Scene 14

 少佐は客人たちを、表面上はにこやかに迎えた。
 サムイスに設置された西と東の海軍駐屯所、そこに属する者のうち最も位の高い者は少佐であった。名はハングス。海軍本部から来た客を迎えるというのなら、彼が出る他にない。けれども、と少佐は内心で歯噛みする。なぜ今なのだ。よりによって、カッツェがドンキホーテ・ファミリーを相手取ったこの時だなんて!

 “北の海”は四つの海の中でも最も治安の悪い海域として知られている。けれども彼、ハングス少佐が管理するサムイスにおいてはその利用価値から海軍からの保護も手厚く、ハングスが管理を任されてからというもの"北の海"で最も治安のいい島として名を馳せていた。それゆえ彼の心証は上からも厚い。あと数年もすれば本部への栄転も夢ではないと、彼は考えている。
 治安維持というのは、非常に厄介だ。人が多くなれば町は栄えるが問題は増える。特に近隣の島から移ってきた人間は非常に柄が悪く、彼らのために島が荒れることもしばしばだった。
 前任者が愚かだったのだろう。ハングスが着任したときの島は、酷いものだった。ゴミや糞尿に荒れ果てた街路、栄えるのは競争に打ち勝った大きな工場を持つ者の邸宅ばかり。路地裏で蹲る者のなんと多かったことか。

 ハングスはとても賢しい男だった。彼は何をするよりも先にカッツェに目を付けた。この島を牛耳っていると言っても過言ではないカッツェと手を組み、表から島を整えていく。島が豊かに、美しくなれば更なる人口増加が見込め、それはハングス少佐の評価を上げるだけではなく、カッツェの商売を円滑にすることにも繋がった。
 彼らはとても馬が合った。カッツェのやり方は時に残虐非道としか形容のしようがなく、その悪辣さはハングスには無駄なことのように思えたが、いかんせん奴は頭のいい男だ。自身の懐を潤し、邪魔者を排除することに関しては天賦の才がある。利用価値としては申し分ない。カッツェは商売相手の悪党どもを裏切り、その首をハングスに差し出した。幾人もの悪党を仕留めたハングス少佐は、島民からの信頼も、海軍としての評価も得ていく。自然と金回りがよくなり、その一部が悪党どもの“軍資金”となる。また、彼はカッツェに要望された町娘を差し出すこともままあった。もちろん、自分が関わっていることを露呈させるようなへまはしない。紙面が哀れな少女の末路をたびたび掲載しようとも、優秀な統治者であるハングス少佐は、そんな些事に心を惑わされることはなかった。

 すべてが上手くいっていた。彼がカッツェとともに屠ってきた悪党は数知れず。島民からの信頼も海軍としての地位も、金も、すべてが欲しいままだった。“北の海”一の悪の温床、ドンキホーテ・ファミリーも彼らの糧となるはずだったのだ。
 正直に言えば、最初カッツェにドンキホーテ・ファミリーを裏切るという話を持ち出された際は、いくらか躊躇いがあった。かのドンキホーテ・ドフラミンゴが“北の海”一であるのは伊達ではない。それは近隣の島々から寄せられる情報や、何よりカッツェの取引内容を鑑みれば明らかだった。けれども、とハングスはその賢しい頭で考えを改めた。悪党の名が高ければ高いほど、その首の値も上がる。ドンキホーテ・ドフラミンゴを討ったとなれば、あと数年はかかるだろう本部への栄転も目前だ。そればかりか、二階級特進したっておかしくない話でもある。

 計画は順調だった。カッツェがコラソンを殺し損ねたと聞いたときは頭に血が上ったが、よくよく話を聞いてみればコラソンの船は破壊済みであり、島から出られるはずもないという。ならば何一つ問題はない。朝になればカッツェたちを使うまでもなく、自らが指揮をとって島に乗り込んだ悪党を仕留めればいいだけのこと。島民の前で縄でもかけられれば、これ以上ない宣伝にもなる。
 夜が明けるや否や、ハングスはこの島に在住する海兵の全員を呼び出した。神妙な顔をして「とある大物海賊団の一人がこのサムイスに侵入したとの通報を受けた」と告げた彼の頭には、既にコラソンを捕縛するための指揮系統が組み立てられていた。袋の鼠とはいえ名の通った悪党である、一分一秒だって惜しい。

 ハングス少佐は笑顔の下から憎々し気に客人を睨みつけた。彼らは呑気な様子で出された紅茶に口をつけている。

「それで、ご視察とのことでしたが」

 ハングスの言葉に、女性海兵が目を上げた。とても小柄な、まだ子どもかと見紛う程の女である。“西の海”出身なのか、肌は黄色味を帯びている。黒い髪を揺らし、「ええ」と女は頷いた。

 コラソンを捕らえるため動き出さんとする駐屯所に訪問があったのは、つい先ほどの話だ。訪れたのは男と女が一人ずつ。曹長と名乗った女は海軍の制服を着ており、男はシャツのポケットから海軍証を取り出して見せた。記された階級は中佐。名はドンキホーテ・ロシナンテ。海軍本部将校といえば、海兵たちの憧れである。駐屯所にどよめきが起こったのも無理のない話で、ハングスでさえ一瞬の動揺を隠せなかった。
 彼らの目的は抜き打ちの視察だ。女性海兵が彼に差し出した書類は、たしかに海軍本部からの指令書であり、そこには今目の前にいる将校と女性海兵が“北の海”において視察を行う旨が記されていた。そんな話が通っていないこと、急な訪問では業務に問題が生じると述べてみたものの、女性海兵はすました顔で「抜き打ちですから」とあっさり彼の言い訳を切り捨てた。

「わたくし共の目的は“北の海”の島々における海軍の働きおよび治安の確認、向上を目的とした視察です。本日より三日間この島に滞在し、皆様方の働きぶりを確認させていただきます。これは海軍本部からの命令ですので、通常の業務に差し障ることは承知しておりますが、何卒ご了承いただきますようお願いします」

 本部の将校がこんな“北の海”に視察だなんて馬鹿馬鹿しい。ハングスは笑顔の下で歯噛みした。それも、この優秀なる自分が完璧に治安を維持する島にだ。視察する意味などない。それに、いまこの瞬間は自分の将来を左右することになりかねない、大切な時間だった。早いところドンキホーテ・ファミリー幹部を捕まえてしまわなければ。
 けれども中佐が提示した海軍証は、紛れもなく本物だ。そのファミリーネームから、もしかしたらあの海賊団とつながりを持つ人物なのではないかとハングスは内心冷や汗をかいたのだが、彼に付き従っていた女性海兵が「中佐の名は、この海で悪事を働く海賊と同じ名なのですよ。まったく、迷惑な話です」と言っていたので単なる偶然なのだろう。たしかドフラミンゴには弟がいたはずだが、その男こそがコラソンのはずだ。彼はコラソンの本名を知らなかった。

「しかし困りましたね」

 頭を掻き、困惑している様を演出したハングスは、下げた眉の下から抜け目なく女を観察した。そこそこ女受けのする顔立ちであることは自覚している。うまく懐柔できれば儲けものなのだが。

「中佐殿にご視察いただければ、部下たちの気もより一層引き締まるというもの。それはこの島にとって有益なことでしょう。それは重々承知しているのですが、いまこの時ばかりは……」
「何か問題があるのか」
「ええ、実に」

 尋ねるロシナンテ中佐に、ハングスは重々しく頷いた。

「昨晩、島民から通報があったのですよ。どうやら悪党が一人この島に侵入した様子で」
「悪党というと、海賊ですか?」
「はい」
「その名は判明しているのですか?」

 ハングスは女に向かって肩を落とした。「それが……残念ながら、どこの海賊かまでは把握できていません」ドンキホーテ・ファミリーを捕らえて名を上げるのは自分の役目だ。呑気に視察なんぞをしに来た邪魔者に獲物を取られてはたまらない。

「私が着任してからというもの、手前味噌にはなりますが、優秀な部下たちのおかげでこの島の治安はずいぶんと回復いたしました。ここ数年は大物海賊などとも縁がなく、お恥ずかしい話、悪党を相手取るのは久しぶりのことなのです。ですからお二人のご案内まで手が回らない状態で……」

 ハングスはしおらしい顔を取り繕って頭を下げた。「お二人の立場をないがしろにするつもりはないのですが、せめて一日、ご視察を延期してはいただけないでしょうか。状況が状況ですので……」サムイスはそう大きな島ではない。一日あれば人一人が隠れられそうな場所はすべて当たることができるだろう。それに、いざとなればカッツェたちに人知れずコラソンを捕らえさせればいいのだ。一日延期さえできたのなら、彼の計画はつつがなく実行される。
 けれども、彼らは頷きはしなかった。ロシナンテ中佐は紅茶を飲もうとして膝に溢し、「あっちぃ!」とひとしきり騒いでから(この間女性海兵はひどく冷めた目をしていた)、朗らかな笑みを浮かべた。

「悪党を捕まえるっていうなら、ちょうどいいじゃねえか。おれたちも協力しよう。なに、指揮をとるのはあんただ。おれがやったら視察の意味がないからな。緊急時の対応を見られるっていうのはありがたい」
「ええ。中佐のおっしゃる通りです」

 中佐の言葉に女も同意する。

「サムイスの海兵が優秀だというお話は、本部の方にも伝わっています。とりわけ、指揮者である少佐が素晴らしいのだとも。この島を最初に訪れたのは運がよかった。有能な方を基準に、他の島々にも指導ができますから」
「……そういうことでしたら」

 もはやハングスには、彼らを受け入れるしか道がなかった。頭の中で計画を組み立て直す。
 まあいい。コラソンさえ捕らえてしまえば問題のない話だ。直接海軍将校に自らの有能さを示せるのだとすれば、逆にありがたい話かもしれない。

 渋々立ち上がったハングスは、部下に視察の旨を通達するために指令室へ向かった。そこで、ふと気になり振り返る。「どうかしましたか」振り返ったハングスに女が訪ねた。「たいしたことではないのですが、」彼は微笑む。

「中佐の正義のコートはいかがされたのですか?」

 ロシナンテ中佐は、シャツ一枚しか着ていなかった。海軍将校といえば、自由な服装ではあるが誰もが肩に正義のコートをかけている。それは正義を担う者である証のはずだ。
 女は、ため息を吐きながら肩を竦めた。

「この島に降りる前は着用されていたのですが。……中佐はあの通りですので」

 含みのある言い方で、女がロシナンテ中佐を見やる。中佐は淹れ直された紅茶を飲もうとし、舌を火傷してもんどり返っていた。「ああ」これにはハングスも頷くしかない。大方煙草の日でも引火して駄目にしたのだろう。

「ご苦労されておられるようで」
「ええ、まったく」


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