14.差し出した花弁は千切れている


十年前の計画をいまやすでに成し遂げた、というような人間を、我々は見たことがない
  ――福沢諭吉


 モニターには八人の顔写真が映し出されている。

「松田の話が本当なら、この八人の中にキラ、もしくはキラと繋がった者がいるということに」
「本当ですよ。『キラに殺してもらう』って言ってたんですから」

 本部にいる誰もがモニターに向き合っている。父の声を聞きながら、花子もまた、睨むようにモニターを見ていた。
「竜崎。仮にこの八人全てにキラの能力が備わっていたとしても、第二のキラのように顔だけで殺せる能力はないと考えていいのか?」
「そうですね……。顔だけで殺せるなら、松田さんを死んだように見せてもいま生きているのは考えにくいですから」

 ヨツバ社への潜入がバレた松田を救うため、竜崎が講じた策はキラよりも先に松田を殺すことだった。海砂の部屋に幹部を招待し、松田はそこでベランダから転落死したことになっている。

「しかし、いくらこの八人の身辺を調べても、個人的な殺人と思われる死は出てこない。ヨツバ拡大という私欲にキラの能力を使うなら、個人の欲にも使っていて誰がキラか、もしくは繋がっているか絞れるかと思ったんだが……」
「個人が自由にキラの能力を使えるわけではないのか……。どちらにしろ、八人で会議して行動しているんですから、一人では何も出来ない馬鹿で腰抜けなんですよ」

 月の苦い言葉に、竜崎はおはぎを食べながら返した。にべにもない言い方だが、これには花子も内心同意する。八人のキラ容疑者。彼女は苦々しい思いで画面を睨みつけた。まったく、面倒なことをしてくれたものだ。

「……せっかくここまで絞り込んだんだ。地道にこの八人を調べていくしかなさそうだね」

 それは自分に言い聞かせるための言葉だった。本心では、いますぐにでもキラの自宅に侵入したい。けれどそれは花子には不可能だった。彼女は竜崎の側から動けず、そもそもの話、個人の邸宅を特定する術が彼女にはない。
 花子は静かに、深く息を吐いた。焦る必要はない。Lはもうここまでキラに迫っている。遠からず、必ずや確保をするだろう。夜神月以外、彼の敵にはなり得ない。
 花子が自分でキラを捕まえる必要はどこにもないのだ。彼女はただ、Lの横からキラの能力さえ盗めればいいのだから。
 むぐむぐと口を動かしていた竜崎は、べえと舌を出した。そこにはおはぎの紙が乗せられており……松田はひやりとして花子を横目で伺った。幸いなことに、彼女は気づいていない様子だ。ほっと息をつく。争いは起きないに越したことはない。

「いまアイバーはこの八人の誰かに近づくこと、ウエディは会議が行われる東京本社のセキュリティを破ることに専念しています。これが上手くいけば……今度の金曜は面白いことになるかもしれません」



 



 竜崎の言った通り、金曜には例の会議が行われた。
 捜査本部に参加するウエディとアイバー以外がモニター前に集結する。ウエディによって盗聴器とカメラが仕掛けられた会議室に、例の八人が集まり始めた。

「松田さんが言ってた時間よりはずいぶん遅いけど、いよいよ始まったな」
「なんかドキドキっすね。僕の活躍から発覚した極秘会議だし……」
「ドジからです」

 竜崎と松田のやりとりに、花子はモニターに目を縫いとめたまま、僅かに口元を綻ばせた。軽口が叩けるのなら、もう心配はいらないだろう。横目でそれを見ていた兄が、彼自身モニターに目をやったまま、並ぶ妹の頭をぽんと叩く。

「しかし八人ではなく七人だな」

 総一郎が言った通り、会議室は七人が揃った時点で閉められた。一つ空いた席に、誰も言及する様子がない。

《では定例会議を始める》
「全員黒いスーツで黒ネクタイ、ね」

 そして欠けた人数。花子が唇だけで笑う。

「殺しちゃったかな」
「はい、恐らく」
「ま……まさか」

「あり得ない話じゃないよ、お父さん。だって、この中にキラがいるんでしょ?」

 何があったかはわからないが、凡そ内輪揉めか、そんなところだろう。花子は冷ややかな心持ちだった。同情心など、露ほども湧かない。
 画面の中で、尾々井が口を開く。濃い色付き眼鏡をかけているため、表情は判然としない。

《我々ヨツバグループの更なる飛躍のために……誰を殺すか》
「!」

 月と総一郎が同時に息を呑む。話の先を予測した竜崎は、表情を変えないまま内心舌を打った。このままでは、彼の望まない方向に話が進みかねない。

《その前に今回はいくつか話し合うべきことがある。まず羽鳥が死んだこと……》

 会議は進む。空席の話はすぐに終わり、次いでエラルド=コイルの話に移った。アイバーがエラルド=コイルに扮し、会議メンバーの一人である樹田に接触した件についてだ。報告書の中で、エラルド=コイルはヨツバにとって都合のいい事故死が週末に集中していることを指摘した。それに関し、キラに名乗り出てほしいという声も上がったが……捜査本部にとっては不都合なことに、会議自体が隔週に変更されることで話はついた。

《では、本題に入る。……誰を殺すか》
「……」

 竜崎は画面越しの会話に集中する傍ら、真後ろに立った親子の表情にも注意を払っていた。想定通り、総一郎と月は、軽々しく他者の死を決定していく会議に言葉を失っている。

「キラ……事故死……病死……死の時間設定……。僕たちの考えていた通りだ。もう間違いない」
「いえ、残念ですが、いま挙げられた者が死んで、初めて”間違いない”です。……この七人の会議での言動、そして会議で挙げられた者が死ぬまでの七人の行動。これをこれからずっと事細かに観ていけば……必ずキラを捕まえられます」
「「り……竜崎!」」

 月と総一郎の非難は同時だった。
 竜崎が言ったことは正しいが、それは会議で名前が挙げられた者を見殺しにするのと同義である。そんな人命を軽視した策を、それがキラ逮捕へ確実に繋がることがわかっていても、二人の正義感が容認するはずもない。竜崎も総一郎と月からの反対を想定していたからこそ、会議の内容が彼の望まない方向へ進んだことが癪だった。せっかくここまで駒を進めたのに、他人の正義感なんてものでキラを逃す羽目になっては堪らない。二人から糾弾されながら、竜崎は拗ねて猫背を更に小さく丸める。こんなことなら、警察を退職する話が出た際に、二人とも追い出してしまえばよかったとさえ思っている。

「私、殺しをさせていくとは……まだ言ってないじゃないですか……」

 当然そのつもりだったことは秘密にしておいて、だ。

「竜崎、落ち着いて考えてみろ。いま殺されようとしているのは、犯罪者でもない。見て見ぬふりなどできない。いまのヨツバの殺人は、この七人が発端になっていることは明らかだ」
「……やっぱり月くんは、犯罪者なら殺されてもいいという考えなんですね」
「そういう意味じゃない! 論点をずらすな」

 竜崎が言葉遊びでどうにか煙に巻こうとしている間に、会議の中では殺人が決定する。偏った事故死の日時の指摘により、日付をずらして殺すことが採択された。最短の日付は今週末……今夜から明日の午後までに、確実に一人殺される。

「まずい!」

 どうしても会議を止めさせようと、総一郎は七人のうち誰かに電話をかけることを提案する。しかしそれは竜崎に止められた。そんなことをすれば、エラルド=コイルとしてヨツバに接触したアイバーが真っ先に疑われることになり、尚且つキラが誰なのか、断定できなくなる可能性が高いと竜崎は指摘した。

「じっくりやれば、必ず証拠は出るんですけどね……。証拠は必ずあるんです」

 そうだ。花子も、それが欲しい。
 後ろから一連の流れを眺めていた花子は、竜崎が総一郎たちを止めたことに、内心胸を撫で下ろしていた。顔も知らない相手がどんな悲惨な殺され方をしようが、彼女はちらりとも関心がない。そんなことよりも、証拠だ。彼女はキラの能力を明らかにしなければならない。
 画面に映る男たちの顔を、一人ひとりじっくり眺めていく。どの顔もそれぞれ気に食わないが……。
 ここまで来てキラ確保への道を断念するのは惜しい。しかし人命を無視することはできない。一行の話し合いは、月の発案によって終止符を打った。唐突に、何かに気が付いた顔で、月は画面を振り返る。Lの名を借りると言った彼は、一人の男を選んで電話をかけた。奈南川に。Lとして。
 結果として、月の案が功を奏した。Lがヨツバに目をつけていることを脅迫材料に、月は奈南川との取引を成功させた。奈南川は一ヶ月、殺人を延期することを会議で提案する。その間に、エラルド=コイルにLを見つけさせ、邪魔者を始末してから殺人のペースを戻す……Lを殺すのを優先させるという案は採択された。
 会議は終了し、長居は無用だと言わんばかりに、まず尾々井が席を立った。釣られるように退席していく七人を眺めながら、竜崎は指を咥える。

「やっぱり月くんはすごいです……。殺しを延期させるだけでなく、奈南川から情報を得られるかもしれません。しかも私のやり方に似ていますし……私より早く考え付いた……。これなら、もし私が死んでも、月くんがLの名を継いでいけるかもしれません」

 竜崎は、上目に月を窺い見る。

「何を縁起でもないことを」

 月は竜崎の言葉を気にも留めなかった。馬鹿なことを言うなと一蹴しただけで、頭はこれから一ヶ月の間にどうやってキラを捕まえるか、そこにあるらしい。表情に不自然なところがないところが、竜崎の気に障った。夜神月がキラであれば、必ず反応が返ってくるはずだからだ。

「しかし、ヨツバに最初に目をつけたのも月くんですし……。やはり私より有能と言っていいかも。……月くんなら、出来るかも知れません」
「……Lを継ぐことをか?」

 レイ=ペンバーを殺し、二十四時間の監視もすり抜け、キラの能力を手放し、Lを欺いた上でキラとして返り咲くことを、だ。

「もし私が死んだら継いでもらえますか?」

 キラとして演技をしているのであれば、必ず「継ぐ」と答えるはずだ。
 月は竜崎の態度を訝り……そうしてその意図に思い至った。手錠がある以上、キラ事件において二人は生死を共にするはずである。少なくとも、月はそのつもりだった。彼は竜崎を信頼していた。だからこそ、竜崎の意図を知り、腹が立った。

「……悪いが、いま竜崎が考えていることを、皆の前で言わせてもらう」

 夜神月がキラであると、竜崎の考えは変わっていない。現状に関する彼の推理は二つ。一つは夜神月がキラであることをしらばっくれていること。もう一つは、キラの能力を他者に移した上で、夜神月本人はキラである自覚を失っている。前者はもちろん、後者であっても手錠を外すことはできない。夜神月がキラだとすれば、キラの能力を失ったこと自体が彼の策であり、他者に移した能力が自分に戻ってくる算段を必ずつけているだろう。

「竜崎は“夜神月はLの座を奪った上でのキラになる”。そう考えた」
「正解です」

 月の指摘に、竜崎は内心舌を巻いた。考えていることを、こうも正確に読まれたのは、初めての経験だ。

「しかしどうだ? これで少なくとも、僕が演技しているわけではないというのはわかったんじゃないか?」
「演技をし、Lの座を奪うことを狙っているのなら、その計画を皆の前で自らばらすはずがない……という事ですね?」
「そうだ。もしLが死に、僕は生きていて、その後キラが現れたなら、僕がキラだと第三者に判断させるようにしておけばいい。もう一つのパターン……能力が誰かに渡り、僕に戻ってくるようにしてあるとすれば、その場合、いまの僕はキラであった自覚を失っているという考えでいいんだな?」
「はい。私にはそうとしか思えません」
「竜崎……」

 月が竜崎の肩に手をかける。椅子ごと自身に向き合うよう回転させ、月は竜崎と目線を合わせるため、膝を折った。真っ直ぐに、真摯に、訴えかける月の目には、誠実な光が差し込み、大人になりかけたそのかんばせを美しく輝かせる。

「この僕が、いま存在するキラを捕まえた……その後で、キラに……殺人犯になると思うか? そんな人間に見えるのか?」
「思います。見えます」

 間髪入れずに竜崎は答える。
 月の拳が竜崎の鼻っ柱に打ち込まれるのと、竜崎の足が月の頬を蹴り飛ばすのは同時だった。そのまま殴り合いの姿勢をとる二人の間に、松田が慌てて割って入る。それでも尚、険悪な雰囲気は変わらない。特に、月が竜崎を睨む目には、怒りが満ちていた。

「……安心していい。月はキラではない。絶対にね」

 二人の言い合いを静観していた花子は、矛を収めない兄の肩にするりと腕を回した。「ねえ、月」真横でにやりと笑む妹に、月は「当たり前だろ」と憮然として返す。

「だから殺されることを、そんなに怖がらなくていいよ、竜崎」
「?」

 鼻から垂れた血を舐め取りながら、竜崎が花子を振り返る。花子は月のすぐ傍に立ち、竜崎を見下ろしている。

「いざとなれば、私が助ける。私があんたを死なせない」
「……」
「世界一の名探偵に、死なれたら困るからね」

 軽い口ぶりだった。月でさえ、花子のいつもの軽口だと判断し、まともに取り合わなかった。「いや、おまえが危なくなったら、竜崎を見捨てて逃げていい」息を吐くように笑って月が言う。彼は、花子の言葉が自分の怒りを鎮めるための冗談だと思ったのだ。そんな兄に、妹はにっこり笑って返した。
 竜崎だけが、花子の言葉に引っ掛かりを覚えた。何だ? しかし、反芻しても何ら不自然な台詞ではない。しかし、確かに、何かを感じた。竜崎は胸を押さえる。
 この感覚は、何だ?



 



 捜査本部の意見は二つに割れた。人命を優先し、犠牲者を一人でも減らすため、すぐにでも会議のテープを証拠に七人を捕まえるべきだという総一郎の主張と、七人のうち誰かがキラと関わりを持っているだけの可能性もある……キラを個人に断定してからでなければキラ確保は難しいという竜崎の主張。議論は平行線を辿る。どちらも自分の考えを曲げる気はなかった。

「しかし、七人のうちにキラが絶対にいないとも言えないのなら、七人を捕まえれば犯罪者の死が止まる可能性もあるということのはずだ。人命を優先し、七人を捕まえるべきだ」
「確かに……父さんの言う通りだ」

 さて、何と返すか。竜崎が次の一手を考えている間に、口を開いたのは花子だった。

「……ごめん、お父さん。私は竜崎に賛成」
「花子!?」

 総一郎が振り返る。娘も月と同じように、人が死ぬのを何としてでも避けようとすると彼は思っていた。
 父から気まずげに視線を逸らし、花子は俯く。声は小さく、自信がなさげだった。けれど、しっかりとした輪郭がある。

「人の命を優先するのは、当然のことだと思う……。だけど、それでキラを逃すかもしれないなら、私は、確実にキラが捕まる方法を取りたい。だって、そうしないと月はいつまでも疑われたままだ。……またあんなことになったら……」
「花子ちゃん……」

 竜崎以外、全員が花子に同情的な目を向ける。
 冗談じゃない。
 薄い肩を自身の腕で抱く花子は、傍から見れば兄の逮捕を恐れる健気な姿に映る。しかし彼女の内心は、そんなものではなかった。力の込められた指先は白くなるほどで、掴んだ肩には爪が食い込む。その痛みで、どうにか堪えているのだった。苛烈な怒りを。気が狂いそうなほどの苛立ちを。
 ここまできたのだ。顔も知らない人間のためにキラを取り逃すなど、冗談じゃない。家族じゃないのなら、誰が死んだっていい。確実にキラを捕まえたい。キラはもう、目と鼻の先にいるのだ。花子は強く歯を食いしばった。終わりをどれだけ待ち望んできたと思っている。どれだけ、息を殺して耐えてきたと。
 早く、Lに勝ちたい。早く。

 夜神花子。何を考えている。
 竜崎は俯いた彼女の細い首を見つめた。竜崎の位置から、俯いた彼女の表情は窺えない。
言葉の通りに、兄の身を案じているのか? 花子が口にしたのは、もっともらしい言葉だった。だからこそ、だ。先ほど覚えた引っ掛かりも合わせ……どうにも竜崎には、花子の主張をそのまま受け取る気にはなれなかった。何かがある。そんな気がする。しかし、それはあまりに些細な違和感であり、うっかりすると指の隙間から溢れてしまうくらいである。問い詰めるには材料がなさすぎた。花子は、何もおかしなことは言っていない……。

「あの……やっぱり私は一人でキラを追います」

 平行線を辿る議論に時間を費やすのは愚かしい。期限は一ヶ月。焦っているのは竜崎も同じだ。

「この事件はキラを捕まえなければ解決しない」

 竜崎が提案したのは、別れて捜査を進める事だった。総一郎たちが人命を優先し、ヨツバの七人を止めたいのであればそうすればいいが、自分は自分でやりたい様にやる。それでも尚食い下がろうとする総一郎に顔を向けず、竜崎は立ち上がり、海砂の部屋に向かう。手錠がつながっている月も必然的に、海砂の部屋に着いていく。
 残された面々には、気まずい沈黙が落ちた。松田が気遣わしげに総一郎を窺うも、軽薄さが売りの彼を持ってしても話しかける切片が掴めない。険しい表情のまま、総一郎は七人のプロフィールが記された資料を手に取る。
 総一郎の愚直なまでの真面目さは、警察組織の中でも煙たがられることが珍しくなかった。若い頃から、それなりに苦労してきた自覚もある。それでも、局長まで昇り詰めたのは、彼の正義感があってのことだ。いまさら変えることはできない。犯罪者であろうが、キラが捕まえられなくなるかもしれないと指摘を受けようが、目の前で人が殺されようとしているところを見過ごすなど、彼にはどうしたって出来ないかった。

「七人の逮捕は現状じゃ難しいと思うけど……竜崎の話を信じるなら、奈南川はキラじゃない。あいつを使って、もう少しキラを絞り込めないかな? キラ以外の罪は問わないって条件で取引ができれば、キラ探しに協力させられるかもしれない。誰が会議を始めたのかとか、そういうところまで情報を得られれば、キラにぐっと近くなる。逮捕に繋がる証拠も出るんじゃないかな」

 総一郎が肩越しに振り返る。花子は後ろ手を組み、微笑んで首を傾げた。「どうかな、お父さん」愛娘の気遣いに、総一郎の眉間も緩む。

「竜崎に賛成なんじゃなかったのか?」

 父の焦りが解れたのを見て、花子は戯けて肩を竦めた。やれやれとでも言うように、両手で大げさなポーズを取る。

「まあね。でも、あいつのこと、嫌いだから」

 モニターには、海砂の部屋が映し出されている。会話の内容は筒抜けだった。花子の耳は弥海砂の声を捉えている。竜崎は月を取り込むために海砂を味方につけることにしたらしいが、上手くいったようだ。《ミサは友だちを絶対に裏切りません》調子のいい、明るい声。花子は家族専用の仮面を被って、父に寄り添う。

《ミサ、ライトの役に立ちたい。役に立って、ライトにもっと愛されたい。それにミサは……》

 自然な仕草で、花子は資料を覗き込むかのように俯いた。長い髪に隠されたその顔が鬼女の如く歪んだことに、誰も気づかない。

《ライトのためになら喜んで死ねる》

 じゃあ死んでみろ、と花子は思う。
 おまえも死ねばいい。本当に、神を、愛するのなら。



 



 竜崎の策は、弥海砂をヨツバに送り込むことのようだ。ヨツバのイメージキャラクターとしての面接で、第二のキラとして逮捕され、Lと接触したことがあると匂わせる。面接官にはエラルド=コイルとしてアイバーを潜り込ませるため、予め質問はこちらで決められ、話の流れを上手く持っていくことが出来るという計算らしい。父を手伝う傍ら、モニター越しに作戦を把握した花子は内心舌を巻いた。よくもまあ、そんな悪事を思いつく。
 計画は順調なようだった。海砂がマネージャー役の模木と共に外出し、一段落ついたためか、竜崎と月はそれぞれメインルームで思い思いに時間を潰した。その後ろで、気を揉んだ松田がうろうろと歩き回る。

「ミサミサ、大丈夫かな。面接する部屋かミサミサ自身に盗聴器つけるべきだったんじゃ?」
「面接する部屋はどの部屋かわかりませんし、海砂さんにつけたら海砂さんがより危険になります。それにこれは私たちチームの行動ですから、松田さんは心配しなくていいです」
「そうだ、松田。こっちを手伝え」

 そこへ、紅茶を淹れた花子が戻ってくる。

「月、どうかした?」

 会話に入らず、パソコンを見つめて気難しい顔をしている兄のデスクにカップを置きながら、花子は気遣わしげにその顔を覗き込む。

「! いや……」

 我に返ったように、月は一瞬驚きを見せたが、すぐに柔和な微笑みで覆い隠した。「何でもないよ。ありがとう」紅茶に手を伸ばし、それとなく画面を変える。いまのキラと“前の”キラ……月が捕まる前のキラの差異など、どうでもいいことだ。たとえ、前のキラが月の考えに酷似していたとしても、それは妹に言うべき話ではなかった。

「竜崎、やはり海砂をヨツバに近づけるとしても、第二のキラであったように見せるのは危険すぎる。いまからでもアイバーや奈南川を使って、完全に否定しておくべきだ」
「“第二のキラ容疑でLに拘束されたが間違いだとわかり、解放された”ですから、否定してます」
「僕が言っているのは、その“Lに拘束された”が危険だってことだ」
「……。しかし、海砂さんは進んでこの策に……」
「心配するな、月」

 竜崎たちの策では、海砂が一人矢面に立っているような状況だ。無論、総一郎は彼女のことも懸念していた。キラ容疑者ではあったが、子どもたちと同じ年頃の娘だ。総一郎のような人間が、それを危険な場所に送り出すことを容認できるはずもない。

「私がテレビ出演し、いまの状況をすべて発表する」
「! やめて、お父さん」

 一番に鋭い声を上げたのは花子だった。眉間に強く皺を寄せ、父を睨みつける。

「局長、もう警察でもないのにそれは……」
「いや、さくらテレビの出目川なら飛びついてくる。私が警察を辞めた経緯、ヨツバがキラの能力を使っていること……それらを発表すれば、キラによる犯罪者殺しが止まらなかったとしても、ヨツバの殺しは必ず止まる」
「やめて。 そんなことしたって、お父さんがおかしい人だと思われるだけだよ。意味なんてない。それに」

 花子は息を吸った。

「そんなことして、お父さんがもし……ま、万が一にでも、キラに……」
「わかっている……。しかし、世間に何と思われようと、ヨツバの殺人はなくなるはずだ。私一人の命で何人もの命が救えると思えば」
「だからやめてってばッ!」

 怒鳴り声に、一瞬周囲から音が消える。全員が目を丸くして花子を見た。
 花子は肩で息をする。そうしないと、怒りを抑えられそうになかった。頬が紅潮しているのが自分でもわかった。熱い。手の甲で、拭うように頬を擦る。父が見られない。顔を背ける。

「どうしてそんなに自分勝手なの? そんな、そんな酷いことを、どうして私の前で言えるの!?」
「す、すまない花子……」
「ふざけないでよッ」

 総一郎が固まる。家族に対して、花子が声を荒げたことはない。幼少期の癇癪を除けば、初めてと言っていいくらいだ。特に、父の前で、花子はいつだっていい子だった。甘えてくることこそあれ、反抗期とは無縁の娘は、娘が口を利いてくれないと嘆く同僚を慰めながら、総一郎に密かな優越感を与えた。
 その娘が怒鳴った。総一郎に。警察がキラを追うことはなくなったと知った時よりも、余程ショックは大きい。

「お父さんが……、お、お父さんが、死んじゃったら……わ、私……」
「花子」

 月が立ち上がった。さっと、妹を自分の影に隠すように肩を抱く。花子は大人しく、月の胸にもたれた。鼻を啜る音を聞かれたくなかった。

「ちょっと向こう行こう」

 月の手が、花子の肩を摩る。花子は無言で肯いた。自室に妹を連れて行きながら、月が父を振り返る。「父さん」

「父さんの言ったやり方では、キラの殺しは止まらない。だからと言って七人の名前を発表したりしても、混乱を招くだけだ。キラに殺されるのを恐れるがゆえ、あの会議に出席している者がいれば、その者の一生を犠牲にすることになる」

 息子にも駄目出しを受けた総一郎は、力なく項垂れる。「そうだな……。すまない」しょげた父の様子に、月は眉を垂らした。花子に怒鳴られたことが、相当堪えたらしい。双子は部屋を出ていく。必然的に、竜崎もついていく。



 



「落ち着いたか?」
「うん……」

 赤い目をして、まだ鼻をぐずぐず言わせながら、花子がむっつりと肯く。それがおかしくて、月は笑った。新しいティッシュを膝に積もらせ、花子は兄を睨む。花子の膝には、ティッシュの残骸が堆く積まれている。

「お父さんが悪いんだ。あんなことを言うから……」
「うん。あれは父さんが悪い」

 兄の肯定に、花子はいくらか気を良くした。ティッシュの山をゴミ箱へ捨て、兄のベッドに遠慮なく横たわる。「おい」諌める月の声は真剣ではない。それを知っている花子は、容赦なくごろごろと転がりまわった。

「つまらない部屋だね。何もない」
「おまえの自室だって、似たようなもんだろ」
「そうだけどさ」

 ベッドとサイドテーブル。背の高いランプと、備え付けのクローゼット。ホテルのツインルームのような部屋だった。片方のベッドは荒れていて、もう片方がきちんと整えられていることから、花子には簡単に兄のベッドが判別できた。

「私の部屋には、もう少し色々あったよ」
「あなたの要望で、全部撤去しましたけどね」
「まあね」

 花子に用意された私室には、もう少し華があった。年頃の女性が好みそうな家具一式に、カーペットやアロマキャンドルまで。小物たちを一掃させたのは、竜崎が言った通り花子だった。埃が溜まって掃除が面倒だからという理由で。代わりに彼女が要求したのは、最新式の掃除機だ。彼女の掃除好きに関しては、ここに住む全員が恩恵を受けているので文句はない。

「そろそろ戻るか?」
「うーん。もう少し……」
「まあ、海砂が帰ってくるまで、やることもないしな」

 月は苦笑しながら、転がる妹の背中をぽんと叩いた。ベッドの端に腰掛けている彼には、妹が動くたびベッドの沈みが伝わる。
 竜崎はそれを、隣のベッドで膝を抱えて見ていた。親指の肉を軽く喰む。和やかに寛ぐ兄妹の姿……。竜崎の前では珍しく、花子はリラックスしているようだった。

「花子さん」

 兄にじゃれついていた花子が顔を上げる。「何?」

「私もテレビ出演をしてこれまでの経緯を話し、キラの殺人を止めようと思います」
「は?」
「竜崎……」

 意図を理解した月が、呆れたように半眼になる。その視線をものともせず、竜崎は対岸のベッドから身を乗り出し、花子を見つめた。訝しげに眉を寄せる彼女の顔は不機嫌とも取れ、凡そ竜崎が望んでいた反応ではない。わかっているだろうに、何故こうも不毛なちょっかいをかけるのか、月には不思議だった。

「止めてくれないんですか?」
「勝手にしな」

 真っ黒な目で瞬きもしないまま首を傾げる竜崎は、フクロウに似ている。花子は冷たく言い放つと、さっと立ち上がり、乱れた髪を整えた。そのまま振り返りもせず、出ていく。兄には無邪気ささえ見せていたというのに、この手の平の返しよう。

「おまえ、流石に下手すぎるぞ」
「私は悪くありません」

 ぶっすりと、今度は竜崎が不機嫌さも露わに、半眼で月を睨む。月は大きなため息を吐いた。



<< >>

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -