしがるくせに、アイスが落ちたなんてどうしようもないことを日常の延長で悔しがってみせる。何がしたいんだか、given nameにはわからない。
わからないので、手を振りほどく。

「……バカ日向」

「お前顔赤いぞ」

「Holy shit」

「異国語使うんじゃねぇよ……!」

given nameは顔を背けて唸った。自分が彼を苦手としていることに気が付いて辟易。今更気付いても遅いだろうに。
今わかった。日向が本当に苦手だ。いつもいつも、彼のせいで動転するのだ。

日向が、自分も赤くなっていたくせにgiven nameをバカにしたように笑うので、given nameはもうこの場を後にすることにした。逃亡じゃない、戦略的撤退だ。

「おい、last name」

「あんだよ」

「前も言ったけどさ。何かあんなら、オレに言えよ。助けてやっから」

「前も言ったけど、何もない」

「何もないとは思えない」

さっきまでふざけていたくせに、そう告げる声はやたら殺気立っていた。反射的に足を止める。

「佐野だな。あいつに何かあるんだろ、蘭堂のこともあいつに関係してるんだ」

「……黙秘するわよ、あたしは」

「ああ、そうかい。じゃあもういい、勝手にしやがれ」

あからさまに面倒くさいと言いたげな仕草だった。それに勝手に傷付く自分は本当どうしようもない。
今更だし、自業自得だ。あえて招いたのだ。信じてなんてもらえないから、誰かを信じることもやめた。それだけだ。
悪魔の子だから。父親知れずの悪魔の子供はいずれ育ち、悪魔そのものになってしまった。復讐以外に従属しない、災禍の悪魔。

given nameはもう一度歩き出そうとする。もうここにいる意味もない。手にはカバーのついた文庫本と、アイスの棒だけ握って。

「でも、呼べ」

「……え」

「どうしようもなくなって、にっちもさっちもいかなくなって、それでも助けてほしいときは……ちゃんと呼べ。助けに行ってやる」

「……あたしを?あんたが?」

戸惑った。日向の言う言葉の真意を、図りかねて。
含みがあるのかないのか、それさえわからない。だから中身もわからない。

「どこでもいいから、いつでもいいから。呼べよ」

「……」

日向はそう言って立ち上がり、校舎の方へ歩き出してしまう。given nameはといえば、動き出すこともできなくてしばし沈黙したまま固まっていた。

「……なんなの」

given nameはそれでも、結局は踵を返す。学生寮の方向へ続く廊下に戻るのだ。途中、手の中にまだ残るアイスの棒に気づき、近くのゴミ箱に放り込む。手は唾液でべとついている。
本当になんだっていうの。

遠くで五限の鐘が鳴り、given nameは驚いて肩を跳ねさせた。そして同時に気付く。

「佐野のご飯……買い忘れた……」

全部日向のせいだ。日向が変なことするから。変なこと言うから。Bugger off.
given nameはもう一度悪態をついて来た道を戻り始めた。耳の奥に、鐘の音に混じって日向の言葉が残っていた。そうしていつまでも、残りそうな気がしていた。





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