消*1
ここって本当、図書館だけは素敵だわ。気に入りの黒いワンピースを着たgiven nameは、皮肉げに嘆息しながら頁を捲った。
片っ端から読んでも一年じゃ終わらないかもしれない。一年生き延びられたなら、の仮定だけど。
佐野の部屋であれやこれやがあって、翌日。薬をがぶ飲みしたにも関わらず止む気配の無い頭痛を抱えたまま、あたしは図書館に来ていた。原因はたぶん、寝不足とか心因の何か。必要なのが結果だけな以上それはどうだっていいか。
それにしても銃の構造に関しては本当に詳しくなった……もう適当に考えても創れるし。銃名鑑を眺めながら左手でシングルアクションのリボルバーを回す。ダブルのが扱いやすそうだが命中精度は一番の不安要素だ。
ちなみに回転式なのは趣味である。ここに来る前に射撃訓練させてもらった時はマカロフしか手に入らなかったとかでオートマチック拳銃しか撃ったことなかったけど、ジャムる危険性を考えればリボルバーのが良い。弾薬はどうせ無尽蔵なわけだし。
「ちょっと、危ないよ」
後ろから声がかかり、振り返ると、本を抱えた一人の男子生徒が立っていた。見覚えはない。
「撃つ気はないわよ」
「銃は見せるだけで威圧感を与えるだろう。全く……。
それに君、制服は放棄したの?」
「命すら守られない場所でなけなしの規則を守ることにどんな意味が?」
「ま、道理だね」
彼は本をあたしの席の前に積んで、反対側に腰を下ろす。
何か用なのか。煩わしくも目線を上げると、女顔のそいつはじっとあたしを覗き込んでいた。
「君、たしかlast nameさんだよね。1組の」
「一方的に知られてるのは愉快じゃないわ」
「僕は潤目。これで知り合いだ」
にっこりと微笑むその顔に、佐野に近いものを感じてあたしは黙り込んだ。
……一体なんだってのよ。疑るような視線を向けると、潤目はひらりと手を振って敵意はないと示す。
「君とは知り合いになっておきたかったんだ。それだけだよ」
「意味が、わからない」
「今はまだわからなくていいよ。君は相当賢しそうな女だから、理解るべき時に判るだろう」
「……それじゃあ、ムカつく物言いをする男だってことは覚えててあげる」
あたしはそう言って左手の銃を真っ直ぐそいつに向けて撃鉄を起こす。引き金に指の掛かった状態で見詰め合う。
静寂の中で、時間は止まっている。……この男、嫌い。何を考えているのかよくわからない。
鼓動か時計の針だかが、拍を刻む音だけを聞きながらの数秒を打ち破ったのは、図書館の扉を力任せに叩き開ける音だった。
「辰巳くん、尊川さんッ!!」
同時に飛び込んできたのはノアと袴田だった。潤目が本を再度抱えて立ち上がるのを視界の端で捉えながら、あたしは振り返って二人を見る。
なにやら焦っているようだ。彼らの発した言葉から察するに、新しいお仲間に何かあったらしい。
「given name、お前あの二人を知らないか!?」
「4組の?知らないしここには来てないと思うけど」
「行方不明なのよ……!一緒に探して!!」
「はぁ?……えちょっと、っ」
何を言う暇もなく、ノアがあたしの手を引っつかんで走り出す。わけもわからぬままに引きずられながら、また面倒なことになりやがったと内心で舌打ちをした。
ああ、なんか結局朝長に引きずり込まれてる気がする。ちくしょう、と思いながらも、途中から自分の足で走ることにした。いくら何でも、クリスチャン・ルブタンが引きずられるのに適している訳が無いからである。
気が急く。当たり前だった。保険医がまさか操られているなんて思いもよらず、あんなにもあっさり騙されてしまうなんて。
黄葉は息がきれるのも構わず校内を走り回っていた。
上履きを脱ぐ暇もなく校庭に飛び出し、裏の森へと駆ける。一旦立ち止まって、きょろきょろと周囲を見渡すと、……居た!!
「辰巳くん、尊川さん!!
良かったぁ、二人とも無事……で……、」
黄葉は彼らに駆け寄り、安堵の息を吐き出す。そして同時に気付く。そこに居たのは、二人だけではなかったということに。
木に凭れるようにして立っていた男……朝長は笑い声を滲ませながら、「ちょっと、惜しかったかな?」と言った。
そして、邪魔者が黄葉だということを知って、これ幸いと微笑んだ。
「ああ、君か……丁度良かった。そろそろ話がしたかったんだ。
ねえ、うちにおいでよ」
「……は!?」
一瞬何を言われたのか判らず、黄葉は瞠目する。この男は、朝長は、今なんて?
その言葉は訂正されることなく、前提としてクリアされて話は続く。
「君の力を含めいろいろとね……オレに協力してもらえるとすごく都合がいいんだ。うちのクラスについては、二人のおかげで良くわかってもらえたはずだし……、来てくれるよね?」
そこまで告がれてようやくはっきり理解する。こいつは今、とんでもなく『ふざけた』ことを口にしている。
だから、正義感に厚い彼がこう続けるのは当然だった。
「ふざけるな!ぼくはお前なんかに絶対従わない!!」
「……はッ」
そしてそれは暴君にとっては腹立たしいことこの上無い事だ。彼には彼なりの義があるからだ。
その苛立ちは彼らしい激情と暴力になって現れる。長身の彼の威力のある蹴りが黄葉の鳩尾に叩きつけられた。
「だったら引っ込んでろ!!目障りだクソチビが!!」
簡単に地面に転がった黄葉に、余計に苛立ちは募る。弱いくせに何をいきがっているんだか。そして、弱いくせになぜ強くなろうとすらしないのか。エゴすら満足に行使できない愚か者が。
殺してしまおうかとも思ったが、それは後だ。まず片付けなくてはならないゴミが、ある。
「……じゃあまずはお前らからだ」
朝長は冷徹な笑みを湛えたまま、二人を振り返った。
あー足いったい。経験上、7センチ以上のヒールで走るのは暴挙だと判っていたのだが。
地面が土なのが唯一の救いか。にしたって痛いわ。
曲がり角を曲がって裏庭に出ようとした瞬間、声が聞こえてくる。……朝長だった。
「しかしなあ……あはははははっなんてこった!
お前ら生かしといたって何の意味も無かったってことだよなあ!無駄な時間食わされたよ!」
朝長らしい言い分だわ。あたしは苦笑する。
でもこれは……良くない。良くないわ。このまま放っておくのは、たぶん誰にとっても良くないのだ。
「なんかねえ……4組のみんな辰巳くん去ったの惜しんでたよ?『あいつが裏切るわけない』ってさ、……バッカだろ?
ま、いいや……最期だし、みんなに遺言くらい伝えてあげないとね。とは言っても辰巳くん話せないから……尊川さん、何かあったらどうぞ?」
それは前から思ってはいたのだ。朝長を試験薬代わりにして、その後はポイってのは夢見も寝覚めも宜しく無い。
それに、まだ価値がある。もう少し使える。そのためには、まだ『殺させるわけにはいかない』。これ以上オイタを繰り返して、内内で死なれたんじゃあたしも損だ。
あは、これはあたしらしい言い分。上等、上等。辰巳が武器を抜いたのが角の先で見えた。
「なんだ……何もないの。ふうん、……そ。
じゃあお別れだ」
あたしは手の中にリボルバーを創ろうとして……やめた。朝長相手じゃ、意味も必要もない。
じゃ、行きますか。
「ストーップ、朝長くん。あたしとお話、しましょ?」
窓の下を見つめて美濃はぐっと唇を噛んだ。……これは、どういうことだ。
眼下ではわけのわからないことが起こっている。と、後方から知った声が響いた。
「うっせ!いいから来い!!いいか今手ェ貸さなかったら一生150円でネチってやるからな!覚悟しろよ!」
それは狡賢い幼馴染で、後ろ手に誰かを引き摺っているのが見える。が、それどころじゃない。
「おい三十!見ろ、あれ……!」
自分の声に従って下を見ると、彼もまた驚きに目を瞠ったのがわかる。
下では、last namegiven nameが朝長に対峙していたのだ。
「……last name。何の用だよ、お前……」
「あら、ご挨拶ね。大した用じゃないの、ただ……その手を収めてくんないかな、って。それだけよ」
あたしが本当になんでもない風に言ったので、冗談だと受け取ったらしい朝長は口角を上げて笑った。
が、あたしが訂正をしないことに気付き、笑みを瓦解させて睨みつけてくる。あらあら、怖いこと。
「不可侵協定はお前が言い出したことだったとオレは記憶してるんだが?」
「勘違いしちゃ嫌よ。不可侵を破る気は無い、内政干渉なんて火傷するだけだし。
ただ、ご忠告を兼ねたお願いに来たの」
「一応……聞くだけ聞こうか」
朝長はじっと二人を見張るように見下ろしたままで、あたしの話を聞く事にしたらしい。
あたしはさっと肩を竦めてから、話を始めた。
「アンタが何を考えて何をしているのか。一応は把握しているわ。だからここで冷静になって頂戴よ。
生かしといても意味が無いなら、殺したって意味無いでしょう?」
「酸素の無駄」
「小学生みたいなこと言わないでよ失望するから。
ちゃんと聞いて。……ねえ。アンタは貪欲な人間よ、だから協力した。協力してもらった。望みは全部叶わなきゃ意味が無いはず。
あたしだってそうよ。でも慎重にやらないと失敗する。その二人は、アンタの計画を壊してまで殺さなきゃいけないの?よく考えてよ」
そこまで言って、朝長はようやく真面目な顔でこちらを見つめた。
無表情な視線には本能的に恐怖する。だからこそ、見つめ返すことに意味があるのだ。
「一つ、聞いていいか」
「何よ」
「それが『助言』だとして。お前のメリットは?」
「……アンタにはまだ、転けて欲しくないわ」
その理由までは、話さないけど。
あたしがふっと微笑むと、朝長は一瞬悩むように眉根を寄せてから、細くため息を吐き出した。
そして、思ったよりあっさりと踵を返す。
「ここは、お前に免じて引いてやるよ。……ここはな」
「……有難う」
朝長はそれ以上は何も言うことなく、あたしの横をすり抜けて早足で歩いてゆく。上手いこと回避できたようだ。良かった良かった。
ふと見ると、黄葉が眉を下げて驚いたようにあたしを見つめている。ナニそのあたしが助けに来たのが意外みたいな顔。むかつくわね。
手を差し出して立ち上がるように示すと、一瞬の逡巡の後彼は手を取り立ち上がる。
「given nameちゃん、どうして……」
「……あたし、割と貧乏性なの。それだけよ」
「えっと、とにかく……ありがとう。助かったよ」
そう、とだけ返して彼の手を振り払おうとする。が、離れない。
驚いて見返すと、彼は真剣な眼をしていた。……なんか、まためんどくさい勘違いを招いた気がする。
「given nameちゃん、やっぱり朝長と闘うには君が必要なんだ!一緒に来てよ!ね!」
「ええー……、やだやめてよちょっとぉー……離してよ……」
あたし今日引き摺られてばっかりじゃない?黄葉は平素考えられない力であたしを引き摺る。
せっかく抜け出したのに、やっと本を読む時間を見つけたのに、また戻るのか。あたしは辟易としつつも、その手に抗うことはできなかった。
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