18.奪え、さらば与えられん


余よりすべて奪うとも、信仰を奪うこと能わず
  ――ウィリアム=グラッドストン


「わかっているだろうな。ミサを助けられなければどうなるか。私はおまえの兄を殺してやってもいい」
「へえ? じゃあ、そうすれば?」
「……」
「それが出来ないから、あなたは私の話に乗ったんだろう。夜神月を殺せば、弥海砂だって死ぬ……あれはそういう女だ。違う?」
「……」
「わかっていないのは、あなたの方だね。
 私は別に、あの女がどんな目に遭おうが露ほども気にならない。死んでもらった方が、気味がいいくらいなんだ。それじゃ困るって言ったのはあなただろ」
「……」
「順当に行けば、このまま月はLを殺す。あなたにLを殺させる。あなたの話じゃ、その時あなたも死ぬらしいけど……その後、あの女が月に惨めな目に合わされないようにって、私は慈悲深く協力してやるの。嫌ならいいんだよ。私は傍観を決めて、あなたとLが死ぬのを見届ける……。まあ、その後私があの女を殺しても、文句を言う奴はいないよね。まさか月が、あれを庇うはずもないし」
「貴様……ッ」
「怒るなよ、死神。冗談だから……」
「……」
「でも、わかるでしょ。私たちは対等じゃない。弥海砂を助けたいなら、あなたは私に縋るしかない。わかったら、すべて私の言うとおりにしろ。返事はイエスでいい」
「ミサに何かあれば、おまえの秘密を奴らにばらす」
「それをしたら、私はどんな手を使ってでもあの女を破滅させる。それとも、ここで私を殺す? Lを殺してあなたが死ぬなら、私を殺してもあなたは死ぬと思うけどね。私があの女を殺したいっていうのは、嘘じゃない」
「……」
「その気もないのに殺すとか言わないほうがいいよ。馬鹿が露呈する」
「……わかった」
「……」
「すべて、おまえの言うとおりにする。だからミサを助けてくれ」
「ははっ。神様に頭下げさせるってのも、悪くない……」
「……」
「まあ、いいよ。あの女のことは殺したかったけど……。ここで役に立ってくれた。どの道、この後のことは私には関係ない。誰が生きて誰が死のうが、もうどうだっていい」
「……」
「じゃ、行こうか。作戦通りにお願いね」
「おまえは」
「何?」
「……。
 おまえの目的は何だ?」
「……。
 あなたには、関係ないことだ」



 



 竜崎は焦っている。
 火口を捕まえるところまでは順調だった。明かされたキラの能力は想定外の物であったが――何せ、死神のノートである。だが、直接手を下さずに人を殺せることを考えれば、これだってさほど驚くことでもないのかもしれない。問題はそこにない。彼を焦燥させるのは、彼の敵に他ならない。
 夜神月。
 監視を終えてからも、夜神月は竜崎の傍を離れなかった。捜査を続けるためと、本人は最もらしいことを言ってはいるが、果たしてそれは本心だろうか? このところ、竜崎は度々感じるのだ。夜神月からの視線。彼が竜崎の側を離れないのは、見張りたいからではないか。竜崎が勝手に、ノートを使わないように。
 竜崎はノートを指で摘み上げる……。デスノート。見た目は全く、普通の大学ノートと変わらない。だが、ここに名前を書かれた人間は死ぬという……本当だろうか? すべてのルールが真なのか、確かめたい。確かめなくてはならなかった。十三日のルール。夜神月をキラだと断定するには、ここを崩さなくてはならない。
 夜神月を、まだ、キラだと疑っているのか?
 疑いではない。確信している

「竜崎」

 いつの間にか、手を止めていた。キーボードから手を退け、竜崎は顔を上げる。美しい手が、竜崎の前にカップを置く。淹れたての紅茶の香り。緩く薫る湯気。「疲れているんじゃないか?」夜神月が微笑む。

「ヨツバを特定してからずっと、働き詰めだろ。まともに寝ていないし……。少し休んできたらどうだ? 本部には父さんもいるし、僕もいるから」
「ありがとうございます。結構です」

 無愛想に返し、竜崎は手元のシュガーポットを引き寄せた。ぎっしりと詰まった角砂糖を雑に掴み、躊躇いもなくカップに落とす。飽和した砂糖は溶けきらず、形を保ったままカップの底に積もった。指先でそれをかき混ぜる。濡れた指は甘い。
 竜崎は横目で捜査本部を見回した。夜神花子の姿がない。兄と違い、捜査への参加を父親に渋られている彼女は、大学への復学を条件にここに出入りしている。それの関係か、今日はまだ姿を見ていなかった。彼女がここにいたら、行儀の悪い竜崎に顔を顰めていただろう。
 捜査本部の空気は重い。昨日、竜崎が強引にノートを使った司法取引を行おうとしたことで、捜査員たちとの間に大きな亀裂が入っていた。誰も竜崎に話しかけようとしないが、彼が密かに司法取引を進めるのではないかと、モニターに気を配っている気配は感じられる。くだらないと竜崎は思う。手段を選んでいられるうちはそうすればいいが、そうでないのなら悠長なことは言っていられない。彼らが尊ぶ人命だが、それこそキラの逮捕が一日遅れれば、それだけの犯罪者が裁きを受けるのだ。人命をと言うのであれば、取るべき手段は決まっている。
 機嫌の悪い竜崎に、月は仕方なさそうに笑う。「あんまり根を詰めるなよ」と気遣う声は、正しく友人に向けるものだった。そのまま彼は竜崎の隣に腰を下ろし、何かのデータを解析し始める。キラが現れてからの、関東の事故死を集めたものだ。

「何かわかりそうですか?」
「全然。正直、数が多すぎてどうしようもないのが現状だな。心臓麻痺以外でも殺せることはわかっていたが、ここまで自由度が高いとなると……」
「ですよね」

 現状、捜査は手詰まりになっている。ワタリからの連絡も、いまのところない。
 砂糖の味しかしない紅茶を啜りながら、竜崎はじっとモニターを見つめた。大した意味のないデータの寄せ集めだ。
 一体どこまでが夜神月の策なのか。竜崎は計りかねていた。監禁を自ら言い出したことからして、キラの能力を手放すことは計画の内だったのだろう。そう考えれば、すべて辻褄が合う。手放す以上、キラの能力が再び自分の手元に戻ってくるよう計算していただろうし、その時に自分が疑われないような仕掛けをしているはずだ。十三日のルール。
 竜崎が夜神月に固執するのにはいくつか理由がある。レイ=ペンバーが尾行していた者。キラと第二のキラが接触したとされる五月二十二日に青山へ行った者。これを満たすのは夜神月と夜神花子の二人しかいない。そして、夜神花子は、キラが自身の兄だと確信していた。

「警察がまた協力してくれることになったのはいいんだが……。すぐに成果を上げないと、同じことになりそうで怖いよ」
「そうですね。キラの能力が明らかになったと言え、病死や事故死となるとキラの殺人かそうでないか、判別がつきづらいですから。ここからの捜査には時間がかかります。ノートが二冊あることは確実なので、先にそちらを抑える方が、賢明かもしれませんね」
「ああ……。キラの裁きも、復活しているしね」

 月は左目で竜崎を伺う。それが竜崎にはわかっている。

「ええ。海砂さんが自由になった途端に」
「海砂ではないだろう。ノートのルール上不可能だし、自由になってからすぐに裁きを再開するほど馬鹿でもないはずだ」
「……そうですね」

 夜神花子は、どうやって兄がキラであると知ったのか?
 いまだにここがわからなかった。火口を捕らえて明らかになった事実を並べても、有用そうな情報は、ノートに触れば死神が見えるという点。しかし、花子が初めて死神を見た際、嘘を吐いているようには見えなかった。他の人間と同じように驚き、口元を手で覆った。初めからキラの正体を知っていたのであれば、死神を見ていたっておかしくはない。だが、そんな様子はない。
 おやと、竜崎は気づく。そういえば、死神がいない。どこかへ出かけているのだろうか?
 ……いいや。あの死神、捜査本部にノートが置かれてからというもの、姿を見ないことはない。
 何か理由が……?

「あ、花子ちゃん」

 松田の声に、竜崎は振り返る。トートバッグを肩にかけた花子が、松田に小さく会釈する。母親に預けられたか、着替えの入った紙袋を父に渡し、脱いだ上着を椅子にかけた。紺色のコートに、外はそんな季節であることを知る。

「お疲れ、月」
「ああ。復学手続きは済んだのか?」
「そのことなんだけど」

 花子は肩を竦めて笑った。

「ちょっと予定変えることにしてさ、まだ暫くは、大学に行かないほうがいいと思うんだ」
「それでは、約束が違うぞ」

 顔を上げた総一郎が、険しい顔で花子を見据える。父の顔を、花子は見なかった。「まあ聞いてよ」壁をすり抜け、白い死神がやってくる。隣の部屋にでもいたのかもしれない。

「私が大学に行くっていうのより、もっといい話があるから」
「いい話?」

 月もまた、父同様に渋い顔をする。

「適当なことを言って……。そんなに大学に行きたくないのか? この歳になって、僕がいないと行かないだなんて言うなよ」
「ははっ、そうだね。月がいないなら行かないっていうので、半分は合ってるかな」
「おい」
「元々、そのためにわざわざ同じ大学に入ったんだ。私は月と同じ場所にいる必要があった。結果、すべてが上手くいった。でも、もうその必要もない」
「? 何の話だ?」
「月はいい盾だったよ……。兄貴の影に隠れていれば、誰も私に注意を払わない。誰も私に気づかない。おかげで、やりたいことはすべて出来た。満足したよ、ありがとう」

 意味の繋がらない会話に、周りは戸惑いを含んだ視線を交わし合う。月もまた、訝しげに眉を寄せた。「花子」名を呼ぶ兄に構わず、花子はその奥に目を向ける。骨が浮き出るような、丸まった背中。櫛を通していない黒髪。

「竜崎」
「何ですか?」
「捜査は順調?」
「……。見ての通りですが」
「じゃあ、いいものをあげる」

 花子はトートバッグをデスクに下ろすと、何気ない仕草で、中身を取り出した。黒い封筒だった。A4ほどの大きさだろうか。口は紐で閉じられている。
 それと重ねて手渡された物に、竜崎は言葉を失う。

「は……?」

 夜神月の声だ。彼が、呆然と妹を見つめるのを隣に感じながら、しかし竜崎はそれから目を離せなかった。
 黒いノートだ。表紙は痛み、書かれた白い文字は見たことのない造形をしている。が、紛れもない。間違えるはずもない。
 デスノート。
 竜崎は顔を上げた。
 花子は微笑んでいる。吊った眦を緩ませ、薄い唇は優美な弧を描く。紙の如く白い頬は、いまや仄かに色づいていた。黒い目は潤み、座る竜崎を見下ろしている。まるで――まるで、最愛の者、もしくは、愛する敵に出会えたと、それだけを喜んでいるかのように。
 赤い唇が開く。眠り続けた花が、ようやく迎えた開花にふっくらと花弁を広げるような、満ち足りた声だった。

「初めまして、名探偵。私がキラです」


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