Scene 02
 まじで。まぁじで怖かった。怖すぎて禿げ上がるかと思った。実際髪が抜けた気がしなくもない。

 自身に割り振られた部屋のベッドで、花子はようやく肩の力を抜いた。緊張のし過ぎで肩が凝ったし、何なら頭痛さえしている。

「身長が3mとか意味わかんなすぎ。つーか意味わからんのが多すぎて、あれほんとに人間か? サファリパークかと思ったわ」

 べつに花子だって、好きで海賊団なんか相手に千と千尋ごっこがしたかったわけではない。できればやりたくなかった。そもそもお近づきになるつもりなんかなかった。

「越谷って言っても、海外の人には伝わらないよね。東京って言えばよかったかな」

 まあどちらでも結果は同じだったろうと花子は思う。

 とんとん、と控えめなノックの音に花子は重たい身体を起こした。「どうぞ」声をかければ、遠慮がちに扉が開く。予想通りの訪問者に、花子は微笑んで両腕を広げた。

「ローくん」

 恐る恐るといった態で顔を覗かせたローは、広げられた両腕を見て一瞬迷うような素振りをし、すぐにぱたぱたと駆け寄った。花子はその小さな身体を抱きしめる。ローは花子の首筋に、顔を埋めるように擦り寄った。

「……生きてたんだな」
「まあねえ。我ながら悪運が強いったら」
「よかっ、た」

 首筋を濡らすあたたかい雫に、しゃくりあげるような声色。ローの小さな手がぎゅうと握りしめているため、花子の服には皺が寄っている。しがみつくローの背中をやさしく叩いてやりながら、花子はローの気が済むまで好きにさせてやることにした。

 気がついたらJR越谷駅から見知らぬ街にワープしていました、そこは白い街と呼ばれていてとある病気が流行っていて、世界政府に滅ぼされましただなんて、一体誰が信じてくれるだろうと花子は思う。自分だって半信半疑なくらいだ。誰かがこんな話をしてきたら、完全に頭が可笑しい奴だと思うし、病院を勧める自信がある。
 ごく一般的な疲れたOLである自分が、どうしてこんな目に合っているのかはわからなかったが、花子がこの世界にやってきてからもう二年が経とうとしている。最初の頃は必死で帰る方法を探していたのだが、途中でそれどころではなくなった。戦渦に巻き込まれたのだ。見も知らずの自分を救ってくれた医者夫婦の家に厄介になっていた花子とローの付き合いも、二年になる。

 フレバンスが政府の手によって滅ぼされたとき、花子は泣き崩れるローの手を取って無我夢中で走った。島を離れなければ命がないと判断し、崩れかけた納屋にローを押し込んで、島中から食料をかき集めて旅支度を整えたのも花子であれば、死体を積んだ船にローを潜り込ませ、囮となって島に残ったのも花子だった。当時のことを思い出すたび、花子は自分自身に感心する。我ながら、大活躍だった。近代文明に慣れた身でありながら、なかなかどうしてサバイバル向きじゃないか。

「どうやってここに?」

 まだしがみつく手を緩める気配はないものの、少々落ち着いたらしいローが花子を見上げる。その目元のクマを撫でてやりながら、花子は軽く首を傾げた。

「それが必死で、あんまり覚えてないんだよねえ。ローくんみたいに死体の山に潜り込みたかったんだけど、生憎死体船がなくってさ。仕方がないから適当な船の樽に隠れてたんだけど、いやあ一週間近く食べないのは死にそうだった」
「よく無事だったな」
「そうね、まあほぼほぼ樽の中で寝てたし、途中で捨てられなくてほんとよかったよ」

 ローくんも見つけられたしね。花子の言葉に、ローはバツが悪そうに顔を顰める。

「うん? どうかした?」
「……食料、おれに全部くれたんだろ」
「ああ、まあね」

 なんだそんなことか、と花子が笑うのを、ローは不機嫌に睨みつけた。

「でもあれ、ほとんどパンだったしねえ。ローくん、パン嫌いでしょう。ちゃんと食べられた?」
「自分の分、なんでちゃんと残しておかなかったんだよ!」
「……そこはまあ、私は大人だし」

 噛みつくようなローの剣幕に、花子は困って眉を下げる。

「ちょっとくらい食べなくても平気だもの。ちょっと痩せちゃったけど、もともと肉付きは良い方だったしねえ」
「めちゃくちゃ痩せてんじゃねえか」

 悪態を吐きながら、ローは薄くなった花子の背中を確かめるように撫でた。
 ローが覚えている花子は、ふっくらとした柔らかそうな女性だ。いまの花子はすっかり痩せてしまい、手足だって棒のようになっている。ローと別れた間に十分な食事にありつけなかっただけでなく、随分な苦労があったことだろう。そもそも、あの街からローを逃がすために花子がどれだけのことをしなければならなかったのか、ローは正しく理解していた。

「……心配、したんだからな」

 ぎゅっと眉間に力を入れる。これ以上泣き顔を晒すのは嫌だった。

 海辺で倒れている花子を見つけ、家まで連れて帰ったのはローだ。行く当てのない花子を家に置くことになってから、花子はローとラミのいい遊び相手だった。花子は常識とも呼べる知識を知らないことが多かったが、ローたちが知らないことを多く知っていた。花子が話す魔法のような話を、妹は無邪気に喜んで聞いていた。勉強をするふりをして、ローも花子の声に耳をそばだてたものである。

 ローは花子に、いろいろなことを話した。両親には言えないようなことでも、不思議と花子相手なら口が軽くなった。父を尊敬していること、気になる女の子がいること、未来が不安なこと。花子はいつだって凪いだ海のようにローの話を聞いていた。ゆっくりと瞬きをし、深く頷いてくれる花子が、ローは好きだった。
 いい関係を築けていたとは思っている。けれどもまさか、自分のために命をかけてくれるだなんて思ってもみなかった。花子は白鉛病を患っていない。足手まといの子どもなど見捨てて、さっさと逃げることもできたはずなのだ。

 あの悪夢の日、病院が燃え、家族を失い泣き叫ぶローの手を、花子は厳しい顔をして引いた。「いまは、できる限りのことを」そう言ってローを庇いながら島中を逃げ惑い、命を懸けてローを守ってくれた。ローは覚えている。隠れていた納屋に入ってきた海兵を、花子が撃ち殺したときのことを。「……まさか、人を殺すときがくるとはね」事切れた海兵を見つめる花子は茫然と呟いた。「人生ワンダフルすぎでしょ……」猟銃を持つ手は震えていた。けれども花子は泣かなかった。

「私も心配したよ。海賊団ってなんなのさ……」

 大きなため息を吐いて、花子はローの頭に顎を乗せた。

「なあに、あいつら。怖すぎじゃない?」
「びびってなかったくせに」
「超絶びびってたわ」

 軽口を叩きながら再度小さな身体を抱きしめると、ローも精いっぱいの力で花子を抱きしめ返した。その可愛らしい力に花子は安堵する。初めて人が死ぬところを目の当たりにしたあの日、せめてこのぬくもりだけは守れたのだとようやく実感ができた。泣きたかったが、子どもの前で泣けば子どもはもっと不安になる。花子はなんとか、震える息を吐きだすだけに留めた。その代わり、ローを抱きしめる力を強める。

「ローくんがちゃんと逃げられて、また会えて、ほんっとうによかったよ。これで海賊団なんかじゃなくって、ふつうのお商売人さんとかだったら最高なんだけどなあ」
「ドフラミンゴは海賊だぞ。質が悪い方の」
「だあよねえ」

 だってあの人めちゃくちゃ怖かったもの。ピンクのコートなんて着ちゃってたもの。

「何ができるかって聞かれて、私なんなりとって言っちゃったよ。どうしよっかなあ」
「えっ」

 ローが驚いた声を上げて、花子から身体を離した。まじまじと花子を見つめ、呆れたようにため息を吐く。

「馬鹿だな。何やらされるかわかんねえぞ」
「……だあよねえ」

 OLなもんで、簡単な経費の計算ぐらいしかできないんですけどね。電卓早打ちしか特技ないんですけどね。
 ローと一緒に、花子も大きなため息を吐いた。人生ってほんと、ワンダフル。


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