6.正解だけがあなたを救う


誰も答えは持っていないんです。あなた用の答えは。
 ――為末大


 キラは二人いる。いや、≪第二のキラ≫が現れたと言うべきだ。
 竜崎の言葉に、捜査本部がざわついた。皆が戸惑いと不安を綯い交ぜた表情で、目を交わし合う。竜崎はビデオテープから採取された指紋を掲げた。小さい。子どもか、せいぜいが小柄な女……。
 キラはもちろん、テープを送り付けた人間が偽物であること、自身と同じ力を持つことに気が付いている。しかし手は組んでいない。ビデオで要求されたテレビ出演は四日後。短絡的な殺人。ビデオテープ。物証。
 捕らえるなら、こちらからだ。

「夜神さん、息子さんたちの都合がつく時に、捜査協力を願ってもいいでしょうか?」
「それは……あの子たちの疑いは完全に晴れたと受け取っていいのか?」
「いえ」

 喰いつくような総一郎に竜崎は目線を投げ、何ら感情を映さないまま首を横に振った。

 「疑いは晴れたとは言えませんが、彼ら、特に息子さんの推理力は期待できる……いや……第二のキラ逮捕に彼らが大いなる力になり得るかもしれないと考えたからです」

 返答に、総一郎は苦い思いを禁じ得ない。一瞬でも窺知した己の甘さと、世界の切り札と呼ばれる探偵の厳しさを痛感する。彼には到底、子どもたちがこんな恐ろしい犯罪に手を染めているなんて信じられなかったが、それでも僅かながらにでも可能性があると言われてしまえば、捜査において一番いい方法を選択するしかない。こんなことには無縁でいてほしいのに、そうさせてやれないのが申し訳なかった。

「……あの子たちが、協力する、と言えば止める理由はない」
「息子さんは恐らく正義感から協力してくれるでしょう。……娘さんも、快く捜査協力を申し出てくれたのは、意外でしたが」

 言いながら竜崎は、角砂糖を数も確認せずカップに放り入れた。スプーンを摘まんで掻き回すと、ざりざりと砂糖がカップに擦れる音がした。

「ああ、そうだな……。花子はもともと、こういうことにあまり興味はないはずなんだが」
「まあ、彼女の思惑がどうであれ、協力していただけるに越したことはありません」
「だが、竜崎の見立てでは、妹さんの方はキラの可能性はほぼないんだろう? なら無理に部外者を増やさなくても」
「いいえ」

 相沢の言葉に、竜崎はスプーンを回していた手を止めた。暫し考えるように静止し、ゲル状になった紅茶を一気に呷る。

「完全に、キラでないとは、まだ言えません。……彼女は非常に、奇妙ですから」

 つるりとしたカップの底を見つめながら、浮かされたように喋る。

「恐らく……彼女には何かがある。キラ事件に直接関係するかはわかりません……それでも捨て置くには……」

 花子に対する感覚を、竜崎もうまく言い表せなかった。奇妙。これに尽きる。けれども何がそんなに奇妙なのか、その正体を掴みきれない。

 夜神花子は、特筆するところのない人間だった。経歴に気なる点もない。地元の小学校、中学校に進学し、兄同様、有名私立高校へ入学。高校一年時の夏休み、短期のアメリカ留学。春には東応大学に進学。絵に描いたような、裕福な子ども。人生の内で大きな苦痛を味わったことなんてないだろうと、容易に察することができる。

 竜崎は目を伏せた。脳裏に、彼女の姿を思い描く。神経質そうな顔だ。細面。皮肉っぽく唇を歪め、彼女はいつも竜崎に噛みつく。
 何が、花子をそうさせるのだろう。総一郎の話では、夜神花子は大人しい性格のようだ。月との相性もあるのだろうが、兄妹喧嘩は少なく、妹を溺愛し、庭の掃除など、家の手入れを欠かさない。母親の手伝いもよくしているらしく、助かっているのだという話も聞いた。社交性がない分、家族に愛情が向かっているのだろう。これは何ら問題はない。

 噛みつくのは、竜崎に対してだけのようだ。病室で父兄は酷く驚いていたし、学校でもそんな話を聞いたことはない。そもそも、自分から他者に声をかけること自体、極端に少ない。「目が合わないんだよなあ」彼女にまつわる噂話を思い出す。近くの席で講義を受けていた男子学生が、つまらなそうに言っていた。「夜神っているじゃん、妹の方。けっこう美人だからさ、張り切って声かけたわけ。でも目すら合わせようとしねえの。感じ悪いよ、あれ」
 キラは犯罪者にとってこそ神になり得る。目的にこそ、命より重きが置かれる。あんなことを、子どもが言うだろうか? 彼女の思考はむしろ、犯罪者に近い。一体なぜ。家族思いの娘。神経質。潔癖症。社交性が低い。大人しい。殴り合い。あまりに噛み合わない印象は奇妙さを超え、一種の気味の悪ささえある。
 そう、彼女は他人と目すら合わせようとしないのに、どうして竜崎に対しては喰いつくのだろう。

「む、娘が……まさか」
「あの知能指数から、彼女がキラという可能性は……絶対とは言えませんが、確率としては低いです。キラは単独犯ですから、彼女と手を組んでいるということも考えられません」
「では、奇妙というのは……」
「さあ」
「さあって……」

 困惑した捜査官たちの空気を、竜崎は黙殺した。

「何はともあれ、彼らをここに招きたいと考えています……どちらかが、キラかもしれませんので、みなさんどうぞそのつもりで」

 その後、日本捜査本部は第二のキラの存在を隠し、夜神月と夜神花子を捜査に加えることを決定した。



 



 第二のキラを追うのが警察とキラだけではないことを知るのは、花子しかいない。
 花子は月がキラだと知っている。さくらテレビにテープを送りつけたのは、月とはまた別にキラの能力を持つ人間だと彼女はわかっていた。ならば、花子もまた、警察や月よりも先に、第二のキラを見つけなくてはならない。警察が先に見つけてしまえば、キラの秘密を手に入れた彼らが月をキラとして捕らえかねず、月が先に見つけてしまえば、キラの能力の全てが隠され、花子が物証を手に入れる機会が失われる。
 このタイミングで捜査本部に招かれたことは、都合がよかった。もちろん、L側だってこちらが近くにいた方がより隙を見つけやすいのだから、気を付けなければならない。花子が隠さなければいけないことは、二つある。
 キラの正体を知っているということ
 Lの敵であるということ

 高級ホテルになど、そう足を踏み入れる機会もない。最上階へ向かいエレベーターに乗り込み、花子は横に立つ父を見上げた。父は厳しい表情をしている。
 月と共にホテルに訪れた花子は、父の指示でロビーにて一時間ほど時間を潰していた。父の指示……即ちLの指示。花子は考える。月と共に行ってはいけない理由とは何だ?

「さあ、着いたぞ。……さっきも言ったが、中は多少散らかっているから」
「わかってるよ。さすがにキラ捜査しながら掃除もしろなんて無茶、私だって言わない」

 父の背中を眺めながら、花子は呑気に返した。花子とて、自室はともかく、他人との共有スペースに関してとやかく言ったりしない。粧裕がいると、リビングはすぐに散らかるし、あれだけ埃に塗れた学校で生活しているのだ、父の心配は懸念に終わるだろう。
 そう思っていたのが甘かった。

「お待たせしました花子さん。それではさっそく、」

 花子は返事をしなかった。彼女を伺う刑事たちにも、奥で待っている兄にも目を向けず、力強く、真っ直ぐ、竜崎に向かって行く。
 迷いなく距離を詰める花子に、竜崎は目を白黒させた。何故、こんなにも近寄ってくるのか。心当たりはない。
 まごついている間に、花子は竜崎の鼻先までやってきていた。通った鼻梁、涼やかな目元、形のいい唇。兄とはまた違う美しさを持っている花子を、竜崎は下から伺い見た。おお、と心の内だけで感心する。思っていたより顔がいい。
 その整った顔貌をぴくりとも動かさないまま、花子がさっと、奥を指さした。全員、動きにつられて目を向ける。ピンと伸ばされた指が指すのは、一等座り心地の良い椅子……菓子屑や、山と詰まれた空箱がなければの話であるが。

「片付けろ」

 獣のような声だった。

「すべては、まず、それからだ」



 



 掃除を嫌がる竜崎と、今にもその胸倉に掴みかかりそうな花子を月と総一郎が必死で宥め、花子への説明の間に松田が掃除することを約束し、ようやく花子は資料に手をつけた。その際、下らないことで、と文句を言う竜崎が閉口するほど、彼女が舌戦に強いことが明らかになった。論弁ならもちろん竜崎に分があるが、反論する反射神経がすさまじかった。「花子と言い争いはしない方がいい」拗ねて丸まる竜崎に、月が気の毒そうに言う。「あいつ、口喧嘩だけは勝つまでやめないから」

 しかし妙な空気だ。さくらテレビにキラが送ってきたというビデオテープを見ながら、花子は背後に立ち並ぶ捜査員たちの空気を伺った。どうも、緊張しているような……特に父。資料を閲覧している際には色々な説明を受けたが、月さえ、映像を見る花子に何も言わない。そうだ月……何故、時間をずらす必要があったのだろう。
 まあいい。花子は映像に意識を戻す。膝に頬杖をついた。
 このキラは、Lのテレビ出演を要求している。もしくは警察庁長官としているが、十中八九矢面に立たされるのはLだろう。花子がキラとして疑われるには、このキラもいままでのキラと同じ人間だと主張するのがいい……が、万が一にも、それでLが死ぬようなことになるのは困る。まさか、Lが二人目の存在に気がついていないはずもないだろうが……Lが死ねば花子の負けなのだ。危ない橋は渡らないに越したことはない。

「どうでしょう、何か分かりましたか?」
「ああ、まあね。……たぶんだけど、キラは二人いる、と思う」

 花子の言葉に、捜査員たちが、やや興奮した面持ちで顔を見合わせた。

「やりましたね、局長! 月くんも花子ちゃんも、ばっちり正解ですよ!」
「おい馬鹿!」
「え?……あっ」
「……ああ、そういうこと」

 つまり、試されていたのだ。花子も、月も。新たなキラの存在を示唆しなければ、キラとしての疑いが強まる。Lがテレビ出演すれば、新たなキラに殺させることができるのだから。

「考えてあるね」
「恐縮です」

 険悪なやり取りをしたばかりだ。すわ喧嘩かと周りに緊張が走るも、竜崎と花子は、表面上穏やかに言葉を交わした。

「それで、私は何をすればいいの」
「今日の夕方のニュースで、この第二のキラに向け、キラを装ってメッセージを流します。月くんにはその原稿をお願いしているので、花子さんはその手伝いと、放映時、局付近の建物にいた人間のリストを纏めてください。……ああ、気になるところがあれば、掃除していただいて、構いませんよ」

 花子は笑った。目が笑っていないことは、相対した竜崎には知れたことであるが。

「それは、どうも、ありがとう」


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