10000 | ナノ
「あー……あっつい」

 なぜ、マグマ団のアジトには冷房がないのか。

 フードが付いた団服の胸元をひっつかみがばがばと空気を送り込むが、一向に涼しくなる気配はない。自分に割り当てられた部屋に戻ればさすがにクーラーが設置されているが、わたしが見張りを命じられているアジトの入り口付近は人避けのためもあり空調はなしだ。ありえない。ありえなさすぎる。足元から伝わる地熱のおかげで頭が回らないったらありゃしない。
 マグマ団では整列号令に速く並んだ順に重要な見張り場所を担当させてもらえるという謎のルールを採用しており(ホムラくん曰く「ちょーおもしろくね?」)、おかげでわたしたち下っ端は毎朝集合の時間猛ダッシュでホールに向かう。その場所取りレースは毎朝し烈を極め、全員集合する頃には皆漏れなくハイドロポンプを食らったのかというくらい汗だくになる。まさに地獄絵図だ。わたしは諜報という目的上、よりアジトの深いところに潜り込みたい。そのためには毎朝全力ダッシュも辞さない。つまり、つまりだ。

「ウヒョヒョ!今日もグッチョリだねぇナマエちゃーん?」
「うるさい黙って……くださいませんか」

 つまり、朝から汗でビチョビチョだし空調機器のない見張り場所で立ちっぱなしという、いや本当にキツイ。これはキツイ。ホムラくんの軽口なんて全然気にならないくらい、マジで、本気で、キツイ。

「いーや関心するわ。お前こんなとこで立ちっぱとか正気?暑くね?」
「すっごく暑いしおかげでもう正気でいられないかも」
「まあ良かったな。地熱で汗も乾くじゃん?毎朝走るから太らないじゃん?健康的でエコな生活!マグマ団の鑑だなァ」

 アジトの入り口は煙突山の麓、ちょうどフエンタウンの東に面する大岩だ。この扉は団員が持つマグマの印に反応して開く。基本的に団員以外の出入りはない。私が見張っているのは入り口から二番目の通路だ。むき出しの岩肌に寄りかかって一日過ごすのはいいが、この暑いのはなんとかならないものか。

「ごめんなぁ、オレが幹部様なばっかりに、エアコンびんびんの部屋で事務仕事が主だからさぁ、ナマエちゃんの気持ち全然わかんねーの」

 そんな幹部様は時々こうして、空調のない入り口付近までふらふらやってくる。多分わたしの様子見に。まぁそうだろう。いくら小さい頃仲が良かったからって、敵の諜報だってわかってて放っておくわけないよね。むしろわたしがこうして動けている方が不思議だ。泳がされている感は拭えないが、それなら泳げるだけ泳いでやろうというわけだ。ウヒョウヒョ笑ってるとこ見ると、まあ楽しがってるみたいなので、冷やかし半分なんだろうけど。…いいのか?こんなのが幹部で。

「…というわけで、ナマエ、今日はオレとデートだから」
「……は、」
「カイナシティまでおつかいと下見〜」

 なにがどういうわけなんだかわからないのだが。と思ったことがそのまま顔に出ていたようだ。わざとらしく悪い顔をしたホムラくんが顔を近づけてくる。

「だぁーから、嗅ぎ回りたきゃ嗅ぎ回ればいいんだよ、リーグのメス犬さん」
「…何?わたしに情報掴ませてどうするの。それともわざと偽の情報つかませるってこと?じゃあ今日アジト本部で何かあるってことでしょ」
「おっと、親切はここまでだ。早く部屋戻って着替えろよ、ウヒョヒョ!」

 ぽんぽんと肩を叩いてホムラくんは背を向ける。

(…なんか)

 わからなくなったなぁと思う。昔はもっと、気持ちがすぐに見えたのに。変わったのは彼なのか、わたしなのか。
 きっとどっちもなんだろうけど。




「ホムラくんてさぁ」
「ンだよ」
「いや、変わらないとこもあるなぁって」

 二人でアジトを出て、フライゴンにまたがって、空を飛びはじめて数秒後。それこそまさに青天の霹靂というやつで。何の前触れもなく降り始めた大粒のにわか雨に打たれて、カイナシティに着いた頃には二人して濡れ鼠になっていた。

「相変わらずの雨男っぷりでしたねホムラさん?」
「…悪かったデスネ」
「…どうしようねこれ。」

 ひとまずこのグッチョリ濡れてズッシリ重いブラウスをどうにかしたい。ホムラくんのパーカーも随分水を吸ったみたいだ。ポケモンセンターの赤い屋根の下で、服を絞る。今日は、タンクトップの上に薄めのブラウスだった。まあ、少し絞ればあとは自然に乾くだろう。それでも端を絞るだけじゃ不十分だ。やっぱり一度脱がないとだめかも。肌に張り付くブラウスに手をかける。

「………なあなあ」
「何?」
「なんで脱ごうとしてんの?」
「もうちょっとギュッと絞りたいんだよね」
「いや待て。待てよナマエちゃん」

 何故かホムラくんによって止められる。いや、待てってなんだよ。待てって。

「大丈夫だよ、下タンクトップ着てるし」
「そんなん透けてわかるし、いやそうじゃねーよ、ここで、脱ぐな」

 …ホムラくんが焦っている。
 なんだかすごく珍しいので脱ぐのはやめておく。いや、脱いでも楽しかったかもしれないけど。
 わたわたとジョーイさんに部屋の貸出とコインランドリーの使用許可をもらいに行くホムラくん。…別にこんなの露出に入らないだろうに。でもまあ、彼も女性への気遣いができるようになったのか。成長したんだね。初めてハイハイした子を見る親の気持ちである。



 ホムラくんのおかげでシャワーを浴びることができている。マグマ団入団時にトレーナーカードを没収されていたから(といってもそれはダミーで本物はダイゴが持っているのだが)、ここ数週間ポケモンセンターのお世話になっていなかった。久々のぜいたくだ。温いお湯が頭から滑り落ちていく。にわか雨で冷えた体に染みた。きもちいい。

「お前さぁ」
「何?」
「フツーに脱げるの?」
「いや、だから何?」
「オレの前で」
「うーん…」

 きゅ、と蛇口を閉めて脱衣室に出る。ホムラ君の声は壁越しの男性用脱衣室から聞こえてくる。天井に隙間があるから、声だけじゃなく衣擦れの音も伝わってくる。こんな会話をするってことは誰もいないってことだよね、と思いつつ、願いつつ。

「うーん、ホムラくんの前でというか…。旅をしたら、なりふり構わなくなるものだよ」
「旅って、ハジツゲを出た後?」
「まあ、そう」
「じゃーナマエちゃんは、オレ以外の男の前でもなりふり構わず脱いじゃうわけなん?」
「はあ?」

 話の論点がずれてないか。
 嫌な予感を飲み込みながら、てきぱきと服を着て荷物を片す。ホムラくんは、機嫌がナナメらしい。なんでか知らないけど。

「人を痴女みたく言わないでくれるかな」
「やらしぃーナマエちゃん」
「やめなさいって言ってんの」
「で、脱ぐん?脱がないん?」

 …まあ、脱ぐよ。ふつーに脱ぐよ。旅の同行者がモテモテナルシストと、石とポケモン以外に興味の湧かない残念な男だったからね。なりふり構う暇もなかったからね。脱いでました。普通に。14歳だったけど。

 ……と、言うのがちょっと憚られるような空気だったので、わたしは黙秘権を行使させていただくことにした。荷物をまとめ終えて、宛がわれた個室に向かう。

「じゃ、ホムラくん、お先に失礼し、まっ!?」

 待ち伏せされてた。完全に。
 脱衣室の前で待ち構えていたホムラくんはわたしを内側に押し込むと後ろ手に扉を閉める。かちゃり、と鍵をかけられて嫌な予感は益々つのる。

「うわ、ここ女性専用なんだけど」
「じゃーオレ今だけオンナ」

 なんてこった。

「ナマエさぁー、なんかさぁー、オレとしてはさぁー」
「な、なに」
「なりふり構ってほしいんだけど…」

 ずい、ずいと手を伸ばしながら近づいてくるホムラくんを避ける。ここで捕まったらなんかやばそうだ。脱衣室でわたしたちはワルツを踊るみたいにお互いの対角線上を移動して、ジリジリと追って逃げてを繰り返していた。…が、とうとうホムラくんが折れた。

「あー、もー……あきた」
「そーですか」
「…昔のナマエちゃんはかわいかったよなァ…オレがスカートめくっただけでも大騒ぎしちゃってさ」
「そりゃ騒ぐでしょ…女の子だし」

 フン、とホムラ君は拗ねた音を出した。

「お前、やっぱり変わったよ」

 鍵を開けながら呟いた声には、久しぶりに本音が混じっているような、そんな響きがあって。こちらに背を向けている彼が今どんな顔をしているのか、なぜかものすごく気になってしまって。

 ホムラくんも変わったね。そう言ってしまったら、振り返ってくれない気がして。


「変わらないね、ホムラくんは」
 そうやって本音をなかなか見せないところも、さびしがりやなところも、好き嫌いがはっきりしてるのも、やることなすこと全部突拍子がないのも、拗ねた時鼻を鳴らす癖も全部。全部、変わってないじゃないか。
 …なんだかんだで、心配してくれてるところも。

 ふわり、と信じられないくらいやさしく抱きしめられる。何年ぶりだろう。耳にちくちくあたる短い髪の毛が湿っている。ちゃんと乾かさないから。何度風邪をひくよと言っても聞かないから。

「やさしいなぁ」

 こぼれた言葉にぴくりと肩が揺れた。

「ナマエ、バカだろ…」
「だってホムラくん、心配してくれちゃったんでしょー?なりふり構えって…」
「だからバカだって言ってんだよ」

 温い吐息が耳朶を掠めたと思った次の瞬間、

がちり


「いっ……ったあああ!?」

 左耳に激痛。なに。なにしたんだこいつ。まさか、いや普通しないでしょう。ないない。まさかそんな。でもこの痛みは。

「な、なん、噛…っ?」
「ウヒョヒョ!ざーまあ!」

 仕返しとばかりに振りかぶった拳はただ虚空を割いた。逃げ足の速い犯人はどたばたと脱衣室の外へ駆けていく。

 なんだったんだ今のは。
 とりあえず、もう一度熱いシャワーを浴びよう。左耳に残る妙な熱をごまかすためにも、とびっきり熱いシャワーを浴びよう。


 残ったのは痛みと、君が最後に囁き捨てていった言葉






(「…妬いた」)




(そぼろさんリクエストの、『何かと男を匂わせる司書主にムカッとしてガっとした(笑)ホムラさん』のはずだったのですが司書が男を匂わせられない(?)かんじなのでもうしわけないかんじになったかんじです。すみません。ホムラはダメダメないいやつだと思ってます。だからきっと、今回は彼なりのガッだったと思います…。ホムラーのそぼろさんが満足できる内容だったらうれしいです。)