瞞*1
『あら……そう、動いたのね』
用事があるからあたし帰るねーとか言い出せない雰囲気のまま、日向の部屋へ向かい。日向がパソコンのスイッチを入れると同時に顔を出した日向姉が、怒りの狭間に吐き出したのはその一言であった。
『last name。バレたんならアンタ今月給料3割カットね』
「うえ、まじすか。管理官のドケチ」
「いいじゃないあんた死人なんだから。この際生ける屍としてこのミスでも狙ってなんか書けば?」
「お前はほんとお兄ちゃんに冷たいよね。一応言っておくけど俺生きてるんだからね?そこんとこまず認識しろしてください」
「――そろそろ説明してくれ」
奏を睨みながらやなこった、と舌を出すgiven nameはあまりに平常だ。だからこそわけのわからない日向は、given nameを真っ直ぐ見据えてそう請う。
彼女はそれに「んー」と迷うような声を上げたが、宝来も奏もそれに反応を返さなかったので、ならいいかという表情で口を開いた。
「大筋はさっき話した通り。死んだように見せかけてる可能性に気づいたから、それを暴くためにひと芝居打っただけ」
「ひどい芝居だったな」
「やかましい。あんたにやられた以上のことはお返ししてない」
ふん、とgiven nameは顔を背けた。誰も知らない、血まみれの道路。足元に転がるヒダリウデ。迎えに行ったgiven nameだけが見た、懐かしい血染めの記憶だ。この男は人のことを鉄の女だと思いやがって、傷つかないと思っているに違いない。
「……朝長のことも含めて。最初から、教えてくれ」
「結局そこが聞きたいんでしょうが。……あたしも、別にすべてを知ってるわけじゃないわよ」
そう言って、given nameは少し苦く笑った。
さて事の顛末は、どこから語ればいいだろうか。
「奏が楢鹿に入ったとこ?黒川に拾われた話?朝長とのファーストコンタクト?」
「待て待て待て待て!!く……黒川?」
引っかかっちゃったらしい奏がgiven nameに詰め寄る。あー失敗した。黒川の名前出さなくてよかったのに。頭のなかのインデックスをそのまま吐き出した結果がこれだよ。
てゆーかそもそも黒川何の関係もないじゃん、とじゃあ朝長の話をしようとする。が、奏がそれを許さなかった。
「拾われた……拾われたって何。ナニ!?ヤクザの跡取りに拾われたってナニ!!何してた!ナニしたナニさせられた!!」
「うわーめんどくさい感じに曲解してるこいつ……いいじゃんその話後にしようよ、まず日向たち関係ないしその話、そもそも知らないし黒川」
そうだな、関係ないし朝長の話をしてくれ。
きっとそんな助け舟を出してくれるだろうと思いながら日向の方を見やると、日向は何やら口元をヒクつかせながら青いんだか赤いんだか聞きたいんだか聞きたくないんだかな表情をしていた。どうしたお前。
「い、いや……えーと、」
「話しなさいライトナウ」
「聞きたいよなミソも聞きたいよな」
「異国語使うなミソって言うな……!」
ノアがこちらをガン見して話せ話せと迫り、美濃がそれを後押しし、その後ろで日向がうなだれた。何やら、三人の中に共通認識があるようなニオイがした。
仲いーなあ、なんて思いつつ、given nameは仕方なく黒川のことも少し話しておくことにする。
「って言ってもなあ、別になんも特筆するようなことは……あいつ、妹が居てさ」
「ああ、知ってる。見たことある」
結構可愛がってたよな、と奏が思い出す素振りをする。
そう、黒川には妹が居たのだけど。
「で、奏が死んだ丁度一週間後に亡くなったらしいのよ。その妹が」
「……え」
「それで、まあ兄妹を亡くした者同士のお助け合いがあっただけです」
実態は助け合いマイナス、合いか愛。助けられてただけっていうのが一番正しい。助け合いっていうのは、「ねえ隣の奥さんお醤油切らしちゃったんだけど借りていいかしら」「あらいいわよ代わりに今晩旦那さん借りていいかしら」みたいな、相互扶助もとい相互幇助のことを言う。多分。嘘ではない事実助け合いの一例である。
つまり客観的に俯瞰的に失笑を込めて呼べばあれは助け合いなんかじゃなく、兄妹ごっこだ。兄にしてほしかったこと、妹にしてあげたかったことを果たすための、つまり茶番というやつである。前も全く同じことを考えた記憶があるな。どう考えても茶番だったってことだ。
「そんで、高校行く段になって。楢鹿行こうと思って。黒川も賛成はしてなかったけど、その割に銃の試し打ちとか付き合ってくれたわね。国内でやるのは難しいから」
「えーと……待ってくれ、話がこんがらがってる。つーかちょっと待て……そもそも、あんた……奏さん?何なんだ?実際生きてるわけだから、死んだカモフラージュをして……え?」
「管理官、弟さんが混乱してますけど説明したげないんすか」
『めんどくさいからlast nameあんたやれ』
「ええー……俺すか……」
混乱を極めだした頭で日向は考える。
死んだふりなんて、個人に可能か?検死だってするだろうに、それをごまかすことは可能か?
「あー……俺の、つーか俺とgiven nameの家な、生活が困窮してて。伯父さんが借金作っちゃって、父さんは弁護士だからバックれるわけにもいかないし。
そんで、借金返したいってのもあって俺楢鹿入ったんだけど。なんとか生き残ってここを出た日、管理官に持ちかけられたんだな」
企業スパイっていうか、学園スパイっていうか。
へへ、と奏は笑って続ける。
「俺はヤマを見張る、それについてはヤマにも人間の小間使い的な人間をあてがうって理由で話はついてる。死んだ扱いになって家族にはもう会えないが、その代わり一括で、借金全部返せてかつ手元に残るような額を家族にやる、って。楢鹿でスパイするんなら衣食住タダだから給料なんてほとんど必要ないし。
ぶっちゃけ、いくら偉くなれるって言ってもさ。一括で金返せなきゃ利子でどんどん膨れ上がるし、父さんの社会的信用とかgiven nameの今後とか考えたら、こんなにおいしい条件ないなって。given nameも楢鹿に来るっつってたし、それを止めてくれるって話だったし。止めてくんなかったけど」
「……んなこったろうと思ってたけどこいつほんっと……ほんと馬鹿ねあんた……」
聞いているうちにみるみる表情を曇らせたgiven nameががっくりと項垂れる。
「なんでさ!」
「まずアンタが楢鹿に残るメリット。そのいち、金銭面。これは単純な計算で、うちの借金数百万に加えて手元に残ったのが一千万。あんたが月もらえる額は?」
「えー?えっと……多くて十万、くらい?」
「ふぅん……アンタが何年ここでその仕事をするつもりだったか知らないけど、あと50年仕事をするとしましょうか。アンタが得るのは通算で六千万。政府がアンタに提供する金額は八千万弱。
普通に政府に勤めていたなら最低限もらえるだろう額がおよそ四億。どっちに>つければいいかはいがんばって計算して馬鹿兄貴」
「……え……え……えええ……」
目の前で頭を抱える義兄を見て、前から知っていたけれどやはりこいつは馬鹿だとgiven nameは再確認した。家族でなければとうに粗大ごみに出しているくらいには馬鹿だ。
それでもまだ脳は回っていたらしく、「あっ」と何かに気付いたように顔を上げる。
「でもホラ、一括で返したかったから!」
「相手が闇金の場合金は返さなくていーの、民法708条。銀行の分も考えて、自己破産すると弁護士資格なくなっちゃうからってあの人たちは渋ってたみたいだけど……。
もちろん借金取りはそんなの知ったことかと取り立てに来ただろうけど、それなら文字持ちに一旦帰ってきてもらって、家を守ってもらったほうが良かったかもね」
「えー……」
さて、まだまだ問題はある。
例えば……奏が己の入学を阻止しようとしていたこととか。given nameは委細を尋ねることにした。
「なんで入学をアンタが阻止したかったのかはまあ、聞くまでもないけど。でも、なんでソレ、うまくいかなかったの?」
「それはねぇ……俺しばらく死線彷徨っちゃった系な?ウィ?」
「死ねばよかったのに……え?死線?」
問い返すと、奏は幾度か頷いた。
「俺ねえ、かなり上手く生き延びたんだけどさ、卒業の直前の最後の蝕で……詳しくは言わないけど、大怪我して。そんで意識が戻るまでに、一年近くかかったんだ……で、目が覚めたらgiven nameの入学届けが既に受理されてた」
「あんたホントバカだわ……バカすぎて吐き気してきた……なんなのコレ……」
こんなバカと苗字を同じくしていると思うと死にそうである。っつーか死んでしまいたい。
「でも何で楢鹿に入っちゃうんだよgiven nameー……そのせいで俺の人生設計ぼろぼろだよぉー」
「笑うところ?これ……。楢鹿に入ったのは別にあんたのためだけじゃないから、それには別に拘んなくていいわよ。バカバカしいし」
「へ?」
日向とその姉以外がぽかんと口を開けてこちらを見た。奏にとっては特に驚くべき内容だったらしい。
given nameにとっては当然のことなのだけど。
「何であんたのために?こんな?アホみたいに危険なとこに来るわけ?第一……どう転んだとしても、あたしはあんたを連れ戻せないってわかってたしねえ。検死その他もろもろを誤魔化すような機関相手じゃどうあがいても犬死によ?」
『上品な妹さんをお持ちで羨ましいわlast name』
「あたしも清楚で虫も殺せなそうなお姉さんをお持ちの日向が羨ましいわ。ともかく……あたしに話せることはもうない。何もね」
given nameはそう言って肩を竦めてみせた。まさしく、もう話せることなどない。話す気もない。
だから最後に、一つだけ。
given nameは手の中に、鋭利なナイフを創りだした。それを見て、アイラが驚きに目を瞠る。そんなの構っていられない……given nameは手を伸ばし、奏の襟口をひっつかんだ。そしてナイフの先端を、奴の左腕目掛けて突き立てる。
深々と柄まで突き刺さって……しかし奏は動じなかった。一切。痛みに悲鳴を上げることもせず、驚いて硬直したわけでもない。ただ単純に、なんとも思っていないようだった。
左腕は、あの日、奏が死んだとされる場所に落ちていた一番大きな身体の部位だった。それ以外は、ほとんどミンチになっていたから。だから今奏の左腕には何がついているのか知りたかったのだ。ほくろの位置まで正確だったあの腕が、誰のものだったのか。
そして、答えは明らかになった。
「……これは、俺が創ってるだけの腕。動くし使えるけど、血は出ねぇな」
「……そ。それを聞けてよかったわ、あんたが一切身を切らなかったわけじゃないって」
given nameはナイフ……否、贋物の、何かに当たると刃が柄に収まるナイフを床に投げ捨てた。それは数秒で、ふっと掻き消えた。
それを静かに眺めてから、given nameはしかし目を細めて奏の腹にパンチを叩き込んだ。
「でも、家族としては……あの腕は贋物だった方が、嬉しかったわね」
もう返事を待つ気はない。
後を追ってくる奏にも構わず、given nameはさっさと部屋を出た。もう二時間近く、佐野を放置してしまっている。早く監視に戻らなければならなかった。
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