出*1
初日の朝長の暴挙について、尊川が全て話してくれた。
それはどんなに控えめに言っても恐喝大量殺人だった。颯爽と四組を恐怖に陥れ、全ての実権を握り、そして今楢鹿の全てを操ろうとしている。
「なんて、言葉で言うのは簡単だが。現実にそれが近くにいて、勢力の波及を許しかねないと思うと……」
「怖い、どころじゃないねえ」
荷物を取りに一晩自室に戻る尊川を送り出しながら、ノアがため息を混ぜて苦笑する。
その横で、比良坂がずっと考え込むような仕草をしていたのだが、突然決心したように顔を上げた。
「みんな……私、given nameを説得するよ!」
「ええっ?」
「おい、比良坂……」
「だっておかしいよ!given nameは、ちょっと冷めたとこあるけど、朝長みたいに他人はどうなってもいいなんて思ってない!
初日だって一緒にいてくれたし、黄葉くんが帰ってこなくて怖かったときも一緒に探してくれた、『水』のときだってあんなにショックを受けてたんだよ!?」
それを聞いてフラッシュバックするのは彼女の青ざめた顔。
あれは恐怖?そして後悔か。なんにせよ、あれは絶対に嘘ではなかったと自分もどこかで信じている。
だが、彼女はこちらに着く気など無いだろう。そんな気があればなんらかの釈明をしたはずだ。
彼女は言い訳するばかりか、いつにも増して飄々と顔色も変えずに出て行った。冷たい目をしていた。俺たちがどうなっても構わないと。
ぐっと拳を握り締める。どうしようもなくイライラした。それを必死に隠す日向をよそに、アイラは続ける。
「だから、私はgiven nameを説得するの!それに朝長と知り合いだったって言うなら、逆に弱点だって知ってるかもだよ」
「あーそれは一理あるな」
「おいミノ煽るな!
……今last nameに近付くのは、危険かもしれないぞ。それでもか」
「うん。だって……友達だから」
「……わかった」
比良坂が、あまりに強い目をしていたから仕方なく。たぶんそれは俺の言い訳に過ぎなかったのだが、それでもlast nameに会いに行くのを許した。
……last nameにこんなに怒りを覚えるのはなぜなのだろう。裏切られた気がするからか。だからまだ、彼女が許しを乞うてこちらにつきたいと言って来るのを待っている。
行って来るね、と言って、比良坂は走り去る。その迷いのなさに、胸のすく思いと自分の重みと、半分ずつ。
ああ、だるい。
日向の部屋で朝長とのつながりを暴露されて1時間ほど経ったか。シャワーを浴びて、紅茶を入れて、ずっと集中できなかった読書を再開することにした。
時間は空いた。彼らとの戯れの分が減ったから。ショートパンツにパーカーというラフな格好で窓の下に座り込み、本を開いた。
さら、ページを捲る。ハードカバーの重みが好ましい。
ああ誰が私を犯人だと思ったろう!ああ誰が、「そして10分後、」ここで彼を殺したことに気がついたろう!さて名探偵の薦めるままに私はここで全てを終えよう、どうか姉が殺人者の血縁と非難されることのなきよう、
「頭に入んない……」
なんてことだ。言葉が素通りして抜けていくかのよう。理解はしても、これじゃ内容は数日後には吹っ飛んでる。
にしても、殺人ってどうしてこう、実際に見るより文字の方が重いんだろう。見るのは動物的で、本能的なもの。代わりに頭を使う字は理解を伴うからかな。……いまいち、よくわからない。自分で考えといてアレだが。
窓の外をじっと見上げる。朝長に出会ったのは、真っ黒な背景の、ネット掲示板だった。
互いの境遇を知ってすぐに、政府に掲示板を消されること、そしてIPアドレスを特定されることを恐れ、やり取りをいくつものサーバを経由してのメールに切り替えた。そして、やはりすぐに会うことを決めた。
同学年だということを知ってこそいたが、あまり信じていなかった。だから、待ち合わせの喫茶店の奥、仄暗いテーブル、色の薄いコーヒーに口は付けなかったあの日、本当に同じくらいの年の男が現れたのには少し驚いた。
そして、あたしの運命捨てたもんじゃないわねと内心で笑うことになった。すぐにこの男の利用価値を感じたから。人が狂えばどこまでのことが為せるか、あたしはもう知っていたからだ。
「いや、朝長との出会いの回想はいいんだって別に」
どうしてこんなことを思い出すのだろう。どうだっていいのに。ああ、なんかいらいらする。こんなことは初めて……いえ、三度目だわ。それじゃあ同じくらいに気が参ってるってこと?
ふざけてる、そんな馬鹿なことがあって堪るか。あたしがそう唸ったときだった。
「……い、おいlast name!!」
「!」
どんどんどん、ドアを叩いて呼ぶ声。推察するにたぶん日向。どうやら相当に焦っているようだ。何かあったのか。
あたしがドアを開けると、彼は掴みかからん勢いであたしに迫る。
「比良坂、比良坂来てるだろ!?あいつに何した!」
「はあ?……どういうこと?」
「とぼけんな、あがらせてもらうぞ」
「あちょっと、」
日向はあたしを押しのけ、部屋に入り込む。後ろの黄葉はひどく険しい顔をしていて、まさしく有事であるということを否が応にも悟らせる。
……アイラに、何かあったの?
「おい居ねえぞ、どこやった!!」
「知らないわよ。さっきまでシャワー浴びてたし、それ以前にもそれ以降にも誰も来てないわ。
なんなのよ、一体……」
「居ないんだ。given nameちゃんに会いにいくって出て行っちゃったきり、見つからないんだよ!」
見つからない?……アイラが?
それを聞いて、理解した瞬間には駆け出していた。裸足だってことも忘れて。
given nameはそのまま必死に走る。ここで、女が一人行方不明になるということの意味を、彼女は既に思い知っていたからだ。
女子寮を出て男子寮へ飛びこみ、目的の部屋の前にたどり着くと、彼女はドアを蹴りつけた。
「佐野!出てきなさい、佐野!!」
「お、おい、」
「佐野!!」
どんどんとドアを叩き続ける彼女にようやく追いついて、日向は彼女をとりあえず止めようと手を伸ばす。が、彼女は振り払ってドアを叩き続ける。
その瞬間、ドアは開いた。
「なにさ、last nameさん。俺寝てたんだけど」
「アイラは……ッ!アイラを、連れ込んだ!?」
「はあ?……誰?」
佐野のその間の抜けた表情に、自分の想像した最悪とは一応違う道筋らしいことに気がついて、ほっとして座り込む。
運動が得意なわけでもないのに全力疾走したのが結構堪えた。あーもうほんとだるい。
「それじゃあ、どこに……もしかして、朝長のところ……?」
「ちょっとちょっと、俺完全に置いてけぼりなんですけど?なんなの一体」
「あー……なんでもない。忘れて」
「いやいやいや、なにその気になるまとめ方!」
佐野がわめくのを聞きながら、次点で危険な朝長のことに思考を展開させる。
朝長のところに行ったんだとしたら、それはそれで超危ない。すぐ殺される可能性も考慮すれば佐野より危険かもしれなかった。
取り戻す方法なんてあるだろうか……とりあえず乗り込んでから考えた方がいいかもしんない。
あああ、頭痛い。でも行かなきゃ。あたしが頭痛に覚悟を叩きつけて立ち上がった時だった。
「あれ?given name!こんなところに居たのー!?」
廊下の先から素っ頓狂な声が上がる。それは今まさに話題沸騰、探していた相手のもので。
ぐっと一瞬息が詰まる。次の瞬間、あたしは彼女の肩をひっつかみ、口は勝手に言葉を吐き出していた。
「アイラあんた一体どこに居たのよ……!」
「へ?あ、えっと、図書館行ったけどgiven nameが居なくて、given nameの部屋行ったけど居なくて、で、じゃあ学校かなって教室行ったけど居なくて……」
そこまで言われたあたりで力が抜け、頭に響く痛みにくらくら。
そんなあたしに気づきもしないらしいアイラは「あっ」と声を上げて、彼女の肩から手を離したあたしの肩を逆に掴み話し始める。
「あのね、given name、聞いてほしいことがあるんだ。given nameはさ、朝長とは……」
もう彼女の話を聞く気も起きない。どういうことだこれは。じろりと日向を睨むと、慌てたように「ひひひ比良坂、あのな、今その話は、」と止めにかかる。
どうやら謀られたということではないらしい。それにわずかに安堵しつつも、ああほんと脱力。目の前の佐野が喉を鳴らして笑う。
「ねえ、気づいてる?last nameさん。君裸足だよ」
「……今気づいたとこよ。ったくあり得ない……」
「良ければ、靴を貸すけど?」
その言葉に、あたしは顔を上げ、じっと佐野を見つめる。目は少し愉快そうに歪んでいたが、どうやら含みはあまり無さそうだ。
朝長はもう佳境まで登り切っている。あたしも、多少歩を進めた方が良いだろう。生存率が下がりきる前に。
「……そうね。じゃあ、お言葉に甘えるわ」
あたしが肩を竦めると、彼は口角を上げて身を引いた。後ろから日向が「おい、」と声を掛けたのを聞いたが、見ない振りをして部屋に入り込む。
後ろ手にドアを閉めてから、あたしは考え始めた。さて、どうしたものかしら。振り返った佐野は一瞬だけ笑みを消し去り、ぞわりと背筋には悪寒が走った。
「で?last nameさん。前から聞きたかったんだけど……君は何を知ってるの?」
「そうねぇ……半分くらいじゃないかしら。総てを調べるには流石に時間が足りなかったから」
「半分、ね。じゃあもう気づいてるわけか。だからあんなに蘭堂さんを睨んでたんだね」
くつくつと笑う彼の喉は機嫌よく動く。それをじっと見つめながら、あたしはふっと細く息を吐いた。
恐怖だったり諦観だったり後悔だったり絶望だったりが、胃の中でぐるぐると混ざっていく。
しばらくぶりの感覚に少しだけ吐き気がした。でも頭痛によって思考はクリア。大丈夫あたしは冷静よ、誰よりもね。
「それじゃあお話をしましょうか……少しだけ、ね」
お互い、知らねばいけないことがあるわ。あたしのその言葉に、佐野は一層笑みを深めたのだった。
切りどころがわかんなくて長め。
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