11.聖書を逆さに読んでいる


人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ
 ――川端康成


 月と海砂の監禁が終了して一週間後には、捜査本部は新たなビルに移設された。ホテルを転々とする中ではどうしても所作業が増えてしまうが、腰を落ち着ける居を構えたことで、竜崎を除く捜査本部はにわかに活気づいている。
 竜崎と一日中行動を共にする月同様、花子もまた大学を休学し、新設された捜査本部に二十四時間閉じこもっている。外出することはなく、彼女の私室は竜崎と月の隣に設けられた。私室と言ってもほとんどの時間を竜崎の目の届く範囲で過ごすことを義務付けられているため、部屋で過ごす時間は少ない。「なんなら一緒に寝てもいいけど」と口端を歪めた彼女に、総一郎と月が許可を出さず、眠るときだけ彼らは離れる。

「ていうかなんでまた二人もついてくるのよー」
「我慢してください。私も来たくて来ているのではありません」
「私も」

 やる気のない竜崎と海砂のしつこい強請りに根負けし、月は今週二回目のデートを承諾した。ドアを開けた海砂ははちきれんばかりの笑顔で月を出迎えたが、彼についてきた二つの影に、不満げに唇を尖らせた。竜崎も花子も、海砂の機嫌には頓着せず自室のように踏み入る。もはや彼らのためと言ってもいいテーブルセットに我が物顔で腰掛ける二人に、海砂はもちろん、月も呆れて肩を落とした。

「兄貴のデートとか、自分から志願して来るわけがない。気まずすぎる」
「じゃあ来なければいいじゃない」

 持参した茶葉で紅茶を淹れ始める花子には、遠慮の欠片も見受けられない。海砂が両手を腰に当て、わかりやすく怒って見せるも、ちらりとも目をやらないところがまた癇に障る。

「来なくたっていいけど、どの道私の様子は後でカメラで見られるんだから、二度手間でしょ」
「来なくてもいいなら来ないでよ! さすがにミサだって妹さんの前でキスとか遠慮しちゃうし」
「遠慮しなくていいよ。なんなら私ともキスする?」
「こら、花子」

 月の諫める声に、花子はツンと顔を逸らした。監禁が明けてからというもの、彼女は兄に素っ気ない。
 花子は態とらしく竜崎に向き直り、月と海砂に背を向けた。竜崎はすでにスニーカーを脱ぎ、ソファの上で寛いでいる。

「竜崎、飲む?」
「いただきます」
「ケーキもあるけど」

 用意のいいことだ。花子が差し出した白い箱を、竜崎が覗き込む。

「モンブランなら、花子さんにあげますよ。ショートケーキとオペラとタルトは私の皿に」
「どうも」

 勝手知ったる様子で食器を用意した花子は、慣れた仕草でケーキをサーブする。ケーキが寝てしまうことは彼女の美学に反するらしく、一度竜崎が素手でケーキを取り出し適当に皿に置いてからは、竜崎の分はすべて彼女が取り分けている。整っていないものは見るのも嫌らしい。
 つれない妹は、けれども四つのカップに茶を淹れる。ケーキも、竜崎の分とは別に、それぞれが好きなものを用意していた。月にはチーズケーキ、甘いものは太るとうるさい海砂には比較的低カロリーのフルーツタルトだ。二人の様子がなんとなく面白くなかった月も、自分の紅茶に角砂糖が一つ用意されているのを見て、口元を緩まさずにはいられない。

「花子ちゃんって、素直じゃないの?」

 ケーキをつつく竜崎の影で、海砂が月に耳打ちをする。「ミサには、一緒にケーキ食べたかったみたいに見えるんだけど」月は笑った。花子は竜崎の向かいに座り、仏頂面で紅茶を啜っている。

「特別ね」


 ケーキをつつきながら歓談、とまではいかないものの、四人はそれなりの和やかさで他愛のない話に興じた。海砂が話す芸能界の裏話には、エンタメ界隈について疎い三人はあまり乗らず、代わりに月と竜崎が戯れに三色問題について話し始めた。白熱していく議論の参加者は二人だけで、海砂は馴染みのない数学の話に目が回る思いをし、花子とくれば端からまるで聞くつもりもなく、持ち込んだ小説に目を落としている始末。
 退屈した海砂が、上目遣いで竜崎を睨む。

「竜崎さん、一体いつまで月にひっついてるつもり?」
「キラが捕まって月くんの疑いが晴れるまでですね」
「じゃあ早くキラを捕まえてよ!」
「なら、月くんを捕まえますが」
「僕はキラじゃないって言ってるだろ」

 ここのところ、キラ事件に進展はない。月たちの監禁が終了してからというもの、捜査員たちを嘲笑うかのように挑発していたはずのキラが、ぴたりと動きを止めてしまった。犯罪者裁きはなおも続いているが、自らの正体を警察に示唆する動きは鳴りを潜めている。

「月くんはそう言いますが……レイ=ペンバーの件に加えてビデオテープを送ったのが確定的な海砂さんとの接触もありますし……ご自身でも月くん以上に疑わしい人物がいないと、わかっているんでしょう?」
「……否定はしないよ」
「まあここで花子さんの名前を出すと、少し状況は違ってくるんですけどね」

 飄々と、竜崎は言う。ケーキを半分ほど雑に崩し、ぶらぶらと揺らしたフォークを大口で咥え込む竜崎に、月はあからさまに眉を顰めた。彼が表情を崩したのは、竜崎の行儀が悪いことを咎めるためではない。

「……竜崎、それはありえない」
「そうでしょうか?」

 厳しい顔をする月に、竜崎はフォークを咥えたまま、惚けるように首を傾げる。

「花子さんがキラなら、月くんが監禁されたことも知っています。キラが能力を自由に移行させられるとすれば、ちょうどいいタイミングで能力を奪うことも出来たでしょう。そして月くんを殺さないことにも説明がつく。まあ、海砂さんが殺されないのはやっぱり謎ですが……それも月くんだけを生かしたままだと余計怪しくなるので、という理由が立ちますし」

 目に見えて不愉快だと表す月と対照的に、花子は自分への疑いをさして気にしなかった。小説から顔を上げ、「いいね」と、竜崎に向かって口端を持ち上げる。

「でも私だったら、どう疑われたって物証を押さえられていない限りは第二のキラを殺すけど」
「でしょうね。あなた潔癖ですから」
「そうそう、やるならきっちりやりたい性分なんだ」
「おい、花子」

 悪乗りする花子を月が咎める。けれど彼女はぺろりと舌を出し、まるで反省する素振りを見せない。

「そろそろキラだと疑われるのも板についてきたし、なんならもうちょっと疑ってくれても構わない」
「ふざけすぎだ」
「そう? でも私は自分がキラかもしれないなんて言い出して監禁を願い出たりしないから安心してよ」

 それを言われると、月は何も言い返せない。口を噤み、物言いたげに自身を睨む兄に、花子は大きく鼻を鳴らした。

「それに関しては……心配かけて悪かった」
「多少謝られたところで父さんの増えた白髪は取り返しがつかないし、ストレスのせいで食べすぎた私の体重も戻らない」
「加えて花子さんは月くんの自由と引き換えに自身を監視下に置いたようなものですからね。月くんは誠心誠意謝罪と感謝を述べるべきです」

 口の達者なふたりに手を組まれると、手の付けようがない。分が悪いことを知った月は、左手で頭を抱えた。そこにすかさず海砂が高い声で月の擁護に回るのだから、尚更頭痛がする気がする。

「……いつから仲良くなったんだよ」
「元々仲良しですよ」
「それはない」

 唐突に裏切られた竜崎は、ぶっすりと花子を睨み、彼女の前に置かれたケーキをかっさらった。

「そんなことよりあんた、約束忘れてないだろうね?」
「約束?」
「覚えてますよ」

 姿を消したモンブラン。自身を睨み付ける花子に、竜崎はケーキを頬張りながら、至極面倒くさそうに答える。首を傾げる海砂に、彼は新たなケーキを切り崩し、スポンジ生地を刺したままのフォークを振った。

「花子さんを監視するにあたり、一度月くんを実家に帰すことになっているんです。夜神さんと喧嘩して家を飛び出した設定になっていますから、音信不通がこれ以上続くとお母さんが心配されますので。もちろん私も同行することになりますが」
「そういうことは僕にもちゃんと言えよ」
「父さんには言った」
「おまえな……」

 あくまでも冷たい態度を取り続ける妹に、流石の月も辟易する。半眼で己を睨む兄に、けれども花子は取り合わない。まだ腹の虫は収まらないらしい。

「なにそれ! ミサも行く!」
「べつに私はいいけど」

 おや、と月は眉を上げる。花子はあまり、海砂に好意的ではない。自宅に来たことがあるとはいえ、招くのは嫌がるかと思ったが。
 月の視線に、彼が考えたことを察した花子は、紅茶を啜りながら肩を竦めた。

「月が父さんと喧嘩してまで同棲するほどの彼女ってことになってるんだから、来ることに依存はないよ。私は、ね」
「……なるほどな」

 不自然に強調された文末に、月は嘆息する。案の定、にべもなく竜崎に却下された海砂が、隣で竜崎に掴みかかる。



 



 久方ぶりに実家を見上げた月は、しばし立ち竦んだ。足を止めた彼を竜崎が振り返る。何も知らない家族への配慮として、この時ばかりは互いの手錠を外している。

「どうかしましたか、月くん」
「いや……」

 監禁されている最中、月は幾度も恐怖に苛まれた。家族にはもう、二度と会えないかもしれないとさえ思った。それが今、こうして家の前に立っている。

「何でもないよ、竜崎」
「と言うか、何であんたがインターホンを押すんだ」

 車から降りてきた花子が、先頭に立つ竜崎を呆れた目で見やった。「私が一番先に降りましたので」飄々と答える彼には、一切の遠慮も見当たらない。

「父さんも来られればよかったんだけど」
「私の留守は夜神さんに任せていますので、仕方ありませんね」
「あんたがいないなら、どうせ捜査なんて進まないだろうに」
「それでも松田さんの監視が必要ですから」
「ああ、そっか」
「おまえら……」

 車は三人を置いて去って行く。家の中から軽い足音。「お兄ちゃん、おかえりっ!」粧裕が朗らかに扉を開ける。

 幸子は始終、上機嫌だった。最愛の息子が帰ってくることに加え、孤立気味の長女が友人を連れてくるだなんて。
 花子から月を連れて帰る連絡を受けた際、竜崎も同行することを聞いた彼女は、彼を持てなそうと張り切った。朝から贔屓の菓子屋に出かけ、普段よりも上等な茶葉を用意し、テーブルクロスは新調した。母の気合いの入れように、花子だけが目敏く気がつく。そうしてまた、決意を固める。
 この家から月が失われることが、あってはならない。
 リビングに通された彼らは、幸子が紅茶を入れる間、ソファに腰を下ろした。膝を抱えて座る竜崎に、粧裕も幸子も驚かない。訝しがる月に、粧裕が竜崎に笑いかける。

「だって竜崎さん、前にも来たことあるもん」
「前?」
「幸子さんのカレー、美味しかったです」

 ねーっと、互いに顔を見合わせて首を傾げる竜崎と粧裕。月はぎょっとして、花子を振り返った。まさか、竜崎が家を訪ねているとも思わなかったが、粧裕とこんな距離感になっていることが、彼の度肝を抜いた。事の真偽を確かめようとして、けれども月は、花子に尋ねる必要がないことを理解した。なぜか。双子の片割れが、鬼神の如く恐ろしい顔をして竜崎を睨みつけていたからだ。

「……粧裕、不審者と話すなって、教えたでしょう」
「花子さん、私も傷つくんですよ?」
「不審者って、お姉ちゃんったら」

 地を這うような花子の声に、粧裕はまともに取り合わない。からころと笑い、ぱんっと両手を胸の前で合わせる。「ね、そういえばさ」楽しげな粧裕に、竜崎は「なんですか?」と身を乗り出した。無論、態とだ。花子も竜崎も、互いを苛つかせる機会を逃さない。

「竜崎さんとお姉ちゃんって、いつから付き合ってるんですか?」
「……は?」
「えっ!?」
「……あっ」

 忘れてた。
 竜崎が、沈黙したまま花子を振り返る。月もまた、湿った視線を妹に投げた。言葉がなくとも雄弁なそれらに、花子は大きく目を逸らす。そういえばそんな設定があった。

「あれ、お兄ちゃんも知らなかったの?」

 不思議そうに目を瞬かせた粧裕は、首を傾げて花子を見た。「だってこの前、お姉ちゃん」「あー、」視線を泳がせた花子が頬を掻く。便利だと思ってそう言ったはいいものの、花子自身、すっかり忘れていた設定だ。恐らく彼女の脳が、悍ましい記憶として削除したのだろう。

「……月くんはご存知なかったかもしれませんね」

 竜崎が、横目で月を見る。私も知りませんでしたが。その視線の意味するところを察知した月が、呆れた風に肩を落とす。

「おまえな……」
「いやごめん咄嗟に。外泊とかも、ほら」

 便利だったから。片割れは情報共有を怠ったくせに、まるで悪びれる様子もない。
 訝しげな粧裕の様子に、竜崎は仕方なく助け舟を出してやることにした。現時点で花子は竜崎の監視下に置かれている。今後のことを考えると、恋人同士という関係性は実際便利だ。

「期間は……だいたい一ヶ月と言ったところでしょうか」

 粧裕が瞳を輝かせ、竜崎に身を乗り出した。花子は何も言わない。ただ、凍てつくような視線で竜崎を眺めている。碌でもないことを言えば許さない、という視線だった。姉の様子に、粧裕はまるで気づかない。妹の純真さに心が温まると同時に、月は僅かな不安を覚えた。末っ子はもっと、強かになるものだと聞いたことがあるが、粧裕はあまりに呑気なために、花子とは違う意味で心配だった。おかしな詐欺に引っかかっても不思議ではない。兄として注意をしてやらなくては。

「どうやって仲良くなったんですか? お姉ちゃんガード堅いのに」
「授業で隣の席になったのが始まりですね。私から声をかけました。最初は手酷い扱いを受けましたが、そのうち手を取って走って、ケーキをご馳走してくれるようになりましたよ」

 まあ嘘ではない。

「うん、そう。そんな感じ」

 竜崎に、花子がおざなりに肯く。

「どっちから告白したの?」
「一緒に暮らしたいって言い出したのはそいつ。私のことが気になるって言い出したのも」

 これもまた、嘘ではない。気になるのは容疑者としてであり、生活を共にするのも監視の意味合いではあるが、恋に恋する年頃の中学生にとって、そんなことは些事だろう、恐らく。
 そこで、キッチンから幸子が花子を呼んだ。

「なあに、母さん」
「お茶運ぶの手伝って」
「うん」

 花子が席を立つ。それを見送り、粧裕は竜崎に身体を寄せた。「ねえねえ、竜崎さん」無邪気な彼女は、目を好奇心に輝かせている。あ、これは面倒なことを訊かれるぞ。監視していたために多少なりとも粧裕の人柄を知っている竜崎は、けれども逃げることはできなかった。逃げ場がないので。

「お姉ちゃんのどこが好き?」

 耳打ちをするようにコソコソと囁いた粧裕。竜崎の目が半眼になる。

「……人柄ですかね」
「えっ、お姉ちゃんちょっと面倒くさくない? 口うるさいしさ」
「粧裕、それ花子には言うなよ」

 可愛がっている妹にこんなことを言われていると知ったら。月はしっかりと粧裕に釘を刺しつつ、けれど愉快そうに竜崎を見た。

「僕も知りたいな。大事な妹のことだからね」

 竜崎は月をじっとりと睨んだ。黙れキラ。
 かと言って無難な答えでは粧裕を納得させられない。竜崎は、幸子とともにキッチンに立つ花子を眺めた。夜神花子の好ましい点……特にない。強いて言えば、兄妹共通で整っている容姿か? しかしこんなことを言えば印象は最悪だろう。別に粧裕からの印象がどうなろうと困ることはないのだが、そうなった場合、花子が煩そうだ。
 この窮地を救うものはないかと、彼の優秀な頭脳は思索を巡らせる。そして、竜崎は一つ思い出した。

「……家族を大切にする人でしょう、彼女は」

 本部に寝泊まりをするようになってから、花子が夜中、月を訪ねてきたことはない。だけれど竜崎は知っていた。彼女がどのように、兄に甘えを見せるのか。それは同時に許しでもある。花子は月にだけ己の弱みを見る権利を与えているのだ。

「月くんを……。私はそれが……」

 花子の仮面を竜崎は知っている。家族と竜崎の前で、それは取り替えられる。あの女の柔らかな心の根が、月にも粧裕に見えるのだ。竜崎には触れることも、見ることもできないのに。
 家族が欲しいのかと訊かれると、そういうことではないのだと答えられる。竜崎は父も、母も、兄も、妹も必要としていない。欲しいと思ったこともない。それなのに何故、こんなことが気にかかっているのだろうかと思い……そうか、気にかかっているのかと、妙な得心をした。塗り替えられる彼女の奇妙さを疑っていることとはまた別に、竜崎には向けられない家族としての夜神花子に興味がある。あの薄気味悪い女に、やさしく、信頼しているのだという目で見られたら、どんな心地がするのか知りたかった。
 手に入れられないと決まっているものが欲しくなるのは、人の性だろうか。

「……そういう方は、好ましいと思いました」
「そっか」

 粧裕が顔を緩ませる。竜崎はそれを、立てた膝に顔を半分埋め、上目で眺めた。柔らかに垂れた、形のいい眉。夜神花子が夜神月に向けるような慈しみがあり、彼女らは姉妹なのだなと思う。

「お兄ちゃんも安心したんじゃない? お姉ちゃんいっつも一人だったもんね」
「そうだな」

 笑う粧裕に、月はやさしく微笑み返した。この男と二度と会わないでいてくれたらもっと安心するんだけどな。そう思っているものの口には出さず、横目で竜崎を眺める。



 



  花子は幸子にも「これ彼氏ね」と竜崎を雑に紹介した。

「月とのテニスで負けたらしいから付き合った」
「さっきと話が違うよお姉ちゃん」
「名誉毀損で訴えますよ花子さん」
「負けたのは事実だろ、竜崎」

 約二名から文句を言われつつも母親を納得させた花子は、今後は竜崎と一緒に暮らす旨を半ば強引に了承させた。当然幸子は渋ったが、この間月が彼女との同棲で総一郎と揉め、家を出て行ったばかりである。あまり強いことは言えないだろうと、あらかじめ踏んでいた花子に軍牌が上がったのは致し方がない。

「でもあなた、急な話だし……。それに竜崎さんだって、あなたと一緒に暮らすとなれば大変でしょう」
「待って母さん、どういう意味?」
「ええ、確かに花子さんの潔癖症には度肝を抜かれ、日々摩耗するような思いをしていますが、私のことはどうかお気になさらず、この強情なお嬢さんの好きなようにやらせてはもらえませんか?」
「あんた私の味方する気あんの?」

 実際のところ、竜崎の身の回りの世話は現在花子が請け負っていると言っても過言でないのだが、竜崎に感謝の念はない。こちらから頼んだわけでなく、彼女が耐えかねて勝手にやっていることなので、知らんがな、と言うのが正直なところだ。たとえ彼女が手を出さなくとも、今度は兄の方が耐えかねて世話を焼いてくるだろうとも思っている。

 最終的には竜崎が月の友人であること、総一郎からはもう了承を得ていると花子が言ったために幸子も認めたが、月には母の心配が痛いほどわかり、心苦しい思いをした。月が家を出てすぐに花子までいなくなれば、寂しいだろう。それに加え、花子は元々友人がいないような状態であったのに、急に同棲だなんて、そう簡単に認められるはずもない。肯いたはいいものの、決して納得している様子ではない母に、月は安心させるよう、柔らかに微笑んだ。

「大丈夫だよ、母さん。竜崎のいるところは僕と海砂のすぐ近くだし、ここに帰ってこないってわけでもない。むしろ、数ヶ月もすれば別れて帰ってくるんじゃないかな。この二人、仲悪いし」

 数ヶ月との約束はできない。けれど、キラが捕まれば、花子は家に帰れるのだ。
 自分が花子の自由を奪ったのだと、月には負い目がある。母の心配は、月のせいでもあった。だから必ず、キラを捕まえる。家族みんなが、また、穏やかに暮らせるように。
 戯けるような月の物言いに、幸子はふっと、眉間から力を抜いた。「そうね」考えてみれば、娘はもう大学に入学したのだ。大学生になり親元を離れるというのは、特段珍しい話でもない。

「まあ、いつでも帰っていらっしゃい。もちろん、竜崎さんもいつでもどうぞ」
「こいつは二度と家にあげないから安心して、母さん」
「あなたこそ私の味方をする気、あるんですか?」


 帰りの車で、三人横に並びながら、誰も口を開かなかった。竜崎と月の手首はすでに繋がれている。
 暗い車内に、規則正しく並んだ街灯が光を投げかける。オレンジ色に照らされてはまた影に沈む互いの顔を盗み見ながら、彼らは各々の思考に沈んでいる。

「……母さん、痩せたでしょ」
「……ああ」

 沈黙を破ったのは花子だった。月は妹に、目を合わさないまま答える。月の向こうで窓の外を眺めていた竜崎が、花子に視線を投げる。

「愛息子がいなくなってから、うちの中はお通夜みたいなものだったから。父さんも帰ってこなかったし」
「悪かった」
「本当にそう思うなら」

 隣に座った花子が、自分に向き直るのを感じた。月もまた、花子に向き直る。

「もう、あんなことしないで」

 いなくならないで。
 妹が何を恐れているのか、理由がなくても月はよく知っていた。置いていかれることだ。家族に。月はなぜ、花子が自分にあんな態度を取っていたのかを知る。けっして巫山戯ていたわけでも、単純に拗ねていたわけでもない。

 実の所、花子は月が帰ってくるだろうとわかっていた。監禁が月の策略だと知っているからだ。それでも辛かった。何も知らない母や父は、もっとずっと、辛かっただろう。
 あの家から月が失われることが、あってはならないのだ。
 では、花子は?

 双子の様子を眺めながら竜崎は、けれど何も言わない。優秀な脳味噌を働かせながら、彼は彼らをじっと伺う。
 どちらかが、嘘をついている。あるいは両方が。何故。目的は。望む結果は。
 わからない、まだ何も。けれどいずれ明らかになるだろうという強い予感が胸にあった。竜崎は予感を外したことがない。彼がLになる前も、なってからも。

 誰が勝つのでしょうね。そう言おうとして、竜崎はやっぱり、何も言わないことにした。月か花子がキラならば、この中の誰かが勝ち、誰かが負けるのだ。誰か、とは、キラか己だった。三人目は、まだ誰の目にも映っていない。


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