13.愚者にコンパス


せっかちは愚者の弱点である
 ――グラシアン 「浮世の英知の術」


「また見つけたぞ竜崎」

 画面を睨みながら、月が隣に声をかける。竜崎を挟んで花子も、キーボードを叩いていた手を止めた。耳を傾ける。

「九月十日、自宅階段で足を滑らせ転落、打ちどころが悪くて死亡。大友銀行飯田橋支店長、矢位部巡一、大友で今一番のやり手とされていた人物。そして三日前に大友銀行取締役が贈賄容疑で事情聴取。逮捕はまだだが、こうなると今までのパターンからキラに裁かれるか自殺することに……。これで大友銀行はもうガタガタだ。ヨツバ銀行は大友を抜けば国内一位になる……」
「九月十日と言うと金曜だな」

 月の発言に、総一郎が声を上げる。ヨツバに関係すると思われる死亡者をまとめたリストを取り上げ、総一郎はやはり、と自身の発見に肯いた。

「私たちは簡単なことを見落としていた。もう一度よく調べ直してわかったんだが、ヨツバにとって都合の良い死は週末に集中している」
「えっ、本当ですか?」

 総一郎の言葉に、全員がリストを確認した。彼が言った通り、死亡者の大半は金曜から土日にかけて死亡しており、平日に死んだ者は少ない。月が最初に注目した三人もまた、金曜に心臓麻痺で死亡していた。

「殺人が週末に集中……どういうことだ?」
「おかしいですね……」

 竜崎が考えるように指を咥えた。

「この殺人にキラが関係しているのなら、キラは心臓麻痺以外でも人を殺せることになる。ならばそれがバレないよう、事故死等は死の時間を操って、偏りが表面に出ないようにするはず……。週末に何か意味があるのか? ……やはりキラではないのか……?」
「……キラが単独犯っていうあんたの考えは変わってないわけ?」

 竜崎が花子を振り返る。キーボードの前で頬杖をついた彼女は、眉を上げて竜崎を見返した。「どういうことだ?」月の問いに、花子は「根拠はないんだけど」と前置きをしつつ、竜崎を見たまま続けた。

「キラが増えたっていう可能性は考えられない?」
「増えた? それは、第二のキラのようにということですか?」
「いや、そうじゃない。キラの能力をシェアしているっていうのに近いかな……同じ能力を複数人で使っているとすれば、特定の曜日、それも集まりやすい週末に死が偏っているのに説明がつくかと思って」
「……なるほど」
「正体がバレたのか打ち明けたのかはわからないけど、複数人で能力を“運営”し出したとしたら、ここにきてキラが金儲けに走った理由にもなるし」
「運営ですか……上手いこと言いますね」
「たしかに、これまでの行動を考えてもわざわざ週末を選ぶ理由がないんだから、妥当かもな。少なくとも、何らかの変化があったと考えていい」

 花子は竜崎を伺った。このキラが、月が監禁される前のキラと別人だと思われないための、咄嗟の詭弁だった。が、でまかせにしては存外悪くなかったのではないか。月たちの反応もいい。

「花子の発想はいつも面白い」

 父さんも、と月が総一郎を仰ぎ見る。

「週末のことは、僕も見落としていた。これは何かのヒントになるよ」
「うん。お父さん、さすがだ」

 子どもたちの称賛に、総一郎は力強く拳を握ってみせる。相沢が去った穴は小さくない。それを埋めるかのように働く彼は精力的だった。監禁明け、酷く憔悴していた面影はない。警察を辞めることでまた負の変化が起こらないかと子どもたちは危惧していたのだが、その心配は杞憂に終わった。

「私だって、まだまだおまえたちや竜崎に負けてはおれん。ここのお荷物にはなりたくないからな」

 月がヨツバに目をつけてからというもの、ヨツバを疑う材料は次々に集まっている。竜崎は咥えた指をジーンズで拭った。左からの刺すような視線を無視して口を開く。

「まだわからないことも多いですが、もうキラの仕業だと考え捜査しましょう。ヨツバを徹底的に調べます」

 ヨツバの中にキラがいるのか、キラがヨツバを利用しているのか、キラは関係していないのか。どれもまだ確証はない。けれどここで及び腰になる理由もまたなかった。月の監禁以降ぱったり途絶えていたキラの痕跡は、これ以外にないのも事実だ。
 竜崎の言葉に、場が俄に活気付く。気合を入れ直すようにパソコンに向き直った月と竜崎の間に、模木が書類の山を築いた。

「国内外ヨツバグループ、全社員リストできました」
「模木さん、地道な作業、ありがとうございます」

 おや、と花子は目を上げた。竜崎が素直に誰かを褒めるのは珍しい。けれども見てみれば、模木が作り上げたのは莫大なリストだ。たしか、模木がこれを請け負ったのは二日前、相沢が出て行った直後だったように思う。これだけの仕事量をこの短時間でこなされれば、流石の竜崎でも褒めずにはいられないということだろうか。

「三十万人以上か……。よくこれだけの人をこんなに早く出せたな。すごいよ模木さん」
「模木さんは最初から何気にすごいですよ」
「おまけに模木さん、ごはんまで作ってくれるしね」
「おいしいよな」
「料理が趣味なんだって。時間があれば、もっと盛り付けにこだわりたいって言ってた」

 ヨツバを調べる以前はロクな手がかりもなく、捜査は煮詰まっていた。茶などの給仕は机上の整頓がてら花子が担うことが多いのだが、数人分の食事を三食毎日となると、流石に彼女だけでは負担が大きい。そこで手を挙げたのが模木だった。元々模木自身、店屋物には抵抗があったらしく、食事は専らネットスーパーで届いた食材を彼か花子、時折月が調理している。月が作る場合、片手に邪魔な膝抱えおばけがくっついてくるので、キッチンから喧嘩をする声が聞こえることもある。

「模木さんと仲が良いんですか」

 ぬろり、と竜崎が花子を見る。「まあね」と花子は肩を竦めた。

「私より模木さんの方が料理上手いから、模木さんが使いたい食材は優先して残すようにしてるし、そうなると自然、話すことも増える」
「そうですか」

 竜崎が、腕を伸ばし、頭より高い位置から角砂糖を落とす。当然、紅茶は酷く跳ねた。雫が書類に飛び散った瞬間、花子が恐ろしい形相で竜崎を睨む、も彼は気付かないふりをした。その奥で、月が面倒臭そうに肩を落とす。

「真面目にやれ竜崎」
「真面目にやってますよ月くん」
「それにしたって莫大な数だ……。どこから手をつけていいのか……」

 捜査員を増やそうにも、警察を頼れない以上増やす宛てはない。腕を組む総一郎の後ろで松田が口を開きかけ、けれども携帯の鳴る音に邪魔された。監視用モニターから、海砂が機嫌よく松田に呼びかける。「マッツー、ロケ行くよー」「あっそうか……」肩が、空気を抜くように落ちる。

「僕も捜査の方がしたいけど行ってきまーす」

 小さな声は議論に掻き消され、竜崎たちの耳には届かなかったのか、もしくは届いた上で返事をする必要がないと判断されたのか。しょぼしょぼと背を丸めて去っていく松田を見送り、花子が席を立つ。捜査員拡充について総一郎と話していた竜崎が、目だけで花子を見上げるも、彼は何も言わなかった。彼女も何も言わず、松田の後を追う。

「松田さん」

 呼ばれた松田が振り返る。

「花子ちゃん、どうしたの?」
「……」

 振り返った瞬間合った視線をそれとなく外し、花子は左の手で唇に触れた。追ったはいいものの何と言うべきかまで考えておらず、必死で頭を回すも慣れていないために言葉がうまく見つからない。そんな花子に、松田がほっと頬を緩めた。
「いやあ」眉を下げ、苦笑しつつ頭を掻く。

「ごめんね。捜査の役に立ちたいんだけど」
「いえ……」
「……花子ちゃんの目から見てさ、やっぱり僕だけ、あんまりだなって思う?」
「そうは思いませんけど」
「そうかな」

 何も言えない自分に、花子は舌を打ちたかった。やはり追うべきではなかった。慣れないことはするものではない。松田がよく自分を気にかけてくれるからと、同じことをしようと思ったのが間違いだったのだ。

「月くんもだけどさ、花子ちゃんもすごいよね。まだ大学生なのに」

 花子は視線を上げた。今度は松田が自分の靴を見るように俯いていたので、目は合わなかった。

「べつに、私は何も……」
「毎日ごはん作ってくれるし、さっきの発言だって、なるほどなあって思ったよ。……僕も頑張らないと」

 空元気にしか見えない笑いを残し、松田がロビーを去っていく。やはり、心なしか肩の落ちたその背を見送り、花子は捜査室に戻った。「おかえりなさい」竜崎が声をかける。

「どうでした?」
「……まずいかも」
「まずい?」
「気合の入り方っていうか、思い詰め方が」

 何か、しでかしそう。単直にそう言うのは憚られ、花子は口を噤んだが、言いたいことは十二分に伝わったのだろう。「まあ……」一瞬、竜崎が言葉を濁す。

「海砂さんのマネージャー業で突拍子もないことは、流石の彼もしないでしょう。海砂さんはヨツバとは関係がありませんし」
「人手についてはどうなったの?」

 花子は総一郎を振り返った。たったこれだけの人数では、いくらなんでも大企業を調べるには足りない。

「竜崎が知り合いを呼ぶそうだが……」
「知り合い?」
「アイバーとウェディです」

 何でもないように答える竜崎と裏腹に、総一郎も月も、要領を得ない表情をしている。

「何、誰なのそれ」
「私の知り合いです」
「顔を見せる気?」
「それなりの信頼関係がありますので」
「ありえないでしょ、それ」

 竜崎が目を眇める。「どういう意味ですか?」ぶっすりと自身を睨み上げる彼を高圧的に見下ろし、花子は鼻を鳴らした。皮肉げに口端を歪める。

「わざわざ説明が必要? 世界一の探偵様に?」
「……これは花子が悪い」

 内心、妹と同じことを思っていたと口に出さないだけの聡明さが月にはあった。息子に同意した総一郎もまた、二人を止めることはせず仕事に戻った。仲裁は無意味だと、この数ヶ月で全員が思い知っている。始まった喧嘩に背を向け、月は二人の分も進めるべく、作業に集中した。



 



「俺はアイバー。詐欺師だ。よろしく」
「ウェディ。職業はドロボウ」

 竜崎が知人を呼ぶと言った三日後、彼らは捜査本部にやってきた。欧米人の男と女が一人ずつ。名乗られた肩書きに、総一郎が目を白黒させる。

「アイバーは社交に必要なあらゆるものを身につけ必ずターゲットと親密な関係になる詐欺師。潜入捜査に使えます。ウエディはどんな鍵、金庫、セキュリティでも破れる泥棒です。その証拠にこうして我々に気づかれることなくここまで入ってきた。二人とも歴とした犯罪者です」

 竜崎の説明に、花子は新たな捜査員を眺めた。
 総一郎は抵抗を隠せないようだが、花子としては彼らが犯罪者だとして何ら問題はない。ばかりか、それを聞いて安心したくらいだった。名探偵と犯罪者である彼らの関係。まさか単なる仲良しこよしをしているわけがない。明確な利害関係があるはずだ。となれば、この二人が無闇矢鱈にこちらを裏切ることもないだろう。世界一の名探偵が詐欺師や泥棒の一人や二人見逃していようが、Lが寝首を掻かれることがないのであればそれでいい。

「は、犯罪者と一緒にやるのか?」
「犯罪者と言っても、キラに裁かれるような表に出てくる者とは少し違います。裏の世界のプロとでも思ってください。流石に夜神さんたちが警察であったので入れられませんでしたが、今となっては……」
「しかし……」

 花子は隣に並ぶ月を見上げた。渋る総一郎の横で、最初、月もまた彼らの肩書きに引っ掛かりを覚えていたようだった。視線に気がついた月が妹を見下ろす。彼女の意図に気がつくと、月は一つ、まばたきをした。堂々とした足取りで、一歩踏み出し、彼らに向かって手を差し出す。

「ヨツバを探るなら、こういう人たちも必要になる。みんなで力を合わせて頑張ろう!」

 月の言葉に、総一郎と模木も気後れした様子ではあるが肯き返す。実際、竜崎が招き入れるくらいだ。優秀さは疑うべくもなく、ただでさえ捜査員は不足している。選択肢はないと言って等しい。
 スマートに手を握り返したウエディと違い、アイバーは軽く笑って握手を断った。

「悪いが、男の手を握る趣味はなくてね。むさ苦しい野郎ばかりだと思っていたが、華もあるようで嬉しいよ」

 言いながら、その隣に並ぶ花子に片目を瞑って見せる。風貌も相まり、映画俳優さながらの仕草であったが、花子は不機嫌に顔を顰めて顔を逸らした。「おや、嫌われてしまったかな」揶揄うような声に眉間の皺が深くなるのを見て、まさか竜崎相手のように飛びかかりはしないかと、総一郎は伺うように娘を見る。

「それでは早速作戦を立てていきましょうか」

 自身を囲む面々に竜崎は目を向けた。膝を抱えて座ったまま彼らを見上げ、普段と変わらぬ調子で、冷静に、それでも活き活きとした声で告げる。各々の能力に合わせた仕事を割り振りながら、彼もまた、進展ある現状に気を高めている。一度手の平からすり抜けていった敵を、二度逃がしてやる気はさらさらない。

「わかっていると思いますが、これからのやり方についてもう一度確認しておきます。相手はヨツバでありキラでもある。ヨツバにとって都合のいい死が多発し、心臓麻痺死者もいることと、探偵を雇ってまで私を探していることから、まず両者は関係していると考えていい」

 先日ワタリからの連絡で、捜査本部はヨツバ役員の一人がエラルド=コイルにLの素性調査を依頼したことを把握していた。世界三大探偵であるコイル、ドヌーヴ、L全てを竜崎一人で回しているという真実により、第三者を気にかける必要はないが、これでヨツバに、目下最大の反キラ勢力と謳われる探偵を気にかける事情があることは確実となった。それを理解している面々は、この捜査がどれほど重要であるか、各々の内で噛み締めるように肯く。多くの犠牲を払い、ようやっとここまできた。この機を逃す気のある者は、誰一人としていない。いまこの場には。

「絶対にヨツバ側に、我々が調べていることを気づかれてはなりません。気づかれたらその時点でキラは捕まえられなくなるくらいに考えてください。気づかれないよう慎重にじっくり調べ、なおかつーー気づかれずに証拠を押さえる。これしかありません。くれぐれも焦った行動、先走った行動、一人の判断で動かないでください。探っていることを気づかれないよう、まずアイバーとウエディに」
「……竜崎」

 自然、昂っていく場を、何とも言えない声のワタリが遮った。振り返る竜崎とともに、全員が画面に目を向ける。レタリングされたLの文字から、言葉にし難い沈黙が漂う。

「どうした? ワタリ」
「松田さんがベルトで緊急サインを送ってきました……」

 花子の脳裏に浮かんだのは、肩を落としながらも空元気で笑ってみせた松田の後ろ姿だった。このワタリの様子。このタイミング。まさか。ワタリの言葉に絶句する月の横で、彼女は頭を抱えたくなった。総一郎や模木も言葉がない様子で、そんな中、半眼になった竜崎がワタリを促した。表情に大きな変化はないものの、長い沈黙が全てを語っている。

「…………どこから?」
「それが、どうやらヨツバ東京本社内のようで……」
「な、何やってんだ!? 松田は!! 気付かれでもしたら……」
「いや、緊急サインってことはもう気付かれてる可能性も……」

 想像を超える報告だった。咄嗟に声を荒げる総一郎に、月もまた厳しい顔をしている。花子も信じられない気持ちで、額に手を当てた。よもや、ここまで酷いとは。弥海砂のマネージャー業に従事しているはずの彼が、一体なんだって敵の総本山から緊急信号を飛ばすようなことになるのだ。

「今までの話は忘れてください……。作戦、考え直しです」

 すっかり興が削がれた顔で、竜崎が椅子を回す。再び捜査員に向き直った彼は、白い指で額を掻いた。元が動物染みて円い瞳は、今や幽鬼のようでもある。呆れと苛立ちと諦めと、その他多くのものを織り交ぜて、竜崎は重く、呟いた。

「松田の馬鹿」


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