Scene 08
「花子、いつまでその服着てるんだ?」
「うん?」

 ボスの将来的な右腕として教育を受けるローの毎日は忙しい。花子もドフラミンゴの書類整理を手伝うようになってから以前ほど暇ではないものの、ローの比ではない。そんなローの貴重な休憩時間に、ふたりはダイニングでささやかなティータイムを楽しんでいた。

「そんなに変かなあ」

 クッキーをつまみながら花子が首を傾げる。依然として、花子の格好は初日に着ていた擦り切れきった黒いワンピースだ。

「変ではないけどみすぼらしい」
「正直に言うねえ。一応毎日洗濯はしてるんだけど」
「そういう問題じゃないだろ」

 ローは新しくポットから紅茶を注ぎながら、花子を見やった。

「ドフラミンゴから金貰ってんだろ?」
「ううん、まあねえ」

 ローの言葉に、花子は歯切れ悪く答えた。
 さすが悪のカリスマというべきか、ドフラミンゴは太っ腹だった。花子の仕事と言えば所謂秘書だ。最初のうちは花子を疎んでいたドフラミンゴもその仕事ぶりに失うのは惜しいと考えなおしたのか、花子が戦闘力を必要とされる場に赴くことはなく、彼女は海賊団に属しながらも安穏と日々を過ごしている。それでこれだけの額がもらえていて尚且つ三食おやつ付き、労働時間は昼前から夕食前程度なのだから、花子としては以前勤めていた会社よりもよっぽどドフラミンゴに忠誠を誓いたくなるというものだった。誓う気ないけど。

「でもお洋服をあんまり持ちすぎるのも贅沢じゃない?」
「贅沢も何も、働いた金で買うんだからいいじゃねえか。持ちすぎるっていうよりそれしか持ってねえし、そもそも化粧品だってないだろ?」
「ばれたか」

 花子は肩を竦めて紅茶を啜った。
 ローがせっつくのも、まあわかる。フレバンスにいた頃の花子は、ローの両親の親切心からいつも清潔な服を着られていたし、簡単な化粧だってしていた。そんな花子を見慣れているローは、いまの彼女が薄汚れていることが心苦しくてならないのだ。ローは花子に、ふつうの女性が持っているだろう幸せをできる限り手に入れてほしいと思っている。
 加えて、最近ではローのほかにドフラミンゴが花子の服装に眉を寄せた。見栄えに気を払うドフラミンゴからすれば、花子はキチガイに他ならない。やれ服を買いに行けだ、くれてやろうかだ、最近では煩わしくてかなわなかった。ローの心遣いはありがたく頂戴するが、ドフラミンゴに関して言えば、ほっとけの一言に尽きる。

 花子とて女である。服にも化粧にも関心がないわけではない。しかし彼女が優先するべきは自身の装いよりも、かわいくてたまらないローのことだった。以前、文字通り着の身着のままで何一つ持ち合わせていなかった花子に、充分な生活を送らせてくれたのはローとその家族だ。ロー自身が花子の恩人であったし、恩人たちが愛してやまなかった息子を自分の身より優先して考えるのは当たり前のことではないかと花子は思っている。そのために彼女は金を使わない。花子が得た金はそのほぼすべてが逃亡資金となる予定だった。
 誰に言い寄るわけでもないし、みすぼらしいと評判のワンピースは元の形が気に入っている。不便しているわけでもない。故にのらりくらりとかわす花子を、ローは不満げな目で見つめた。

「それに……」

 ローが言い淀み俯くのを、花子はおっとりと首を傾げることで促した。おずおずと視線を上げたローは、慎重に口を開く。

「おれのせいで我慢なんて、してほしくねえよ……」

 花子はぐっと唇を噛み締めた。
 なんて、いい子なんだろう。信じられないほど辛くて悲しい思いをして、いまだって病気が治らず心細いだろうに、彼が心を砕くのは自身のことよりも花子が快適に生きられるかどうかだなんて。

 度重なる苦難を乗り越えるうち、いつしか自分の身よりもローの安全に執心するようになった花子と、いずれ破滅する自分のことよりも花子の平和を望むローは似て異なる未来を見据えていたが、ふたりがすれ違いに気がつくことは終ぞなかった。唯一ふたりの胸中を垣間見ることになる男は、もしも早くに気がつけていたらと後に嘆くことになるが、それもまだ誰もわからぬ未来のことだ。

 沈黙するローを横目に、花子はポットの中身を確認した。白く、つるりとした形のポットには、あと一杯分の紅茶が残っている。それを自身のカップに注ぎながら、花子はローににっこりと笑いかけた。

「これを飲み終わったら、お洋服を買いに行こうかな。どんなのがいいか、ローくん一緒に選んでくれる?」
「! っうん」

 反射的に、普段よりも子どもくさい返事をしたローは、それに気がついて恥ずかしげにはにかんだ。





▲▽▲






 スパイダーマイルズは治安の悪い島であるが、中心街へ行けば多少なりとも荒くれ者どもは身を潜めるらしい。思ったよりも物騒じゃないなと町を見回した花子は、入団してからアジトの外へ出るのが初めてだと気がついて愕然とした。完全な引きこもりである。職場が近いというのも、どうやらいいことばかりではないらしい。

「あそこの角を曲がるとアイス屋がある。バッファローがよく行くんだ。セニョールが葉巻を買う店はあっち。向こうの通りはたまにコラソンがいるから、花子は行くなよ」
「了解」

 真面目腐った顔で敬礼をしてみせれば、ローは満足げに頷いた。
 花子の手を引いてあれこれと町を案内するローは、いつになく口数が多い。もともと花子相手にはよく喋る子どもであったが、ドフラミンゴ曰く「クソのような目つき」で周囲を睥睨していることの多い彼にしては、ずいぶんと楽しげな様子である。そのことに頬を緩ませながら、花子は大人しくローに手を引かれて歩き、彼が説明する逐一に驚いたり感心したりしてみせた。

 ローが花子を連れてきたのは、表通りから二本外れた小さな路地にある服屋だった。かわいらしい木製の扉を押し開けると、店内には綿や麻などで作られたやさしい色合いの服がはにかみながら身を寄せ合っていた。小さいながらもさっぱりとした、雰囲気のいい店だ。先進国出身の花子は着心地がよく機能性も高い洋服に慣れていたが、この店の物はなかなか合いそうだ。ぱっと顔を華やがせた花子に、自然ローの表情も緩む。

「こんな素敵なお店、よく知っていたね」

 服に興味がないと言っていたのはどこへやら、あれこれと服を広げては身体に当てサイズを確かめる花子は、ローが思っていたよりもずっと楽しそうだ。店の隅に置かれた丸椅子に腰かけてそれを眺めるローは、何でもない風を装って答える。

「べつに。たまたまだよ」

 本当のことを言えば、ローはセニョールに相談し花子に合うだろう服屋をずいぶんと探し回ったのだが、彼はそんなことを億尾にも出さなかった。ただ花子が楽しそうに店内をくるくると回るのを、満たされた思いで見つめる。ローは花子から、いつも貰ってばっかりだ。そんな自分が彼女を喜ばせることができたのが純粋にうれしい。

「ねえ、これどう思う?」

 海色のワンピースを掲げた花子は、ローに向かって首を傾げた。女の服についてローは全く知らなかったが、花子が気に入ったならいいと思う。けれど、ローは椅子から立ち上がり一着のワンピースを手に取って花子に渡した。

「それもいいけど、たぶんこれの方がもっといい」

 ローが選んだのは、生成り色の柔らかいワンピースだ。腰を大きなリボンで締めるようになっていて、たっぷりとした裾がかわいらしかった。きっと風に揺られてふわふわと揺れるだろう。正直、花子に何が似合うのかローにはよくわからなかったが、何となくこの服を着た花子を見たいと思った。
 花子はローからそれを受け取ると、海色のワンピースを棚に戻した。生成り色を身体に当て、再度首を傾げた花子にローは頷いた。花子が笑う。

「決まり。あと、お仕事用にシャツとズボンでも買おうかな」

 興が乗った花子は結局、最初の店でローが選んだワンピースのほかにブラウスとパンツ、スカートを購入し、近くの店で簡単な化粧品もそろえた。花子の買い物にローは根気強く付き合ってやった。そのお礼として花子はローを誘い、二人はアイスクリーム・パーラーに入った。色とりどりのアイスクリームにはしゃぐ花子が子どものようで、ローは笑った。

「ほんとうにありがとうね、ローくん」

 久しぶりにショッピングを満喫した花子は始終ご機嫌だった。ローの前では花子は朗らかな態度を崩すことはなかったが、それでもこれだけ機嫌がいいというのも珍しい。ファミリーの大人たちがこの様子を見たら、きっと驚くだろうなとローは思った。

「お買い物したのなんて久しぶりだから、すっごく楽しかった」
「よかったな」

 ローもまた、満足して花子を見上げる。

「買い物くらい、いつでも付き合うから言えよ。一人じゃ危ねえからな。出かけたいときはおれに言え」
「はあい」

 ぱくりと一口チョコレートアイスを頬張ると、口の中いっぱいに滑らかな甘さが広がった。ローはあまり甘いものを好まなかったが、歩き回って疲れた身体を甘さはやさしく癒してくれた。食いしん坊のバッファローが推すだけはあって、なかなか美味しい。
 花子も、ミルクアイスを頬張りながらにこにこと笑っている。

「またデートしようね」

 朗らかに笑う花子の言葉に、ローはわずかに顔を曇らせた。慌ててアイスを舐めてそれを誤魔化したが、しかし花子は存外目敏い。ローの表情が曇ったことに、花子は不思議そうに首を傾げた。ローはなんだか決まりが悪く、もぞもぞと尻を動かした。

「……花子は故郷に恋人とかいなかったのか?」
「いやあ、まったく。あっちでは休む暇もない企業戦士でしたから」

 私、モテないしねえ。花子は軽やかにそう言うと、アイスクリームをもう一掬い口に入れた。
 たしかに、花子の顔立ちはあまりぱっとしない。全体的に平たい造形であり、幼ささえ感じさせる。以前はそれなりに肉付きのよかった身体も今ではすっかりやせ細ってしまっているし、正直なところコラソンやドフラミンゴが子どもだと勘違いしていたのも、わからないでもないなとローは思っていた。
 けれども花子はいつも穏やかで朗らかで、一緒にいると安心感があった。くしゃりとした笑顔も愛嬌があってかわいいとローは思うし、エキゾチックな色味の肌だってまるで自分と違う世界の人間みたいで魅力的だ。自分がこう思っているのだから、きっと花子を魅力的だと思う男が他にもいるだろうとローは思っている。そして、それがまともな奴であればいいとも。
 穏やかではあるが静かに自分を促す視線に耐えられなくなったローは、手元のアイスクリームを見つめたまま口を開いた。濃いチョコレート色はとろりと艶を帯び、汗をかき始めている。

「おれとじゃなくて、他の男ともちゃんとデートしろよ」
「他の?」

 花子は首を傾げた。他の男だなんて、いったい誰のことだ。ファミリー連中のことか? だったらローには悪いがまっぴらごめん、お断りである。

「もしかしてとは思うけど……トレーボルとか?」
「ちがうっ」

 ローは噛みつくように答え、顔を上げた。けらけらと笑う花子に、目を尖らせる。

「だあよねえ。よかった、トレーボルとか死んでもごめん」
「まじめに聞けよ! そうじゃなくて、海賊なんかじゃない、ちゃんとした相手を見つけろってことだよ!」
「ええ〜」

 子どものように唇を尖らせる花子はアイスクリームをつつくばかりで、まともに取りあおうとしない。ローは苛々と足を揺すった。

「だって花子、どうすんだよ。おれがいなくなっても海賊やるのか」
「……ローくん」

 花子はスプーンをローが持つアイスクリームに延ばした。ちょうど溶けたチョコレートアイスがローの手を汚す前にそれを掬い、口に含む。

「指輪を買おうか」
「は?」

 まったく脈絡のない花子と言葉に、ローは訝しげに眉を寄せた。

「まあまあ、いいからいいから。とりあえずアイス食べちゃおう。溶けちゃうよ」

 そう言ったきり、目の前のアイスクリームに夢中になってしまった花子にローは肩を落として、渋々チョコレートアイスに向き直った。





 アイスクリーム・パーラーを出た花子はローの手を引いて、先ほど見かけた小さなアクセサリーショップへ向かった。女性が身に着ける高価なもの、というよりは十代中頃の少女たちが好みそうな可愛らしい店だ。堂々とした花子とは対照的にローは所在なさげに店内を見回したが、花子は目当ての物を購入するとすぐさま店を出た。そのまま再びローの手を引き、海岸まで歩いていく。

 いつの間にか陽は赤味を帯びていた。青色の波が赤と黄色の光をきらきらと反射する様がとても美しい。涼しい風が通り抜け、ふたりの髪を揺らした。花子の頬が夕日を浴びてほんのり赤く染まるのを、ローはぼんやりと眺めた。

「ローくん、手を出して」

 服が汚れることも厭わず浜辺に腰を下ろした花子は、自分の隣を軽く叩いた。誘われるがままローも腰を下ろす。怪訝に思いながらも花子に手を差し出すと、花子は先ほどのアクセサリーショップで買った袋から小さな指輪を取り出した。何の飾りもついていない、金色に光る小さな輪っか。それを差し出されたローの中指に嵌めてやり、花子はそのままローの手を両手で握りしめた。
 ローの手は病に侵されている。白く浮かんだ斑紋がこの小さな身体を苦しめているのだと思うと忌々しく感じられたが、花子はその手を撫でさすり、軽く口づけた。ローが驚いて肩を揺らす。

「ちょ、花子っ」

 花子の手の中でローの手が逃げるように引かれたが、花子はやさしくその手を掴まえたまま、ローを見つめて微笑んだ。

「病めるときも健やかなるときも、ローくんが大きくなるまできっとこの手は私が守るよ」

 ローの顔が歪む。「どうして……」唇がわななく。彼は一度ぎゅっと顔を顰め、耐えられなくなったように花子の腹に顔を押し付けた。

「どうしてそんなひどいこと言うんだ! おれは大きくなんてなれねえのにっ! どうしてっ」

 その息吹がかかる距離に迫った死に怯えながら生きていくこと。ローは賢い子どもだった。泣いても喚いても現実が変わらないということを、彼は嫌というほど知ってしまっていた。ローがどんなに泣き叫んでも、彼の死期は変わらない。その身体を蝕む病が治ることもない。それをわかっているからこそ、ローは嘆くことをしなかった。けれどもそれは、彼が恐怖を感じていないということではない。苦しくないということではない。

 本当は、未来の話をしてみたかった。あたりまえのように大人になることを信じて疑わないバッファローとベビー5を見ているのが辛かった。胸が掻きむしられるほど羨ましかった。父のような大人になりたかった。
 もし、自分が大人になったら。父も母も背の高い人だったから、きっと身長は高いだろう。花子と目線を合わせるには、今度は自分が膝をつかなければならないかもしれない。いまよりも歳を取った花子は、けれどきっと今と変わらず笑ってくれる。その手を引いて歩けば、子どもと大人の散歩ではなく、大人同士のデートに見えるだろう。コラソンの暴力からだってなんだって、きっと自分が守ってやれる。大人にさえ、なれたのなら。

 けれどもそれは叶わない。ローの夢は、ロー自身を苦しめた。花子の腹に顔を伏せ、ローはその服を千切れんばかりに握りしめた。

 震える身体。花子は殊更やさしくその背に手を当てた。その小さな身体が抱える苦しみは、一体いかほどの物なのか。花子はそれをわかってやれない。想像することしかできない。

「どんなに怖いか、苦しいか、私きっと半分も理解してあげられていないよね。ごめんねえ。けどね、ローくん。私はきみの未来を諦めたくなんかないよ。いつか大人になったローくんを見たいよ。だから、ローくんにもローくんの未来を諦めないでほしい」

 なんて自分勝手なんだろうと花子は思う。いっそのこと、自分の命をあげられたらどんなによかったか。白鉛病が本当に伝染病だったならと思ったことさえある。そうしたら、きっとローと同じ病にかかって死ねただろうに。

 誰に告げる気もないが、花子はローの病気が治らないのであればその最期を穏やかに看取り、死ぬつもりだ。花子は疲れていた。血や争いとは縁のない世界に生まれ育った花子は、この世界に馴染むには完成しすぎていた。ローに言わなかったことであるが、スパイダーマイルズに至るまでの旅路は酷いものだった。何度舌を噛み切ろうかと思ったか知れない。それほどの目に合った。地獄だった。花子もまた、病んでいる。ローがいなくなれば、彼女がこの世界に生きる理由は何一つない。

「約束するよ。どんなことがあっても、私はローくんの手を離さない。ローくんが生きられる未来に、全力を尽くすよ」

 指輪はローにぴったりだった。まだほんの子どもだというのにローの手はごつごつしており、花子の手と大きさもそう変わらない。大きくなる証拠だ。彼女はそれを愛しく思う。

「だからきっと、いっしょに生きて」

 花子の腕の中で涙を流しながら、ローはやがてこっくりと頷いた。花子はそれに、黙って微笑む。


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