Scene 11

「それで、一体どういうおつもりで?」

 間違ってもドンキホーテ・ファミリーの目や耳が届く範囲で会話などしない。けれどもここは大海原、小さな小舟に二人きりである。見渡す限りに広がる冷たい海を背に、花子はふだんの鉄面皮もかなぐり捨て、不機嫌極まった表情でロシナンテを睨みつけた。対するロシナンテは船の進路を確認するふりをしながら、必死に花子の視線から逃れようとしどろもどろに「いや」だの「あの」だのと繰り返している。


「……悪かった」
 長身を丸めて子どものように項垂れるロシナンテに、花子は大きく鼻を鳴らした。小舟の隅に腕を組んでふんぞり返る花子に、「でもよ」とロシナンテは大げさな身振りで弁解をする。

「ふたりで任務に出ちまえば、盗聴される危険もねえし、自由に喋れる分気が楽だろ」
「ええ、まあそうですけれど」

 ロシナンテが自分を連れ出した理由くらい、花子とて想像がついた。当初ドフラミンゴが花子をコラソンの部下にしたことは、手を組んだ二人にとってみれば幸運に他ならない。けれども花子はやっぱり顔を曇らせるのである。
 そんな花子にロシナンテは頬を掻いた。「それによ」言おうか言うまいか迷っていたことだが、結局言うことにする。

「たまにはおまえも、自由に過ごしたいだろ」

 打算でもなんでもなく、ロシナンテは花子を気にかけていた。どう贔屓目に見たところで、花子は普通の女だ。年齢は自分と同じだという。その歳まで平凡な生活の中にいたにも関わらず、否応なしに海賊団に身を置くことになった花子の境遇に、ロシナンテは同情していた。とはいえ、ロシナンテが花子にしてやれることはそう多くもない。そうして考えた末、たまには海賊連中がたむろする島から連れ出してやろうというのだった。

 ロシナンテの親切は、花子にとってみれば無用の長物以外の何物でもない。彼女にとって重要なのはもはや彼女自身ではなくローなのだから、ローと引き離されることは彼女に大きなストレスを与えた。それでも、ロシナンテが打算でもなんでもなく、彼自身の好意によって自分を連れ出したことがわからないほど、花子は愚かではなかった。巨体を丸めてしょげる大男を見る目から、次第に険が取れていく。

「……あなたが私のことを心配してくださっていることはわかりました」

 大きなため息。次いでわずかに綻んだ口元に、ロシナンテがぱっと顔を明るくさせた。

「お礼を言うべきでしょうね」
「いや、いい! いいんだ、おれが勝手にやったんだから!」

 長い手を花子に向けて必死に振るロシナンテは、まるで大きな子どものようだ。ふっと、花子の口から笑いが漏れる。ロシナンテは目を丸くした。花子自身もまた、驚いたように口元に手を当てている。

「……べつに、普段だって私はけっこう笑う方なんですけど」

 あんまり驚いた顔をしていただろうか。不満げに自身を見上げる花子は、言い訳がましく言った。それは拗ねた子どものようで、ロシナンテは笑った。花子はますます不満そうな顔になる。

「悪い、べつに可笑しいってわけじゃねえんだ」
「じゃあなんですか」

 いつもの鉄面皮を、どこにやってしまったのだろう。よく変わる花子の表情に、ロシナンテは心臓にあたたかく、甘いものを注がれているような心持ちだった。

▲▽▲


 四つの海の中でも大きな島の多い“北の海”にしては、その島はこぢんまりとしていた。けれども比較的過ごしやすい気候であることから人口は多く、農作物よりは人の手によって加工された名産品を売りにしているために、大きな工場が多く、人口に比例して町は大きい。島は豊かであり、発展している。

 表通りから外れた裏道を、ロシナンテは迷いなく歩いていく。その後ろには、付き従うようにして花子が続く。
 ロシナンテは、ちろりと横眼で花子を見下ろした。彼からしてみれば、ずいぶんと低いところに頭がある。

「なあ、本当についてくるのか?」

 花子がロシナンテを見上げる。この身長差では見上げるのも一苦労だろうと、ロシナンテは上体を屈めて言葉を続けた。

「金の回収ぐらいなら、おれ一人だって問題ねえ。わざわざ危ねえところについてこなくたって」
「おっしゃるとおり、仕事内容からして私が役に立つことはないでしょうし、もしもの際には役に立つどころか、足手まといになるでしょうね」
「だろ? こっちのことなんて放っておいていいから、観光でもしてくればいい。表通りには女が好きそうな店もたくさんあったし、ここはスパイダーマイルズより大きい街だから、流行りものだってあるだろ」

 かつて交際していた女性たちは、みな一様に買い物を好み、流行りもののチェックを欠かさず、高価な宝石や洋服などを見てはほうっと感嘆の息を漏らした。ロシナンテにとって女性というものは、ファッションや買い物に幸せを見出す生き物だった。在りし日の母のドレッサーには、数えきれないほどの衣装が詰め込まれていたものだ。もっともあの頃は、ロシナンテ自身だって到底把握しきれないほどの衣装を持っていたのだけれど。
 けれども花子は、ロシナンテの言葉には何の魅力も感じなかったらしい。「衣服に関しては、事足りていますから」素っ気ない返事が返ってくる。

「それに、あなたと共に上陸したところを誰に見られているかわかりません。一人で行動しているところを襲われたら、私はなす術もなく死ぬでしょう。あなたは私にとっての命綱なんです。この街でも、あの場所でも」

 鳥男にも、あなたのフォローを頼まれていますし。花子がほんのわずかに、唇を綻ばせた。小首を傾げると、夜の色をした髪がさらりと流れる。アジトにやってきたときには見るも無残だった花子の髪は、充分な栄養とローの手入れによって、絹糸のように柔らかく、艶があった。

「頼りにしています。……ロシナンテ」

 ロシナンテは、花子から顔を背けた。屈めていた上体を起こし、早足になる。「そりゃあ、がんばらねえとな」わざと不愛想な声を出した。

 今日は不思議な日だ。働かない頭で、ぼんやりとロシナンテは考えた。目の前にいる彼女が、どういうわけだか、今日はよく笑ってみせる。ロシナンテは、アジトでの花子を思い出した。凍り付いた鉄面皮。白い少年にだけ見せる、綻ぶような、花の笑顔。

 その笑顔を向けられることを密かに願っているのだと、ロシナンテは誰にも言わなかった。言えるはずもないことだ。けれども確かに、自分の内にローに対する嫉妬が存在していることを彼は自覚していた。
 花子がローに向ける笑顔は慈愛に満ちている。その笑顔に、ロシナンテは聖母のような神聖ささえ感じていた。まるで、かつての母のような……。彼が二度と手に入れられないそれは、ローだけが簡単に手にできる。
 どうかしている。ロシナンテは頭を振った。目が覚めるような美女の微笑みを向けられたことも、情熱的な夜を迎えたこともある。それに比べれば、花子など。
 でも。それでも。彼女たちは、あんな笑顔を向けてくれはしなかった。花子がローに向けるような慈愛は、彼が知る女たちにはないものだ。その片鱗が、自分に向けられた。心が浅ましく喜んでしまうのを、どうしたって止められない。
 ロシナンテは花子を信用してはいない。信用してはいけない立場であることを、彼は重々承知している。しかしながら、自分の心臓に嘘が吐けるほど、ロシナンテは器用な男ではなかった。左手で、左胸をぎゅうと掴む。心臓が確かに高鳴っていることを、認めないわけにはいかない。信用しては、いけないのに。
 後ろから軽い足音がついてくる。ロシナンテは振り向かなかった。どんな顔をすればいいのか、わからなかった。


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