10.5


俺たちが敵を図り知れるようになるのは……いつですか?
 ――ジャン=キルシュタイン 『進撃の巨人』


 外を歩くのは何日ぶりか。月は歩きながら、隣に立つ男を見やる。捜査本部の刑事は、月の付き添いとしてついている彼一人しかいない。いまだ両手は後ろ手に手錠をかけられているものの、監禁場所から出されたことといい、この警備の手薄さといい、状況が変わったことは間違いがなさそうだ。

 彼に話しかけて、答えが返ってこないことは確認済みだ。月と刑事は地下駐車場に立っている。おそらく、これからどこかに連れていかれるのだろうが、一体どこに。目隠しもされていない。ようやく容疑が晴れたのだろうか。

 正面から白い車が一台入ってきた。運転席に座る人物に、月が目を見張る。
 父さん。
 久方ぶりに見る父は、やつれているように見えた。頬はくぼみ、髪に白いものも増えている。父は月と目を合わせなかった。刑事が、月を後部座席に乗り込ませる。

「じゃ、お願いします、局長」

 閉まる扉。後部座席に乗っていた海砂が、涙を浮かべんばかりに月にすり寄る。

「ライト会いたかったーっ」
「ミサ」

 彼女もまた、後ろ手に手錠をかけられていた。……彼女は二か月前、自分と別れた直後に第二のキラとして拘束されたはず。その彼女が今こうしてここにいる。自分とほぼ同じ状態で。

「父さん、どういうことだ?」
「えっ……!? 父さん!? やだー、ミサったらライトのお父さんにストーカーとか失礼なことを」

 車が発信する。総一郎は前方を睨むようにしてハンドルを握り、二人の声には答えなかった。バックミラー越しに、月は父を伺う。総一郎の表情は険しい。けれど、監禁場所から出されたことと警備の手薄さ、加えて父の運転する車に乗っているという事実が月にいくらかの楽観をもたらした。彼は一度、安堵したように息を吐いた。この何十日も張りつめていたものが、ゆるゆると力を抜いていくように感じられる。

「やっと疑いが晴れて自由になれるってところか……」
「いや……これからおまえたち二人を死刑台に連れていく」
「死刑台!?」

 予期せぬ単語。ざっと、血が凍り着くような音。弛緩した身体が一瞬のうちに緊張を取り戻す。

「な、なに言ってるんだ父さん!?」
「じょ、冗談ですよね、お父様……あはっ」

 とぼけて頬を染めていた海砂も、この言葉には顔色を無くして総一郎を見る。引き攣った笑いに、総一郎がミラー越しに一瞬だけ二人に視線を投げる。節だった指が、強くハンドルを握る。絞り出すような、呻きにも似た声。

「Lは夜神月をキラ、弥海砂を第二のキラと断定し、おまえたち二人を抹殺すればキラによる裁きは止まると断定した」
「……キラの裁きは止まったはずじゃ」
「まだ続いている」
「続いてる? 僕に言っていたことと違うじゃないか」

 どういうことだ。何が起きている。
 僕が監禁されたことでキラの裁きは止まったんじゃないのか? 止まっていなかったなら、二十四時間僕を監視していたLには僕がキラじゃないとわかるはずだ。なのに処刑? 理屈が通らない。これは一体……。

 月の優秀な頭脳は、この異様な状況においても目まぐるしく情報を分析し、答えを導きだそうとする。けれどももう何十日もまともな生活をしていない。父の鬼気迫った声色に、次第に彼も混乱していく。

「待ってくれ父さん、僕はキラじゃない!」
「そうよお父様! 何考えてるんですか!? 自分の息子じゃない!」

 車は国道を抜け、脇道に入るとその先も迷うことなく枝道を進んでいく。見慣れない道は、次第に人気のない風景に変わっていく。忙しなく外に目を走らせるも、月には今自分がどこにいるのかわからない。

「……私が決めたのではない。Lが決めたんだ」

 総一郎の声は固い。彼はアクセルを踏み続ける。

「……Lはもしこれで殺人が止まらなければ、自分の死を持って責任を取るとまで言っている」

 だから僕を殺すと? 馬鹿な、捜査本部はそんなことを受け入れたのか。
 Lは何を考えている? いままでの材料ではそう推理しても……だけど証拠は出たのか? キラはどうやって人を殺している? ずっとL自身が僕を監視していたのにどうして僕が裁きをしていると判断できた?

「何かおかしいぞ。大体Lらしくないじゃないか。いままでの事件でLは確たる証拠を上げてきた。こんな形で終わらせるつもりか?」
「さあ、着いたぞ」

 車が止まる。

「ここは……?」

 高架下のようだった。人気はなく、ただっぴろい草地が広がっている。月は窓から外を見渡した。……河川敷か。少なくとも、処刑場があるようには見えない。

 同じように外を見やった海砂が、同じことを感じたか、切羽詰まった空気を払拭するようにわざとらしいほど明るい声を出す。

「あっ! もしかしてお父様、逃がしてくれるの?」
「月……」

 総一郎が振り返った。懐に差し込まれた手を、なんとなしに見る。
 懐から手が出てくる。指が、鈍く光るものを連れている。

「ここでおまえを殺し、私も死ぬ」
「え、」

 ……殺す? 父さんが、僕を?

 拳銃を、月は見る。生きている上でそう何度も見る機会など無いだろうそれが、今、父の手によって自身に向けられている。

「もうやめてーっ」

 呆然とする月より、先に我に返ったのは海砂だった。叫んだ彼女は月に身体を寄せ、強い眼差しを総一郎に向けた。瞳に涙を浮かべながらも、声の輪郭ははっきりしている。身体の後ろで組んだ、震える手を隠し、胸を張る。

「自分の子どもがキラだから子どもを殺して自分も死ぬ? 死にたければ一人で死ねばいいじゃない。それやったらキラと同じじゃない、そんなこともわからないんですか!?」
「父さん……ミサの言うとおりだ」

 銃口から目を離し、月はその奥、父を見つめた。厳しい表情に訴えかけるよう、まっすぐに射貫く。死にたくなかった。ここで死んではいけないとさえ思った。まだ何も掴めていない。キラの正体も能力も、一体どうして自分がここまで疑われたのか、誰がこうまでして自分を嵌めたのか、何一つ。

「ここで死んでも真相は何もわからないままだ。だったらまだ逃げた方がいい。その間に真相がわかることもある、いや逃げながらでも真相を掴んでやる」

 総一郎もまた、息子を見る。澄んだ瞳に、総一郎には見える。
 何故こうも息子が疑われているのか、いまだって総一郎にはわからない。やさしい息子だ。家族を愛する子だ。どんなときだって、月は総一郎の自慢だった。頭がよかったからでも、運動ができたからでもない。誰よりも正直で人にやさしいその気質こそを、彼は誇りに思っている。

「もう遅い、月……」

 銃口を上げる。息子の額に押し当てる。「父さん」引き攣った声に、耳を塞ぎたい。こんなことなんてしたくなかった。

 父の気が違ってしまったように、月には見える。撃鉄が上がる音、引き金にかかった人差し指。なぜ、殺される。信じてくれないのか。どうして、父さん。
 誠実だったのに。そう生きてきた自負がある。誰も信じてくれなくとも、父さんは違うと思っていた。理屈の通らないLの異様な要請に、警察官だからと従うのか? 僕よりもLを信じるのか?
 花子

「花子はどうしてる……?」

 おまえを信じていると聞きたい。

 総一郎の唇が震えた。耐え忍ぶようにも、激昂するのを堪えているようにも見える。

「殺人犯同士、地獄で会おう」

 海砂の悲鳴。
 銃声が鳴る。



 



 別室で待機していた花子は、扉の開く音に顔を上げた。振り返る。入ってきた男に、皮肉っぽく、口端を上げる。

「上手くいった?」

 上手く、というのは何を指すのか。竜崎は考える。
 竜崎にとって最も“上手く”いった状況とは、夜神月がキラだと確定できること……この状況からそれは叶わないと思っていたが、案の定、月も弥も総一郎を殺さなかった。最有力容疑者がキラでないとするなら、捜査はほぼ振出しに戻ったと言える。

 血が通っていないほどに白い裸足を、毛足の長い絨毯が包む。扉の傍から、竜崎は動かなかった。よく晴れた日だ、電気を点けなくとも部屋は明るい。正面に浴びる日差しが眩しかった。花子は逆光になっている。

「月くんは夜神さんを殺しませんでした。約束通り、捜査協力と二十四時間の監視を条件に監禁を終了します」
「そう」
「そして、あなたの監視も開始します。……月くんがキラでなければ、最もキラに近いのは花子さんですから」
「そうだね」

 花子が笑う。

「かまわないよ」

 竜崎は椅子に座る花子を見下ろす。対する彼女は悠然と竜崎を見上げた。……この余裕。あの日の彼女とはまるで違う。父兄の監禁に怯えていた余韻は微塵も感じられない。確かに監禁は終わる、しかし疑いが晴れたわけではないと彼女は理解しているはず。
 夜神花子……何かを企んでいるのか?

 思い返せば、夜神花子は初めから妙な存在だった。兄妹に疑いの目が向かうのには嫌悪感を示し、自身が疑われることに関しては無頓着。監禁された兄から逃げ出したのはなぜだ? 兄が一転して無罪を主張したと知ったときの反応。キラは単独犯。兄妹で手を組んでいたか……いやあり得ない。それでは監禁後キラが姿を消していた理由がない。やはりキラは夜神月。夜神花子はキラではない。しかし条件的にはキラになり得る。五月二十二日青山、レイ=ペンバーの尾行。空白の期間は何のために? 彼女が兄に罪を着せていた可能性は? キラの能力を分け与える……奪うことは可能か? 噛み合わない。この女は確かに兄を疑っていたはずだ。……本当に?

「どうかした?」
「いえ」

 そうだ、この感覚。彼女の部屋を見た時にも感じた。なぜ忘れていたのか。この奇妙さを。
 底が知れないと言うよりは、得体が知れない。薄気味悪さが忍び寄ってくる。まるで不気味な箱を覗いているような気にさせる。

「花子さんは月くんがキラだと知っていたわけではないんですね?」
「くどいね、あんたも」

 面倒くさそうではあるものの、口ぶりは穏やかだった。「月は私に何も教えてくれない」なんて涙を浮かべて言っていたというのに。夜神花子が印象の安定しない人間であることを、竜崎は思い出した。……あれは演技だったのか?
 まあいい。

「ではさっそく監視を始めたいと思いますので、花子さんは今後無断で私と同じ部屋から出ないようにしてください。自室に移動する際には必ず一声かけていただくようお願いします。また先日説明したように自室には監視カメラと盗聴器が設置してあります。現時点ではバスルームとトイレのみカメラを外してありますが、私の判断で断りなく設置する場合もありますので」
「はいはい」
「私物は一切持ち込めません。生活品はすべてこちらで用意しました。何か足りないものがあれば言ってください、用意します」
「じゃあ、この服も脱いだ方がいい?」
「ええ。こちらで用意したものに着替えていただきます」

 花子が立ち上がる。「あんたの目の前で着替えた方がいいんでしょ?」「そうですね」「父さんには言えないな」濃い影が落ちる顔は伺えない。弧を描く唇の端だけが、僅かな光を拾って光る。獰猛さが滲んでいる。

「……花子さん」
「なに?」

 躊躇いもなく、傍らに置かれた着替えに手を伸ばし、花子は着ていたシャツを脱いだ。下着も外す。露になった白い背中を竜崎は見つめる。

「キラを捕まえたいですか?」
「竜崎」

 新しいシャツは、彼女によく馴染んだ。白い布に覆われた手足はしなやかな獣染みている。振り返った花子が首を傾げる。「何言ってるの」和らいだ頬には、もう、どこにも獰猛さがない。奇妙ささえ掻き消えている。凡庸で、潔癖な、何一つ気にかけるべきところなどない、つまらない少女だ。恐ろしいほどの平凡。

 竜崎は理解した。総一郎も月も、花子が竜崎に噛みつくことに首を捻る。口を揃えて、普段は穏やかな娘だと言う。
 そうではない。
 彼らの前だから平凡なのだ。これは家族用・・・・・・。竜崎の前では罅割れる。竜崎は家族ではないから。時折覗くこの薄気味悪さこそ、この女の正体だとしたら。

 この女の奇妙さを、きっと総一郎は知らないだろう。母親も、妹も。夜神月でさえも。
 いま、私だけがこの女の底の片鱗を見ているのだとしたら。
 私たちは、大きな思い違いをしているかもしれない。

「いま、初めて名前を呼びましたね」
「そうだった?」

 花子はとぼける。もちろん、彼の名前を呼ばないのは意図的だったのだが、ここから先はより慎重に息を潜めなければならない。月の監禁が終了したとして、竜崎が完全に疑念を払拭することはないだろうが、いまのところ、すべてはうまく進んでいる。

 月は今、本当にキラではない。カメラの映像を見たことで、竜崎と同じく花子もそう判断した。キラではないなら、少なくともこの間は兄が捕まる心配はない。キラの能力を手放したのは月の意図だろうから、この間にキラの証拠を掴めるかどうかは疑問だが……それでも、心配事の一つがなくなったことは素直に喜ぶべきだろう。

 花子もまた、監視される。個人的に調べを進めることはできなくなったが、大した問題はなかった。兄が監禁されている間に最低限は終わらせていたし、そもそも一人では手が届かないとわかったところだ。Lと月がキラを捜査するのなら、その傍から証拠を掠め取る方が、よほど現実的だった。

 そのためには、花子は竜崎を油断させなければならない。なるべくこちらを向かずにいてもらうために、ある程度の親しさと警戒のなさを常に見せておくことが有効だと考えた。そうでなくとも、竜崎はすでに花子が異常であることに気がついている可能性がある。花子を見る目が明らかに、監禁前とは変わっている。まさか異常の中身まで気が付いてはいないだろうが……竜崎を前にすると、どうも気が昂っていけない。ブレ過ぎたし見せ過ぎた。やはり涙まで見せたのは失敗だったか。
 まあいい。

 Lは花子の敵だ。確実に勝利するために、どんなことでもする覚悟がある。
 友愛のキスだってしてみせよう。それで勝てるのならば、安いものだ。

「前に言ったでしょ、付き合い、たぶん長くなるって……友人だから・・・・・、名前くらい呼ぶ」

 竜崎を見つめる。笑う花子の顔は、三ヶ月前の夜神月によく似ている。

「がんばってキラ、捕まえようね」


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