12.終わりが来るから、待っていて


終焉の日は音を立てずにやってくる
 ――ウィリアム=シェイクスピア


 よく晴れている。空は抜けるように青い。夏の暑さも過ぎ、太陽は輝きながらも肌を焼くような強烈さはない。秋晴れという言葉がよく似合う陽気だ。外に出ればきっと気持ちのいい風が頬を撫でるだろう。
 閉め切った高層ビルの一室で、花子は大きく身体を伸ばした。肩を下げ、肩甲骨が動くように肩を回す。パソコンの画面には、OL向けのストレッチ方法が映っている。最近肩こりが酷いのが、目下の悩みだ。
 捜査員は泣きたくなるほどに少ない。それこそ、花子のように取り立てた強みがない者でも欠けたら大きな穴が開くほど。彼女の仕事は主に竜崎の世話に加え、誰でもできるようなデータ整理であるが、誰でも、と言うほど人がいないので、存外重宝されている。
 圧縮の終わったファイルを竜崎に送り、隣に目をやれば、竜崎はくるくると椅子で遊んでいるところだった。その向こうでは、月が真剣な顔をしてキーボードを叩いている。

「紅茶のおかわりは?」
「お願いします」

 竜崎にやる気がないのはここ最近の常であり、花子は別段気に留めなかった。その態度に腹を立てているとすれば月の方で、先日は殴り合いにまで発展したほどだ。いまの月からすれば、キラは自分に罪をなすりつけた憎き犯罪者であり、キラを捕まえない限り自由を手にすることができないのだから当然とも言える。
 空のポットを手に、花子は席を立った。竜崎はまだ椅子で遊んでいる。その竜崎に、月が声をかけた。

「竜崎、やる気ないのに悪いがちょっと来てくれ」
「?」

 兄の声を背に、花子はキッチンに向かう。途中、相澤と松田のカップも回収した。進んで給仕を請け負っているわけではないが、空のカップを放置しておくことは彼女の美学に反する。
 湯を沸かし、紅茶を淹れて戻ると、何やら場が活気づいていた。松田と竜崎が月のパソコンを覗き込み、熱く言葉を交わしている。トレーを持ったまま、花子は首を傾げた。この短時間で一体何があったのか。

「どうしたの」
「花子」

 トレーをデスクに置き、花子もまた、月の後ろから画面を覗き込んだ。画面には名前がずらりと並んだリスト、何らかのグラフが表示されている。リストには名前の横に心臓麻痺という単語と月日が記されていた。恐らく死亡者のリストなのだろう。では、グラフは何だ?

「何これ?」
「株価だ」

 月曰く、心臓麻痺で死んだものを洗っていく過程で、三人の会社役員の死が目についたのだという。それを辿ったところ、どうにも競合社の中で、ヨツバ社だけが不自然なほど株価を伸ばしている。説明を受け、再度グラフに目を戻せば、たしかに一本の線だけが急上昇している。これがライバル社で死人が出たことによる結果なら、明らかな作為を感じる。

「どう思う? 僕にはキラがヨツバに肩入れしているとしか思えないが」
「……しかしそうなるとキラは……」
「ああ」

 心臓麻痺以外でも人を殺せる。

 竜崎はすぐさま相沢にも声をかけた。資料を出力し、今後の方針を固めるべく、月も動き出す。松田は「なんかワクワクしてきたね!」と花子に笑いかけ、慌ただしい様子で机上の資料を片付け始めた。警視庁に出向いている総一郎と模木が帰ってくるまでに一度、情報共有も兼ねた話し合いが設けられるだろう。花子はデスクに置いたトレーを取り上げた。テーブルに置き直し、カップに茶を注ぐ。緩やかに昇る湯気を見ながら考える。

 ここに気づいたのが早いのか遅いのか、花子にはわからない。もう少し時間がかかるようであれば、どうにか自然なヒントを見つけ提示するつもりだったが、その必要がないことは喜ばしい。動けば動くほど、花子に注目が集まってしまう。それではいけない。花子は流されるがまま捜査本部に身を置いているただの凡夫だと、全員にそう思われなくてはならない。
 そう。
 キラが心臓麻痺以外でも人を殺せると、花子は知っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 月が監禁されている間、花子もある程度のところまでは調査を進めたのだ。結果として、キラとしての物証を手に入れられず、これ以上は独力では不可能ということで再び捜査本部に身を置いているが、心臓麻痺以外でも人を殺せることに、彼女は二ヶ月以上も前に気がついていた。

 この事実で、捜査がどれだけ進展するかわからない。……が、恐らくかなりの進捗を見せるはずだ。月の監禁が解かれてからというもの、全くと言っていいほど拾えなかったキラの痕跡。それが、とある会社と繋がっているところまで絞り込めた。ナマケモノかパンダのようだった竜崎だって、今ばかりは機敏に動いている。今度のキラは、夜神月ではない。ならば、Lなら、必ず勝つ。
 必ずキラを押さえる。必ず証拠を手に入れる。

 注ぎきったポットを下ろす。ガラスのテーブルに、陶器が触れる音。手を開くと、じっとりと湿っていた。昂っているのだ、と花子は思った。ここからが正念場だ。ここでしくじれば、花子は何も果たせない。Lの喉笛を噛み千切る、そのために彼女はここにいる。
 そっと、花子は振り返った。肩越しに見える、ぼさぼさとした黒髪。花子の敵。
 終わりの足音が、花子には聞こえる。



 



 総一郎たちが戻るのを待って今後の方針を決めることになり、それまでは各自ができることを、と作業を進めている。月とともにヨツバのメインコンピューターへの侵入を試みている竜崎の隣で、花子はヨツバの役員たちについて資料をまとめていた。

「社内での辞令とか、細かいところもわかるといいんだけど」
「そうですね。まあその辺りはハッキングが済めば容易にクリアできます」
「たしかに」

 口を動かしながら、花子は竜崎の手元を盗み見た。常の奇妙な手つき同様、竜崎はキーボードも人差し指しか使わない。それなのに、どうしてこんなにも素早いタイピングが可能なのか。白く骨張った手が、軽やかにキーを叩いていく様は、異様とも圧巻とも言える。

「そんなに熱心に見てどうしたんですか」
「気持ち悪いなって」
「はっ倒しますよ」

 睨む竜崎に、花子は肩をすくめた。加えてブラインドタッチともなると、恐れ入る。

「局長。あっ、模木さんも、お疲れ様です」

 松田の声に、花子たちは入り口を振り返った。帰ってきたばかりの総一郎と模木は固い顔をし、穏やかでない様子だ。

「凄いっすよ。月くんと僕の活躍で、ヨツバグループにキラがいるって可能性が濃厚になってきました」
「ヨツバ!?」

 総一郎の驚きに、そこまで反応されるとは思わなかったのだろう、松田がひゅっと肩を上げた。そんな部下の肩を、総一郎が力強く叩く。

「たぶんそれだ。よくやった」
「え?」

 警察庁で、総一郎は警察官次長からキラが政治家に賄賂を送った話を受けてきたところらしい。父らの話に耳を傾けながら、花子はやはり、と画面を見つめた。映し出された、重役の名簿。顔まではまだわからない。けれど必ず、キラは、この中にいる。

「もしかしてそれで、この本部にキラ事件捜査の志願者を全国から募るって案が通ったんですか?」
「その逆だ。志願捜査員どころか、警察はキラに屈した」
「えっ!?」

 これには、花子に並んでいた竜崎と月も、総一郎を振り返った。先の展開が読めた月は、真剣な眼差しで父を見つめる。警察がキラに屈した。その意味を、彼は正確に汲んでいた。

「相沢、松田。まだキラを追う気があるなら、私と模木とともに……今から警察庁に辞表を出しに行くんだ」
「!?」
「お父さん、警察じゃなくなるんだ」

 場にそぐわない、軽い声。月は隣に目をやった。竜崎の向こう側で、花子は椅子の背もたれに肘をついている。視線に気づいた花子が、総一郎から月に目を向けた。立ち上がった兄を見上げながら、花子は気軽な様子で笑った。普段の、皮肉げな顔ではない。

「じゃ、キラ事件終わったら、しばらく家でゆっくりできるね」
「……そうだな」

 妹の言葉に、月も、力を抜くように笑う。
 警察局長まで昇り詰めた父が、その正義のために職を追われるのだ。月は悔しい。しかし、キラを諦めて警察に留まるべきだなんて、言えるはずもない。父は自分の無実を信じて、ともに監禁された身なのだ。どれだけこの事件に心血を注いでいるか、考えるまでもなかった。

 知らず握っていた拳を、月は解いた。隣でこれだけ暢気な顔をされると、つい毒気が抜けてしまう。言葉にし難い憤りは、解れるように溶けていった。それに、花子が言っていることも、あながち間違いではないのだ。父は仕事も、家庭も愛している。忙殺され、なかなか帰ってこられなかった家でのんびり過ごすことができるのなら、母や妹は喜ぶだろう。

「私はいいと思うな。まあ、警察組織には腹が立つけど、このままじゃ粧裕、お父さんの顔忘れそうだし」
「流石にそれはないだろ」
「でもさ、家族サービスだって、大切だと思わない? お母さんと二人でデートにでも行けばいいんだよ」
「たしかに、母さんと粧裕には寂しい思いさせてるよな」
「頼りになる兄貴も、彼女との同棲で家にいないわけだし?」
「過保護な姉も、彼氏との同棲で家を出て行ったわけだし」
「みな、自分の生活がある。よく考えて決めてくれ。もう賭けるのは自分の命だけではない」

 総一郎の言葉に、双子は再度、父に目を戻した。節々から滲み出る覚悟。どれだけ本気なのかが知れる。
 二人に挟まれた竜崎が、くるりと椅子ごと、総一郎たちに背を向けた。

「私は皆さんは警察に戻るべきだと思います」

 平坦な声に、その場の全員が竜崎を見る。椅子の上で、いつものように膝を抱えた竜崎は、視線から逃げるように顔を伏せた。

「もともと私は一人でしたし、警察のほとんどの者がキラに殺されたくないから私には協力できないとすぐ背を向けた。それでも今まで残ってくれた皆さんのその気持ちだけで……私は一人でもやっていけます。そして、必ず警察に……キラの首を土産に皆さんに会いに行きます」
「竜崎」

 月が竜崎を呼ぶ。翳すように上げた左手が、じゃらりと硬い音を鳴らす。

「僕がいる限り一人ということはない。この約束もある」
「そうでした。月くんはキラを捕まえるまで行動を共にしてもらいます。花子さんも、それに伴い一緒にいてもらう必要がありますが」
「まあ、元から月の疑いが晴れるまでって約束だからね」

 花子は軽く肯いてみせた。彼女とて、こんなところで竜崎を逃す気はさらさらない。

「しかし他の皆さんは警察に戻られたほうがいい……」
「竜崎、この事件には警察の力が必要だと言ってくれたじゃないか」
「言いました。しかしそれは夜神さんたちが残ったことで私と警察が切れずにいたことと、警察が組織としてキラには従わず、逮捕を望む姿勢でいたことが協力となっていたんです。警察を辞めるニ、三人の一般人の協力は警察の協力ではありません」

 にべもない竜崎の言葉に、総一郎は食い下がった。ここまで命を賭けてやってきたのに、こんな形で本懐を遂げられないのはあまりに無念だ。加えて総一郎は息子と娘が、キラとして疑われている。ここで身を引くわけにはいかない。
 捜査を続けるか否か、選ぶ権利があるとの主張に、竜崎は「そうですね」と振り向かないまま返した。

「では、どちらにするか決めてください」

 花子は竜崎のキーボードに手を伸ばした。さくらんぼの蔦で遊びながら、竜崎がちらと彼女を見遣る。軽い音を立て、いくつかのキーを叩いた彼女は、すぐに素知らぬ顔をして手を戻した。画面に打ち込まれた文字に、竜崎が目を眇める。感じ悪いやつ、なんて、少なくともこの女には言われたくない。

「りゅ、竜崎、警察に戻り、空いた時間に協力するというのは?」
「駄目です。警察に戻るならもうここには来ないでください」
「だが、警察の動きを見る者をこっちから一人置いたと考えれば」
「警察に戻り、警察の方針に従い、一人でキラを追うのは自由です。何か知らせたいことがあったら、夜神さんにでも電話して伝えればいい。しかしこっちの情報は絶対渡しません」

 相沢は唇を引き結んだ。
 身軽な松田や模木、事情が異なる総一郎と違い、相沢には幼い子どもと妻がいる。縋るような言葉に返す竜崎には取りつく島もない。力無く項垂れる。彼とて、自分が未練がましいことを言っていることを承知していた。それでも諦めきれない想いがある。ここに今、立っている者で、命を賭けていない人間はいないのだから。

「ずるいですよ……。俺だって、ここでやりたいです。本当に、いつ死ぬかわからない覚悟でやってきました。それに……」

 周囲からの慰めに、相沢は強く拳を握った。あまりに力み過ぎて、手は小さく震えている。

「それに、ここで辞めたら宇生田に顔向けが……」

 そうか、とその言葉を聞いて、花子は思った。誰か、死んだのか。キラのせいで。宇生田という名前に、花子は覚えがない。警察がキラに殺された事件といえば、さくらテレビの一件だろうか。花子は眼前に据え付けられた、巨大なモニターに目を向けた。画面の中では、金髪の女が優雅な様子で寛いでいる。弥海砂。第二のキラ。
 この女をどうするかも、そろそろ考えなくてはならない。

「……竜崎」
「どうした、ワタリ」

 画面の中からの控えめな声に、竜崎が反応する。目に見えずとも逡巡する間を持ち、画面の向こう側でワタリが続ける。

「あなたはこの捜査本部の者に何かあった場合、その者と家族が一生困らないだけの経済的援助をすることを最初に私に約束させた。何故そのことを言って差し上げないのですか?」
「余計なことを言うな、ワタリ」
「あっ……はい、すみません」
「な、なんだ……僕たちの生活保障までされてたんですか」

 竜崎は依然として、相沢たちに背を向けたままだ。「よかったじゃないですか、相沢さん!」松田が明るい声を出す。
 けれど、相沢の反応は、松田の予想と違っていた。彼は険しい顔をして、肩越しに竜崎を睨みつける。自分を試していたのかと問いかけられて尚、竜崎は振り向かない。
 総一郎と松田が必死に場を取り持とうと相沢を宥めるも、竜崎の態度が彼の怒りに油を注いでいるのは明らかだった。「試していました」やはり平坦な声で竜崎が言う。

「どっちを取るか観てました」

 結果、相沢は本部を去った。あまりに凪いだ竜崎の対応に、それでも誰も、苦言一つ言わなかった。全員わかっているのだ。これだけキラに近づいたということの意味を。生活の保証は、彼の命の保証ではない。

 気まずい静けさに包まれた本部内では、ぼそぼそとした話し声より、キーボードを叩く音の方が大きく聞こえる。舌で結んだ蔦を吐き出しながら、竜崎は隣に座る花子に目を遣った。手を伸ばし、彼女の手を邪魔するように、キーボードに触れる。

「なに」

 ぎろりと恐ろしい形相で睨まれても、竜崎は意に返さない。先程の彼女と同じように、言いたい言葉だけを打ち込んで手を戻す。
 画面を見た花子は打ち込まれた文字を読み「べつに」と、そっけなく返した。

「私は相沢さんが抜けるの、賛成だったから」
「そうですか」
「本音を言えば、松田さんにも、模木さんにも、父さんにも、月にも出ていってほしい」
「ちょ、花子ちゃん」
「特に父さん」

 冷めた口ぶりに松田が苦笑する。花子は彼らを振り返った。資料に目を塔していた総一郎を強く、ともすれば睨みつけているかのように見つめる。

「命を賭けてるって言ってたけど、死んだら許さないからね」
「あ、ああ」
「再就職する前に、家族旅行行ってくれなくても、許さない」

 娘の目つきが思った以上に悪く、総一郎は驚くが、続いた言葉に彼はふっと頬を緩めた。それに釣られ、重い空気が溶けていく。「そうだな」面白がるように、月が花子に続いた。

「家族旅行なんてもう随分行ってないんだし、粧裕も海外行きたいって言ってたな。カリフォルニアのテーマパークがすごいとか言ってたけど」
「アメリカは駄目、絶対」
「なんだ、花子。おまえ、アメリカ嫌いだっけ?」
「危ないよ、銃社会だし」
「昔夏休みに行ってたじゃないか」

 呆れたような月の声に、花子はつんと肩を竦めた。「海外より温泉がいいな。海が見たいし、新鮮な魚が食べたい」「ああ、いいな、それ」妹の言葉に、月も深く肯いた。花子はニヶ月、月は四ヶ月ほぼ外に出ていない。流石にそろそろ、鬱屈としてきたところだ。

「やっぱり箱根かな」
「海と魚なら、金沢なんかもいいな」
「温泉あったっけ?」
「温泉といえば、私、温泉まんじゅうが食べてみたいです」
「家族旅行に、なんであんたがついてくるんだ」
「花子さんの彼氏枠ですね。同棲中の」
「その頃には破局してるよ」

 ぽんぽんと、ラリーのように言い合う二人を宥める月。子どもたちの様子を眺め、総一郎は机の下で、強く拳を握った。ここにいる限り、誰一人、いつ死んでしまってもおかしくはない。それは彼の子どもたちも同様だ。
 幸子と、粧裕と、二人を連れて、旅行ができたらどんなにいいだろう。目を瞑り、思い描く。家族には随分な苦労をかけている。そもそも月だって、総一郎が警察関係者でなければ、FBIに尾行されることはなかったのだ。そうであれば、当然キラ容疑者になんてならず、大学にだって通えていただろう。月がキラだなんて、あり得ないのだから。

「そうだな、行きたいところを考えておきなさい」

 口喧嘩をやめ、花子が振り返る。父をじっと見つめた彼女は、ほんの少し、さみしさを滲ませてはにかんだ。

「うん、お父さん。楽しみにしてるね」


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