10.聖者の下で死神は眠る


君には何が見える? 敵は何だと思う?
――エルヴィン=スミス 『進撃の巨人』


 日本捜査本部に夜神月が監禁されてから、およそ五十日が経った。

「僕はキラなんかじゃない! 信じてくれよ!」
「いえ、月くんがキラです」

 噛みつくような訴えに、降ってくる声はにべもない。月の縛られた両足が、感情に伴い、がんと裸の床を叩く。竜崎は無慈悲に通信を切る。無機質な沈黙。形のいい頭が、力なく項垂れる。
 閉じ込められてから、どれくらい経ったのだろう。一定の時間が経過すれば部屋の明かりは消されるが、何度夜を越えたのか、それが本当に夜なのか、月に知らされることはない。

 何故監禁などと言い出したのか。いまの月には、それを望んだ自分の考えがまるで分らなかった。どう考えたところで、自分がキラなどありえないのだから。そこに至るまでの道筋が、ごっそりと抜け落ちたように判然としない。
 けれども竜崎に、その考えはないようだ。月が何を言ったところで、彼は「夜神月がキラだったから、監禁されたことで犯罪者が死ななくなった」の一点張りだ。手足を縛られ、情報も与えられていない月には、その真偽を確かめることさえできない。せめて状況を教えてほしいと訴える彼の声に、竜崎が耳を貸すことはなかった。

 冷たい床で頭を冷やしながら、月は思考を巡らせた。キラは捜査本部の情報を入手していると考えられる。ならば、刑事たちの誰かがキラなのか? FBIを手にかけ、警察からこれほど逃げおおせる才覚のある者がいま竜崎の隣にいて、己の罪を月に擦り付けているなら、これ程腹の立つことはない。
 だが、月に何ができるだろう。彼に出来ることといえば、こうして床に転がって頭を回すことが精々だ。もうどうにもならない。こうして月が歯噛みしている間に、キラは着々と月を身代わりにする手筈を整えている……もういくらもしないうちに、キラとして殺されてしまうだろう……。月がどんなに抗っても、ベッドの下から、壁の継ぎ目から滲みだした絶望が彼ににじり寄り、その精神を蝕んだ。頭を振って打ち消そうにも、奴らは日毎力を増している。僕はもうどうにもならない。キラにキラとして殺される。

「花子……」

 月は目を瞑った。ここにはいない妹を、瞼の裏に思い描く。
 いま、どうしているだろう。竜崎が月をキラだと確信しているのなら、同じく疑われていた彼女は、容疑が晴れているはずだ。弥海砂が逮捕された時点で捜査本部への出入りを禁じられたくらいだから、月が監禁されているいま、彼女が捜査本部にいるとは思えない。血生臭いことから離れ、穏やかな日常を送っているだろうか。レポートが大変だと言っていた。粧裕と仲良く喧嘩をしながら、忙しくも充実した大学生活を満喫しているだろう。それだけが救いだった。

 けれど、花子が来てくれたら。粧裕がキラの可能性がある、と言われただけで椅子を蹴り倒した彼女のことだ。兄を監禁する竜崎を放っておきはしないだろう。怒鳴り散らすだけで済めば穏便だ。止める役もいないまま殴り合いに発展して、公務執行妨害寸前くらいにはなっているかもしれない。それとも父と共に、兄の潔白を証明しようと東奔西走しているだろうか。どうか取り留めのない日々をと思う反面、月は妹が自分を助けに来ることを願ってもいた。

 彼女なら、月を信じている。それを思うと、月の心はいくらか安らいだ。理不尽な監禁も、先のわからぬ不安と焦燥も、世界にたった一人でも己の味方がいると思えばこそ耐えられる。自分はキラではないと、月が己を信じられるのは、花子が月を信じているからだ。

 硬い床の上で、月は幼子のように身体を丸めた。監視されている。こんな状況にあっても、泣き顔を晒すような真似は彼のプライドが許さない。頭を振ると、伸びた髪が彼の目元を隠してくれた。唇を噛む。
 花子。いま何してる。
 己の片割れが恋しかった。



 



 ……何がどうなっている。
 夜神月の監禁以降、事態は竜崎の思惑外の方向へばかり転がっている。

 監禁当初、竜崎は犯罪者の裁きが止まらないと考えた。けれど実際裁きは夜神月が監禁されるのに合わせるかのようにぴたりと止まった。その意味を探る間もなく、今度は夜神月の供述が一転。自分はキラではない、嵌められた、出してくれ……その主張は支離滅裂であり、まるで夜神月らしくない。しかし、嘘を言っているようには思えない。加えて、二週間を過ぎてすぐに犯罪者の裁きが再開された。裁きが再開されてから今現在まで、夜神月は竜崎の監視下に置かれている。これでは彼をキラではないとするほかない。実際、相沢と松田はいまだに監禁を継続していることに、疑念と不満を募らせている。

 もはや竜崎にも、夜神月が嘘を言っているとは思えなかった。彼は恐らく、本当にキラではない・・・・・・・・・。だが監禁前の彼は、たしかにキラだった。キラだったはずだ。それともそれさえ自分の推理に固執する故の幻覚だとでも言うのか? そんなはずがない。FBI殺害の件はどう説明を付ける。弥海砂と五月二十二日青山で知り合ったことは? それぞれキラと第二のキラとして疑われている人間が、たまたま出会っただけだと? ふざけている。キラは夜神月以外ありえない。

 ……いや、
 もう一人、容疑者はいる。

 カメラは夜神月を映し続けている。両手足を拘束されている彼は、床に転がったまま特に動く気配もない。竜崎は立ち上がる。モニターに背を向け、電話でワタリを呼び出した。車を回すよう告げる。

「どこかへ?」

 相沢の声には疑念が混じっている。彼の声に、松田と模木にも緊張が走る。夜神月の監禁が始まってから、竜崎は片時も離れず彼を監視し続けていた。監視の終了を訴える声にも、果てはいい加減休めと言う声にも耳を貸さず。
 相澤を竜崎は振り返らない。親指を噛むも、噛み千切れるほどの爪は残っていなかった。この先起こるだろうすべての可能性を計算し、彼は潰れたスニーカーを履いて、足を進める。

「ええ、少し。行くところがありますので」



 



「ごめんなさいね。花子はいま出掛けてるのよ」
「そうですか……」

 夜神宅の玄関前。幸子の言葉に、竜崎は思案するように親指を咥えた。花子に会いにきたのだが、生憎不在らしい。事前に連絡をしたくなかった。月と総一郎が口を揃えて出不精と言っていたので、在宅していると思ったのだが……。

「どこに行ったのか、ご存知ですか?」
「朝方何も言ってなかったから、そう遠くではないと思うんだけど……」

 朝方ということは、彼女は一日外出しているということになる。竜崎は携帯電話で時刻を確認した。午後六時二十八分。本日は日曜日。彼女がアルバイト等していないことは確認している。

 幸子は玄関先に立つ一風変わった青年を、困った思いで見下ろしていた。この青年は、月ではなく花子を訪ねてきたようだ。すれ違ったところを見ると、約束していたわけではないようだが、よほど大事な用でもあるのだろうか。彼は背を丸めて俯き、困っているように見える。幸子はその背に、なるだけやさしい声をかけた。

「よければ、上がっていかない? 夕食までには戻ると思うから、中で待っていればいいわ」

 これまで花子を訪ねてきた学友はいない。竜崎と名乗った彼が花子と家を訪ねるほどの仲であることは違いないだろう。娘に会うため、せっかく家まで来てくれた彼をこのまま返してしまうのは忍びなかった。幸い、本日の夕食はカレーだ。一人くらい増えたとして問題はない。このところ、主人も息子も帰らず、食卓が寂しいと思っていたところでもある。

 竜崎は目を上げて幸子を見た。一瞬、逡巡するように間を開けたのはただのポーズだ。意味のない礼節を重んじることの多い日本人相手には、そうした方が懐に入りやすいと彼は考えた。

「では、お言葉に甘えて」

 ひょいっと頭を下げ、敷居を跨ぐ。
 彼は、それを気にかけるかはさておき、自身の風貌が周囲に馴染まないことを自覚している。見も知らぬ怪しげな風体の男を、娘の友人と名乗ったからと気軽に家にあげるのはどうかと思ったが、彼にとっては都合がいい。

「あれ、お姉ちゃん帰ってきたの?」

 玄関の音に、リビングから顔を覗かせた粧裕は、その動作の途中で動きを止めた。得体の知らない男を母が家に上げていることか、それともその男が非常に風変わりであることか、どちらに言及するべきか。迷った彼女は結局、眉を下げ、「誰?」と小声で囁くに留めた。

「どうも、竜崎といいます。花子さんの友人です」
「ど、どうも……」

 あの姉に友だち。それも、家を訪ねてくるような、異性の。加えて、とびきり変わっている。
 差し出された手をおずおずと握り返す粧裕を、竜崎はじっと見下ろした。月と兄妹と言われればなるほどと思わないでもないが、花子とはあまり似ていない。だが、髪色は姉妹で同じようだし、輪郭は三人お揃いだ。

 多少挙動不審ながらも、粧裕は姉の友人に失礼のないよう注意して、竜崎をリビングに通した。友人のいないことで有名、というほどではないが、兎も角彼が姉にとって貴重な友人であるのなら、歓迎するべきだ。ソファを勧められた竜崎は、粧裕にちょこっと頭を下げると、あまり遠慮の感じられない素振りで飛び乗った。ばかりか、膝を抱えて座るものだから、粧裕はぎょっと引きつった顔を慌てて取り繕う羽目になった。
 粧裕よりは幾分経験を重ねている幸子は、あからさまに驚きさえしなかったが、やはり娘の友人が少々風変わりである事は認めざるを得なかった。まあ、娘も昔から他の子どもとは違っていたので、変わり者同士気が合うのかもしれない。コーヒーを淹れながら、いまだ動揺の抜けきらない粧裕に声をかける。

「粧裕、花子がどこに行ったか知ってる?」
「えっと、わかんない。最近お姉ちゃんよく出かけてるから……」
「最近というと、いつごろからですか?」
「ええーと、たぶん一ヶ月ちょっと前……かな。二月くらい前かも」

 となると、夜神月を監禁した頃か。

「ご家族に行き先は告げていないんですね?」
「うん。でもお姉ちゃんが行くのって、むかしから図書館か予備校くらいだったし……たぶん学校で勉強でもしてるんじゃないかと思うんですけど……」

 大学? 竜崎は内心首を傾げた。
 確かに花子は成績がいい。勉強が嫌いな性質ではないのだろう。だが、兄と父が監禁された状況で、出来ることがないから現実逃避に勉学に明け暮れる……というのは彼女らしくない気がする。では何をしているのか? わからない。

 花子が捜査本部を去って数日、竜崎は彼女が戻ってくるのを待った。兄が監禁されたというショックから抜ければ、彼女は怒鳴り込みにくるだろうと思った。キラによる裁きが再開されたのなら尚の事、月を監禁する必要がないと、あの柳眉を逆立てて胸倉を掴まれるぐらいの事は覚悟していた。
 それが、夜神月を監禁してからというもの、花子が本部を訪れる事はなかった。総一郎の着替えなど、細々したものを差し入れに来る事はあっても、ホテルのロビーで松田に渡したきり、すぐに立ち去ってしまうのだという。一度も、竜崎に取り次ぐことも中に入れることも要求されなかったと松田は言った。

 竜崎は親指を食んだ。噛み切る爪がないのでしゃぶる。粧裕がまたも顔を引きつらせるのにも構わず、考えを巡らせる。
 監禁されて数日でまるきり供述を変えた夜神月、気を失って以降人が変わったようにシラを切り続ける弥海砂、行き先を告げず出掛ける夜神花子……。

 そこで、玄関のチャイムが鳴らされた。厄介な来客から解放されようと、粧裕が足取りも軽く玄関に駆けていく。竜崎もまた、ゆっくりとその後を追った。
 夜神花子が帰宅した。



 



「お姉ちゃん、お客さんだよ」

 こんなやつは客ではない。
 帰って早々、可愛い妹の奥に珍妙な形をした男を認め、花子はハゲタカよろしく来客を睨みつけた。姉の形相に粧裕が目を見開くも、竜崎は飄々と「お帰りなさい」と花子を迎える。慣れているのだろうか? 粧裕は竜崎を振り返った。姉がここまで怖い顔をしているのに、彼ときたらまるで気にする風もない。

「態々どうも、ご足労いただいて」
「いえいえ。早速ですが花子さんにお話ししたいことがありますので、部屋に行っても?」

 言うが早いが、竜崎は花子の返事も待たず階段を登り始めた。了承もしていないし、部屋を教えた覚えもない。知っているのだろうが。
 花子は憮然としない顔で靴を脱いだ。ちょうどリビングから顔を出した幸子から淹れたてのコーヒーを受け取り――あんな奴には雑巾の汁でも飲ませておけばいいのに――竜崎の後を追う。そんな花子に、粧裕がそっと耳打ちした。

「お、お姉ちゃん……あの人、彼氏?」
「は?」

 花子はぎょっと身を引いて粧裕を見下ろした。次いで竜崎に目を遣る。彼はのたのたと階段を上がっているところだった。相変わらず靴下は履かない主義らしい上、ジーンズの裾を引きずっている。
 彼氏? こいつが?
 ぞっとしない話だ。即座に否定しようとして……けれども花子は思い止まった。たっぷり十秒は思案して、彼女は粧裕に向かってゆっくりと肯いた。

「まあ、そんな感じ」

 そういうことにしておけば、外出にも外泊にも言い訳が立つ。
 得体の知れない男も、姉と深い仲と知れば親近感が湧くのか、単に恋愛の話が好きなのか、粧裕は怖々と窺うようだった顔をパッと華やがせた。きゃあっと小さく歓声をあげ、姉の腕に抱きつく。

「お姉ちゃんいつの間に!? 言ってよー!」

 何をだ。恨み節か。

「竜崎さんってちょっと変わってるけど、よく見るときれいな顔してるよね! かっこいいじゃん」

 花子は階段上で待っている男に背を向け、粧裕と向き合った。右手で妹の肩を掴み、強く言い聞かせる。

「あんたはあんな男、選んじゃだめだからね」
「顔が怖いよ、お姉ちゃん」

 監視カメラで見ていた通り、花子の部屋は酷く神経質に整えられていた。磨かれた床、皺ひとつないシーツ。年頃の女性が好むような雑貨や化粧品さえ姿がない。可能な限り所持品という所持品を排除したような部屋の中で、唯一本棚だけが、ぎっちりと本を飲み込んでいる。
 ……この感覚は何だ?
 部屋に入った時、竜崎には既視感があった。どうにも以前、同じようなことがあったような気がする。監視カメラで見ていたから、脳がデジャブを感じているのだろうか?

 部屋を眺め回す竜崎を、花子は流し目で見遣った。裸足の人間を部屋に入れることになるとは……あとで床を拭かなければ。

「で、何しにきたの?」

 コーヒーを机の上に置き、花子は腕を組んだ。座らせ、長話を促すつもりは毛頭ない。指を咥えて本棚をしげしげと眺めていた竜崎は、上体を反らせて花子を振り返った。酷い隈に縁取られた目が、じっとりと花子を見上げる。

「言いましたよね、私があなたに会いに行くようなことがあれば、覚悟していてくださいと」
「……何があったの」

 それには答えず、視線を本棚に戻す。

「夜神さんに聞きました。あなたは週に一度、部屋を徹底的に掃除する。本棚の本を全て取り出して棚を拭き、電球のソケットまで埃を払っていると」
「だから?」
「ここ二月ほどは掃除も手につかないほどだったのではないかと思ったのですが……そうでもなさそうですね」

 きちんと埃の払われた本棚は、カメラを仕掛けた時同様、完璧に統治されていた。見たところ、所蔵に変化はないようだ。
 竜崎の言葉に、花子は一瞬、カッとなったように目の色を変えた。しかし怒鳴るわけにはいかない。下には母と妹がいる。

「私が、父と兄が監禁されているにも関わらず呑気に掃除をしてたのが気に入らないって?」

 溢れんばかりの激情が注ぎ込まれた、静かな声だった。

「いいえ。心穏やかに日常を送れていたのなら何よりです……が、正直驚きました。キラの裁きが再開されれば、あなたはすぐにでも捜査本部に怒鳴り込んでくるだろうと思ってましたから」

 くるりと、竜崎は身体を反転させる。花子は鬼のような顔をして竜崎を睨みつけていた。あの日、なす術もなく涙を流していた少女が、よくもまあこれだけ表情を変えるものだ。感心する。

「何を勝手な。来るなって言ったのはそっちだろうに」
「あなたが殊勝に言うことを聞くとは思ってませんでしたから」

 盛大な舌打ち。
 花子とて、父兄が監禁されている状況を快く思っていたわけではない。実際、彼女は数日のうちに捜査本部に赴こうと思っていた。本当ならば竜崎の言うとおり、キラの裁きが再開された途端に殴り込みに行きたかったのだが、事はそう上手くは運ばなかった。探し物に、随分手間取ったのだ。加えて探し物は、花子が求めていたものではなかった。これだけでは、彼女は勝てない。

 花子は対峙する男を眺める。……手の爪が随分短くなっている。奴にとって、状況は芳しくないらしい。

 月から監禁を仕向けた以上、監禁によって月がキラだと断定されることはないと踏んでいた花子は、キラの裁きが再開されたことでその考えを確信した。他でもない竜崎の手によって監禁されている状況で、どうやって裁きを行うというのだ。捜査に携わる者は、竜崎でさえも、月はキラではないと判断するしかない。まさかその状況で、花子を問い詰めにやってくるはずがない。

 だから、竜崎が花子に用があるというのであれば、その理由はひとつしかない。花子は注意深く相手を観察した。猫背に隈、何を考えているかわからない顔つき。常と変わったところはないように見える。

「私の考えが正しければ」

 花子は一度、そこで言葉を切った。見つめ合う、或いは探り合う黒い目が二対。乾いた唇を舌で湿らせ、慎重に言葉を選ぶ。

「あんたは月を、キラではないと判断しなきゃならなくなった。キラが現れた以上、監禁されている月に犯行は不可能だ。そうなると、容疑者はもう一人しかいない」
「ええ、その通りです」

 感情を抑え込む花子と対照的に、竜崎はどこまでも平坦に告げる。

「ですので今日は、捜査協力の依頼ということになるかもしれませんね……キラ容疑者としてあなたの行動を制限したい」

 やはりそう来たか。

「具体的には?」
「大学は休学してもらいます。今後は捜査本部に在中し、私の目の届く範囲で生活していただきたい。自由な外出も許可できません。私室は用意しますが、部屋には監視カメラを設置します」
「わかった」

 予想の範囲内だ。要求の内容に眉一つ動かさず鷹揚に肯く花子に、今度は竜崎が眉を顰めた。
 夜神花子はキラではない。竜崎の考えは一貫して変わっていない。
 けれど、夜神月はキラではないと判断せざるを得ない現状、必然的に最も怪しい者は夜神花子となる。レイ=ペンバーが尾行していた者、五月二十二日に青山に行った者。この二つに当て嵌まるのは、月と花子のふたりだけだ。月がキラではないのなら、花子しかいない。しかし花子がキラだとしたら、月の監禁に関する謎は説明がつくが、他のことに疑問が生じる。弥海砂だ。気を失ってから一転して夜神月を恋人だと言い張る彼女は、夜神花子についてはまるで知らないという。顔を合わせはしたが、別段これといって口を交わしたことはないらしい。それどころか、夜神月から、妹とはふたりきりで話すなと言われたことさえあると。そして、あの日竜崎の手を引いて逃げたことにも説明がつかない。もっとも、すべて彼女たちが示し合わせた故の行動だというのであれば別だが……。

「私が花子さんにお願いするのは、あなたのプライベートを完全に管理させてほしいということです。必要であると判断すれば、トイレやバスルームでさえ監視します。それでもかまいませんか?」
「元からそのつもりだけど」

 ……やけに簡単に言う。花子が容疑者として管理されることは、即ち月の解放を意味する。しかし、いくら兄のためと言えこうもあっさりと了承できるものだろうか。年頃の女性であることを差し引いたとして、潔癖な彼女には排泄場面を他人に監視されるなんて耐えがたいだろうと思ったのだが。

「……監禁から一週間が過ぎた頃、月くんは急に供述を変えました。自分はキラではない、この監禁は仕組まれたことだと……月くんらしくない。これをどう思いますか?」

 唐突な話題転換に、花子は一瞬惚けたように目を瞬かせた。相手の意図を探るよりも先に、その話の奇妙さに気がつく。訝しげに眉を潜める花子を、竜崎は静かに見ている。

「……? それは本当に月の話?」

 つまり、彼女から見ても夜神月の状態は奇妙ということか。

「何度か映像を見返しましたが、別段変わったことはありませんでした。逆に言えば、それだけが唐突な変化でした」
「そう……」

 花子は左手で下唇を弄った。唐突な主張の転換。そこにキラの能力の秘密が隠されているのか? わからない……。

「第二のキラのビデオに、能力を分けると言う言葉があったね」
「はい。私もキラの能力が人を渡っていくもの、月くんと弥から能力は別の人間に渡った可能性を考えました。しかしそれでは筋が通らない。あのタイミングで能力を他の人間に移すと言うのは、偶然にしては都合が良すぎる。そんなことを出来るとすれば、あの状況を知っていた人物」
「で、尚且つこれまでのレイ=ペンバーが調べていた人間や青山に行った人間に該当するのは、私だけだ」
「しかし私は、月くんがキラではないと、確信したわけではありません」

 竜崎は花子を見上げた。のっぺりとした色のない顔は、何を考えているのか、まるでわからない。花子は嫌悪感を隠しきれなかった。あからさまに顔をしかめる彼女に、ふと、竜崎が口元を緩める。微笑んでいるような表情に、花子は不意を突かれた。緩んだ口元は、描かれたようにうつくしかった。寛容。まるで、己の存在を許されているような感覚に、心臓が戸惑い、声を上げる。

「これ以上、月くんの監禁を続けることはできません。けれど手放しに、彼への疑いを捨てることはできない。私は彼を牢から出す代わりに、あなたたち二人の自由を奪います。そして一つ、協力していただきたい話がある」

 花子が目を瞬かせている間に、竜崎は表情を拭い去っていた。いつもと変わらない、無機質を思わせる瞳が花子を映していた。薄い唇を開き、彼は花子に、作戦を話す。


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