Scene 06
 花子がファミリーに入ってから二週間が経った。
 ドフラミンゴから部下にするとは言われたものの、ロシナンテが彼女を任務に連れていくことはなく、花子は拍子抜けするほど平穏な日々を過ごしている。やることと言えば、ローの訓練や勉強の合間に話し相手になったり、バッファローがアイスを食べすぎるのを注意したり、ベビー5の髪を結ってやったりくらいなものだ。

「もはやバカンス……」

 あの馬車馬のように働いていた日々が懐かしい。
 祖国でいわゆる社畜であった花子は遠い目をした。とはいえフレバンスにいた時も、ローとラミの遊び相手のほかは簡単なお使い程度しかしていなかったのだが。もう週五勤務なんてできないなと思う。

「シニョリータ、使いを頼んでもいいか?」
「セニョール、何か私にできることがありますか?」

 きざな言い回しに、ダイニングで紅茶を飲んでいた花子は立ち上がった。ひどく気取った会話になってしまったが、この男、名前がセニョール・ピンクというのだから致し方ない。
 ダイニングに入ってきたセニョールは、たった今任務から戻ったばかりなのだろう。いつも通りピシッと決まっているものの、その足元は血と泥で汚れている。それに気がつきながらも、花子は何食わぬ顔で応対した。セニョールが封筒を花子に渡す。仕事がなく暇をしている花子を気遣って、セニョールはこうしてたびたび簡単な用を言いつけてくれる。

「こいつを若のところへ届けてくれ。急ぎでな」
「かしこまりました」

 頷いて受け取ると、花子はすぐさまダイニングを出た。自分に頼む程度だからきっとたいしたものでもないだろうが、頼まれたからには急ぐべきだ。役に立たない自分はこういった些事で根気よく信頼を積み重ねていくしかない。

 ドフラミンゴの部屋はダイニングからさほど離れていない、一等大きな部屋だ。執務室とプライベート・ルームがコネクティング・ルームになっており、それぞれが馬鹿みたいに大きいものだから、ここら一帯はドフラミンゴのフロアと言っても過言ではない。3mの大男に似つかわしく巨大なドアをノックして、返事を待ってから花子は純金のノブを捻った。

「失礼します、若君。セニョールからの書類をお届けに参りました」
「フッフッフ、ああ、ご苦労」

 ドフラミンゴは執務机にふんぞり返り、尊大な態度で花子を迎えた。けれども花子が気に留めたのは、そんなところではなかった。

「……失礼ですが若君、これは一体……?」

 部屋中に散らばる紙、紙、紙。花子の背丈ほど積まれた山もあれば、それが崩れたのだろう散乱した後もある。目を白黒させる花子に、ドフラミンゴは例のごとく笑ってみせた。

「秘書がいなくなっちまってなあ。まったく参ったもんだ」

 ドフラミンゴは元来、片付けができない男である。というよりは、自分で何かを片付けるという思考がない。彼が仕事をするにあたって秘書の存在は必須であり、当然非常に有能な秘書がドフラミンゴにはいた。けれどもこの秘書、残念なことに、花子が入団する三日ほど前にドフラミンゴの機嫌を損ね、グラディウスに連れていかれてしまっている。連れていかれた先で秘書がどのような目にあったかは、割愛するとして。
 それ以降、新しい秘書を探さねばと思ってはいるもののなんだか億劫で、放っておいているうちに部屋がこんな有様になっていた。さすがにそろそろ不便を感じてきたのだが、生憎秘書の当てはない。

 ふと、ドフラミンゴは花子に目をやった。値踏みをするように、サングラスの奥の視線が花子の頭から爪先までを眺めまわす。

「フフフ……、おまえ、この部屋を少し片づけちゃくれねえか」

 最初こそ、花子の感情を映さない目に興味を覚え入団を許可したものの、ドフラミンゴは花子が煩わしかった。思いのほか、ローが花子に甘えを見せ、花子とともにいることで安寧を感じているためだ。世界を睥睨するローの憎しみを塞き止めてているのは花子だった。では、ローから花子を奪ってしまえば? 唯一の拠り所を失えば、ローはさらに世界への憎悪を煮詰めるに違いない。

 だからこそ、ドフラミンゴは花子をコラソンの下に就けた。身を守る術すらロクに持たない花子がコラソンの任務についていけば、それはすなわち死を表す。子ども嫌いのコラソンならば、わざわざ庇ってやるようなこともないだろう。そう踏んでいたのだが手違いがあり、花子はコラソンの任務に就いていくことなく、アジトでのんびり暮らしている。

 ならば、別の理由で殺してしまえばいいのだ。いまこの場で首を飛ばしてやってもいいのだが、理由もなく殺せばローがドフラミンゴに反発しかねない。それはドフラミンゴの望むところではなかった。となれば、適当に裏切りの罪でも着せてやるのが妥当だろう。ドフラミンゴの許可なく書類を盗み読み、情報を漏らした。ファミリーを、引いてはローを裏切ったために処罰した。理想的な理由だ。

 花子はドフラミンゴの言葉に驚きを見せず、ゆっくりと静かに頷いた。相変わらず、その目に感情はない。けれどもドフラミンゴは、その中に従順を見つけた。そもそも何の力も持たない女だ。ドフラミンゴに逆らおうなんて大それたことなど夢にも思わないだろう。

「かしこまりました、若君。整理のために、少々書類に目を通しても?」
「ああ、構わねえよ」

 ここの書類はドフラミンゴの悪事がこれでもかと書き留められたものばかりではあるが、どうせ殺す存在だ。読まれたところで問題はないだろうと、ドフラミンゴは笑いながらそれを了承した。





▲▽▲






 まずった。これは、非常にまずい。

 スパイダーマイルズのセンター街を忙しなく歩き回りながら、ロシナンテは頭を抱えた。どたばたと大男が慌てて歩く様は異様であり、何事かという視線がその身に注がれるも、それらを意に介することなくロシナンテは歩き回る。

 一週間ほど外に出ていた。理由はドフラミンゴに言いつけられた金の回収と武器密輸の取引だったが、ロシナンテは長期任務が嫌いではない。アジトを離れている間はそう気を張る必要もないし、海軍本部との連絡も取りやすいからだ。意気揚々と任務に出かけたロシナンテはしかし、任務先で己の失態に気がつき青ざめた。ないのだ、どこを探しても一向に見つかる気配がない。

 海軍証をなくした。

 気がついた瞬間、ロシナンテはざあっと血が引く音を聞いた気がした。普段のドジとは比べ物にならないほど、非常にまずい事態である。ドンキホーテ・ファミリーに潜入してからというもの、ロシナンテは海軍証を肌身離さず携帯していた。万が一部屋を捜索でもされた際に見つかれば、終わりだからだ。普段どんなにドジを踏んでいたって腐っても海軍中佐、任務に支障が出るようなことはしなかったというのに。
 問題は、どこで落としたかわからないことだ。任務先ならまだ問題はない。ファミリーやそれに関連する者にさえ拾われなければいいからだ。今回の任務先はスパイダーマイルズから距離があるため、そういう商売に関わっていない限りドンキホーテ・ファミリーの顔など知りやしないだろう。誰か善良な一般市民が拾ってさえいてくれたら万々歳である。
 しかし、そんな楽観視していられる状況でないことはロシナンテも充分理解していた。任務先の島で目を皿のようにして探したが見つからず、化粧を落として交番に出向いても見つからず、スパイダーマイルズを練り歩いても見つからない。残るはアジトだが、もしアジトに落としていた場合、帰った瞬間に殺されるだろう。これ以上ない裏切りの証拠だ。

 ロシナンテはこの件を、自身の上司であるセンゴクにまだ報告していなかった。怒られるのが嫌だというわけではなくて、いやそれも嫌なんだけれど、もしここで身分がばれた可能性があると言えばすぐさま撤収させられるからだ。そうなればロシナンテはドフラミンゴを追うことができなくなり、奴の悪事はさらに歯止めが利かなくなってしまう。ロシナンテは拳を固く握りしめた。そんなことは、あってはならない。

 報告するべきか否か、ひとしきり迷ったロシナンテは結局報告せず、アジトに足を向けた。懐に忍ばせた銃のセーフティは外しておく。意を決してアジトに足を踏み入れたロシナンテを迎えたのはディアマンテだった。

「おう、戻ったかコラソン」
≪ああ≫

 ロシナンテは注意深くディアマンテを観察した。別段普段と変わったことはないように思える。

≪ドフィは?≫
「ドフィなら執務室じゃねえか?」
≪わかった≫

 会話を切り上げて立ち去る。背を向けてもディアマンテがロシナンテを攻撃する様子はなく、彼はそのままどこかへ立ち去った。ロシナンテは胸を撫で下ろした。どうやらまだ自分が海兵であると露見していないらしい。
 しかし油断は禁物だ。ドフラミンゴが海軍証を拾い、それを誰にも告げていない可能性も考えられた。他のファミリーがそんなものを拾ってドフラミンゴに黙っている理由はないだろうが、ドフラミンゴ本人が拾ったのであれば話は別だ。誰にも言わず、まだ手元に持っている可能性がある。

 ドフラミンゴの部屋の前で、ロシナンテは逸る心臓を押さえるように深呼吸をした。ぐっと気合を入れ、扉を叩く。質のいい木がコンコンといい音を立て、その数秒後に「入れ」と声がした。純金のドアノブを回す。
 そこでロシナンテが目にしたのはきれいに整理整頓された紙の束たちと、執務机に頬杖をついて書類にサインをするドフラミンゴ、そのすぐ脇でサイン済みの書類を受け取りわかりやすいようファイリングしている花子だった。

 ……いったいどういう状況だ?

 目の前の光景に、ロシナンテは必死で頭を回転させる。が、花子がなぜこんなところにいるのか、見当もつかない。一方花子は落ち着き払った様子でロシナンテに声をかけた。

「おかえりなさいませ、コラソン様」
≪ただいま≫

 反射的に挨拶を返してしまう。いやそうじゃなくって、

≪どうして こいつが ここに?≫

 この部屋には重要な取引に関する書類が山とあるはずだ。そんなところにドフラミンゴが花子を入れるとは思えない。
 差し出されたメモを一瞥して、ドフラミンゴは鼻を鳴らした。大層つまらなそうな様子である。

「秘書がいねえもんで代わりにこいつに整理をさせたんだが、これが思いのほか使えちまってなあ。書類の仕分けやらなにやらまで完璧ときてる。参るぜ」
「故郷では事務仕事を生業にしていたものですから」

 事も無げに花子が答える。実際、花子の会社は社内の公用語が英語であったため英文の書類を整理することが苦にはならなかったし、書類の数が多いと言えどドフラミンゴは頭の回転が速く、使えない上司にサインが必要な書類をより分けてやるよりもずっと楽だった。本来ならばこれにエクセルの複雑な式を用いた計算やらデータ整理やらがプラスされていた上に、海賊とはすなわち個人事業である。面倒な社内規則もないために、書類仕事も比較的簡単だった。ちなみに、書類整理の傍ら花子は書類にしっかり目を通し、やばそうな情報をいくつか収集している。もしここから逃げるとき何が役に立つかわからないからだ。生き抜くことこそプライドだと割り切ったOLは逞しい。

 本来の用事も忘れて唖然としていたロシナンテは、慌てて回収してきた金の袋をドフラミンゴの前に置いた。革袋の中で、金貨が重たげな音を立てる。中身を確認したドフラミンゴは機嫌よく笑って、気前よくふたりに金貨を投げた。

「フッフッフ、ご苦労だったな、コラソン。おまえも取っておけ、褒美だ」
「ありがとうございます、若君」

 花子は恭しく頭を下げると、金貨をポケットにしまい込んだ。

「それで当面の支度を整えるといい。服もまともに持っていねえようだからな」

 たしかに、とロシナンテは花子を見やった。花子の服は洗濯こそされているが擦り切れており、初日に着ていたものと同じだった。花子は頷いて頭を下げる。

「それでは若君、明日は十時ごろお伺いすればよろしいでしょうか?」
「ああ、よろしく頼む」
「かしこまりました」

 花子は深々と一礼をして二人に背を向けた。けれども何かに思い至ったように「そういえば」と声を上げると、くるりと身体を反転させてロシナンテを見上げた。珍しい色をした虹彩がじっとロシナンテを見つめる。

「コラソン様、大変恐縮なのですけれど少々ご相談したいことがございまして。お時間いかがですか?」

 ロシナンテが答える前に、ドフラミンゴがひらひらと手を振った。

「連れて行ってかまわねえよ」
「恐れ入ります」





▲▽▲






 花子の小さな背中が前を歩くのを眺めながら、ロシナンテは心の中でしきりに首を傾げていた。

 ドフラミンゴはロシナンテが裏切り者であると気がついた様子はなかった。ディアマンテの様子も鑑みると、ファミリーには海軍証は拾われていないと考えていいだろう。ロシナンテがアジトを離れてから一週間だ。ファミリーに拾われていないのなら、落としたのはここではないと考えた方がいい。

 しかし、花子は一体自分に何の用があるというのか。自慢ではないが、ロシナンテは花子に嫌われていることを自覚していた。花子本人に加え、ローもロシナンテに花子を会わせようとしない。そもそもまともに会話をしたことさえないような気がする。そこでロシナンテは二週間ほど前のことに思い至り、顔を顰めた。まさか自分が殴りつけたせいで、酷い怪我でもしてしまったのではないか。

 花子がロシナンテを連れてきたのは、人気のない一角で、以前二人が出くわした物置にされている部屋が連なっている場所だった。その一室の扉を開け、花子が入る。ロシナンテもあとに続いた。埃っぽい部屋には古びた武器が雑多に詰め込まれており、窓から差し込む日を浴びた埃が、きらきらと光っている。
 花子は窓に背を向け、ロシナンテを振り返った。花子の背丈は大人というには随分と小柄だ。ロシナンテの半分ほどしかなく、見上げるのは大変だろう。けれどもしゃんと背筋を伸ばし、花子はロシナンテを見上げている。さて何を言われるのやら、とロシナンテはじっと花子を見つめ返した。これで二十歳を幾年か過ぎているというのだから、彼女の故郷は小人族か何かの血縁なのだろうか。

「コラソン様、お仕事お疲れさまでした」

 花子は先ほどドフラミンゴにしたように、深々と頭を下げてみせた。

「お疲れのところ、無理を言って大変申し訳ありません」
≪べつに かま≫
「ですが急を要することだろうと思いましたので、無礼を承知でこうしてお付き合いしていただきました」

 ロシナンテがメモを書き終える前に、花子は淡々と言葉を続けた。ロシナンテは手を止めて花子を見下ろす。頭を上げた花子はポケットに手を入れて、取り出したものをロシナンテの眼前に翳して見せた。ロシナンテの顔が青くなる。彼女が取り出したのは、先ほどの金貨ではない。

「それではお時間もいただけたことですし、少々お話でも致しましょうか。ドンキホーテ・ロシナンテ中佐殿」

 おまえかよ!

 ロシナンテは叫びたかった。花子の目は凪いでいる。


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