7.暗闇ばかり見えている


わしには見えるのだ。再び闇の中から何者かが現れよう。だがその時、おまえは年老いて生きてはいまい
 ――ゾーマ(ドラゴンクエストシリーズ)


 ……南空ナオミ。

「気になりますか?」

 後ろからかけられた声に、花子は振り返った。じっとりと、疑うように下から己を見上げる視線に、眉を顰める。
 コーヒーを入れるために、キッチンへ向かう途中だった。トレーに人数分のカップを乗せて彼女は席を立ったが、その途中、食い入るように机上を見つめ、足を止めた。魅入られたような花子を不審に思った竜崎が、彼女の後ろからのっそりと机上を覗き込む。ついでと言わんばかりに、彼は指先に引っ提げたカップを花子が持つトレーに乗せた。

「別に」

 身体を竜崎に向けながら、花子は何でもないように首を振った。その脇からぬるりと腕を伸ばした竜崎が、一番上に積まれていた資料を摘み上げる。

「南空ナオミ……レイ=ペンバーの婚約者であり、元FBI捜査官……。婚約者の死を境に、両親にやりたい事があると言い残し、連絡が取れなくなっている……。目撃情報はなく、それらしき遺体も出ていない」
「……遺体?」
「行方不明になってから既に四ヶ月以上経過しています。死亡していると考えるべきでしょう」
「そう……」

 花子は、竜崎に摘まみ上げられた紙を見つめた。指先で摘まれているため、紙の隅には皺が寄っている。そのすぐ脇に貼られた顔写真。

「死亡しているとすれば、自殺ってこと?」
「いえ、それならやりたい事があるとは言いません。遺体が見つかっていないことからも、その可能性は低い。やりたい事というのは、彼女の性格を考えると、キラ事件の捜査でしょうね。彼女自身、優秀な捜査官でしたから。婚約者が殺されたのであれば、キラを追いたいと考えるでしょう」

 おかしい。花子は写真から顔を背けた。左の指先で唇を触る。
 行方不明になってから四ヶ月以上……。竜崎の言う通り、もう死んでいる。が、遺体は発見されていない……死体の出ていない心臓麻痺……。まさか、心臓麻痺で殺してからキラが遺体を隠蔽したとでも? いや、キラは死の直前の行動を操れる。とすれば、誰にも見つからない場所に彼女を向かわせ、そこで心臓麻痺にしたということか……。
 妙な話だ。南空ナオミとキラは、一体どこで接触したのだろう。少なくとも、南空ナオミはキラをキラだと知った上で接触したわけではない。それでは大した捜査もしていない一般人が、Lよりも先にキラの正体に気がついたことになる。そしてキラもまさか、自分が殺した人間の関係者をわざわざ探したりはしないだろう。接触は偶然……そしてその偶然の出会いが、彼女の運命を決めた。キラは、南空ナオミを逃がさなかった……待て。そこだ。やはりおかしい。
 どうしてキラは南空ナオミを殺した?
 キラが南空ナオミを殺したのなら、キラにとって、彼女が邪魔な存在だったということになる。殺すほど邪魔な存在、それも遺体を隠すくらいだ。殺したということさえ隠しておきたいに違いない。となると、南空ナオミは相当キラにとって不利なことを知っていたことになるが、一般人である南空ナオミはどうやってキラにとって致命的な情報を手に入れたのだ? キラがそんなにも隠したいこととは?
 死んだFBI捜査官。婚約者。元FBI捜査官。やりたいことがある。
 ……死んだFBI捜査官?
 レイ=ペンバーが尾行をしていたのはいつだ?

「ねえ、竜崎」

 ぺたぺたと足音を立てながら去っていく竜崎の後ろ姿に、花子は声をかけた。その向こう側では、花子と一緒にリストを纏めている総一郎、キラの原稿を書いている月、鑑識とやりとりをしている相沢、松田が各々の作業に没頭している。こちらを気にかける者はいない。

「南空ナオミの捜索、いまは打ち切っている……ってことでいい?」
「ええ。人手が足りませんので」

 酷い猫背のまま、首だけで振り返った竜崎は、その無機物を思わせるような目で花子を見上げた。

「何か、気がついたことでも?」
「……あるよ。あんた、足の裏黒い」



 



 警察が作り上げたキラが第二のキラに呼び掛けた二日後、返答があった。警察庁宛てに贈られたテープは、間違いなくさくらテレビに送られた物と同一人物が作成したものだ。捜査本部に緊張が走る。
 パソコンを囲む面々は、皆が皆、厳しい面持ちだった。その中心に置かれた肘掛椅子の上で、竜崎が爪を噛む。

「流してくれ」

 パッと変わる画面。綺麗にレタリングされたLの文字が消え、手描きのKIRAという安っぽい文字が映し出された。

『キラさん、お返事ありがとうございます。私は、キラさんの言う通りにします』

 これでLのテレビ出演は取り消された。
 俄かに沸き立つ捜査員の中、花子もまた満足して口端を緩めた。四日後の出演というタイムリミットが消え、余裕が生まれたとなれば、第二のキラ確保だってずっとやりやすくなる。
 しかし、喜ぶ空気も束の間だった。続いた第二のキラの言葉に、捜査員たちは皆一様に眉を寄せ、怪訝そうな顔を見合わせた。食い入るように画面を見つめる竜崎の後ろで、月だけが僅かばかり、顔色を失くす。隣に並んだ花子は、青い顔をして画面に見入った。

『私はキラさんに会いたい。キラさんは目を持っていないと思いますが、私はキラさんを殺したりはしません。安心してください』
「いま、目を持ってないって言ったよな……なんだ?」
『何か警察に人にはわからない、会ういい方法を考えてください。会ったときはお互いの死神を見せ合えば確認できます』

 ガタアァン
 椅子の倒れる大きな音。呆然と画面を見ていた全員が、我に返ったように振り返る。
 椅子ごと倒れた竜崎は、けれども何ら気にかける様子もなく、ただ強張った顔をして、画面を見つめ続けている。元が白い顔は、いまや蝋の様だった。戦慄く唇。黒目がちな目は見開かれ、瞳孔が開いていた。

「死神……そんなものの存在を、認めろとでも言うのか」
「竜崎、死神が存在するなんてありえない」

 月は内心、大袈裟に驚く竜崎を鼻で笑った。何をそんなに恐れることがあるのかと、嘲り笑う。それは神妙な表情で覆われ、誰にも窺い知れることはない。その月を、床に座り込んだまま、竜崎が見上げる。

「……キラも刑務所内の犯罪者に死神が存在するかのような文章を書かせていた」
「ならば、やはりこれも今までのキラとみるべきでは?」
「それはないよ、父さん。それなら僕たちの作ったビデオに対して返事をするはずがない。本物がこんな作戦にわざと乗ってLをテレビ出演させ、殺すのを止めさせるはずもない」

 現状の整理、今後の方針を話すために、各々が資料を手に竜崎に集う。その声を後ろに、花子はひとり、じっと画面を見つめたままだった。画面の光は落ち、もう何も映っていない。

「どうかしたの、花子ちゃん」

 呆然としたように見える花子に、松田がこっそりと声をかけた。花子が振り返る。花子よりも僅かばかり背が高い彼は眉を下げ、気遣うように彼女を伺っている。

「学校も行ってるし、大変だよね。疲れてたら、少し隣の部屋で休んでくるかい?」

 鑑識からの物証を竜崎に差し出し、あれこれと厳しい意見を交わす相沢の影に隠れ、松田がこっそりと笑った。人の良い男だ。花子も慣れないながら、微笑んで見せる。

「いえ、お気遣いありがとうございます。……あの、松田さん」
「うん?」
「死神、いたらどうしますか?」

 きょとんと、彼の目がどんぐりのようになる。なんだかアニメに出て来る動物のようだ。ちょっと間の抜けた、コメディチックの。

「ええ……そりゃあ、いたら嫌だけど、でも、いないでしょ?」
「そうですね」

 肯く花子に、松田が訝しげに首を傾げた。何かを言おうと口を開く。と、そこに相沢の矢のような声が割り入った。

「おい、松田! このリスト不備があるぞ!」
「! は、はい! ただいま!」

 ぴゅっと踵を返して飛んで行った彼の背を見送り、花子はもう一度だけ、画面に目を向けた。真っ暗闇の中に答えなど書いていない。仕方なしに首を振り、彼女もまた、竜崎の元へ指示を仰ぎに向かう。
 お互いの死神を見せ合えば。この文言が、どうにも引っかかって仕方がない。
 死神。いるのだろうか。わからない。

 

 竜崎の推測は当たった。キラからの反応を待ちきれなくなった第二のキラが、ビデオを送ってきた数日後、再度警察庁に設置された捜査本部宛にメッセージを送ってきたのだ。
 内容物はビデオと日記。ルーズリーフに書かれたそれを、テレビで放映しろという要求だった。

「日記をテレビに映せって?」

 困惑と苛つきを声に滲ませて、月が総一郎から日記を受け取る。月と共に捜査本部に呼び出された花子は、それを横から覗き込んだ。「三十日のところを見てみろ」総一郎の言葉に、視線を動かす。

「三十日、東京ドームの巨人戦にて、死神を確認……ね」
「どう思います?」

 双子は揃って竜崎に顔を向け、首を振った。月が口を開く。

「今のところ……馬鹿だとしか言いようが……」
「ですよねー! この日記を放映しろってことはどう考えてもキラへのメッセージだし、三十日の巨人戦でキラに会おうっていうのは見え見え」
「……正直馬鹿っぽいだけに……どう対処すればいいのかわからなくなりました」

 竜崎の声は、億劫さを隠し切れていなかった。骨張った指先が、机に並べられたチョコレートを摘まみ取る。一つ二つと、もぐもぐ口を動かし、彼はいつもの如く椅子に座った。抱えた膝に顎をつける。

「とりあえず、日記と試合中止、三十日東京ドーム周辺の道路を封鎖して検問をすると流しましょう。この間のさくらTV事件の時あれだけの警官が協力してくれたのですから、できると思います」

 検問をする、と言う意見に、流石にキラは来ないだろうと異が唱えられた。竜崎もそれに同意する。しかし、第二のキラがどこまで馬鹿なのかはわからない。よって三十日、第二のキラが現れる可能性はゼロではない。

「……他の日付はどうする?」

 花子が、竜崎の後ろから、彼の前に置かれた日記を指差した。

「二十二日、青山。二十四日、渋谷。これも日付と場所が指定されている。三十日はあからさますぎるし、私たちにはわからない何かが隠されていて、本命がこっちっていう可能性は?」
「それも考えられます」

 言いながら、竜崎は横目で花子を見上げた。やけに近い。いつもなら、絶対にここまで近づいてこないのに、一体何故……ふと、竜崎は気がついた。今度は呆れた目で花子を見上げる。彼女はそれに、知らん顔をして返した。
 今日のシャツは下ろしたてだ。食べているのはチョコレートなので、食べかすもついていない。おまけに、ちょうど彼女が来る少し前、風呂に入ったばかりだった。目敏いと言うか、なんと言うか。

「もし死神という能力を持った者同士にしかわからない暗号が隠されているのであれば、私には解読できませんが、少なくとも今日以降で場所の書かれた日は、徹底的にマークしておくべきです」
「まあ……収穫は得られないと思うけどね」
「はい、無駄を覚悟してます」

 検問を設置する三十日の東京ドームと違い、青山および渋谷では、私服で見回り程度のことしか現状打てる手立てがない。不審者がいても、そこでは何もせず、後日じっくりと対策を練る。

「じゃあ青山は僕と松田さんと……花子はどうする?」

 月が花子を振り返った。竜崎のすぐ脇で、未だじっくりと日記を見つめていた花子は、兄の声に顔を上げた。惚けたように目を丸め、首を傾げる。

「なにが?」
「話、聞いてなかったのか」
「聞いてたよ。言葉として認識はしてなかったけど」
「それを聞いていないって言うんだよ」

 月が花子の頭を小突く。「二十二日の青山、花子も一緒に行く?」言いながら、月は彼女が首を縦に振らないだろうことを知っていた。妹は人混みが好きではない。子どもがこぞって好む遊園地や動物園などのレジャー施設さえ、幼い頃から行きたがらなかった。粧裕が家族で行きたいとしつこくねだって、ようやっと、渋々ついて来るのだ。
 けれども意外なことに、花子は左手で唇を弄った。考えるときの、彼女の癖だ。

「……行こうかな」
「行くのか?」

 総一郎も、花子が人混みを嫌いなことをよく承知している。意外な返答に彼は娘を振り返った。あまりに驚いた顔をする父に、花子は一瞬呆けた顔をした。すぐに、にやりと唇を歪める。

「なあに、普段はもっと外に出ろってうるさい癖に」
「い、いや……でも、危なくないか……?」

 言いながら、総一郎は月を見た。けれども兄に先回って、花子が父に首を振る。

「さっき月が言ったでしょ。第二のキラが興味あるのはキラだけなんだから、大丈夫だって……ところで、行くのは私だけでもいいんだけど」

 花子が物言いたげな顔をして月を振り返る。「ねえ、たまには私の代わりに、インドア派になってみたら? 程よいオトモダチもいらっしゃることだし」親指で自身を指す無礼な動作に、竜崎がムッと顔を顰めるも、常の如く花子が彼を気にかけることはない。そんな妹に、月は苦く笑って首を振った。

「いや。おまえこそ、こんな時は篭ってたほうがいいんじゃないか?」

 本音を言えば、月は花子についてきて欲しくなかった。万が一、第二のキラがヘマをすれば、最悪の場合はその場にいる者全てを殺す必要があるのだ。……妹を殺すわけにはいかない。
 花子もまた、月に来て欲しくはなかった。二十二日の青山、二十四日の渋谷、三十日の東京ドーム……この何処かには、第二のキラが現れるだろうと考えられる。第二のキラは、顔さえ見れば相手を殺せる。月が見つかってしまう可能性を考えると、気が気ではなかった。
 花子にとって理想的な状況は、竜崎と月よりも先に、第二のキラを見つけ出すこと。そして自分だけが接触を図ること。しかし残念なことに、それは実現しそうにない。

 花子は態とらしく、肩を落とした。本当に残念なのだが、自身の本音を誤魔化すために、額に手を当て、大袈裟に落胆して見せる。

「仕方がないな……たまには、兄妹仲良くデートでもするか」
「花子と出かけるのも久しぶりだな。まあ、これは捜査の一環だけどね」
「あ、僕もいるんだけど……」

 松田の声を背景に、双子は笑った。各々の思惑を胎に隠して。


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