業*1



特に痛む場所もなく、寝起きのようなだるさも一切なくgiven nameは目を覚ました。
あまりに綺麗に目覚めすぎて一瞬全て夢だったかと思ったほどだった。まさしく言い得て妙な蝕、とかなんとか関係のないことを考えながら立ち上がる。
近くには朝長。そして少し離れたところにアイラと、裂けたカーテンの下で蹲る体勢の少女が一人。目覚める気配はない。どうやら、自分はまたも早めに脱出できたようだ。

「ああ……頭が痛い……、っと、いけない」

先ほどまで居た異質な色合いの場所のせいでまだ目がしぱしぱする。少ししてしっかり見えるようになって、驚いて半歩引いた。朝長の右腕が、切断されている。
すぐに美濃の説明を思い出した。中で受けた傷が、反映されているのだ。

腕が切られるっていうのは、どういう状況なんだ……?

一瞬考え込んだが、今の自分には関係ないと頭を振って強制的に思考を追いやると、朝長の横に膝を着いた。早く鍵の現物が欲しかった。いくら自分が早く出られたといっても、10分も20分も誰も出てこないとは思えないから。
上着の内をポケットを漁ると、存外それはさっさと見つかった。それは女子寮とは違って普通のシリンダー錠で。何で女子寮と男子寮で鍵のタイプが違うのだろう、なんてことをgiven nameは今更考えた。
じっと鍵を見つめ、観察する。鍵が無くなっていたら忍び込んだことがバレバレなので、こうしてスペアを『創る』のだ。手の中にぽとりと落ちてきた全く同じ鍵を握り締めると、彼女は本物を元の場所に戻した。
これが、三つ目の『ごめんね』だ。見殺しにして、ごめんね。でも、あたしにも目的があって。そのためになら、君の亡骸だって漁る。

「これでよし……と」

とにかく、急ごう。
蝕の終わりまで、もうあまり時間はない。
そう思って立ち上がろうとした、のだけれど。

「あっれー?given nameちゃんだ」

「!」

後ろから素っ頓狂な声。
びくりとして振り返ると、それは黄葉だった。あの、変なほうの黄葉。

「何してるの?」

「い、や別に」

「そう?あ、トモナガだ。見つけた見つけた」

黄葉は笑ったまま、given nameが座り込む反対側に膝を着くと、すっと朝長に手を伸ばし……given nameは、言葉を失った。
手がぐぷぐぷと朝長の喉もとに沈みだしたのだ。人間の体の構造というか、そこには皮膚があるとか、そういった常識以上の常識をすっ飛ばして手は入り込んでゆく。
え、え、と意味を持って響かない声の彼女とは裏腹に、鼻歌でも歌いだしそうな調子の黄葉は、目的のものを掴むと、一気に引きずり出した。

「なっ……」

いくら見るのが初めてでも、それが何なのかわからない人間など居ない。
どくりどくりと脈打つそれは、確かに……心臓だった。

驚きのあまり直視できず、given nameは思い切り目を背けた。自分の息が乱れ、心臓がうるさいくらいに怯えているのを感じた。背筋も凍る。
数瞬はそのまま、それでも自衛本能から結局は、近くで機嫌良さそうにしている恐怖の対象に目を向けた。
心臓は、もうそこにはなかった。が、代わりに黄葉の首、シャツの襟とその下の辺りが真っ赤に汚れている。考えるまでもなく、それは血だった。
直感的に気がついた。朝長の心臓は今、其処にあるのだ。黄葉の左胸、そこで今は脈打っているのだ。
いや移植するにも血液型とか、形とか、いろいろと条件があるだろうに、と見当はずれな考えばかりが浮かぶ。そんなことを考えている場合ではないというのに。

「どうしたの?怯えちゃって」

「……」

「心臓ないとね、黄葉くんは生きられないんだよ?だからしょうがないんだよ」

何か、いろいろとずれたことを言っている。この男は。
given nameがじっと顔を上げると、酷く冷たい目が至近距離でこちらを覗きこんでいた。

「そういえばさ、日向くんたちに聞いたんだけど……given nameちゃん、こいつと繋がってたんだって?」

「……は?」

「それってもしかして……黄葉くんのことも、君のせいだったりするのかな……?」

笑う顔はすぐそばにある。逃げられない。息がかかる。手が伸ばされ、耳の後ろに体温を持って触れた。
現実が悪夢に追いつくように、何故か足元にどろりとしたものが纏わりついて、彼女は立ち上がることもできなかった。

どうする。どうすればいい。戦う?銃でも持って?……だめだ、蝕の決まりをぶち破って扉をこじ開けるような人間だぞ。勝てるわけがない。まして、彼は『黄葉』なのだ。万が一にも勝てるとして、銃を向けるわけにはいかない……。

ぐるぐると回る思考を収拾せんとする脳内をよそに、三日月のように吊り上げられた口角が視界に入る。
それから、凍てつく双眸も。妙に整っている分の迫力が、殺気に上乗せされていた。場は完全に握られている。手持ちのカードは、最初からゼロ。
畜生。そんな汚い悪態と共に、given nameは唇を噛んだ。諦めたくない。ここで意味もなく、こんな得体の知れない何かに、抗うことなく殺されるなんて嫌に決まっている。ふざけるな。
それでももう手が浮かばない。絶対的な恐怖。彼女がそっと目を伏せた、そのときだった。

「あ、六道くん!!……given name!?」

その声はよく知ったもので、ハッとgiven nameは顔を上げる。
と、アイラは安堵に表情を緩ませ、こちらに向けて駆け出そうとしているところだった。

「良かった、二人とも無事だったんだね!」

「待て!」

そして、そんな彼女を止めたのは日向だった。
彼は気がついたのだろう。given nameと、六道と呼ばれている青年との間に漂う異様な空気にも、そして床に横たわる朝長にも。

「last name。……こっち、来い」

一瞬の躊躇いがあった。その理由は、未だに微笑んだままの近くにある六道の顔であったり、日向が捕まえたアイラの手だったり、冷たく足を掴む床の温度であったりした。
それらが自分を縫いとめる理由には見ないふりをして、ようやっと彼女は立ち上がる。
そうして『六道』に背を向けて。右、左と、なんとか足を動かし、途中からは小走りで日向のもとへ向かった。と、アイラを掴んだのと反対の手で、given nameを日向の腕が庇う。ほっと、心臓が安心した感覚がした。

「何?オレ、何かしちゃった?」

「……いい加減に答えろよ、お前はどこの誰だ?」

「日向くんこそ、いい加減に何回聞いたらわかるの?オレは同級生の六道だよ」

「答えになってねえだろ……!」

ぎり、と歯噛みする日向に、『六道』はふう、とため息を吐く様に笑った。

「忘れちゃった?みんなの側に……ずっと一緒に居たじゃない」

「お前じゃねえよ!!」

「……」

やれやれとでも言いたげな様子だった。given nameはそこで初めて、本能的に理解した。別人だ。『黄葉』とは完全なる別人。『黄葉』の意思に関わらず動き、自分たちにそれについて説明する必要を感じていないほど遠くの存在だ。

「……大将が戻る刻限だ。みんな迎えてあげて」

「待てよ!!……おい!」

ふっと、文字の力が関係あるのかわからないが、それまでの姿が掻き消えるようにして、本来の黄葉に入れ替わる。
黄葉は意識がないらしく、朝長の横にドサリと倒れこんだ。それを見て、アイラが駆け寄る。

「六道くんッ!
あ、良かった息してる!息してるよ、ねえっ……」

その言葉に、内心でふっと安堵の息を吐く。……因果律はきちんと働いたらしい。今回は、だけれど。
と、視界の端で、難しい顔をした日向が踵を返した。姉にでも報告しに戻るのだろう。
それを見送って、彼女もまた男子寮へ向かうことにした。これ以上待てば、蝕が完全に終了し、大抵の生徒が寮へ戻るだろうことが予測されたためである。目撃されるべきではない。といっても、最近はほぼ佐野の部屋に居るため、今更感は否めないが。

「(佐野……か……)」

悪役は、ヒーローに倒されると決まっている。
それならば、この話のヒーローは一体誰なのだろうか……そんなことも、思考の片隅で放置しつつ。






がちゃり。鍵は当然の如く回る。
がらんどうの、誰の声もない部屋に入り込む。空気は静寂に満ちていた。

「さて……」

まずはパソコンだ。ネットに繋がらないとしても、あいつは必要な情報を保存するため持ち込んでいるだろう。情報はネットでやり取りしていたのだから、掲示板のブックマークだとかもある。
指紋を残さないために手袋を創り、机の一番上の引き出しを開ける。小型のネットブックを取り出し、手元に創った鞄にしまった。これでOK。
次はアナログな記録だ。朝長がある程度賢ければ、given nameとのメールや掲示板を印刷したものがあるはずだった。
引き出しを漁り、閉めて、次を開けてを繰り返すが特に見つからない。あいつがバカなだけか?……有り得る。とは考えるも、無いかどうかは見つかるまでわからない。一応、机を少し持ち上げてみた。

「……うわ、マジであったよ」

ごめん朝長。バカにしてたわごめん。
完全に持ち上げるのは無理なので、机の上のノートや教科書を少しずつ滑り込ませて隙間を作ると、彼女は数枚の紙を引っ張りだした。
もう何もないことを確認してからノートと教科書を引き抜き、改めて抜き取った紙を眺めることにする。

「あらあ……」

それは自分とのメールや掲示板のやり取り記録ではなかった。朝長はどうやら、given nameを売る気は特になかったらしい。だが……。

「思ったよりお宝ね、これは」

given nameはひとり微笑んだ。日向姉との交渉に使えるかもしれない。なかなかに良いものを遺してくれる。

さて、もういいか。何もかもの痕跡を消すっていうのも、逆に不自然だ。自分との関わりさえ消せればいい。
given nameは部屋を出ると、鍵を回した。これでよし。全てクリア。朝長も死んだらしい。全て、全て完了した。

「あっgiven nameちゃんじゃん」

「……美濃くん」

手放した瞬間に溶けるように消える手袋を投げ捨て、もう無用の鍵をポケットに滑り込ませながら、廊下を曲がろうとした瞬間だった。
先ほど別れた日向と、ノアと、三人仲のよろしいことで。隔離型だったため、まず互いの安否を確認しに行ったらしい。

「なあ、佐野の件だけど……」

美濃が小声で口にしたその言葉に、given nameは一瞬眼差しを険しくした。決して美濃を睨む意図はなかったのだが、それで話したくないということを理解した美濃は、自主的に口を噤んだ。
意味ありげな二人の表情に、置き去りの日向とノアは怪訝そうな顔をしたが、美濃が口を割るかどうかは美濃に任せることにした。

「……あたし、用事あるから」

「あ、おい!」

行き違おうとするgiven nameの腕を、日向が引いた。
その腕が思いのほか熱を持って触れるから、驚いてつい、身が竦む。びくりと跳ねた彼女の肩に、日向も驚いて手を放す。

「わ、悪ぃ……」

「……いや……こっちこそ。
で、何?何か、言いたいことでも?」

「ああ……ここ最近の、お前の行動についてなんだけどな……」

別に気にしなくていいというふうに腕を振ると、given nameの方から切り出した。
彼女の方から始められた会話なので、言い辛いようで日向の声が淀む。
それを見ていて、途中から苛々しだしたノアが「だああ」と場を壊すことにする。

「三ちゃんは駄目だもう!駄目だ役に立たない!」

「誰が役に立たねえってんだこのやろう!」

「英語の話せない外交官くらい駄目野郎だこいつは!駄目だ!」

「おい英語の話だけはするんじゃねえよ……!」

ノアが思い切りよく日向を罵倒しているのを横目で見ながら、given nameはとりあえず美濃に「日向は英語苦手なの?」と聞いてみる。それに対し、含み笑いの美濃は「あー、もうすぐ中間テストだから。そしたらわかるよ」と漏らした。

「って、そんなことはどうだっていいんだった……!given name!ちょっと言っておきたいことがあるわ!」

「あー……はい、ナンデショウ」

そういえばノアと日向が自分に用があったらしいということを思い出したgiven nameは聞き返す。と、ノアがgiven nameの両肩を掴み、ぐっと顔を近づけた。

「不純異性交遊は駄目よ、ゼッタイ」

「何の話してんの?」

冗談じゃない。そういう思いで、目を細めたgiven nameは問うたが、ノアはもう聞いていない。

「駄目よゼッタイどれくらい駄目かっていうと麻薬くらい駄目よアンタ最近寮にも戻らずどこにいるのかと思ったら3組の男子の部屋に愛の巣築いてるって噂が流れてるわよ!学校にも来ないし!その男子も含め!」

「なんか……ものすごく不愉快な単語があった気がする……。いや違うからね、あたし何もしてないからマジで」

「じゃあ一日中どこに居るのかおねーさんに話しなさい今!ナウ!」

「だから英語を使うんじゃねえよ!」

「黙っときな三十」

がくがくと肩を揺すりだしたノアに、あーそうかそんな不愉快なことになってるのか外では、なんて呆と考える。
まあでも、そう否定しても、理由は答えられないわけだから。

「楢鹿に出席日数なんてあってないものだったはず。テストで点取ればいいんでしょ?それならなんとかなるわ」

「そういうことじゃなくて!そういうことじゃ、ないわよgiven name……!アイラちゃんだって、すごくすごく心配して……!」

「じゃあどういうこと?ご心配は有難いけど、自分の命の責任は自分で負ってるつもり、あたし」

本当に、有難いけれど。今はノーセンキュー。そういう意図を込めて言うと、ようやくノアが手を放す。脱げかけのところまで落ちたカーディガンを引き上げると、given nameは「用はそれだけかしら」と日向の顔を見た。
と、怒ってるような、嘆いてるような、それでいて憐れむような視線とかち合って、なぜだかすごく気が急いた。
だから、「それじゃ」とだけ言って、この場を離れようとする。その背中に、日向の声が掛けられる。

「お前……何か、『ものすごい厄介なこと』に巻き込まれたり、してねぇか?」

「……は?」

「オレの勘違いなら、それでいい。朝長とのつながりについても、姉キや政府のほうにはうまく誤魔化しておいた。あとはお前が安全でさえいれば、それでいいんだ。
だからもう一度聞く。『お前は何を隠している』?いや、佐野か?あいつに何かあるんだろう。お前は、それを知っていて、黙ってるんだ。……違うなら否定しろ、それでこの話は終わりだ」

つい、美濃に視線を向けてしまう。が、美濃は慌てた様子で首を横に振った。蝕でのことは、話していないらしい。
それにしては……いや、たとえ蝕でのことを知っていたとしても、日向の話は『的を射過ぎて』いた。ど真ん中、ストライク。

「でも、オレの言ったとおりなら。いや言ったとおりでなくてもいい、オレの言いたいことが理解できるなら。
全部オレに話せ。オレが助ける。絶対にお前を助けるから」

だから、隠さないでくれ。

given nameの唇が震えたことに気がついた人間が、そこに居ただろうか。
いや、given nameでさえ、知らないかもしれない。自分が、それに甘えたいと心底願っていることなんて。助けてほしい、だなんて。

「……な、に言ってんの。見当違いも、イイトコよ……。あたしは別に危険じゃないし、別に、一人で……なんとでも……」

「……そうか。それが、とりあえず今のお前の答えか」

日向は一人頷くと、顔を僅かに歪め、この話を切り上げることに決めたらしい。「手間取らせたな」とだけ言って、歩いていってしまう。
それをノアが「ちょっと三ちゃんー?」といぶかしむ声音で追いかけ、残ったのは美濃とgiven nameだけ。

「あいつ。すげえよな」

「……」

「オレ何も話してないんだよ、マジで。あいつは結構……なんていうか、悪賢い奴だけど。
でも、given nameちゃんを今、一番気にしてるのはたぶんあいつだよ。だからあいつの言うこと、うざいかもしんないけど、ちゃんと聞いてやってくれ」

「……君たちは、」

友達思いなのね。
ふっと、笑うように吐き出した息。真っ当な友情さえ、今はgiven nameの心を刺す。だけどそれは、どこか逃げたくない痛みだった。そこから逃げたら、あたしのホワイダニットが薄められてしまいそうで。

「ま、仮にも幼馴染だし?
……困ったことがあったら、あいつに言いな」

きっと、全力で助けてくれっから。もちろん比良坂さんも、六道もだけど。

そう快活に笑って、美濃もまた二人のあとを追いかける。
それを見ながら、given nameは内心で苦笑した。

「それができたら……そもそもあたしは……」

こんなとこに、わざわざ来てないんだっつーの。
零された言葉は、泣きたいような色を持って響き、そして誰にも届かなかった。

それでいい。因果が誰しもに訪れるのならば、あたしだって救われるべきではないのだから。




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