遭*1






色は反転して、そして濁ったような世界。
赤い水がどうしたって血を連想させる、気味の悪い場所。
そこに、彼女は横たわっていた。

「誰だ」

しばらくして、おもむろにぱっちりと大きな目を見開いた彼女が最初に呟いたのは、その一言だった。
それは、「生徒数はたしか3の倍数じゃなかったはずなのに誰が死んだせいで隔離型なんて面倒な蝕が起きたんだコンチクショウ」というものと、「これが隔離型なら今回組むのは誰なんだ」という二重の意味を孕んでいたが。
まあ前者は今はいいか、とgiven nameはとりあえず起き上がる。今の問題は、後者と今回の制限時間だ。
そう思って、顔を上げた時だった。

「あれ、given nameちゃん!?」

「……美濃くん」

given nameは少々呆けたように返す。あの仲良しグループの一員ではあったけれど、互いにおそらく最も会話が少なかったと言える相手だったからだ。
given namegiven nameと、一応の知り合いだったこともあり気安い袴田のせいで(というか奴は彼女のラストネームを知らなかった)下の名前で呼ばれてはいても、親密とは言い難い間柄。クラスも違うため有り得ないが、たとえば化学の実験で班になったら会話に困る程度の。
それでも蝕ではとんでもなく僥倖と言えた。なんせ、二人の仲間のうち片方が知り合いで、自分に敵意を抱いていないのだから。
これが朝長と繋がっていることを知っている四組の人間とか、むしろ朝長本体だとか、更にひどい向井だったりしたら、生きて帰れない気がする。……向井だったら確実に殺されるな。

「美濃くんとなのね、今回は」

「ん、よろしくね」

「あと一人、誰だろう……」

given nameは脱げ掛けていた靴をとんとんと整え履きなおす。そのときだった。妙な違和感を覚えた。
……なんだ?何か、何かが違う。それはわかる。でも、一体なんだ?何かあるべきものがない、みたいな……そんな……。

「あ」

given nameは気がついた。影が、ない。
地面に手を向け影ができないことを確認する彼女に気がついた美濃が、「ああ、たぶんここには実体がないんだ」と口を開く。

「体は学校に残されてるんだよ。ここを脱出すれば、体に戻れる筈だぜ」

「へえ……そういうの、日向経由で?」

「ああ、隔離型は一緒に対応できないからな。離れたときのために、隔離型だけはいろいろ教わってるんだ」

なるほどね、と彼女はため息を吐きそうになる。政府関係者補正か。全く、それならこんな学校で英語や物理を教えるんじゃなく、蝕で生き残るノウハウを教えればいいのに。彼には何の責任もないことなので言うのはやめておいたが。
さて、もう一人は誰が……。

「あ、last nameさん。それに美濃かー、良かった両方知り合いだ」

「うわ、佐野……」

「えgiven nameちゃんなんでそんな嫌そうなの?」

二人は三組なので知り合いなんだな、と把握しつつ、given nameは二度目の偶然に悪態をつく。
前回も隔離型で不快な思いをしたので、今回もどうせこいつのせいで不愉快なことになるに決まっている。と彼女は内心で舌打ちをした。
なんにせよ、制限時間があるのだ。進まなくては。

「ねえ美濃くん、これはどういう蝕?」

「あー、たぶん術者タイプ。試練を見つけないとはっきりしたことはわからないけどな。
とにかく言えるのは、ここは実体のない精神世界みたいなものだけど、ここで怪我をしたり……最悪死ぬと、現実世界でも同じことが起きるから気をつけないとってことだな」

「そうなの……じゃあムカつく奴が居たらここで殺しとけばいいのね」

明らかに佐野を睨むように言うgiven nameに美濃は驚きつつ、その視線を笑って受け流す佐野にも彼は目をぱちぱちと瞬かせた。
二人の関係性がわからない。てっきり付き合っているとかそういうことかと思っていたのに、それどころか仲が良い、というわけでもなさそうだ。好意も見えない。
だが、given nameはどこか彼に気を許しているように思えるし、佐野は佐野で彼女の悪意に満ちた目にも一切臆さない。慣れているかのようだった。この、殺伐とした雰囲気に。
と、そのときだった。先頭を歩く美濃は、試練を発見した。

「あ、ほら居たよ」

立ち止まる美濃に順じ、二人も足を止めた。やたらと大きな、細かい巻き髪の女がどっしりと座っていた。
ああ、これは『夢』だな。何もしなければ、それで試練は終わる。美濃は振り返ると、二人にそれを告げた。

「いいか、あいつはいろいろ攻撃をしてくる。でも、一切やり返しちゃダメなんだ。何をされても実際に怪我とかはしないから大丈夫。
しばらく耐えたら、一本道の廊下に出るはずだから、そしたらまっすぐ振り返らず進めば、それで帰れる」

「了解」

「分かったわ」

二人が頷く。と同時に、後ろから黒い腕のようなものが、無数に生えてきた。

『さて……我が試練を受け、己の強さを我に示せ!!』

「んっ……」

given nameは包み込まれる気持ち悪さに口元を押さえ僅かに身を折った。
そうして次に目を開けたときには、壁に押し付けられた自分の体に、夥しい量のナイフとフォークが突き刺さっていた。

「ッ……!」

あまりのおぞましい映像に一瞬体が跳ねるが、何の痛みも感じない。……そうか、こういうことか。美濃の言っていたのは、つまり浅い幻覚を見せられるだけなのだ、とgiven nameは把握してほっと息を吐いた。
と、丁度正面で喉を切り裂かれた佐野が笑う。彼と目が合った、その瞬間であった。

『……む?これは……すばらしい悪夢の持ち主が居るな……ふふ、ならばお仕着せの悪夢では物足りぬ。
娘……少々、借りるぞ?』

「……は?」

この三人の中に、女は自分ひとり。つまり娘とは自分のことであろうと推測した上で、given nameは応えたのだけれど。
夢の術者は彼女の声には一切答えず、再度手を合わせ瞑想を始めた。また、黒い手が、串刺しにされた彼女を包んでゆく。
何なのよと思う間にそうして世界は暗闇に堕ち、数拍置いて後……霧が晴れるように、さっと目の前が開け、given nameは驚いて立ちすくむ。
そこはよく知った路地だった。黒川に連れられて歩いた、いつもの道だった。

何で、ここに……?

は、と気付いて自分の姿を見れば、それは通っていた中学のセーラー服だった。視界の端で揺れるのも黒髪。彼女は、二ヶ月以上前の容姿に戻っていた。
どういうことだ。この容姿は……。
視線を巡らすも、美濃も佐野も見当たらない。何も、何もわからない。
慌てて周囲を見回す彼女に、声をかける影があった。

「あ、given name!」

「え……」

「わ、今日制服なんだあ!セーラー可愛いよねーいいなあ。着てみたいー!なんて、アタシ中学行ったことないから自分の中学の制服知らないんだけどねっ」

ニシシと笑う、彼女の長い金髪が揺れる。どこまでも明るい笑顔も、白く光る金の髪も、誰の手も掬う温かな手のひらも。全部全部が彼女だった。
未だに焦がれてやまない、最初で最後の親友の……。

「ねね、あれやってよ。せーえーらーふっくをーってやつ」

「ミサ」

「ん?」

「ミサ……!」

気がつけば、given nameは彼女に抱きついていた。菓子類のような、甘い匂いがした。香水まで彼女のもの。全て覚えている。
懐かしさに涙腺が一気に緩む。体が震えた。彼女を抱きしめる日がまた訪れるなんて、想像もしていなかった。
だから……『自分の悪夢』のお決まりの結末にまで、考えが至らなかった。

ふと、彼女を抱きしめる腕に、ぼとりと、温かい何かがぼとりと……。

「ミサ?」

「ごめんね……given name……行こうとしたんだけ……ど……」

目は転がり落ちて、眼窩は真っ暗だった。彼女の足がぐにゃりと崩れ、それにつられてgiven nameも座り込む。抱きしめていた彼女の胴がぐしゃっと歪んだ。血の臭いが、鼻につく。

「あ……ああ……」

生温かい、ミサの内臓があたしの手を濡らして、ああ、ああ、骨が転がり腸が地に広がり心臓が潰れてあたしに告げる。
ミサは死んだのだと。もう動かないのだと。絶対的な温度でもって、あたしに突きつけられる事実。それは当たり前だった。彼女の悪夢の数え切れないほどのパターン、その全てで方法は違えど、ミサは必ず『死んでいる』のだから。

昨日の悪夢を思い出したって、given nameはそのまま動けない。悪夢の中で繰り返してきたビジョン、それでも夢はまだ終わらない。彼女は知らなかったけれど、これはgiven nameの悪夢の寄せ集めだからだ。たくさんの悪夢を集めてできているからだ。

ふいに、さっきまでgiven nameを縫いとめていたナイフが、フォークが背後の壁から現れる。それは一旦空へ向けて飛び、一瞬で落ちてくる。刃をうずくまる彼女たちに向けて。
――刺さる!given nameはミサを、いやミサだった肉片を庇おうと覆いかぶさろうとするが、ナイフとフォークは器用にgiven nameを避けて、地面の臓物やらにに突き刺さった。
そしてナイフはぎりぎりと大きい肉を細切れにし始め、フォークはもともと細かいものを掬い上げてゆく。

はっとしてgiven nameがそろそろと顔を上げると、路地の奥、影を被った男が立っていた。一気に光は落ち、彼の顔やらは一切窺えない。
フォークは突き刺さったときの苛烈さは忘れ去った速度でゆるゆると彼に向かって飛ぶ。彼は手を差し出すと、一番最初のフォークをそっと手に取った。

「……やめて」

given nameはつい声を上げていた。……だめだ。だめだだめだだめだそれだけは、やめて。お願いだから。お願いだからそれだけは……!

「やめてぇぇぇぇぇッ!!!」

泣き叫ぶと同時に、男がそれを、肉を、ミサを飲み下した音がした。






「given nameちゃん、given nameちゃん!!」

「……う、」

外から起こす声で眼を覚ます。心配そうにgiven nameを覗き込んでいたのは美濃だった。
彼女は彼に助け起こされながら身を起こす。ああ、そうか……ここはまだ、夢の中なのか。世界はまだ、奇妙な色をしていた。

『娘よ、お前のトラウマを少々ほじくってやったぞ。さあ、我に挑め。我を倒さぬならば、永遠にあの悪夢はお前を苛み続けるだろう』

「……何を、言ってるの?」

given nameはすっと視線を上げる。その先には佐野。given nameの手の中に、約1.4kgの、6発の弾丸の込められたリボルバーが落ちてきた。ほとんど反射的に。
それに気付いて佐野が笑う。嬉しそうに。本当に……嬉しそうに。

「アンタは何一つ関係ない。一切。絶対に。何もかも。違う、違う、違うわよ……悪夢が終わらないのは、こいつのせいだ」

given nameは唇を噛んだ。自分ではわからなかったけれども、彼女の顔は真っ青だった。

「ぜんぶぜんぶ、こいつのせいなのッ!!」

泣き叫びながら、given nameは銃を彼に向けた。腕が震える。ああ、ああ、ああ。
そんな彼女を、後ろから美濃が取り押さえる。

「given nameちゃん、何してんの!?」

「やめて離して!!あたしは、あたしはッ!」

「落ち着けって!!……だああっおい『夢』!この子はアンタを攻撃する気はないみたいだし、俺たちにもそんな気はない!
もう手の内は明かされきってんだ、さっさと道を開けろよ!」

『夢』は言い放たれた美濃の言葉に、不満げにため息を吐いた。

『……ふむ……久方ぶりに、面白そうなものを見つけたのにな』

「知ったことかー!この!状況を!見ろよ!お前完全に蚊帳の外だろうが!」

『確かに……面白味に欠けるぞな。ふぅむ……よかろう、立ち去るがよい』

数瞬の躊躇の後、『夢』は諦めて、しっしと追い払う仕草をした。
突然の世界の暗転にはっとして顔を上げると、そこはもう、別の通路。彼女はそこに蹲っていたのだった。
ああ、そうか……。もう終わってしまったのか。もう全部、終わってしまったのか……。

そこまで呆然としつつ考えて、彼女は頭を振って立ち上がった。

「終わってない。……何も、終わってないわ」

あたしは目的を、何一つ叶えていない。
何も終わってなんかない。
それなら今、できることをしなければ。行かなければ。
given nameはじっと光の先を見つめた。そして、いつか日向の部屋から逃げ出したとき同様、やはり自分の力で歩き出す。
それでもあの時ほど、『大丈夫』だとは言えなかったけれど。





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