17.わたしはあなたのためだけの死神


私は神に会う覚悟はできている。私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが
  ――ウィンストン=チャーチル


 このノートに名前を書かれた人間は死ぬ
 書く人間の顔が頭に入っていないと効果はない。故に、同姓同名の人物に一遍に効果は得られない。
 名前の後に人間界単位で四十秒以内に死因を書くと、その通りになる。
 死因を書かなければすべてが心臓麻痺となる
 死因を書くと、さらに六分四十秒、詳しい死の状況を記載する時間が与えられる
 このノートに名前を書き込んだ人間は、最も新しく名前を書いた時から十三日以内に次の名前を書き込み人を殺し続けなければ、自分が死ぬ
 このノートを刻む、焼くなどして使えなくすると、それまでにノートに触れたすべての人間が死ぬ

「どうかしたか、花子」

 花子は顔を上げた。足を組んで座った椅子を回転させ、兄を見上げる。キッチンから戻ってきた月は、コーヒーを妹の前に置き、「すごい顔してたぞ」と、人差し指で自分の眉間をつついた。

「すごい顔って?」
「金剛力士像みたいな」
「それはすごい」
「冗談だ。あんまり思い詰めるなよ」

 月は、花子が読んでいるノートの裏表紙に目を落とす。このノートを刻む、焼くなどして使えなくすると、それまでにノートに触れたすべての人間が死ぬ――月は妹の肩を叩き、自分のデスクに戻った。妹の心配を取り除いてやりたいとは思うが、まさかあれが嘘だと、教えるわけにもいかない。
 花子は淹れたてのコーヒーを啜りながら、再度ノートに目を落とす。
 初め、竜崎は花子にノートを触らせたがらなかった。総一郎と月も同じで、特に総一郎は、息子がノートに触れたことを悔いていた。万が一、このノートが使えない程に破損することがあれば、触れた人間が皆死ぬと書かれているのだ。子どもたちに触らせたいわけがない。
 隙を見た花子がさっとノートに触れた時、珍しく総一郎が花子を怒鳴りつけた。それでも彼女は毅然として父に言い返した。「ここまできて、それはなしだよ、お父さん。巻き込みたくないって言うなら、もう遅すぎる。私には、この事件を見届ける権利があると思うけど」勿論、本気でそんな権利などを主張する気はない。父と気まずくなってまで花子が求めたのは、機会だった。
 ここからどうやって勝ちにいくか……。

「……ねえ、死神」

 死神――レムが振り返る。

「あなた、火口がノートを拾った時からずっと、火口のところにいたんだよね?」
「ああ」
「その前は?」

 花子は頬杖をついて白い死神を眺めた。
 死神なんてものが存在するなら、一体どんな様相かと思っていた。レムは先が仄かに紫がかった太い髪を垂らし、金色の目をしている。

「前? 死神界だ」
「……」

 それは嘘だ。火口の前には月か弥海砂、どちらかの元にいたはずだ。
 キラは月。第二のキラは弥海砂。それに間違いはない。
 けれど、花子の立場から、それを証明することは出来ない。弥海砂は死ねばいいが、月をキラと断定させるわけにはいかない。
 花子が聞きたかったことに、レムは自分でも気づかないうちに答えている。“火口がノートを拾った時からずっと、火口のところにいた”と。その間、火口と直接的なコンタクトを取ったのは海砂だ。どうして海砂は火口がキラだとすんなり推測できたのか不思議に思っていたが、この死神が手を貸したのであれば納得だった。詳細な方法など知らなくていい。いま、死神は、月もしくは海砂のために嘘を吐いた。それがわかっているのだから、この死神がキラたちの味方をしているのは確実だ。

「しかし、このルールが本当なら、五十日以上監禁され、今も監視下にある月くんや弥がキラなわけがない」
「うむ」
「監禁されていた時は、二人とも名前どころか、文字ひとつ書いていませんからね」

 相沢たちの声を聞きながら、花子は左手で唇に触れた。相沢たちの言う通りだった。十三日のルールが本当、、であれば。
 恐らく、これは月が書かせた偽のルールだ。死神が味方をしているのだから、それくらいは訳がないだろう。月が自ら監禁を願い出たことにも、それならば説明がつく。月が監禁されてすぐにキラの裁きは途絶え、その後再開された……。死神は、月の命令で適当な人間に、新たなキラを演じさせたのではないか? 弥も抑えられ、疑われた自分からノートを離し、再び手に入れるのが月の計画だったのではないか?
 花子がこの考えに至れるのは、夜神月と弥海砂がキラだという確信があるからだ。月、弥、火口が持つ、ある共通点を知らなければ、決して辿り着けない。竜崎はここで躓くだろう。彼は花子と違い、共通点を知らないはずだ。

 花子が横目で竜崎を窺うと、骨ばった背中はモニターに向かい、沈黙している。相沢たちの声が聞こえていないはずもないだろうが、思考の海に沈んでいる。

「……レムさん」

 コーヒーポーションで遊びながら、竜崎の視線は鋭い。

「ノートは他にも人間界にありますよね?」
「さあ? あるかもしれないし、ないかもしれない。私が行く末を見届けなければならないのは、いまここにあるノートだけだ」
「もし他のノートが存在していたら、ノートのルールはすべて同じですか?」
「ああ、同じだ。ノートは死神界にはいくらでもあるが、ルールはすべて同じだ。人間に持たせた時のルールもだ。間違いない」
「……」

 竜崎は黙ったまま、コーヒーポーションを積み上げる。
 竜崎の思考が、花子には手に取るようにわかった。竜崎はまだ、夜神月がキラであると疑っている。当然だ。火口はどう考えても、間に合わせだった。あれが、ここまでこの名探偵と張り合ってきた人間であるはずがなかった。だが、竜崎の仮説には、十三日のルールだけが邪魔だ。それさえなければ、夜神月がキラで間違いない。そこを崩すには、検証が必須。ここで捜査本部の捜査官たちが足を引っ張る。

 総一郎をはじめとし、捜査本部の面々は警察に復職していた。火口を捕える際、竜崎は無駄な犠牲を出さないよう、警察には火口の車に近づかないよう通達していたが、水面下でキラ捜査を続けていた有志たちが、上からの命令に背いてキラ逮捕に協力したのだ。それを持って、警視庁は総一郎たちの辞職を取り消した。キラ逮捕という場面において、警察が主力ではなかったという汚点を雪ぎたい故の思惑もあったろう。
 しかしそれが仇となった。警察でなければまだ言い包められたものを、殺人ノートの実証をしたいなどと、正義感の塊である総一郎に言えばどうなることか。十三日のルール。これが嘘だと証明できなければ、竜崎――Lは負ける。
 黙り込む猫背に、相沢が歩み寄る。モニターには全面に、弥の私室が映されている。

「竜崎、月くんと花子ちゃん、弥の疑いは晴れた。監視はもう終わりだ」

 相沢に、松田の声も乗っかる。

「そうですよ。もう明白ですよ」
「……」

 竜崎は思案する。

「……わかりました……。……いままで申し訳ありませんでした……」

 竜崎の言葉に、安堵の息を吐いたのは総一郎だった。彼は息子の肩を叩く。「よかった」父の顔が穏やかなのを見て、月も笑った。総一郎からすればこれは当然の結果であったが、彼は子どもたちが凶悪な殺人犯だと疑われる重圧から、ようやっと解放されたのだ。

「これで花子も大学に戻れるな」

 振り返った月が陽気に歯を見せる。気分が乗らなかったが、花子もまた、“家族用”の顔を作って笑った。

「春に学んだことなんて、もう何も覚えてないよ。いまは十一月だし。これはもう一回春になるのを待ったほうがいいな」
「五ヶ月も、何してるつもりだ?」
「まずは外の光に慣れる。モグラみたいな生活は、結構性に合ってたんだけどね」
「軟禁が終わってよかったな。これ以上ここにいたら、引きこもりから立ち直れなくなるぞ」

 揶揄う兄に軽口を返しながら、花子は竜崎に鋭く目を走らせた。まさかここで終わらせるつもりはないだろう。が、竜崎に策はあるのか……?
 死神が月の味方をしている以上、竜崎の分はかなり悪いはずだ。ノートの存在が露呈したところまではいいが、それ以降は全く捜査が進んでいない状態だった。この死神、どんな質問もはぐらかすか、わからないとしか返さない。下手なことを言わないための自衛だろうが、それがわかっている分、聞いているこちら側は腹が立つ。
 月はここに残るはずだ。花子は笑顔の下で、注意深く兄を探る。兄が残るのなら、自分だって残ることを反対されまい。父さえ、許してくれれば……。娘がノートに触ったことにいい顔をしなかった総一郎が、これ以上娘が殺人事件の捜査に加わることを、認めてくれるだろうか。
 しかし、ここで離れることはできない。一秒たりとも、月から目を離してはいけない。
 月がいつ、竜崎を殺すのか、わからなかった。

 花子の予想通り、月は捜査への参加を望んだ。手錠は外すが出入りはさせろという要求に、無実な相手に無理を強いてきた体になった竜崎は、肯く他ない。

「ですがそうなると、海砂さんとはお別れですね……」

 竜崎が、口振りだけは残念そうに言う。

「監視を止めるのですし、捜査員でない海砂さんをここに置くことはできません。部外者ということになりますから……。もう巻き込みたくはないですしね……。模木さんもマネージャーから外します」
「じゃあ、僕と海砂が会う時は外でということになるな」

 振り返ったのは、竜崎だけではなかった。

「あっ、会いたいんですか?」

 ここまで頑なに、不貞腐れたようにも見える頑固な態度で手遊びをやめなかった竜崎が、勢いをつけて月を仰ぎ見る。それを見下ろし、月は薄く笑った。

「竜崎、あれだけ好きと言われて、僕のために命懸けで捜査協力してくれた女性だぞ」
「……そうですね……」
「これだけ好意を持たれ、尽くされたら、情のある人間なら心を動かされて当然だ」
「好きになった……と?」
「……ああ。自分でもいままで気づかなかったが、そうなのかもしれない」

 花子は兄を、よく知っている。
 心を動かされる? 好きになった?
 冗談じゃない。
 兄はいま、嘘を吐いた。弥海砂が好きだと。何故? 会う必要があるからだ。まだ、あの女には利用価値があるのだ。何をさせたい? それはわからない。
 が、そもそも不思議だった。ノートは全員の目に触れるよう保管され、気づかれずに触ることなど不可能。この状況で、どうやって竜崎を殺す? そもそも、名前の問題が解決していない。竜崎の名前を、月はどうやって手に入れるつもりだ?
 弥海砂なら? 第二のキラであった、彼女なら? 顔だけで相手を殺せる女の使い道は、この状況で、そんなにあるだろうか?
 花子は火口が死神に言ったことを思い出していた。
 取引。

「……ねえ、竜崎。私も、もう暫くここにいたいんだけど」

 しげしげと、その皮膚の下を漁るように月を眺めていた竜崎が、緩慢な動作で花子を見遣る。至極嫌そうに顔を歪めた男の動作は鈍い。

「……あなたは元々、キラ捜査に乗り気ではなかったでしょう」
「まあ、そうなんだけど」

 竜崎の態度を、花子は気にしなかった。猫がするようにしなやかに身体を伸ばし、頬杖をつく。切れ長の目が竜崎を捉える。薄い唇が吊り上がる様は実に優美で、竜崎は一瞬の間、苛立ちを忘れた。

「惚れた男を、まだ落としてない」
「えっ」

 声を上げたのは松田だ。剣呑に花子を睨む竜崎が微動だにしないのに対して、彼は花子と竜崎の顔を見比べ、一人ではしゃいでいる。「花子ちゃん、そうだったの!」

「ええ……。いままで、気づきませんでしたが」

 花子はちらと月に目をやった。唇で弧を描いたまま。威嚇だった。
 月はここから動かない。外に出るのは弥海砂。
 見張るべきは、弥海砂だ。



 



 弥海砂が捜査本部を出た翌日。捜査の実質的な指示はほとんど月が出している状態だった。

「まず、事故死については、キラが現れてから関東のすべて、病死は若くして急病で亡くなった者、それらを地域や職種、あらゆる観点から偏りがないか調べていく……」
「ひぃーっ」
「松田、そんな声出すな。他にもノートが存在していたら、そういうところから当たるしかない」

 竜崎といえば、一人離れたソファに座っている。正面には死神を置き、菓子を片手にレムを質問攻めにしているが、どんな質問にも死神はまともに答える気がなさそうであった。漏れ聞こえる会話からしても、進展は望めない。
 花子は全員にティーカップを配りながら、月の言葉を反芻した。事故死、病死……。デスノートのルールからして、これらの状況を都合よく操ることは可能である。キラが心臓麻痺でしか殺さなかったのは、このルールを隠したかったからだ。反対に言えば、本当に隠したい殺人は、心臓麻痺以外で殺していた。
 南空ナオミが死んだのは、やはり、このためなのだ……。

「花子……復学の手続きは進んでいるのか?」
「えっ」

 急な父の声に引き戻され、花子は慌てて振り返る。動きに波打ったティーカップが、トレーの上に中身を溢す。花子は顔を顰めた。溢れた液体が、とても嫌いだ。

「ああ、うん、まあ……。明日の午後に、一度大学の事務に行く予定だけど」
「そうか」

 総一郎は、やはり、娘が捜査本部に居座ることに良い顔をしていない。大学復学、一定以上の成績を収めることを条件に、渋々見逃している状態だった。月にはそんなことを言わないのに不公平だと花子は食いついたが、月であれば同条件を出されたところで苦にしないだろうことは、彼女だってわかっている。父が、自分を心配しているために、事件から遠ざけようとしていることも。
 惚れた男、というのはよくなかったかなと、花子はため息と共に父にカップを渡す。松田には効果覿面であったが、潔癖な父には逆効果だった。本気にして欲しいわけではなく、嘘を吐いた月への当てつけのつもりだったが、余計にやりにくくなってしまった。

「ほら、あんたも」
「ありがとうございます」

 カップを受け取った竜崎は花子に目もくれず、死神を見据えたまま紅茶を啜る。砂糖を入れないこともあるのかと、花子は些か驚いて竜崎を見た。そして彼女も、死神に視線を移す。

「死神って、紅茶飲むの?」
「飲めないことはないが、必要はない」
「そ、よかった。もうカップないから」

 見れば見るほど、奇妙な造形をしている。白い身体は薄べったく、全身が骨の棘で覆われているようである。爬虫類のような目玉は、片側が厚い包帯で覆われている。長身の部類に入る月や総一郎と比べても、まだ高い。身体同様に骨の色をしている顔、艶のある、太い紫色の髪……。
 その顔が急に振り返ったので花子は驚き……しかし、金色の目が向けられたのが自分ではないことに気づく。視線を追う。モニターの画面に、金髪の女が映っている。
 弥海砂。

「ライトーっ」

 カメラに向かって、海砂が笑顔で手を振る。呼ばれた月は、渋々といった体で部屋を出ていく。
 静かに死神を窺い、花子は一つ、気がついたことがあった。踵を返してキッチンに戻る最中、堪えきれずに吊り上がった唇を、トレーで隠す。やはり、無理にでも捜査本部に残って正解だった。事は必ず、数日以内に済むだろう。
 死神も、顔色が変わることがあるらしい。



 



 翌日。

「どういう事だ? ……また犯罪者殺しが……!」

 モニターに流れるニュースに、愕然としたのは総一郎だけではなかった。パソコンの前に集った捜査員たちは、全員で画面を覗き込む。どの顔も、厳しい色を隠せない。

「昨夜だけで十六人……。火口が死んでから報道された者……」
「片っ端っすね……」
「やはり、火口がキラというわけではなかったってことか……」
「いや、火口が捕まるまでは、火口が犯罪者を裁いていたのは確かだ」
「ああっ何でっ」

 そういうことか。
 神妙に話す兄の声を聞きながら、花子は彼らに混ざることはせず、自身もパソコンでニュースサイトを開く。相次ぐ犯罪者の死を述べるページのコメント欄は、キラを讃える声で溢れ返っている。

「しかし、これで本当にもう一冊殺人ノートが存在していることが明らかになったな。そうだな? レム」
「……だろうな。死神はわざわざ犯罪者だけを狙って殺すなんてことはしない……」

 花子の耳は、注意深く彼らの会話を拾う。
 ここで月が二冊目の存在を明らかにしたことといい、昨日会いに来た弥海砂のことといい……、二冊目のノートを持ち、いま現在犯罪者を裁いているのは弥海砂だ。いまの月が自由に動かせる手駒を考えた点でも、間違いないだろう。
 何故、弥海砂が自由になった途端に、犯罪者裁きを再開させたのか? それでは疑ってくれと言っているのと同義だ。
 そう、疑ってほしいのだ。月は、弥海砂を。竜崎に。
 何のために?

「弥が自由になった途端ですね」
「竜崎、まだそんなことを」

 月の声は、花子には態とらしく聞こえる。

「海砂は関係ないだろう。そうでなくとも第二のキラとして疑われていたんだ。万が一キラの能力を持ったとしても、このタイミングでそれを使うほど馬鹿じゃない。“途端”と言うなら、火口が死んだ途端だ」
「……それもそうですね」
「月の言う通りだ、竜崎。弥のことは一度忘れるべきだ。“殺人ノートを使った者は、十三日以内に次の名前を書き込まないと死ぬ”。このことから弥は第二のキラでなかったと判明している」
「うむ。竜崎は自分の推理に固執し、そっちにばかり持って行こうとしてしまっている」
「……はい……すみません……」

 いいや、竜崎が正しい。
 あのタイミングで火口が死んだのは、口封じに他ならない。であれば、必然的に、火口を殺したのはあの場にいた者ということになる。他の人間は忘れているようだが、まさか、世界一の名探偵がそれに気づいていないはずがない。ノートに書かれた一つのルールがそれを邪魔しているが、逆に言えば、それさえクリアすれば竜崎は弥海砂と月の逮捕に踏み切れるだろう。
 現状、先に捕まるとすれば、弥海砂だ。
 月は態と、弥海砂が竜崎に疑われる状況を作った。
 何のために?
 もう一つ、疑問がある。デスノートの存在、キラの殺人方法は判明した。だが、これでは名前を手に入れられない相手は殺せない。第二のキラのように顔だけで相手を殺せるようになる方法は死神曰く、“ノートを使った人間にしか教えられない”。ということは、キラである月は取引の内容を知っていることになる。その上で、月は取引をしなかった。相当不利な内容なのか……しかし、では一体どうやって竜崎を殺すつもりなのか?
 この二つの疑問と、以前花子が組み上げた仮説を練ると、一つの可能性が見えてくる。
 仮説、とは。
 死神は、弥海砂の味方。

「しかし竜崎、殺人ノート……これは僕も本当だと信じるが、これを持ち、名前を書き入れた者を捕まえたとして、大量殺人犯として罪に問えるのか?」
「立証はできませんね。殺人ノートの検証をしない限り……。しかし私はそんなことはどうでもいいんです。事件が解決すれば、あとは法務省にでも任せましょう」
「いや……ちょっと、ノートを試す必要なんかなく、罰せられるに決まってるじゃないですか」

 竜崎の言った通り、ノートの検証をしない限り立証はできない。竜崎からすれば、ノートの検証は必須。それにはルールの確認も伴う。十三日のルールも含めて。

「松田、それには裁判をし、殺人ノートを証拠として法廷に出す必要が……」
「いや、でも……そんな理屈じゃなくて……。だって、人が死ぬのわかっていて、何人もの名前、書いたってことですよ? ノートの存在を公にするべきでないのなら、抹殺するべきだ!」
「抹殺とは穏やかではないが、上の方はそれに近い措置をとるだろうな……」

 そして月にもそれがわかっている。ノートの検証。させるはずがない。十三日のルールが破られれば状況は一転、疑われるのは夜神月だ。
 竜崎はすぐにでも確かめたいはずだ。必ずどこかしらにノートの実証をさせるよう、掛け合うだろう。Lの名前に金を積めば、時間もかけずに手配は整う。

「ノートによる殺人を認められれば極刑、少なくとも終身刑。認められなければノートに自分の名前を書かせる。そんなところですね。まあ、そんなことは捕まえてからの話です。いま考える事ではありません」

 ならば必ず、その前に。
 竜崎は死ぬ。
 殺される。

「……どこの国でもいい。掛け合ってみましょう。ちゃんと承認をもらえれば問題ないはずです。このノートを死刑に使ってもらいます」

 花子は意識を現実へ向ける。
 一瞬、水を打ったように静まった場は、次の瞬間には弾けるような抗議に満たされた。総一郎をはじめ、皆が口々に反対を叫ぶ。名前を書かれた人間が死ぬノート。荒唐無稽なその存在を、この場にいる誰もが疑っていなかった。そんなものを試すのは、即ち、能動的に人を殺すことと同義である。

「だ、大体、誰が名前を書くんですか? 一度書いたら十三日以内の周期で永遠に書き続けなきゃならなくなる……」
「ノートに名前を書き込むのはそこから十三日以内に死刑が決まっている者とし、十三日経って生きていたら死刑を免除するという司法取引を交わさせます。……ワタリ」

 反論する捜査官たちに、竜崎は一瞥もくれない。たとえ議論を交わしたとて、相手を納得させることは出来ないと竜崎は知っている。ならば強行するまで。どちらにも譲るつもりがないのなら、やった者勝ちだ。

「条件に当てはまる各国首脳に連絡を」
「無茶だ!」

 相沢が怒鳴る。「そんなことをして何になるんだ!?」何になる、だと? 返答はせず、けれども竜崎は内心舌を打った。わからないのならば黙っていろ。これは勝利に必要な過程。これで得られる結果は、数人の死刑囚の死と等価交換になりはしないと竜崎は判断する。人道に欠けている? 知ったことか。もとより竜崎は、そんなものに興味はない。
 Lがキラに勝つために。
 夜神月に勝つために。

「すぐに掛け合ってくれ。明日にでも始めたい」
「竜崎!」

 肩を引っ掴まれても、竜崎は決してモニターから目を逸らそうとしなかった。
 揉める男たちの背後、白い死神は、音もなく背を向ける。彼らはこの世に存在しない者。故に、物質的な干渉を受けない。壁を通り抜けて隣の部屋に出るなど、造作もないことだ。
 しんと静まった部屋は、居住区ではない。会議用の机と椅子が詰め込まれているだけで、味気のない空間だった。そこで一人きり、レムは己の掌を見下ろす。

 海砂と出会ったばかりの頃。死神に初めて出会った海砂は、子どものように何でも尋ねなければ気が済まなかった。死神は服を着ないのか。雄と雌で恋愛をするのか。赤ん坊は生まれるのか。どうやって成長するのか。
 海砂はレムの身体を取り分け珍しがった。「背が高いのね」人間の中でも小柄な海砂は、ベッドに寝転がってレムを見上げる。白い腕が伸びてきて、自分と掌同士を合わせるのを、レムはぼんやり眺めていた。とても小さな、可憐な手は、骨のような手と比べるとあまりに小さかった。「おっきーい」そう言ってくすくすと頬を膨らませるようにして笑った海砂を覚えている。ジェラスがどうして死んだのか、レムはその時、理解したのだから。
 骨と砂でできた身体。海砂の美しい肉体とは比べようもない。あの命を……あの子の笑顔を守れるのなら、もう他に望むことなど何もなかった。どれほど生き続けてきたか、レムは自分の時間を覚えていない。それほど乾いた生に与えられた、たった一滴の水が海砂なのだ。これが自分の運命だと思えば、一体何を惜しむことがあるだろう。
 心残りは、夜神月……すべてあの男の手の内だったこと。夜神月は仕組んでいたのだ。自分がノートの所有権と記憶を手放した後、どのようにそれらを取り戻すことになるか。その状況から、どのように邪魔者を消せるか――Lと、レムを。
 どれほど悔しがっても、ここまでされれば打開のしようがなかった。何より、海砂があの男を愛している。悪魔より、死神よりも残忍なあの男を……。その男から守ってやれる術を持たない自分の、何と無力なことだろう。仮にも神を名乗る者が、笑わせる。
 仕方がない。レムは嵌められたのだ。出来ることといえば、この命を海砂に捧げることだけ。
 レムは息を吐いた。諦念だった。掌を閉じ、腰のノートへ伸ばす。新しいページの中央。最初に書くのは、Quillsh W

「待ってッ!」

 がなり声。差し込む光。投げられた鋏。どれもが同時だった。
 レムは振り返る。鋏はレムの身体を通り抜け、床に落ちる。金属特有の、高い音が鳴る。電灯が点いていない部屋の中から見る影は、廊下の光を背負ってただ真っ黒い。肩で息をしている。追いかけてきたのか、と思う。壁をすり抜けたレムと違い、人間がこの部屋にやって来るには、廊下をぐるりと回らなければならない。

「まだ誰も殺していないね?」
「……夜神花子」
「取引をしよう、死神レム」

 花子は顔を上げた。その鼻筋に光が当たり、レムにも彼女の表情が見える。笑っている。兄そっくりだった。ノートを手に入れた時の、夜神月に。
 花子は死神を睨むように見上げながら、もう三度、肩で息を吸った。落ち着け、と繰り返し自身に言い聞かせるも、唇が笑うのを堪えきれない。湧き上がる感情が、胎の底から揺らめくように昇ってくる……こんな感情は初めてだった。この人生で、こんなにも獰猛な喜びを感じたことは、いまだかつてない。
 勝った。

「悪い話じゃない。これはあんたにとって重要なことだ。弥海砂を、助けたいならね」




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