8.5


「私も捕まるのでしょうね、共犯者として」
「共犯者? 全部おまえの考えだと話すつもりだよ」
  ――アヴェイン、ブルース(映画『ダークナイト』)


「なあ、いいのか? 放っておいて」

 走り去るふたりの後姿を見送り、リュークは月を振り返った。

「おまえの妹、気づいてるんじゃないのか?」
「……さあね」

 笑う死神に素っ気なく返し、月は走り寄ってきた海砂を迎えた。彼女のつまらない話に生返事を返しながら思索を巡らせる。

「……ミサ、僕のいないところで花子と話したか?」
「花子って、妹さん?」

 月の言葉に、どれだけ会いたかったかを言い募っていた海砂は、首を傾げた。人差し指を、潤いを閉じ込めた唇に当てる。

「ううん、まったく。人見知りって本当みたいね。この間お家行った時、粧裕ちゃんは見送ってくれたのに、あの子、一歩も出てこなかったもん」
「ならいい」
「双子なんだっけ? あんまり似てないよね。月はとってもすてきだけど、あの子はちょっと変わってるし」

 そう、似ていない。顔立ちも、性格も、何一つ。月と花子が並んだところで、兄妹と最初に思う人間は少ない。
 そんなことは言われ続けていたし、月自身、花子と自分が似ていないことを面白がってもいた。母に似てミーハーで素直なところのある粧裕とも、総一郎の正義感をそのまま受け継いだような月とも、花子はまるで違っている。
 花子と話すのは楽しかった。月ほどではなくても、彼女もまた頭がいい。彼女の発想はユニークで、その発想や軽口は時に月を助け、笑わせる。
 誰とも親しくならない妹は、月にだけはよく話した。父にも母にも粧裕にも言えないことを、月はたくさん聞いてやった。いつも見る怖い夢の話。一度、どうして友人を作らないのかと月が尋ねた時、花子が「怖い」とだけ言ったことを月は覚えている。きっと、父にも母にも言っていないだろう秘密だ。月もまた、花子にだけはなんだって話すことができた。子どもの頃から今に至るまで、彼らは、本当にたくさんの話をしてきた。

「月とは違ったタイプだけど、妹さんも美人だよね。将来的に月とミサは結婚するんだし、いまの内にお買い物でも行って仲よく……」
「ミサ、僕のいないところで花子とは話すな」
「えっ、どうして?」
「どうしてもだ」

 月がキラだと気がついている花子は、恐らく家を訪ねてきたことで海砂が第二のキラだとも気がついている。でなければ竜崎を連れて逃げた説明がつかない。
 海砂は月を殺さない。だが、花子のことはどうだ? 万一にでも、花子がその正体に気がついていると海砂に知れれば、勢い余って殺してしまうかもしれない。海砂がやらなくとも、レムが海砂を守るために殺す可能性だってある。

「あいつはひどく偏屈だから、ミサに嫌な思いをさせるかもしれないし」
「そんなのミサ、気にしないけど。月がそう言うなら」

 海砂は月の発言に首を傾げたものの、深くは考えなかった。馴れ馴れしく腕に巻きつき、頬を摺り寄せる彼女を連れ歩きながら、月は思索に耽る。

 彼の下に弥海砂が第二のキラ容疑で逮捕されたという連絡が来たのは、彼女と別れてから数分後のことだった。



 



「花子、ちょっといいか」

 ノックの後、妹はすぐさまドアを開けた。ひょいっと覗かせた顔の奥に見える部屋は、相変わらず息詰まる程に片付いている。

「なあに、月」
「たいした用じゃないんだけど」

 歯切れの悪い兄の様子に、花子は一瞬逡巡するも、黙って彼を迎え入れた。月は殺風景な部屋を横切り、机の前に置かれた椅子に腰かける。
 机には、封筒が一つ口を開けた状態で乗っていた。A4サイズのそれは、よくある茶色ではなく頑丈な黒い紙でできている。中にはそれなりの厚さのものが入っているようだ。分厚い。開けた口から、紙の束が顔を覗かせていた。どう見ても、学校関係の資料ではない。興味を引かれた月が顔を出した資料を読もうとしたところで、さっと、それは取り上げられた。手早く紙を封筒に入れ直した花子は、封筒の口を几帳面に紐で留めた。ベッドに腰を下ろし、その脇に置く。

「なんかあった?」
「キラ事件のことで少しね」

 海砂が第二のキラとして逮捕され、彼らは捜査本部の出入りを禁止された。月としては、いつ海砂が口を割るか知れず、携帯が震える度に気が気ではない。そんな中、最も信頼のおける妹が不安要素を抱えているとなれば、尚のこと落ち着かなかった。
 花子が自分を裏切るなんて思っていない。けれど、そう信じるのとそれが現実であるかどうかは別の話だ。極端に片づけられた妹の部屋はあまりに寒々しく、月でさえ落ち着かない。彼はそっと目を伏せた。話すべきことも、その上手い糸口も彼の頭の中にあったが、なかなか舌に乗せることができない。

 花子は、なかなか話しださない兄を急かすこともせず、静かに彼を見つめていた。昨夜はあまり眠れなかったのだろうか。あまり顔色が良くない。

「……お母さんがおばあちゃんにもらってきた、青磁のお皿を覚えてる?」
「え?」

 月は、伏せていた目を上げた。その正面で、妹が、柔らかに眼を細めて月を見ていた。唐突な話題に一瞬面食らった彼は、次の瞬間には、花子が言いたいことをすべて理解した。刹那、月は瞼を震わせた。安堵だった。長く、己の内に溜め込んだものを吐き出すような呼気。目を上げた彼は、妹に微笑みかける。

「覚えてるよ」

 まだ彼らが十に満たない子どもの頃だ。母が祖母の家から、大きな青磁の皿をもらってきた。母が子どもの頃から家族の食事で活躍してきたそれを、実家に訪れた母が懐かしみ、譲ってもらったそうだ。その大皿は、たびたび夜神宅の食卓に姿を見せるようになった。元より陶器を集めることが好きだった母の、一等お気に入りは、当時その皿だった。

 花子はお転婆とは縁遠い娘だったが、運動は嫌いでなかったし、他の子どもたちとではなく、月が遊び相手なら話は別だ。その日、母は粧裕を連れて出かけていた。父は仕事で、家には双子だけだった。ふたりで遊ぶとき、トランシーバーを使って警察ごっこをするのは、定番の遊びだった。そこからリビングに突入し、犯人を確保するのも。
 はしゃいだ花子は階段を飛び降り、一直線にリビングへ駆け込んだ。すぐ後に月も続く。犯人役のぬいぐるみは、ソファの上で花子たちを待ち構えていた。「花子捜査官、犯人を確保だ!」兄の声に、花子は勢いをつけて振り返り、敬礼しようとした。そして、足を滑らせた。
 幸運なことに、フローリングで転んだ花子は、頭を幾らか打っただけで、大きな怪我はなかった。けれど、倒れた拍子にぶつかったサイドボード、そこに飾られていた皿は無事では済まなかった。落下した陶器が割れる大きな音と衝撃、飛び散った破片。大きな音が去った後は、場はしんと、怖いほど静まり返った。

「……どうしよう」

 幼い頃、母と花子はあまりうまくいっていなかった。花子は月や粧裕と違い、酷く神経質で、幸子の手を煩わせた。生まれたばかりの頃から、花子はいつも泣いていた。幸子は懸命に娘をあやし、どうにか泣き止ませようとしたのだが、そもそも娘が何故泣いているのか見当もつかず、一日中双子の面倒を看なければならない彼女の負担は大きかった。大きくなっても原因はわからなかったが、幸子は自分が近づくと、花子が怯えた顔をすることに気がついた。冷や水を浴びせられたように、さっと血の気が引く思いだった。どうしてこの子は母親を怖がるのだろう。泣くばかりで、ちっとも教えてくれやしない。こんなに手をかけているのに。同じ様に生まれた月は、こんなにいい子なのに。
 幸子が自分の感情を、子どもたちにぶつけたことはない。けれども花子が泣くとき、母の眉間に怖い皺が寄ることに、彼らは気がついていた。花子は母が、自分のことを好きではないのだと思った。癇癪ばかり起す、面倒な自分のことなんて、きっと嫌いになってしまったのだろう。

 そんな母の宝物を割ってしまった。花子の絶望は深かった。転んで打ち付けた頭のことなどどうでもいい。足下に転がる無残な欠片の前に、花子は膝をついた。見事な青磁皿は粉々に砕け、見る影もない。修復は不可能だと簡単に知れた。
 打ちひしがれる花子の前に、月もまた、破片を踏まぬようしゃがみこんだ。青ざめて震える妹の肩に手を置く。怯えた彼女が、ゆっくりと自分に目を向けるのを確認して、彼は微笑んだ。

「心配しなくていいよ。僕が手伝う」

 月は古い新聞紙と箒を持ってくると、呆然とする花子を余所に、てきぱきと皿を片付け始めた。手を切らないよう、注意深く割れた陶器を新聞紙で包み、破片を箒で集める。あらかた片付け終わると、今度は掃除機とビニール袋を持ってきて、破片と新聞紙を袋に入れ始める。

「な、何してるの、月」
「片付けなくちゃ。動くと危ないから、花子はちょっと待ってて」

 そりゃあ、片づけなくてはならないけども。花子は困惑して、ただおろおろと兄の行動を見守ることしかできなかった。月は手際よく皿を片付けた。最後に掃除機をかけると、そこには怖かったものの気配すら残っていなかった。
 皿を入れた袋を持った月は、妹の手を取って立ち上がらせた。茫然自失の彼女の手を引いて、庭に出る。納屋から小さなスコップを持ってくると、月は芝生のない端を選んで、穴を掘り始めた。日陰になった庭の隅。柔らかな土が兄の手で掘り返されていくのを、花子は半ば夢心地で眺めていた。
 穴が十分な深さになると、月はそこに、袋を入れた。掻き出した土を、元のように被せていく。

「埋めちゃうの……?」
「こうすれば見つからない」
「でも……」

 埋めたところで、母は皿が無くなっていることに気づくだろう。そうすれば、自然と花子に疑いが向く。いい子の月がそんなことをするわけがないのだから。そして事実、皿を割ったのは花子だ。
 妹が考えていることは、月にもちゃんとわかっていた。穴をもとのように埋めてしまうと、月はそこを、スコップでぽんと、軽く叩いた。「何にもないように見えるだろ?」土はきれいに戻されていたし、庭は青々とした芝生に覆われている。そこにばかり目が行って、家の中からは日陰になった隅っこなんて、よく見えないだろう。
 月が花子に笑いかける。

「母さんに何か聞かれたら、花子は知らないとだけ言っておいて。誤魔化すのは僕がやるよ。うまく言うから、母さんもそのうちお皿なんて忘れるさ」
「月は何も悪くないのに、」
「そうでもないよ」

 膝を突き合わせるようにしてしゃがんだ妹に、内緒話をするよう顔を寄せる。まだ青白い顔をして唇を戦慄かせている花子に、月はできるだけやさしい声を出した。お道化るように舌を出す。

「お皿を埋めたのは僕だ。だから、僕たちは共犯。もし花子が怒られたら、僕も一緒に怒られる。もともと一緒に遊んでたしね」
「ら、月」
「だいじょうぶ」

 月は土で汚れた指先で、花子の手に触れた。すっかり冷たくなった小さな手を、そっと、けれど強く握ってやる。

「花子は何も心配しなくていい」

 幾日か、皿のことを尋ねられやしないかとびくつく花子を、月は隣でフォローしてくれた。けれども母は皿のことなんて少しも口にしなかった。花子もだんだんと落ち着いてきて、やがて皿なんて忘れかけた頃、彼女は兄に「何も尋ねられなかったのか」と聞いた。兄は何でもない顔で肩を竦め、「何もなかったよ」と答えた。

 花子が母に、こっそりと幼き日の過ちを告げたのは中学に入ってからだった。この頃には花子の癇癪も落ち着き、またよく粧裕の面倒を看てやっていることで、幸子との関係もずいぶん変わっていた。すまなそうに肩を窄める娘に、幸子はからからと笑い、「実はね」と、内緒話を打ち明けた。本当は、皿が無くなっていることに気がついていたこと。その日の内に、月が幸子に「自分がやった」と申し出たこと。割れた破片はどうしたのかと聞いたら、「もう片付けてしまった。花子はあの皿をずいぶん気に入っていたから、どうか言わないでおいてほしい」と頼まれたこと。

 いまならわかる。どんなに大切な皿を割ったって、母は怒りはしても花子を嫌いになんてならない。幼い花子には、それがわからなかった。だから月は花子を隠してくれたのだ。きっと母は花子が怪我しなかったのか、皿よりもそれを心配するだろうけど、花子が母に知られるのをそんなに恐れるならと、自分が泥を被ってくれた。

 花子がどうしてこんな昔話を掘り起こしたのか。月にはきちんとわかっていた。それと同時に、彼は確信する。花子が月を裏切らないこと、月の罪を知っていること。
 彼らはいわば、共犯者だった。罪を犯す者、口を噤む者。月が花子を守ったように、花子もまた月を守る。花子はそれを望んでいるのだと月は思った。この世でたった一人の片割れの前では、罪など何の意味もなさないと。いいや、罪などではない。彼は胸の内で首を振った。これは正しく、神の裁きだ。正義なのだ。花子がそれを拒絶するはずもない。

 夜神月の目から見る夜神花子は、彼の願望により、いくらかその姿を歪めている。家族を愛し、兄一人だけを唯一の理解者とする孤独な妹。完璧に兄を受け入れる片割れ。そんなものは幻なのに、けれども月がそれに気がつくことはない。信頼と安寧は時に眼を曇らせる。
 この事件において、夜神花子は夜神月の味方ではない。彼女は兄よりも、己の欲が満たされることを望んだ。それに月は気がつかない。
 知っているのは彼女ばかり。

「月も心配で眠れないのはわかるけど、お父さんもいるんだし、ミサさんのことは任せておこうよ。第二のキラ容疑なんて、きっとすぐに晴れる」
「ああ、そうだな」
「私もしばらくはレポートで頭がいっぱいだから……無駄話・・・をしてる暇もないしね」

 つまり、竜崎たちに何かを話す気はないと花子は言いたいのだ。

「そうか。少し手伝う?」
「かわりに書いてくれてもいいけど」
「おい」
「冗談だよ。時給は千円でいい?」

 軽口を叩く妹の頭を小突いて、月は気を抜いたように笑みを溢した。

「まあ、おまえのことだからなんだかんだ、僕がいなくたって上手くやるだろ。心配してないよ」
「……そう」

 察しのいい妹は、その台詞に引っ掛かりを覚えたが、追及することはなかった。共有された秘密は口にするべきではないと、彼女もよくわかっている。
 いくら花子がその正体に気がついていようが、月はキラであることも、その詳細も打ち明ける気はなかった。敵がいる今、それは危険すぎる。万一秘密が漏れても花子を疑わずにいるためには、花子にも証拠やそれにまつわることを伏せておく必要があった。

 穏やかな顔の下で注意深く言葉を交わした月は、花子が竜崎の味方をする気も、月について知っていることを他人に話す気がないことも充分に確認し、満足して席を立った。唯一気になったのは、花子がどうやって月の正体に辿り着いたのか話さなかったことだが、互いに確信的な言葉を使うのを避けている現状で突き詰めるのは難しい。そんなことは後に回したっていいだろう。いまは他にやらなければならないことが腐るほどある。

 自室に戻った月は扉に鍵をかけ、彼ら――二匹の死神に鋭い目を向けた。己への容疑を打ち払い、厄介極まりない白い死神を排除する方法を考え出した彼は、ひとつの不安要素が取り除かれたことで、作戦を決行することに決めた。溜め息を吐き、数か月共に過ごしてきた相手に告げる。

「さよならだ、リューク」


<< >>

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -