仇*1






ああ、だから嫌だって言ったのよ。
あたしを疑わしげに睨み続けていた日向は居なくなったが、代わりに黄葉もアイラも居なくなってしまった。食堂に食べ物を取りに行くとかなんとか言って。必然的に空気はただ重いだけのものになる。
もう帰りたいんですけど。ため息を吐いたあたしに、尊川が声を掛ける。

「あの……、ありがとうございます、助けてくれて」

「耳まで持ってかれたの?助けたわけじゃない、聞いてたでしょ」

「でも、あなたが何を考えていても、あなたが居なかったら死んでたかもしれないから。
だから、ありがとう」

「……」

辰巳まで一緒になって頭を下げるから、反応に困ってしまう。馬鹿じゃないの、こいつら……。
何て言っていいものかわからず窓の外を見つめていると、バタバタと走る音が近付いてくるのが聞こえた。
何だろうと思うと同時に、扉が勢いよく開けられる。それは日向で、ずいぶん焦っているようだった。

「来てくれ!六道が……六道が、朝長に……!!」

その言葉に、事態は好転などしていなかったことを思い知る。
一斉に顔を見合わせて、あたしたちは走り出した。






食堂にたどり着いたときには、もう遺体回収職員が到着していた。
淡々と状況を記録して、さっさと袋に詰め込みだす。黄葉の顔は既に青白くなっていた。
given nameは気づいていなかったが、彼女の顔も血色を失っていた。黒い服と相まって、更に病人のようにも見える。
視線を感じて顔を上げると、日向と目が合う。まっすぐに見つめるその目がどこか懇願のようにも思えて、さっと目を逸らした。……嫌になるな。
吐き気がこみ上げてくる。あたしはぎゅっと胃のあたりを握り締めて自分に言い聞かせる。大丈夫よミサとは違うもの。違う違う、違う……。

「六道くん……っ!六道、くん……!!
六道くぅぅん……!!」

アイラが泣き叫ぶ。その声は耳に痛かった。
あたしのミスだ。朝長は、あたしの言うことなんて聞かない。成長の機会を失って、幼稚なまま狂った。他人の言葉なんて、聞けるはずがなかったのだ。あの場であたしへの義理を通しただけでも、褒めてあげなきゃいけないくらい。
しばらくして、日向が怒りに身を任せた様子で食堂から出て行く。
あたしは、どうすべきだろう。正直に言えば、彼らと同行するのは望ましくない。が、言い出せる空気ではない。
とりあえず、この件が収まるまではこちら側に居たほうがいいかと、既に通夜の空気の中、体温の下がった体で、あたしは彼らに着いて行くことにした。

部屋に着くと、既に日向がパソコンに向かって怒鳴り散らしているところだった。

「おい!そこにババア居んだろ!?いいから出せよ!!言い訳はもううんざりなんだよ!出てこいよババア!
聞いてんだろうが!あのイカれた野郎のせいでどんだけ犠牲が出たと思ってるんだ!いい加減出やがれこのクソババアが!!」

「誰がババアだ。逝かすぞこのボケが……!」

ババアババア言い過ぎだよ……。
あたしが内心で呆れている間に、モニターには20代後半と思しき女性が映りこんでいた。
と、日向は一瞬で手のひらを返す。

「……お待ちしておりました、お姉さま」

ああ、日向家では姉が強いのね。まあどこの家でも、大抵は女兄弟の方が強いか。
日向は彼女に慇懃に頭を下げると、同時に話を始める。
が、彼女はその前に、と言わんばかりに、とんとんと自分の首を叩き、「しなさい」とネクタイが無いことを叱る。それに従って、日向はネクタイを首に回しながら今度こそと話を始めた。

「……概要は伝わってると思うんだけどな……。それより居るならサボタージュしてんなよ!!」

「今戻ったところよ。で……報告書は見たわ。朝長出の処分について……でしょ?」

「そうだよ!一体どうなってんだ!!?」

「目下審議中」

「は!?何チンタラしてんだよ!?
体たらくにも程があるぞ、せめて奴の情報くらいよこせよ!」

日向が怒鳴り、向こうで彼の姉が顔をしかめてそれを了承する。
免許証みたいな画面がモニターの下部に表示された。もちろん、写真は朝長で。

「あーはいはい。四人家族、両親は健在……仲は悪くないみたいだけど」

「ならその両親を強請るなり人質にするなり盾に使うなり、何とかできるだろうが!」

「あんたそれ違法……」

「違法だあ?じゃあなんだよここは!究極の無法地帯じゃねえかよ!」

「少しは落ち着きなさいよ。話にもならないじゃないの」

彼はまさしく激昂していて、うるさい。あたしもお姉さんの意見に賛成。騒がしいったらありゃしない。

「聞いてるわよ。同部屋の子もやられたって」

「そうだよ、俺の目の前でな。ふざけやがって……!奴には必ず最大限の責任を取ってもらう。必ずな」

日向がぎりりと歯を噛み締める音が聞こえた気がした。
責任、か。それなら彼の7年の責任は、誰が取るのだろう。……あたしのこの1年の責任は?そんなことを考えてしまって、すぐに頭を振って同情心を振り払った。
同情じゃ何も変わらないし何も起こらない。意味がない。助ける気はあっても救い上げる気は無いのだ。だったら考えるだけ無駄。

「続けるわよ。ええと……それにお兄さんが一人いるわ」

ついに話は彼の兄にまで波及してしまった。一瞬びくりと、あたしは無意識のうちに体を震わせる。
……大丈夫そうだ。誰も気付いていない。あたしはほっと胸を撫で下ろした。

「兄キ?どうなんだ、兄弟の仲は。奴の弱味につけ込めそうか?」

「……あ、ダメね。もうなくなってるわ」

「んだよ……ッそれじゃ意味ねえ……」

「そこで」

「なんだ?アイツの兄キここに来てたのか?」

その一瞬だけ、日向の姉が止まった。じっと手元のモニタらしきものを見つめて。
数秒硬直した彼女に、日向が声を掛ける。

「姉キ?」

「ああ、そうね。蝕で命を落としたみたい。写真見る?」

ぱっと、朝長の代わりに表示された男を見たのは初めてだった。朝長は、あの小さな骨片以外に兄の寄す処を持っていなかったから。
スポーツマン然としたニキビ面の、どこにでも居そうな男。朝長曰く良い兄で、野球が好きで、……そしてここで死んだ、男。

「弟の方が男前ね」

「そんなんどーだっていいよ……」

「えっ、てことは……朝長は死んだ兄貴の報復でもしてるのかよ!?」

美濃くんが踏み込んだその先は、どうしようもなく真相だ。どくりとあたしの心臓がざわめく。
が、日向とその姉が平然と否定した。

「いや、そりゃあり得ねえだろ」

「ええ、遺体は遺族の元に返さないから。当然死亡通知なんかも無いわよ」

「え、マジかよ」

「お前な……手だの首だの吹っ飛んだ遺体をどう言って返しゃいいんだよ?のうのうと自分の墓に入れると思ったら大間違いだぞ」

「まあ……そう言われりゃなあ……」

まただ。血の気が下がる。気分が悪くなってくる。
吐き気の向こうで、日向が話している。黄葉みたいな文字持ちがフォローを入れるのだと。ああ、それは朝長も言ってたな。怒りを、憎悪を、電話のたびに上塗りしてくれるから、今では心待ちにしているとさえ。
ふと、気がついたように日向がこちらを見る。そして、そういえば、と続けた。

「last name、お前あいつと知り合いなんだからなんか弱点と、か……。
おい、また顔色悪いぞ、大丈夫か?」

そう言って覗き込んでくる全員が気味悪く映る。あたしは彼らと同じ方法で息をしているだろうか。それなら同じ人間なのだろうか。……もう、それすらよくわからなくなってきた。
朝長とは、明確に違うのだ。向井も違う。あの二人は徹底的に狂っている。佐野も、違う。全然違う。それはわかるのだ。だから理解できる。でも、こいつらは。

「ごめん、抜けるわ。こんなんなら、いっそ朝長についてた方がまだマシ」

だめなのだ。あたしは、だめなのだ。あたしだって少しだけ、ほんの少しだけど狂ってる。だから、徹底的に被害者主義の彼らと、同じ視点では生きられない。あたしは被害者ではいたくない。

「おいlast nameそりゃどういう意味だ?六道が殺されたんだぞ!?敵対したくないとか言ってる場合かよ!!」

「そうじゃない……、朝長は、もうどうでもいい。アンタらと一緒に居るのは、無理。受け容れられない。
ねえ、かたちだけ、声だけ同じ人間は家族なの?本当に?他人の死がどうしようもなく軽いのはどっちなの?自分の死だけが重いのは、朝長もアンタらも変わらないじゃない。それなのに、正義の味方みたいなこと言うのね」

「お前……何言って……」

「朝長の弱点?言えないわそんなの。こんな会話を平然とする人間のために、あたしは垣間見ただけのあいつの過去まで裏切れない。
それにあいつは、あいつはいくら歪んでいてもあたしに一応の義理を通した。あたしが通さないわけにはいかないのよ」

だから、ごめん。あたしは無理。
そう言ってあたしは部屋を出ようとドアに向かう。日向がそれを止めようとあたしの腕を掴む。他人の体温。あたしは久々に感じたそれにびくついた。

「姉キも、止めてくれよ……!」

「アー……そうねぇ。でも今のはかなーり耳が痛かったじゃない?ぐうの音も出ない、ハイ完敗」

「おい姉キ!!」

日向が怒鳴る。彼がモニタの方を向いて体が退いたので、彼の姉と目が合う。
なぜか誰も気が付かないらしい彼女の暗い目。それはどう見てもあたしや朝長側だった。紅い唇がニコリと弧を描く。

「分かったわよ、うるさいわねえ……。
last nameさん、だったかしら。そのドレス素敵ね、ドルガバ?靴は……ルブタンかしらね」

「……それが、何か」

「どちらもあなたの家の経済状況で買える代物にはとても見えないから、ちょっと気になっちゃって」

その発言は意図してじゃないなら迂闊すぎる。ということで、あたしは彼女の意思を受け取った。

「よくご存知なんですね。あたしの家のこと。そしてあたしがどこまで理解しているかも。それは、あたしへのヒント?あたしの想像は正解だからいい加減暴れろって?」

「あら、さすがにそれは穿ちすぎじゃないかしら。まあでも、遠からずって感じだけど」

「姉キ!!……何の話、してるんだ?」

日向は、何も知らないのか。そりゃそうか。さっきの黄葉の件での憤怒が演技じゃないなら、あたしのことや朝長のことを知ってたらもっと何かある筈だ。

「もう、行ってもいいですよね?」

「ええ。……またね」

彼女はにっこり笑って右手をひらりと振った。それにはもう何も返さず、あたしは逃げることにする。
ちょっと、関わりたくないな。もうヒントはもらったから、関わる必要はなさそうだが。
あたしの家の、経済状況を知っている。つまりあたしの家を調べたか監視していた。それがわかれば、もう十分だ。この状況じゃ確証になる。良かった、この寒々しいアウェイ空気の中であたしのメリットを獲得できて。
そう考えて押さえ込むイライラと共にドアを思い切り開ける。

「あれ、last nameさんだ」

「佐野……どうして」

「いや、今ねえちょっと購買に買い物に行ってたんだよ。君は?ここ男子寮だよ」

廊下に出ると、そこには、正直今会いたくない男。いや今限定じゃないな。可能なら、一生関わり合いたくなかった男。
どうやらここで出くわしたのは偶然のようだけど、それも信じていいかどうか。

「あたしは……あたし、は、」

「っていうかすごい顔色悪いけど大丈夫?……last nameさん?」

佐野の手が伸びる。怖い、腕だ。
それでも、それを振り払うには、あたしは体調が悪すぎた。

「おい、last name……っ」

後ろから声。追いかけてきたらしい、日向の。焦ったような声音は途中で驚きに変質する。
そして日向の声は、徐々にあたしの思考をクリアにしていく。

「お前……昨日の……、」

「佐野だよ、佐野一政。last nameさんとは、あー……知り合いだ。中学が同じでね」

「そう、それだけよね、佐野。……あたしは一人で立てるわ。離して」

あたしは手をようやっと振りほどく。認めたくない部分も多いけど、日向のおかげだった。
二人を後ろに残したまま、あたしは自力で歩き出す。一人で歩くのは決して難しくない、だからあたしは誰よりも『大丈夫』だった。






Run fast only for her.


prev next

戻る


topへ
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -