Scene 16
「ロシナンテ中佐は、どのような方なのですか?」

 花子は顔を上げた。凪いだ目でハングスを見上げる。

「それは、どういった意図のご質問でしょうか」

 まったくやりにくい女だ。ハングスは胸中で歯噛みした。
 コラソンを捕らえるために町中に出たはいいものの、収穫はない。そもそも、ハングス以外の人間は、島に潜り込んだ海賊がドンキホーテ・ファミリーの人間であることさえ知らないのだ。共有している情報は、島民からの通報により、海賊が浸入したとの知らせがあったこと。海賊は拳銃を所持していること。派手な装いをした、大柄な男であること。以上三点である。これでは目撃情報を得ようにも要領を得ない。進まない捜査に緊張感は緩み、班員たちはまるで世間話と紛うような気楽さで、島民への聞き込みと、無用な外出を控える旨の伝達をしている。

「意図と言ってしまうと、私が何やら悪だくみをしているように聞こえますが」

 困っている、と言外に示すよう、少佐は眉を下げて花子に微笑みかけた。

「単純に、素晴らしいご経歴だと思いまして。まだ二十も半ばだというのに本部将校とは、さぞ優秀な方なのでしょう」

 少佐が見たところ、ロシナンテはただのとろくさい大男だ。コーヒーは熱くて噴き出すし、煙草を吸おうとすれば小火騒ぎだ。あんな人間が海軍本部で将校の座を得ていることを考えると、いっそ眩暈すらしてくる。
 ただ、測りきれない人物であるというのも事実だった。視察というからには、てっきり自分についてくると思っていたが、ロシナンテは部下に少佐の班を任せると、軍曹の下へと行ってしまった。少佐にとってこれは、本部将校の目を盗んで大物海賊を捕まえるというハードルが下がったのだから、喜ぶべきことだ。けれども、こうも上手く事が運ぶものだろうか。

 ロシナンテの代わりに少佐の班に同行する花子は、非常に読めない女であった。身体つきからも、戦闘力があるとは思えない。であればよっぽどの切れ者なのかと思えば、必要最低限以上のものを声にも表情にも表さないため、何を考えているのか推察する手立てもない。
厄介なのは、この女が、視線の運び方が非常にうまいことだった。人間は生きているだけで多くの情報を発信している。表情、声色に加え、目線や動作などは、その人物がどんな人間であるのかを推察する手掛かりとなる。少佐はそうとは悟られぬよう慎重に、しかし具に花子を観察した。彼ら二人は、この島に訪れるのが初めてだという。ならば、何かしら物珍しげに眺めることがあってもいいはずだろう。
 花子が目を止めるものと言えば、前を行く海兵たちか、それに応答する島民。もしくは少佐しかない。彼女は自身の興味の対象や思考の一途を、徹底的に悟らせなかった。観察しているのはこちらであるはずなのに、可笑しな色をした虹彩にじっと見つめられると、己が観察されているようで、腹の底から焦燥と嫌悪が湧き上がってくるようだ。
 少佐の言葉に、花子は一瞬動きを止めた。思案するように目を伏せ、すぐにその瞳を少佐へと戻す。

「私も詳しいことは。ロシナンテ中佐の隊に配属されたのも、ここ最近の話ですので」
「おや、そうなんですか」

 会話を弾ませるため、大げさなくらいに驚いた顔を作ってみせる。

「隊に移って日が浅くとも、中佐自らが視察に同行させるとは、ずいぶんご期待されていらっしゃるんですね」
「私が一番、火を消すのが上手いからでしょう」

 花子は世間話に取り合うつもりがないのか、素っ気なく肩を竦めただけだった。平たい造形の顔は一切の表情を乗せることなく、ただ不愛想に少佐を見上げるばかりである。心中を穿つような視線が煩わしく、「なにか?」と尋ねた少佐には、幾許かの苛立ちが含まれていた。「いえ」ふいっと、花子は視線を逸らす。

 やりすぎてはいけない。あまり苛立たせて逆上でもされれば、花子では太刀打ちできない事態になる。自身の安全を守れる範囲で、少佐の集中力や判断力を削り取る。それは非常に繊細な作業であったが、花子は空気を読み、相手の心情を推し量ることを半ば強制された社会の出だ。そう難しいことではなかった。少なくとも、ロシナンテよりは向いている。

 前を歩く海兵たちを眺めながら、さて、と花子は思考を巡らせた。向こうが計画通りに行っているのなら、そろそろ自分はこの悪人を島の外れにでも連れて行った方がいいだろう。船を見つけさせ、適当に辺りを捜索するよう促してやるか。

「あまりご心配なさらずとも。彼はああ見えて海軍本部中佐ですので」

 若くして、と厭味ったらしく言い添える。

「この島はあまり大きくはない。賊の一匹ぐらい、簡単に首を取ってみせましょう」





▲▽▲






 一体何のために。軍曹は己の思考を微塵も滲ませないよう、注意深く取り繕いながら、全神経をロシナンテに向けた。随分高い背丈の、上から降ってくるような視線は、一体何を目的としているのか、測りかねている。

 軍曹は、生まれついての軍人気質だ。弱きを助け、悪を挫く。そういった父の背を見て育った。彼は海軍が正義そのものであることを疑わなかったし、生まれ育った島で、島民たちの生活を守れることが誇りだった。
 軍曹が海兵に就任したころ、彼の故郷は荒れていた。夜毎に道は汚くなり、襤褸を着た老人や子どもが蹲る。寒い日にはそのまま、凍った彼らを足蹴にして歩く者もいる。特産品のおかげで街は潤っているように見えたがその実、大きな工場主たちが金銭を独占するために、島民はみな貧しく、飢えていた。貧しさによって島民の心は荒み、虐げられた弱い者が、さらに弱い者を虐げる。
 それが、どうだいまでは。島は見違えるように再生した。美しく整えられた街路、道行く女子どもの笑い声。それらはすべて、かつてのサムイスでは見られなかった光景だ。軍曹が望み、願ってやまなかった故郷の姿だ。これを現実にした男の下に配属されたとき、彼は浮足立つほど嬉しかった。

「……ロシナンテ中佐は、いったいなぜ海軍に?」

 騒がしい部下たちの動向をのほほんと見守っていた男は、軍曹の言葉に首を傾げ、彼に目を向けた。「おれか?」自分を指さすその顔は、軍曹から見ればあどけないほどに若い。

「うーん、育ての親が海兵で、憧れたっていうのが大きいな」
「それは、よくわかりますね」

 私の父も海兵でした。そういうと、ロシナンテは相好を崩してにっかりと笑った。「立派なオヤジさんだったんだな」「ええ、私の誇りです」自然、軍曹の頬も緩む。

「あとは、あれだ。単純に、弱い奴らがやられてるっていうのが許せなかった。おれは単純だから、弱い奴らがやられていれば、可哀そうだなって思うし助けてやりてえ。むかしおれも、助けられたから」
「……そうでしたか」

 微笑むロシナンテは眩しかった。軍曹は、目を細めて彼を見上げた。軍曹は今年で四十になる。自分らの次を担うだろう若き世代の者が、このような気質を持っていることを素直にうれしいと思う。

「ロシナンテ中佐は、ご立派な海兵でいらっしゃる。親御さんも、さぞかし誇らしいでしょう」
「ははっ。それはどうだろうな。おれは出来が悪いから」
「なにをおっしゃいます。その御歳で海軍将校になど、なりたくてなれるものではない」

 穏やかな天気だった。サムイスはこの時期、季節風のためにひどく冷える。けれども今日は風も弱く、太陽が顔を覗かせているために、軍服のかっちりとした襟元が煩わしいくらいだ。

「そうだ。おれもひとついいか」
「なんでしょう」

 前で、班で一番若いニーヴァが島民の老婆に声をかけているのが見えた。これは島に潜り込んだ大物海賊の捜索だというにも関わらず、あまりに軽々しい様子に、自分たちの責務を再度言い聞かせなければならないなと考えながら、軍曹はロシナンテに頷いた。

「あんたは気がついているのに、どうして少佐を討たないんだ?」

 本当に、のどかな光景だ。班員に気さくに話しかける島民たち。それに応じるかわいい部下たち。年若いニーヴァは島民から子どものようにかわいがられ、休みの日でも力仕事を気前よく請け負ってやるジェフィスは、誰からも慕われている。部下たちは振り向かない。彼らはまるで、軍曹らの様子に気がついていない。
 思わず止めかかった足を、ロシナンテが促す。「足を止めるなよ。気づかれねえように」潜んだ声に含まれた殺意。つい先ほどあどけないとさえ思った男は、その表情のまま、視線だけを重く凍らせて軍曹を見下ろしている。「わかるだろう。あんたの答え次第では、おれはあんたを許しちゃいけねえんだ」とん、と軽く軍服の上から触れる固いものがあった。ロシナンテは駐屯所から借り受けたコートを着て、ポケットに手を差し込んでいる。そこに彼が自身の獲物をしまうのを、軍曹は見ていた。

「な……」

 軍曹は、大きく唾を飲み込んだ。声が震えるのを、己を叱咤して押しとどめる。

「何の話でしょう」
「昨日、駐屯所に汚ねえガキが来ただろう。あれは花子だ。おれと一緒にいた、あの女だよ」

 あの哀れな少女。昨夜のことを思い出す。言われてみれば、花子は子どものように線が細く、華奢な体格をしていた。化粧を落とし、着るものを変えたと言われたら納得がいく。

「あれでなかなか鋭い女でなあ。もう、この島のマフィアと少佐の野郎が癒着していることはわかってる。で、マフィア連中と手を組んでるのは少佐だけだろうと踏んでいたんだが、あんたがそれに気がついているっていうのは、さっき知った」
「……一体どこで」

 軍曹は両手を強く握りしめた。ボロを出したつもりはなかった。

「暴行事件の話をした時だな」

 ちなみに、視察っていうのは嘘だ。のんびりと、ロシナンテが言う。

「おれとしちゃ、あんたが知っているっていうのはありがたいんだ。なんせ、騙す必要がなくなるからな」

 軍曹が少佐の裏の顔を知っているか否か。これは作戦の内でも大きな分岐点だった。知らなければ、軍曹を騙してマフィアを討ち、知らないうちに少佐を裏切るという構図を作る必要があるが、知っているのなら単純に裏切らせるだけで事は済む。
 軍曹に関し、花子は確率を五分だと言った。けれどもロシナンテは、初めて見かけたときから軍曹が少佐を疑っていることをほぼ確信していた。壇上で海兵たちに語り掛ける少佐を見上げる、鋭い視線。あれは信頼ではない。綻び一つ見逃さないという疑心だった。

「単純に疑問なんだよ。あんたは気づいてる。なのに少佐をのさばらせたままだ。だが暴行事件の被害者を心配する素振りは見せる。これは一体どういうことだ?」

 軍曹は、歯を食いしばった。
 この島が平和になればいい。みんなが笑顔で、安心して暮らせるといい。幼い頃から見ていた夢だった。それが現実になった時、それを現実にした男と働けることを、本当に、心の底から喜んだ。しかしそれらは幻だった。そして、それが幻覚であることに気がついたのは、己だけだった。
 どれほど愕然としただろう。どれほど幻滅しただろう。どれほど、悪を討ちたいと願っただろう。

「……少佐があの事件の黒幕だったとして、あの男がこの島の治安を回復させたという実績は消えません」

 食いしばった歯の隙間から、絞り出すようにして声を押し出す。何度も己に言い聞かせた台詞だった。

「サムイスでは、誰もがあの男を尊敬し、感謝している。あの男がいなくなれば、この島はまた以前のように、荒れ果てた町へ戻ってしまうかもしれない。そうなれば、一体どれだけの人間が血を流すか……!」

 軍曹は一人で暴行事件を追い続けた。その熱心さ、もはや妄執と言ってもいいほどのめり込んでいる彼に対し、周囲の者は首を傾げたが、彼は断じて口を割らなかった。部下や同僚が、どれほど少佐を尊敬しているのか、彼はとてもよく知っていた。少佐の存在があるから、島民たちが安心して日々を暮らせるのだということも。

「だから、許すのか。被害にあった女たちの悲鳴には耳を塞いで」
「そんなことは断じてない!!!」

 唐突な怒声に、班員たちがぎょっとして彼らを振り返った。何事かと、島民も困惑した目を彼らに向ける。軍曹は彼らを見なかった。冷たく自身を見下ろすロシナンテを、燃え盛らんばかりの視線で睨みつける。
 悔しかった。目の前の若い将校が、羨ましくてならなかった。ロシナンテのような実力があったのなら、彼は決して少佐の悪辣なふるまいを黙認しなかっただろう。善人のような顔をして弱き者を甚振るような卑劣な行いを陽の下に晒し、断罪しただろう。彼にその力が、あったのなら。

「私は誰よりも、この島の平和を望んでいる。あんな悪党どもを野放しにしておきたいわけがないだろう!」
「だったら戦え!!!」

 ロシナンテは、穏やかな男だ。駐屯所を尋ねた時から、彼は気さくに振舞っていた。その怒声に、覇気に、軍曹は思わず後ずさった。班員たちと他愛なく話していた娘が、小さく悲鳴を上げる。
 ずいっと、一歩を踏み出し、ロシナンテは軍曹が離れた分以上の距離を詰めた。上体を折り、軍曹の鼻先で、低く、唸るように怒鳴りつける。

「能力がなんだ、地位がなんだ。そんなもの、なんの言い訳にもなりはしねえ! 誰もが幸せに暮らしてえから、それを叶えるためにおれたちがいる! そのおれたちが、つまらねえ理由つけて誰かの平和を諦めるなんて、まかり通るわけがねえだろう!!!」

 ロシナンテには軍曹の気持ちがわからない。ただ腹が立った。愛する故郷があり、信じあえる部下がいて、なぜ悪に屈するのか。護りたいものを胸を張って護れることが幸福だと、どうしてわからないのだろう。
 どれほど睨み合ったか。周りが息を詰めて見守る中、先に俯いたのは軍曹だった。次に顔を上げた時、彼の瞳に覚悟が輝いていることを見て、ロシナンテは静かに屈めていた上体を起こした。先ほどとは打って変わり、囁くように、しかし力強く告げる。

「すべてを救え。たとえそれが理想論であっても、おれたちがそれを捨てることは許されない」

 刹那、目を閉じる。父と母。兄。凪いだか細い背中。

「おれたちは正義だ」

 軍曹もまた、目を閉じた。深く息を吸う。


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