Scene 15
 なんていう女だ。ロシナンテはハングス少佐に向き合いながら、顔が引きつるのをなんとか宥めた。
 戦力が足りない。ならば、味方を増やせばいい。単純な発想だ。けれどもその手段が単純とは程遠い。

 花子は、夜明け後に起こるだろう事柄を、ほぼ正確に予想していた。つまり、マフィアに加えて海兵が自分たちの追手となることを見越していたのである。サムイスといえば治安のいい島として有名であるが、それが仮初めに過ぎないことを彼女は知っていたのだ。
 なぜそんなことを花子が知っているのか。実のところ彼女は、“北の海”で行われる悪事に関してはかなりの情報通だった。それもそのはず、花子の仕事と言えばドフラミンゴの悪事がこれでもかと認められた書類の整理に、ドフラミンゴと悪党のスケジュール調整に会談セッティング。いわば、“北の海”一の悪党の悪事を滞りなく進めることだ。ドフラミンゴの持つ情報は、相手の詳細な情報は当然のこと、相手が拠点とする島の風土、文化、島民性など子細に渡る。それらすべてに目を通し、ドフラミンゴが望むときに資料を手にできるようファイリングする彼女が情報に精通するのは、必然と言えよう。

 スパイダーマイルズを出る前、花子はサムイスに関する予習をした。つまり、島における裏の顔やその組の構成員、戦闘力を計算し、島の金周りを把握しておいた。以前ドフラミンゴからこの島のマフィアは“うまいことやっている”と聞いていたため、海軍と手を組んでいるだろうことは容易に想像がついた。
 さすがに花子とて、この島の取引相手であるカッツェが裏切るとは、レストランに足を踏み入れるまで予想していなかった。恐らくドフラミンゴもだ。でなければ、裏切りを何よりも罪とする彼が溺愛しているドジ男をたった一人(というのも花子はまるで戦力にならないため頭数には入っていない)で向かわせるような真似はしない。
 結果として、その予習が功を奏した。花子はカッツェらの戦闘力をほぼ正確に把握している。ロシナンテだけでマフィアに対抗するのは不可能だった。ならば足りない戦闘力をどう補うか。花子はすぐさま海軍に目を付けた。
 哀れな子どもを装って駐屯所を尋ねたのも、危険を冒して海兵の制服を盗んだのも、海兵に潜り込み、彼らを味方につけるためだ。

 もちろん、海軍がマフィア連中と癒着していることは知っている。下手を打てば戦力の補填どころか、敵が増幅することになりかねない。
 それに関しては、ここが“北の海”であることが幸いした。聖地があることに加え、力のある海賊がこぞって”偉大なる航路”で名を上げようと暴れまわる昨今、自然と海軍の主戦力も“偉大なる航路”に集中する。東西南北に分かたれた四つの海は、日本で言うところの地方に当たる。もし地方の支店に東京本社の役員が現れたら、まず無視されることはない。力関係は明白であり、ある程度の要望も簡単に通ると考えられる。

 この作戦の問題点はマフィア連中、ひいてはマフィアと手を組んでいる海軍に正体が露見するリスクがあることだが、それもロシナンテの海軍証があれば簡単に解決した。彼の海軍証は本物な上、ロシナンテも紛う事なき海軍本部中佐である。仮に海軍にしか通用しない暗号などを使用されたとして、ロシナンテがいるかぎりは問題がない。
 極秘任務という性質上、ドンキホーテ・ロシナンテを知る人物に己の目的が曝されるのを防ぐため、ロシナンテは細心の注意を払ってきた。本名から素性が割れるのを避けるために、彼は海賊として顔を出す際には、必ずコードネームを使用している。これがまた、今回の作戦に一役買っている。マフィアも海軍も、コラソンとロシナンテを結びつける情報を持たないのだ。

 この作戦を説明されたとき、ロシナンテはかなり悩んだ。潜入捜査中であることを考えると、ドンキホーテ・ロシナンテの名を使うことは得策ではない。万が一にでもドフラミンゴの耳に入れば、すべてが水の泡に帰す。しかし船も抑えられ島からの脱出も見込めない以上、これ以外の方法はないようにも思えた。

「海軍に潜入するのはいいとして、カッツェをどうやって捕まえる? 奴らは癒着してるんだろ。なら海軍がマフィアを捕まえることに乗り気になるとは思えねえが」
「新聞ですよ」
「?」
「この島、時折若い女性……少女と言ってもいいくらいの年齢の女が何者かに暴行を受けるんです」

 話が繋がらず、ロシナンテは首を傾げた。

「先ほど駐屯所にいた海兵のうち、最も位が高いのは軍曹でしたが、彼は私が何者かに襲われたという話をすると、すぐさまその手口と人物像を厳しく問いただしてきました。あまりに様子がおかしいので訳を聞くと、なんでも数年前から特定の人物、またはグループが女子どもを襲っているらしいんです。いくつかの新聞も見せてくれました。若い女性が夜道でひどい暴行を受け、路地裏に捨てられる。ひどいときは命を奪われているようです。手口が似通っていることから同一犯とみなされてはいますが、被害者たちはひどく怯え、犯人について黙秘を貫いているとか。目撃者がいないために情報がなく、捕まえられないというのが目下の悩みだそうで」

 花子の話に、ロシナンテは腕を組んだ。重々しく頷く。

「ああ……。最近は世界中の治安が悪くなってるからな。だからおれも海兵として、一般市民の安全を守れるよう頑張らなきゃならねえんだ」
「誰がそんな話をしているんですかこのポンコツ」
「ポ!?」
「私が言っているのは、暴行事件にこの島を取り仕切っている海兵……たしかハングス少佐でしたか。その人物以外の海兵は、関与していないのではないかということです」
「そりゃあつまり、暴行事件はマフィア連中が起こしているってことか?」
「そして少佐が黙認している」

 花子が頷いた。

「ここへ来る前に調べたのですが、この島の治安はある時期から回復しています。しかし治安の回復と同時に、少女が襲われる事件がたびたび見られるようになった。どちらも少佐が赴任してからです」

 時期が被っている。だがたったそれだけでは根拠に乏しい。ロシナンテは眉を顰めた。

「だが、もともと治安が良くなかったんだろ? なら、治安が回復して他の犯罪が目立たなくなった分、暴行事件の割合が大きくなっただけってことも……いや。それなら余計、暴行事件を追わない理由がねえ。同一犯とされているうえ、もう数年にわたって犯行は行われてる。いくら被害者が口を閉ざしてたって、証拠がゼロざねえだろう。なのに、犯人の影も形もわからねえとは……島を仕切っているっていう少佐が優秀なら、尚更妙だな」
「海軍とマフィアが癒着していることを考えれば、十中八九マフィアの仕業でしょう」
「だろうな。おまえの考えだと、マフィアと手を組んでるのは一番上の人間だけなんだな?」
「おそらく」
「なら手の打ちようはあるか……」

 明け方の会話を思い起こし、ロシナンテは胸中でため息を吐いた。
 人の機微には聡い方だ。目の前で愛想笑いを浮かべる男が、実のところ剣呑な目つきで己らを睨みつけていることを感じつつ、ロシナンテはできるかぎり朗らかに振舞った。

 コラソンを捕らえるために海兵が集められた駐屯所は、高揚とも興奮ともつかない熱気に満ちている。滅多にない大物海賊の捕り物という上、本部将校が視察に来ているとなれば、それも無理らしからぬことだ。誰もが正義感を表情に滲ませ、少佐を熱心に見つめた。立ち並んだ海兵たちの顔を眺め、ロシナンテは中でも一際、熱の入った目をした男に目を付けた。

(あいつだな……)

 広い肩幅に焼けた肌。側面を刈った白い短髪。年齢は恐らく三十代後半から四十前半。花子が言っていた軍曹とは、彼のことだろう。
 最前列で胸を張る軍曹は、まっすぐに顔を上げ、射抜くように壇上に立つハングスを見上げている。そのほかの海兵たちは、正義感で輝くような眼差しをしていた。荒れ果てたサムイスを豊かで平和な島にした男のことを、みな尊敬しているのだ。その裏に隠された顔に、まるで気がつきもせずに。

 告げられた作戦では、三つの班に分かれて島を巡回することになっていた。朗々たる声で語られる正義の意志、島民たちへの奉仕精神。そのどれもが完璧に演じられ、ハングスが言葉を重ねるごとに、ますます熱気が高まっていく。けれどもその中で、“大物海賊”の名が告げられることはなかった。大方、本部将校に手柄を横取りされてはたまらないとでも思っているのだろう。表情に出ないよう舌を打つ。嫌な奴だ。

「本日は、海軍本部よりお越しになったロシナンテ中佐と花子軍曹が、巡回に同行してくださる。みな粗相のないよう、己の職務に邁進してくれ」
「はっ!」

 兵士たちの声に満ち、駐屯所が震えるようだった。彼らはすぐさま作戦通りに散開し、町へ繰り出す。ロシナンテと花子は一瞬だけ視線を交錯させると、何も言わず、作戦通りに行動を開始した。





▲▽▲






「本当に、少佐に付いて行かれなくてよろしいのですか?」

 怪訝そうな顔をして自身を仰ぎ見る軍曹に、ロシナンテはひらひらと軽く右手を振った。

「いいんだ。あっちはあいつが上手くやってくれるだろうから」
「なら、いいのですが……」

 通常、視察であればロシナンテと花子が分かれる必要はない。仮により広範囲を視察するために別れるのだとしても、上官であるロシナンテが最も位の高い少佐に付くのが妥当だろう。それなのにハングス少佐に付いたのは花子で、ロシナンテは軍曹の班に同行している。軍曹が訝しがるのも、もっともな話だ。

 ロシナンテたちの作戦で、重要なのはハングスよりもむしろ軍曹だった。彼を落とせるか落とせないかで、作戦の可否、ひいては花子の生死が決まると言っても過言ではない。ハングスに同行することにも危険は伴うが、軍曹の班には戦闘力が必須だった。また交渉が失敗した場合、逃げることを考えると、どうしてもロシナンテが役を担う必要がある。怪訝そうな顔を崩さない軍曹に愛想笑いを振りまきながら、ロシナンテは拳に汗を握った。脳裏に浮かぶ、か細い身体。凪いだ女が自身に向けた、あの、微笑み。失敗は許されない。
 軍曹に少佐を裏切らせる。

「それにしても、随分と鍛え上げてるみたいだな」

 ロシナンテは演技でなく感心し、軍曹とその班員たちを眺めた。その数十数名とはいえ、誰も彼もが引き締まった、見事な肉体をしている。少しでも平和に胡坐をかけば、こうはなるまい。ほうっと感嘆の息を吐くロシナンテに、軍曹がわずかばかり誇らしそうに胸を張った。

「この島の治安が安定したのは、たった数年前の話です。減りはしたとて、犯罪件数もゼロではない。島民が安心して日々を過ごすことは我らの望みですが、我らが怠けてしまえば元も子もありません」
「とはいえ、他の班員はここまでではなかっただろう。アンタが率いているからか?」
「ええ、もちろん。うちの軍曹は、鬼軍曹として有名なんですよ」

 返事をしたのは、若い兵士だった。栗色の癖毛をふわふわと揺らしながら、ひょっこりとロシナンテの右脇から顔を出す。軍曹は顔を顰めたが、彼はにっこりと茶目っ気を含ませた視線をロシナンテに向けた。

「おれなんか、女の子が放っておかないくらいの色男だったのに、この人の下についてから地獄みたいな訓練やらされたおかげで、こんな熊みたいになっちゃって。もうデートに誘っても、誰も付き合ってくれないんですよ」
「その軟弱な性格を叩き直すことはできなかったがな」

 大きく鼻を鳴らした軍曹は、けれども口ぶりとは裏腹に、怒ってはいないようだった。栗色の兵士を見る目には、呆れと手のかかる子どもを見るときのような温かみがある。若い兵士は、へへっと肩を竦めて笑ってみせた。その空気につられ、真面目腐った顔で隊列を組んでいた兵士たちが、彼らを振り返りからかいの声を投げる。

「いいじゃねーか。ニーヴァがフラれるようになったおかげで、おれたちにもちったぁ女が回ってくるようになったってもんだ」
「とか言って。おまえがモテたって話も聞かねえけどよ」
「うるせえなあ。ここだけの話、おれは酒場のマリア一筋だからいーんだよ」
「あ? マリアは来週挙式だろ」
「はあ!?」
「えっ、おまえ、知らなかったの」
「あーあ。ジェフィスを泣かせちまって。こいつ女にフラれるとめんどくせーんだよなあ」
「今日はさっさと悪党とっ捕まえて、ジェフィスの失恋パーティーと行くか」
「そいつぁいいや!」
「品がなくて、お恥ずかしい限りです」

 粗野な男たちの会話に、軍曹は渋い顔をした。「いや、いいんだ」ロシナンテはたいして気に掛ける様子もなく、にこりと笑う。

「おれも軍にいた時はあんなだった。懐かしいよ」
「軍にいた時……?」
「……あっ! いや、その、もっと下っ端だったときな! 最近じゃああやって同期と馬鹿話することも減ったから」
「ああ、なるほど。本部将校ともなれば、そのお忙しさはここの比ではないでしょうね」
「いやあ。ははは……」

 危ねえ。どうにか納得してくれた様子の軍曹に、ロシナンテは心中でほっと息を吐いた。嘘を吐くことが苦手な彼にとって、喋れるというのはデメリットも大きい。

「でも、なんか、駐屯所にいた時と雰囲気が違うな」

 わいわい、がやがや。賑やかな男たちの群れに軍曹が喝を入れようとするのを、ロシナンテが遮った。悪党を捕まえるためとはいえ、町中を練り歩くのに気難しい顔をしていては、島民に違和感を与えるだけである。彼らが気づかないうちに悪党を捕らえ、何もなかったように装うのが、平和を守ることではないか。そうロシナンテに諭され、渋々部下たちの歓談を許した軍曹に、ロシナンテは苦笑した。今時珍しいほど、真面目な男だ。

「駐屯所にいた時は、もっと固い雰囲気だったが」
「ええ。緊急事態により収集されたということも一因ですが、あそこには少佐もいらっしゃいましたから。みな、少佐を尊敬しています。気合が入るのも仕方がないでしょう」

 軍曹の背丈は、ロシナンテの肩ほどまでしかない。ロシナンテは上から、伺うように軍曹を見た。わずかな表情の変化も見逃さないよう、けれども己が注視していることは誰にも悟られないよう、注意深く視線を運ぶ。

「……そういや、この島には随分前から暴行事件が頻発してるって話を聞いたんだが」
「頻発しているというほどではありませんよ」

 穏やかな声だった。
 見事な切り返しだ。ロシナンテは内心、舌を巻いた。軍曹の声は自然な柔らかさがあり、取り繕ったような罅がない。表情も平然そのもの。客人の無礼な質問に、彼は一切の動揺を見せなかった。
 相手が悪かったのだと、ロシナンテは彼に同情したくなった。実に、見事な仮面だった。毎日命がけで己と関わる全てのものを欺き続けているロシナンテでなければ、見破れぬほどに。

 花子。ロシナンテは心の内で呼びかける。返事をする刹那、完璧に演じた隙間から、一寸ほど漏れ出た怒りを、ロシナンテは見逃さなかった。
 おまえが言ったとおりだったよ。この男は信用できる。人の悪意に敏感なおまえは、信用できる人間も、ちゃんと選べるんだなあ。うれしいよ。
 それならおれのことも、信用してくれりゃあいいのになあ。そうしたら、おれももっと――

 前を歩く兵士たちは、時折島民に声をかけ、かけられながら、朗らかな空気を纏って歩いていく。彼らの後ろを歩く軍曹は、胸を張り、正面を向いていた。彼はロシナンテを見なかった。同じように誓ったはずの正義を堂々と掲げるその姿が、羨ましくてならなかった。


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